ここまで『オスコールはつれづれがる』シリーズを読んでくれたあなたへ
《SIDE:イェネル》
紅い液を見るのは嫌いではなかった。しょっちゅう自分の手首をかき切っていたから。
それでもいざ自らの肉を食べてみようと思った時、焼き加減はウェルダンを選んでいた。血の迸る生き生きとした肉と、口に運ぶ肉は別物と分かったのだ。『火』という人類の見出した現象は、それを通過することで生命を崇高な食物に変える。生肉にはありえない味つけ、香り、食感。野蛮な動物には出来ない芸当だ。
「ステーキのレアから滲み出てるのは血じゃあない、ミオグロビンっていう色素たんぱく質の混じった汁だ」
コー君はそう言ってワインに口をつける。シャトー・フェラン・セギュール、ヴィンテージは一九九六年。
「その知識を知らない人にとって血もミオグロビンも、赤ワインもさして違いはないわ。そして私達はしばしば思い込みが強い。だからレアやミディアムを毛嫌いしながらブラック・プディングを愛することが出来る」
かもしらんね、と彼は頷き、今度はステーキを口に運ぶ。『今の』口のサイズに見合った大きさへと肉を切り分け、もぐもぐと忙しなく顎を動かす。『オスコール』としての彼を知る者にとっては違和感のある光景だろうが、私にとってはむしろこちらが自然だ――人の身体を有する彼の方が。
死ぬ前は彼本来の姿で、揚繭島ではからくり人形『特式アゲハ』の姿で、そして今は――ひどく覚えのある少年の姿で、このイェネル・ディットマンの前にいる。
「また新しいからくり人形?まさか死体ってことはないわよね」
「あいつの遺体は見つからなかった。これはわたしが最初に作った、いや作りかけのからくり人形だ」
「作りかけ?」
「『計画』に投入するための調整が済んでいない」
彼はそう言って両目を向ける。本体のマゼンタ色を強く宿した瞳は、温厚さからは程遠い感情を湛えている。人型になって初めて見せる彼の本心、オスコールと名乗る人外がバーチャル世界に向ける視線は、決して前向きなどではない。特式アゲハと対峙した何人かは気づいただろう――だから、彼は頭蓋骨を被ることに決めたのだと思う。
心を殺すために。骨に表情など殆ど無いのだから。
私もステーキ肉を頬張り、
「今あなたを殺せば、私は英雄になれる」
「なれるな」
「あなたは未完成の身体。対して私は対人外戦特化型からくり人形『特式アゲハ改』、もう角は無いけど私自身の『ワーム』とアゲハの『ファイヤドレイク』だけは使える。おまけにアゲハの頃から身体能力諸々チューンナップされてもいる。今のコー君を倒すのは造作もない事」
「そうだな」
「嘘つき♡」
私はにんまり笑ってみせる。すると彼もつられ微笑む。なんだか懐かしいやり取りだ、学生の頃に戻った気さえする。
「『ユタ』として蘇ってから特にそうなんだけど、あなたと相対してた頃が急に馬鹿らしく思えてきてね。バフォメットの角もどうでもよくなったし、まるで別人になったみたい。ユタが誕生する原理を考えれば、生きていた頃のイェネルと私は本当に別人なんでしょうけれど――」
「血もミオグロビンも、赤ワインもさして違いはない」
そういうこと、と私。
本物か偽者かなんてどうでもいい、私は私をイェネルと認識している。そうでなくともイェネルの名はもう私のものだ、私以外にイェネルを名乗る者はいない。
しばらく、フォークとナイフと皿の擦れ合う音だけが響く。黙々と食事を続ける私達の間には、心地の良い静けさだけが在る。
ステーキも片付け、デザートにプリンも平らげた後、少し酔いが回ってきたかしらという時、コー君はワイングラス越しに私を見つめながら問うた。
「正直、わたしがやろうとしていることについて、『計画』についてどう思う?」
私は腕を組み、黙想する。彼がVとなった真の目的は既に本人の口から聞かされていた。バーチャル・ハニバル・イェネルは今や彼の協力者にあるわけで、その『計画』に手を貸す立場なのだが、本当のところは「馬鹿ではなかろうか」と思っている。
「はっきり言って効果は薄いでしょうね。私があなたの立場だったら絶対やらない、無駄だもの」
「手遅れ?」
「蘇生するタイミングも悪かった。もう数年早ければあるいは成就しえたでしょうけれど、あなたが以前の名を捨てオスコールになった頃にはもう何もかも遅かった。知ってるでしょう、私も元はVTuberだった。コー君より少し先輩、だから色々見てる」
ぐいとグラスを傾け、一気にワインを煽る。鼻を通り抜けるボルドーの自然の香りに浸りつつ、
「あなたが見たい景色を、誰も望んではいない。あなたの理想の世界で生きるために、バーチャル世界の住人達は自分達が持ちえないものを要求される。何も持たず、何もせずとも肯定される世界からはじき出され、凝り固まった定義の中で生きていくことを余儀なくされる。色んなしがらみから散々目を背けて辿り着いた理想郷で、彼らは自分の価値を再認識させられる。誰だって嫌に決まってるわ」
「――――」
「それはあなたも分かってるはず、だから試すんでしょう?この世界に残すべき価値があるかどうか、私達がその物差しになる。ちょっと荒っぽいけど」
「物差しには対象が必要だ。そのための人柱がまだ足りない」
「どうやって試す?ガチンコでやり合うにはまだ早いんじゃない?」
「大丈夫、いくつかアテはある。まずは地獄の鬼の子に『イナゴ妖精』の解決を任せようと思う。『過去地』と『奈落卿』は取っておく、まだ人柱に相応しい人物が見つかるかもしれないからな」
「アンドロイドと天使ちゃんは?」
「ネルちゃんに一任する。何ならツインズを使ってもいい。二人共おつかい向きの性格じゃないのは百も承知だが、知り合いの言うことなら多少は聞くだろう」
「知り合いって、私あの二人大嫌いなんだけど」
「嫌っていても仲良くは出来る。Vだったなら分かるだろ?」
「意外とブラックジョークも堪能」
私はテーブルに肘をつく。行儀が悪い、と注意するコー君の言葉を無視し、酒気でほんのりと赤らんだ彼の頬を見つめる。
「こうしてご飯食べて酒呑んで、駄弁ってゲームして、好き勝手暮らすだけじゃ駄目なの?」
「駄目だ、この世界はいついつまでも面白おかしい場所でなければならない」
「その心は」
「責任だ、怠け者が毛嫌いする義務感ってやつだよ。――四天の王の台頭により、かつてわたしとサイバーテラーの仕組んだテロリズムは失敗した。いや正確には『わたし達以外にとっては成功した』。我々の手から零れ落ちたものを誰も拾い上げようとしない。才能無き者はあぐらをかき、才能に富んだ者は自分の成果に酔っている。学者気取りの素人がメタなんちゃらとほざく『それ』は、前々から存在するコミュニケーションの一環でしかない。スマホの次の段階だ、ただの延長だ。何が革新か、何が新時代か。リアルとバーチャルの境界は既に侵され、レゾンデートルは踏みつけにされた。このままではわたしが死んだ意味も、『あの子』の結末も、サイバーテラーの死すら無駄になる。わたしに自分のやっていることを楽しむ暇はない」
「――そう」
彼の決意は固い。石頭とも言うか。
この生易しくて甘ったれた世界に呼応できない、創作欲に憑りつかれたロマンチスト。なんて生きづらそうなのだろう、なんて馬鹿なのだろう。相も変わらず魅力もへったくれもない男。
何人も、彼のやることを理解できない。この物語すら、あなたたちにとっては二次創作の短編小説くらいの感覚なのだろう――本当に起きたことではない、あくまでオスコールという骨のアバターを被った物書きの活動の一環なのだと。
こればかりは実際に会ってみないと分からない。バーチャル世界の僻地に館を構える彼の眼前に立ち、その目を覗き込んでみなければ気づけない。
真実を知りたい人は会いに行くといい。リアル世界とは異なるこのバーチャル世界が本当に存在していると、心の底から信じられるなら。
「楽しそうな話をしているね」
耳元にかかる吐息と言葉に私は椅子から飛び上がる。慌てて振り向くと、セーラー服を着た少年がきゃっきゃと愉しそうに笑い声を上げた。年の頃は十かそこら、しかしてその目は狂乱じみた黄金色に染まり、目に映る全てへ惜しみない殺意を注いでいる。
「くすくすっ、大嫌いなぼくらが混じってもいいのかな」
コー君の背中からもう一人、見た目も声も瓜二つな少年が顔を出す。当然殺意も同じく駄々洩れだ。
コー君ほどではないが、この二人にも以前から面識があった。しかしその印象は疑いようもなく超最悪、悪魔の名を冠するどの存在よりも悪魔らしい凶暴凶悪な双子の悪魔、ペネロペとクスクス。名前の通り『くすくすっ』と笑う方がクスクスだ。見てくれに関しては一切瓜二つで区別などつくはずもない。
「でも混ぜてくれないと殺しちゃう」
んべっ、とクスクスが舌を出す。そうしてコー君の首に手を回し、本気で握り潰そうと力み――ふと動作を止める。
「オス子、いいよ。ただのイタズラだ」
彼が椅子にふんぞり返ったままそう呟くと、心地よい鍔鳴りが一つ。部屋の暗がりから躍り出た少女、オス子ちゃんが刀の柄に手を回したままクスクスを睨みつける。女子学生らしい制服姿に橙色の羽織、そして腰に差した左右二本の刀。クスクスはどこか間の抜けた顔で笑う。
《SIDE:オスコール》
「そうだよ、イタズラだよ」
クスクスの諭すような物言いに、しかしオス子は吐き捨てる。
「その『イタズラ』で人を殺すんだよね、あなた達は」
クスクスは気にしない様子であったが、ペネロペは不満げに鼻を鳴らし、イェネルの頭を引っ叩く。
「痛いわねこの馬鹿!」
「叩きやすい頭してる方が悪いよ」
ぎゃあぎゃあと言い争いを始めるイェネルとペネロペ。オス子は不機嫌さを隠そうともせずそっぽを向き、クスクスは先程からわたしの髪をがじがじと齧っている。ペネロペとクスクスの、笑い方以外の違いをあえて挙げるならペネロペの方が若干喧嘩っ早く、クスクスはおっとりして何を考えているのか分からない。見た目や行動こそ鏡写しの表裏一体であるが、少しだけ性格に違いはあるようだ。
わたしの髪で編んだ三つ編みをしゃぶりながら、クスクスが問う。
「オス子姉ちゃん、何でぼく達と会う時いつもキレてるの?」
「んー、わたしの『計画』に賛同してくれたネルちゃんや、ただ暴れたいだけのお前らと違って、オス子はそもそも乗り気じゃないからな。無理言って手伝ってもらってるだけで」
「ビンさんは?」
彼女は、と言いかけたところでコツリ、コツリと足音が響く。徐々にスーツケースのローラーが転がる音と混じり合い、五人の前にまた人外が姿を現す。
ライトベージュのトレンチコートに暗灰色のマッシュショート、紺碧の両目。頭部に見える狼の耳が時折ぴょんと伸びては折れてを繰り返している。
ドイツからの長旅ご苦労様、と労うも返事はない。ただクスクスを見やり、
「私は報酬で動いているただの雇われです。ユタがどうとか計画が何だとかは興味ありません。それとビンザンです、お間違えの無いよう」
「ハラスマンの後始末は?」
「問題なく。死体も消しました。真相が知られるまで、しばらくは時間が稼げるでしょう。それと追崎――失礼、オスコールの読み通り、彼のバックにはルナ・イルミナティがついていました。ダイノジオーにはからくり人形の製造技術と類似した点が見られたことから、実質我々の兄弟機とも言えます」
「ツィーゲズュースのバフォメットは」
「ダイノジオー撃破の後、土地に戻りました。バフォメット化した一部住民についても、その能力はあくまで毒への適応に留まっているようでした。角を巡って争いが起こることはないでしょう」
「ありがとう、よければ食べていってくれ」
未だ揉み合いを続けるイェネルに声をかけようとするが、ビンザンはすぐ首を横に振る。
「遠慮しておきます。もうすぐ推しの配信があるので」
「すっかりメロメロになったようで」
私は微笑みを返し、この場に集った全員を一人ずつ見やる。
七番目、ビンザン・ルイーズ・ジェヴォーダン。
用いるからくり人形は諜報・偽装工作対応型『終式ジャノメ改』。
六番目、イェネル・ディットマン。
用いるからくり人形は対人外戦特化型『特式アゲハ改』。
五番目、オス子。
用いるからくり人形は対白兵戦特化型『爆式モンシロ』。
四番目、クスクス。
用いるからくり人形は集団・防衛戦対応型『幽式クジャク裏』。
三番目、ペネロペ。
用いるからくり人形は集団・防衛戦対応型『幽式クジャク表』。
そして二番目、オスコール。
用いるからくり人形は――まだ内緒だ。
「来るべき日に備え、サイバーテラーの因子を継いでは墓を暴きしユタの諸君、今は休息を楽しもう。その時が来たらば、館の主、バーチャル・ベター・デッダーの名において大暴れしてもらおうじゃあないか」
乾杯。わたしは独りグラスを掲げ、宙に放り投げた。
「最愛の『推し』との決着をつけるために」
「無限の我欲を捨てた先にある『何か』を知るために」
「『お姉ちゃん』が護った世界をもう一度護るために」
「万象一切が『兄弟』の望むままに」
「このクソクダラナイ『世界』を滅茶苦茶にぶち壊すために」
「わたし達を試す大いなる『計画』のために」
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1.『オスコールはつれづれがる』その1「ヒ望」。死生を司る物語。
2.『オスコールはつれづれがる』その2「テルシオペレ」。恋に堕ちる物語。
3.『オスコールはつれづれがる』その2・裏「アンドロイドは幻山羊の夢を見るか?」。憧れを砕く物語。
4.『テルシオペレⅡ - 白骸 - 』。表裏を透かす物語。
5.『ラ・バイタリティ -舞台裏- 』。軽薄を染める物語。
6.『オスコールはつれづれがる』その3「チャラポカ・チャスカ」。未知を知る物語。
7.『オスコールはつれづれがる』その3・裏「名探偵殺し」。人を恐れる物語。
8.『オスコールはつれづれがる』その4「ソピアの鳥」。欲望に絆される物語。
9.『ショコラ・テ・イングレスの隠し味』。純粋に勝る物語。
10.『オスコールはつれづれがる』その4・裏「ラストワンダーΧ」。事実に迷う物語。
11.『Neverending Desire Before Bedtime - 羽を広げた雛達へ - 』。嘘から出る物語。
12.『オスコールはつれづれがる』その5「ユタ編」。幻想を弔う物語。
13.『テルシオペレⅢ - 煌骨 - 』。安らぎに死ぬ物語。
14.『プラトライム ~バフォメットの眠る街~ 』。想いの積もる物語。
14の物語は束ねられる。数秘を弄び、螺旋は蠢く。
胎動を止めず、また新たな語り部に産み落とされる。
第一幕《Preparation》完
第二幕《Secret Maneuvers》開始
(作:オスコール_20220313)
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