なぜ信じれないのか?
自分も他人も信じてますか?
私自身、ある方と禅問答を
いつもしてる
この禅問答はしんどかったりする
でも、禅問答で出てくる大切な答えは
シンプルで当たり前過ぎること
逆に言うと
当たり前過ぎる答えほど
言葉にして
明確化するまでもない
って思ってしまう
それぐらい当たり前過ぎること
大切にできてない
京セラの稲盛さんも
JALを再建した時
役員に毎朝会議で言い続けたこと
時間を守れ
挨拶しろ
嘘をつくな
当たり前過ぎることを言い続けて
JALを1年で黒字化した
昨日のセッションでも
クライアントとの対話で
『信じる』といキーワードが出た
『信じる』ことさえできたら
自分も他人も変わる
そして信じることの大切さなんか
子供の頃から言われてる
でも・・・
できない・・・
なぜなら、信じるは二項対立の
概念だから
「信じよう」と無理にするほど
「信じてない」自分が潜在意識下で
強化されるから
光を強めると
陰も強まる
そして相殺されゼロになる
なら二項対立を超えた『信じる』とは?
『相手の理想の未来を想像し、確信すること』
これが、信じるの定義
理想の未来をイメージしきると
それが潜在意識に浸透し
自然と信じれる状態になる
では確信とは?
確信:相手の理想の未来を想像しきること
相手の理想の未来の解像度やリアリティを
最大限にすると
自然と確信が得れている状態になる
そして『信じる』
存在になると人は勇気付けられる
勇気づけられた人は行動を始める
頭で人をジャッジ、分析してたら
『この人、私を信じてない』
というのが伝わる
理想の未来を想像する。
リアリティーや解像度を
最大限に高めて
成果は目に見えないところで作られているから