『オスコールはつれづれがる』その5「ユタ編」

笑顔で作った たまごはあともう一歩
涙と怒りじゃ たまごはすぐ割れる
血を注いで 命削ってできた
いとしい命のたまごは ぺっしゃんこ
温めすぎて ぺっしゃんこ

      ―― 『いとしいたまご』より

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

《SIDE:???》

「やあ、僕だよ」
「突然だが質問だ。君達は『人ならざる者』なんて言い回しから、一体どんな化け物を想像する?」
「万民にとって共通のイメージが存在する『鬼』や『妖』、『悪魔』、その他伝説上の生き物を列挙すれば暇がない」
「しかし僕の場合はと言えば、『虫』こそが最も人間からかけ離れた存在であると了解している。例えば昆虫の祖先と定義されている生物が誕生してから、今の多様性を確保するまでの進化の系譜に、説明不可能な空白の期間があることは知っていたかな」
「最初に誕生した昆虫の祖と、今蔓延る『虫』達は全くの別物で、後者は遠い昔に宇宙からやってきたという説」
「宇宙のご出身かどうかはさておき、僕は以前特異な『虫』を相手取った経験がある。正確にはその虫を使って良からぬことを企む研究者の魔の手から、とある少女を救い出そうとした」
「彼女は他ならぬその研究者の実娘であったのだけれど、あろうことか父の実験台にされていた」
「『虫』と呼ぶには異形が過ぎる化け物を、ヒトの内に宿そうという試みだ」
「『虫』に支配された彼女は普段の温厚な性格を潜め、邪知暴虐、何の罪もない一般人を拷問にかけては丹念に嬲り、躊躇いなく殺すという、まさに『人ならざる者』と化した。幸か不幸か『虫』の支配権は一時的なもので、さながら発作の如く現れては消えを繰り返し――と、いけない。実は今語っている内容は、これから始まる本編にさほど関係が無いのだった」
「『虫』は出てこないし、その研究者とやらの面影も無い。被害者たる少女などは、既に死亡しているときた」
「少女は自身の姉と二人仲良く身を投げ、支援者の僕をほったらかしにしてこの世を去った。けれども僕はその結末を予期していたし、『虫』を一旦引きはがすにはその手しかないことを、彼女達も分かっていた。難儀なものだね」
「とりわけ姉の方は、『虫』の実験台にされている妹をどうにかして救い出そうと僕以上に奮闘していた。身代わりに立候補したり、実験そのものをやめさせようともしたけれど、色々と立て込んだ事情があって軒並み失敗に終わったんだ。元々意固地な性格でもあったから、死ぬことを決意した後、その覚悟が揺らぐことは無かった」
「もっと気楽に生きれば良かったのに。今更言っても遅いって?」
「ところがどっこい、彼女らが迷わず死を選択できた事にはある『からくり』があった」
「僕達のいる『世界』では、『虫』は宇宙ではなく異世界からやってきたものだと考えられている。つまりは自分達が生きる世界とは異なる理、摂理の下に進行する世界の存在を認めていたわけで、端的に言うと二人は別の世界に転生したんだ」
「これにて『虫』は無事剥離され、忌むべき父親とも決別できた姉妹は君達が生きる電子幻想、バーチャル世界への亡命に成功したというわけだ。ちなみに彼女らの経過を見守るべく他に二人、桜藍国(こちら)からバーチャル世界に間諜を送り込んでいる。だから転生後の動向もばっちり把握している」
「ここまで長々と語った事柄は、あくまでバックボーンくらいに留めておいてほしい。シスコン姉の音無も廬崎の二人も、この僕すら『彼女』の人物像を知るための前情報に過ぎず、深く知る必要も考える意味も無い」
「こと重要なのは『虫』の呪縛を逃れ、死を体験し、今はのんびりとバーチャル世界での暮らしを満喫している少女、阿賀内 苦無ちゃんである」
「これは僕が受け取った経過報告の一つであり、彼女の成長を見守る物語だ」
「ろくでもない父親に代わり親心満載で、どうぞうちの苦無ちゃんの活躍を自慢させてほしい」

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

SIDE:オスコール》

 2020年、1月4日。三が日は全身に浴びるように、あるいは浸かるように酒ばかり飲んでアルコール特有の浮遊感を堪能していた影響か、骨とマントだけの姿であってもすっかり体が重い。重力に負けて地面に埋まってしまいそうだ。

 享年36歳、老いてますます酒の勢いは健在――と言いたいところだが、生前は健康診断でおよよと悲鳴を上げていた腎臓や肝臓が存在しないとなると、それはそれで張り合いも無い。酒にしろ煙草にしろ、身体に悪いと分かっているから摂取するという格好つけの気持ちが大人になってもあるらしい。だから手酌酒で飲む量を調節して、三日続いて尚終わりを見せない地獄の飲み会をこっそり抜け出し、帰路についているというわけだ。一日一晩ならともかく、三日も続けばそれはもう飲みにケーションでも何でもない、格好つけはお終いだ。

 バーチャル“ベター”デッダー、オスコール。その肩書も名前もすっかり板に付いてきたから、堂々と名乗ることに抵抗は無い。『オスコール』の名は確かにわたしを言い表す言葉として、わたし自身にも定着してきている。その度合いは本名の○○○○・○○○をたまに忘れる程である。

 まだ寒いな、と独り言ち、むき出しの手の骨をぶらぶらと振ってみせる。館はもう目と鼻の先だ、早く入って温まりたい。二日酔いにシジミが良いとか聞いたのでシジミの味噌汁も飲もう。そんなことを考えながら玄関前に立ち、鍵穴に鍵を差し込む。くいと捻ってみるが手ごたえは無い。反対に回すとガチャン、と音こそ鳴るが、今のは鍵がかかった音だ。つまりは鍵を閉め忘れて外出したというわけで、わたしはため息をつきながらもう一度鍵を回した。

 確かに施錠して出たはずだが――空き巣が入る程目ぼしいものは置いてないし、そもそも人気のない処にポツンと建っているから狙われることもそうそうないはずだが。そんな淡い期待を抱きつつ、何日かぶりの我が家に踏み込んだ。

 消灯時の館はほとんど幽霊屋敷の様相で、青みがかった薄暗さの中、居もしない怪物を空目してしまいそうな恐怖感をちょっぴり抱きながら進む。普段は玄関を開けてすぐの照明スイッチに手を伸ばすのだが、今はあえて暗闇の中を往く。というのも、二階から何者かの歌声と笑い声が聞こえてきたからだ。

「――ルさん歌お上手ですね!」
「文子さ――気出そうかな」
「お、良いね。是非聞かせてもらおうじゃない、の」

 声は貴賓室から聞こえてくる。中の様子を確認しようと、半開きになっていた扉から恐る恐る顔を出す。しかしタイミング悪く中の一人と目が合い、間を置かず貴賓室にいる全員と無言のにらめっこをする形となった。

 一人はスタイルの良い青髪の女性で、腕を組み、膝裏まで届きそうなロングヘアを指でいじっている時にわたしと目が合い、その髪色より真っ青な表情を浮かべる。

 もう一人は制服の上に橙の羽織を身につけた少女で、わたしの存在に気づくとまず青髪の女性と顔を見合わせ、わたしを再度確認し、最後に貴賓室の中央に浮遊する三人目を凝視しながらあんぐりと口を開けた。

 最後の一人は一見するとコミカルな外見ではあるが、手も無ければ足も無く、なびくマントの上に乗っかった頭蓋骨は下あごが見当たらない。静まり返った空間の中で、頭蓋骨の左目から覗く紅い球体がぎょろりぎょろりと周囲を舐り見る。

 不躾な来客は合わせて三人。椎名 文子、阿賀内 苦無。

 そして、オスコールの名で知られるスケルトン。

「――――」

 わたしの前に、『わたし』がいた。

「「出たぁあああああああああああ!」」

 文子さんと苦無さんはほぼ同時に悲鳴を上げ、抱き合ったままわたしから距離を取ろうとする。

「ぎゃああああああああああああ!」

 わたしはわたしで小便ちびりそうなくらい怯えるが、よくよく考えるとわたしが怖がられているではないか、真に慄くべきはつい先ほどまで二人が話していた紅眼の偽者の方だろう。そう考え、震える声で説得を試みる。

「二人共待ってくれ、わたしだ。本物のオスコールさんだ」
「それ以上近づくと穴という穴にぶち込みますよ!」
「苦無ちゃんったらお下品」
「ぶち込む前にこのマゼンタ色の本体をよく見てくれ」

 両手の人差し指を立て、頭蓋骨の左目を指す。ぽっかり空いた窪みにはわたしを『わたし』たらしめる本体が輝いており、その色は某世界の破壊者のイメージカラーでもあるマゼンタだ。案の定、文子さんが「ディケイド」と呟く。

 それに対し偽オスコールの『目』は今にも振り切りそうなレッド。一体どちらが本物で偽物だ、とにかくぶち込めと大騒ぎするわたし達を傍観し、一人沈黙を貫いていた偽者は急に言葉を発した。

「あの」

 その先を聞く前にわたし達の恐怖心はピークに達した。各々最も近い窓へと全力疾走を決め、窓ガラスをぶち破って空を舞う。

 ――下ネタ上等特撮上等、奇人変人狂人人外オールオッケーな奇抜トリオ。人はわたし達を『深淵組』と呼んだり呼ばなかったりする。

*****

 カセットコンロの火が消える。苦無さんが予備のガスボンベを探す間、わたしはぼんやりと鍋から立ち上る湯気を見つめていた。

 ビビって館を飛び出た三人組はその足で苦無さんの住まうアパートに避難し、さて何がどうなっているんだと頭を突き合わせてうんうん唸っている内にお腹が空いてきて、結局鍋パーティーでもしようかという話になった。

「つまり、二人がうちに遊びに来た時点であの偽者はどうやってか館の鍵を開けて侵入し、わたしのふりをして出迎えたわけだ」
「そう、で後は適当に駄弁ったり歌ったり、俳優さんのお尻について語ったり」

 要するにいつも通りですね、と苦無さん。切らしたボンベをテキパキと交換し、再び鍋に火をつける。彼女が鍋の底に隠れた肉団子をオタマで掘り出したのを皮切りに、各々好き勝手に食べ始めた。文子さんの摘まんだ白菜はよほど熱かったのか、ほふほふと吐息を漏らしながら咀嚼している。

「オスコールさんは戻らなくていいんですか?」
「まだ居座ってたらどうするのよ、おっかないじゃん」
「何が狙いなんだろうね。文子さんが見た限り、例えば金品狙いの強盗とかには見えなかったのよね」

 わたしのふりをして悠長に客人をもてなしていた辺り、確かに空き巣の可能性は低い。何より本物のわたしが現れても、あの偽者は動揺すらしなかった。我々が逃げ出す直前に聞いた「あの」の続きにちゃんと耳を傾けていれば、あるいは何か分かったのかもしれないが――今更悔やんでもしょうがないか。

 それにしても気がかりなのはあの目、というより『本体』だ。骨やマントこそわたしと寸分違わぬものを用意しておきながら、目だけは独自の紅色だった。その違いに何も感じなかったのかと二人を問い詰めると、

「ひやー、夜更はしで充血ひはのはなっへ」
「文へはんに同ひ」

 この有り様だ。せめて口の中のものを噛み終えてから喋ってほしい。

 わたしも茹で上がった豆腐をポン酢につけ、一口に頬張る。今は腹ごしらえに徹するとして、実際あの偽者にどう対処したらいいものかと頭を悩ませる。帰る頃にはどこかへ去ってくれていたらありがたいのだが、何故かまだ館にいる気がする。そんな予感がするのだ。

「予感って」

 鼻で笑う文子さんに、苦無さんは「そういう第六感って意外と馬鹿に出来ないんですよ」と言葉を返す。

「五感に足すこと状況判断、未来予測、あるいは血の繋がりによる以心伝心。目に見えない力を利用して特定の人物の居場所を暴く陰陽術もあるくらいですし」

 そういえば苦無さんは陰陽術が普及した世界の生まれだったか。バーチャル世界とは異なる世界、確か『桜藍国』とか――記憶を辿っていたその時、ある事実に気づく。

 異世界出身の住人。それは多様な世界が共栄するバーチャル世界の更に外側、言うなればリアル世界との隔たりに近い、絶対的な世界基準の相違。苦無さんもそうだが、やはり生きている世界が違うのだ。異世界からやってきた者だけが身に纏う特別な雰囲気、わたしはそれを、あの偽者に感じたのだ。

 それだけではない、今も館のある方角からじんわりと伝わってくる奇妙な気配に、わたしは覚えがあった。はるか過去から現在へと繋がる驚愕の事実に、わたしは思わず箸を落とす。不思議そうに見つめる二人の顔が顔として認識されない、見えるのに分からない。今わたしの脳裏に浮かぶのは、たった一人の人物。

 サイドの三つ編みと鼻の頭に貼った絆創膏がトレードマークの、一見すると何の変哲もない少年の姿。そんな外見とは裏腹に残虐非道の限りを尽くし、一度はバーチャル世界を滅ぼしかけた異世界からの侵略者。

 わたしは落とした箸をそのままに立ち上がる。

「ご馳走様、悪いけど確認しなきゃいけないことができた。二人は大人しくしておいて、くれぐれも館には近づかないようにね」

 険しい表情を浮かべる二人。わたしの慌てぶりから何かしら察してくれたのだろうか。オスコールさん、と苦無さんがわたしを呼ぶ声は上擦っていた。ごくりと唾を飲み、彼女は言う。

「それはつまり、館に近づけってことですね」
「いやフリじゃねーから!」

*****

 行くなよ、絶対行くなよ、と芸人ばりの念押しをしてみせた後、わたしは夕暮れの街へと繰り出した。

 鍋パを始めたのが午後6時頃、とすれば今は6時半くらいか。道行く人や建造物を真っ赤に塗りたくっていた夕焼けはすぐさま引っ込み、街全体が夜の暗闇に飲み込まれていく。

 どこかに公衆電話は無いかと適当にぶらつくが、携帯電話、あるいはスマートフォンを大人も子供ももれなく一台所有しているこのご時世、利用する機会のめっきり減った緑色の電話がどうしても見つからない。一時間ほど練り歩いた末に寂れた公園の角に電話ボックスを見つけ、やったやったと小躍りしながら中に入った。

 まず受話器を取り、そしてすぐにハンガーへ戻す。これを四度繰り返し、テレホンカード投入口に真っ黒なカードを――二度と使う機会は無いと思っていた、特別なカードを差し込む。それから程なく、公衆電話から軽快なベルが鳴る。往年のポップミュージックを思わせる着信音がワンフレーズ流れたら、最後に後ろを振り向く。

 この一連の動作こそ目的地へ向かうための手順であり、わたしの背後には電話ボックスの扉ではなく、いかつい鋼鉄製のドアがそびえていた。辺りの風景は一面真っ黒に塗り潰され、この電話ボックスが公園の敷地から何処かへと移動したことが分かる。

 ドアノブを捻り、重量のある扉を体当たりするようにしてこじ開ける。入ってすぐ「相変わらず立て付けが悪いな」と愚痴ると、その先に広がる空間の奥から声が響いた。

「部外者は入室禁止や」

 そこは一言で表すなら研究施設だった。だだっ広い空間は異様なまでに暗く、そもそも電灯をつけていない始末だ。そこへきてあちらこちらから天井まで伸びる筒状のカプセルが黄緑色に発光する液体で満たされ、仄かに研究施設を照らす。

 カプセルの中を泳ぐ生物とも植物とも臓器とも知れないモノを鑑賞しつつ先へと進む。声の主は最奥部にちょこんと設置されたマッサージチェアに腰かけ、ビール片手にテレビを見ていた。広大な施設に不釣り合いな休日の黄金セットは私物だろうか――うぃいいん、と音を立ててうねる背もたれに向け、何年振りかの言葉を交わす。

「久しぶり、元気してた?」
「去ね、回れ右や」
「冷たくするなよ、ドク。知らない仲でもないのだし」

 お前なんぞ知らんわ、とつっけんどんに対応するドク。本当に相変わらずだな、とわたしはため息をつき、いきなり本題に入ることにした。

「他人の身体をほぼ完璧に真似ながら、ちょっとだけアレンジを加える人外。心当たりはあるか?」
「……記憶は」
「友人と話をしてもボロが出ない程度には写し取るみたい」

 ドクは決してこちらに顔を向けようとしない。その姿はマッサージチェアに隠れ、かつ施設全体が薄暗いおかげで全貌が見て取れず、ただただ声だけが飛んでくる。

「ドッペルゲンガーと違ゃう?」
「ドッペルには会ったことがある、同種ならすぐ気づいたはずだ」

 ふうむ、と真剣に考えこむドク。彼との付き合いはそこそこ、生前からキツい物言いが目立ったが、ことバーチャル世界の摩訶不思議な生物に関する事柄に対し、思考は瞬時に研究家のそれへと切り替わる。横柄な態度もどこへやら、淡々と自身の見解を告げる。

「他にも似たようなのは仰山おる、全部挙げるとキリないで」
「一つ、気がかりなことが。わたしをそっくり真似た偽者がいて、そいつからサイバーテラーの気配がしたんだ」

 サイバーテラー。その名を出すとドクは「はいはいはいはい」と声を荒げる。飲み終えたビール缶を床に投げ捨て、足で何度も何度も踏みつける。そうした仕草から、明らかな苛立ちが伝わってきた。

「『ユタ』やね、間違いない」

 ユタ、と繰り返す。確か沖縄由来の霊媒師がそんな名前で呼ばれていなかっただろうか。試しにその話をしてみるが、全く関係ないし、そもそも名前に大した意味は無いのだと彼は言う。

「ユタはここ最近になってバーチャル世界で目撃されるようになった新種の『何か』や。まずユタには定まった体が無い。しかし他者の体を自在に真似、全てを写し取ることができる。かといってユタ自身はコピー元に危害を加えるようとか、あわよくばすり替わろうなんて考えとらん。そこがドッペルゲンガーと違う所やな。そしてどういうわけか、あいつらは歌を好む」

 言われてみれば確かに、わたしが苦無さんと文子さん、そして偽者の会話を耳にした時も歌がどうとか言っていた気がする。

「発見報告の上がった当初は名前が無かってん、そしたら研究員の誰かがレポートに付箋で『UTA』って書いたんやが、それが定着してユタと呼ばれるようになった、っちゅう流れや」
「何でそんなものからサイバーテラーの気配がする?あいつは死んだはずだ」

 ドクはひどく面倒くさそうに、これ見よがしに大きなため息をついた後、詳細を語り始めた。

*****

 サイバーテラー。

 元はバーチャル世界とは違う別の世界に存在していた少年。そして『その世界』を言葉一つで滅ぼした、言葉遣いの最終形態。喋る殺人、人語を操る悪魔、サイバーテロリスト。

 いずれの肩書もサイバーテラーを表現するには足らへん、まさしく正真正銘の悪やった。しかしサイバーテラーはバーチャル世界に来て間もなく、監獄に幽閉された。当時の技術の粋を凝らし、その少年を閉じ込めるためだけに建設されたアルカトラズや。ただまぁ、この世界が退屈過ぎて自分から入ったっちゅう噂もあるが真実はよう知らん。

 そこにある秘密結社が、ウチのパトロンでもあったルナ・イルミナティの使いがやってきて、サイバーテラーを逃がしてもうた。サイバーテラーとその使い――元は教師やったその男は共謀し、今度はバーチャル世界を滅亡一歩手前まで追い込んだが、反撃にあって両方とも死亡した。もちろん『今のバーチャル世界』に生きる住人のほとんどが知らん事実や。語られることの無い黒の歴史やね。事件に関わっていた当事者の一部だけが記憶を引き継いだとされてるが、過去の汚わいから継承されたものは他にもあったんや。

 ところで、お前はこんな話知っとるか?マサチューセッツのお医者さんがな、人が死ぬと体重が二十一グラム減ることに着目し、その消えた二十一グラムこそが『魂の重さ』やと訴えた。死んで魂が抜け出たから重さが変わった言うてな。

 ただこの重さを測った時の状況やら当時の計測器具の精度やらで信憑性は低いとされとる。SF向きの与太程度にしか扱われとらん――が、それは表向きの話。このダンカン・マクドゥーガルつうお医者さんが用意した実験設備は極めて精度の高いものやった、当時の技術を逸脱して余りある程に。

 何も不思議なことはあらへん。マクドゥーガルは一回目の世界大戦が始まるちょっと前に、フランシス・ダーウィンと繋がっとった。父親はあのチャールズ・ダーウィン、更にその祖父はエラズマス・ダーウィン。王立協会、フリーメイソン、ルナ協会で役満や。そん中に今のルナ・イルミナティのご先祖様が混じっとったんやろな、こと魂の研究に関して彼らは惜しみない支援をしとったらしい。

 そや、魂には確かに重さがある。「魂に重みなんてない」「魂はもっと高次なものであり、唯物論に支配された馬鹿共には理解できない」なんて抜かす連中もおるが、生物畜生からひねり出したもんがそない高尚なわけないやろ。

 せやったら、抜け出た後の魂はどうなる?質量を持ったそれが空中に霧散してはいお終い、で済むやろか?今頃ウチらは魂の海で溺れとるんと違うか――答えはまだはっきりしとらん、たぶん窒素に溶け込んでるんかな、くらいに当たりはつけとるが。せやけど今になって、いや正確にはサイバーテラーが死んでから、その『霧散した魂』がウチらの前に現れるようになった。それがユタや。

 ただの死者、で済めばもうちょい話は簡単やったんやけどな。『霧散した魂』が形を得るにはある条件を満たす必要があった。それはサイバーテラーという、バーチャル世界に本来いてはいけないモノが存在していたことで起きた歪み、そして彼の死後あちこちに散らばったサイバーテラーの記録の断片、言うなれば因子を『核』として、他の散らばった魂が集積すること。簡単にいえばサイバーテラーの特性を引き継いだ亡霊、ちゅうことや。

 因子と魂、この二つでユタは構成される。因子はサイバーテラーのものでなければ、いやサイバーテラーのものだからこそユタとしての形を取り得る。せやけど魂は誰でもいい、実際今まで確認されたユタもまあアトランダムや。多少の因縁はあるみたいやけども。

 今まで確認されたユタは、四体。

 一体目は出現してすぐ国を一つ滅ぼしよった。パナチッカ共和国、覚えとるか?せやろな、お前も忘れとる。ウチも名前しか知らん。サイバーテラーの因子を継いでるだけあって『そういうこと』が出来るんや、ユタは。単に一体目が凶暴に過ぎたとも言えるけどな。

 この一体目は始末された。その時闘ったのが誰なのか、どうやって倒したのかは誰も覚えとらん。ただこの後に出現したユタと比べ、明らかにサイバーテラーの色が濃いことから推測するに、サイバーテラーの因子に他ならぬサイバーテラーの魂がくっついて生まれたんちゃうかと思うとる。ま。ホンモンに比べたら一国なんて生温いくらいやけど。

 二体目と三体目は同時に現れた。双子やな、それもウチらの顔見知りときた――正解、『ツインズ』や。サイバーテラーに殺されたあのドブカス兄弟が、今度はサイバーテラーの力で復活しよった。ただ、さっきも言うたがユタは身体を持っとらん。他人を真似ることは出来てもすぐに偽りの容れ物は溶解し、ユタ自身も間を空けず消滅する。短命なんよ。それを防ぐためには何かしらの『器』に入る必要がある。

 ツインズの対処に当たったのはウチらとユージーン&クルップス、民間の軍事企業や。超常現象に秀でてこそすれ、ウチらは単純に戦力不足やってん。小規模な戦争めいて何千何万ちゅう人間が犠牲になった。どうにか消滅させる寸前まで追い込めたが、あと一歩のとこで逃げられてもうた。もうどこかで果てとるかも分からん。

 四体目は比較的大人しいというか、こっちは良い意味で顔見知りなだけあって友好な関係を築けとる。自前で『器』用意した時はビビったが、それからは何をするでもなく、やな。ユタに関するデータの多くはこいつを監視して得たと言っても過言やあらへん。でもやっぱサイバーテラーの片鱗は感じ取れるし、なんや隠れてこそこそ企んどるみたいやし、いつかは消さなあかんのやろうな。残念やけども。

*****

「そして五体目が現れた、か」

 サイバーテラーの子孫とでも形容すべき、新しい形のリビングデッド。その脅威すらある程度引き継いでしまうとなれば、わたしも他人事ではいられない。かつてあいつを監獄から解き放ち、相棒として手を組んだのはこのわたしだ。あの時はそうする動機があったから目を瞑っていられたが、今は見逃すわけにもいかない。

「五体目はどうする、四体目のように監視するのか?」
「アホか。あない危険なモン、そう何体も見張ってられるか。検体には四体目がいれば十分、今でさえ慎重を喫してコンタクトしとるっちゅうのに、下手に刺激して暴走でもされたら目も当てられへん。ユタ同士の結託いう最悪のシナリオもありうる」
「――そうか」

 その時、初めてドクがこちらを見た。椅子から少しだけ腰を浮かせ、後目にこちらを伺う。出会った頃に比べて少し老けたのか、ぼさぼさの茶髪には白髪が目立ってきている。鷹の如く鋭い目つきでひたとわたしを見据え、

「ウチらには戦力が足りん。それはさっき言うたな」
「みなまで、だ。これがサイバーテラーに関係することだっていうのなら、わたしにケツを拭く責任がある」

 さよか、と再びテレビに向き直るドク。その表情は伺い知れない。

「ただ一つだけ確認させてくれ。ドクの言う『ウチら』に、ルナ・イルミナティは含まれていないよな。わたし達の死後、奴らは姿を晦ました。その時ドクのスポンサーからも外れたと聞いたが」
「まだ繋がっとる、言うたら?」
「これ以上友達が減るのは嫌だよ」

 しばし、無言が続いた。カプセルはポコポコと音を立て、上から下に沈む泡がとめどなく中央に浮かぶ物体を洗う。あれは蛇だろうか、それとも大腸だろうか。

 張り詰めた静寂を破ったのはドクだ。

「ルナ・イルミナティとの契約は破棄した。当然やろ、あいつらが仕出かした悪事は一事が万事、万死に値する」

 そしてこうも続ける。誰が友達や、と。

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

《SIDE:阿賀内 苦無》

 そろり、そろり、忍び足。抜き足、差し足、ぼんきゅっぼん。

「ちょっと苦無ちゃん、どこ見てるの」

 文子さんの恥じらう姿を横目に堪能しつつ、私は館内を歩き回る。時刻は午後9時を回ったところ、オスコールさんの館は鍵がかかっておらず、正面扉から難なく侵入できた。

 彼には行くなと言われたが、そういうフリであることは重々分かっている――という冗談はさておき、実際に接触した私達には、偽者のオスコールさんを邪険に出来ない節がある。私達が一方的に驚いてガラスをぶち破っただけで、本当は話が分かる人なのかもしれない、と。

 二階の貴賓室を覗くが、偽者の姿は見当たらない。三つの窓に穿たれた人間大の穴からは凍える程に冷たい風が吹きこんでいた。

 貴賓室を出るのとほぼ同時に、文子さんの呼ぶ声が聞こえる。

 書斎や寝室を通り過ぎ、角を曲がってすぐの所にクローゼットが置かれていた。木目調の2ドア、大人が三人は入れるサイズだ。すぐそばに文子さんが佇み、開け放されたクローゼットから別の人間の上半身が飛び出ている。

 ホラー映画顔負けの光景にぎょっとした私は、思わず後退る。その人物は残る下半身をクローゼットから引っ張り出し、勢いでよろめきながらもどうにか立ち上がる。黒タイツにチェック柄のミニスカート、真っ白なシャツに橙色のマフラーを纏っている。右目を前髪で隠しており、まつ毛の長い真っ赤な左目が私達を交互に捉える。

 クローゼットから飛び出したこの女の子は一体何者だろうか。オスコールさんの彼女?奥さん?それとも娘?文子さんも困った様子で少女の動向を見守っている。

 すると少女は急に頭を下げ、

「あの、さっきは驚かせてごめんねっ。あたしもあのタイミングで本物が帰ってくるとは思わなくて、ついフリーズしちゃった」

 さっき、という物言い。それに印象的な真紅の瞳。この少女の正体は、あの偽オスコールさんか。まさかこんな美少女だったとは!

 私の迸る熱い視線を受け、少女は恥ずかしそうに頬をかく。

「実はこの体ね、たった今このクローゼットで見つけたものなの。あたしの本当の姿は紅い球体なんだけど、乗り移れる身体が無いと消えちゃうみたいで――困ったなぁって館の中をフラフラしてたらあなた達が戻ってくるのが見えた。今度はあたしがビビる番、それで慌てて二階に逃げたら生身の人間そっくりな人形を見つけて、つい勢いのままに入っちゃったって感じっ」

「ああ、前にオスコールさんが言ってたからくり人形だ」と文子さん。骨の姿を自分のアイデンティティに据える以前、彼は自らの手足たりうる人形を複数製作していたのだという。結局は使わず仕舞いでクローゼットの肥やしになっていたというところか。

「オスコールさんに化けたのは」
「何にも乗り移ってない状態だとそういうことが出来るみたい。あと、触れたものに蓄積された情報を読み取ったりだとか。館に触れたことで、あたしは館に刻まれたオスコールという人物の情報を読み取り、彼になりきってみせた。勿論二人のことも知ってるよっ、苦無ちゃん、文子ちゃん」

 私達はとことん人外に縁があるようで、しかしこの少女の目的は何なのか、どうしたらいいものかと考えあぐねていた。少女はこちらの心境などお構いなしに喋り続ける。まるで声を出すという行為そのものを楽しんでいるかのように。

「ねぇねぇ、今からパフェ食べに行こうよパフェ!さっき文子ちゃんが話してたでっかいやつ!あ、でもサバの味噌煮っていうのも美味しそうだったな、チキン南蛮とか。オスコールが好きなんだって。苦無ちゃんのその服可愛いよねっ、あたしも和服似合うかなぁ。文子ちゃんの大人っぽい感じも――」
「ストップストップ、文子さんついていけない」

 待ったをかけた文子さんはぶんぶんと首を横に振り、

「まず、君の名前を教えて欲しいな」
「無いよ」

 少女は即答する。その刹那、自身が名を持たない存在であることを告げた一瞬、戦慄が走った――今この瞬間にも殺されると思った。

「あたしはまだ、何でもないんだ」

*****

「おいしーっ!」

 バケツサイズのグラスに盛られた特大パフェを、その器ごと飲み込まんとする勢いでかき込む名も無き女の子。ぴったり一万円のバケツパフェをさぞかしお気に召したようで、分け合うでもなく上のフルーツ層を食べ切り、中間のクリームとフレークの層へとスプーンを突き刺す。

「――――」

 少女の向かいの席には、両手で顔を覆い隠す文子さん。テーブルには何故かエビフライの突き刺さったパフェが堂々たる佇まいで君臨している。面白半分でものを頼んだ結果とは言え、少し同情してしまう。

 奇怪な名無し娘(ジェーン・ドゥ)を連れてアパートに帰宅した私達はおっかなびっくり布団に潜り、何事もなく朝を迎え、恐ろしいまでにいつもの調子でパフェを食べに来ていた。ちなみにこの後はショッピングモールで洋服選びだ。

「苦無ちゃん、食べないの?」

 隣から心配そうに声をかける少女。私は自分のパフェを見やり――中央のプリンを囲うように盛りつけられたロースかつから目を背ける。みんな面白半分が大好きなのだ。

「食べますか?」
「いいのっ!?ありがとう!」

 ものの数分と経たない内にバケツグラスを空にしてしまった少女は、心底嬉しそうにロースかつへと齧りつく。お肉柔らかいね、甘辛いね、と食レポにも余念がない。

 エビフライをつまんだまま口に運んだり戻したりを繰り返している文子さんを尻目に、私を少女の横顔を見つめる。あどけなく、無垢で、まるで生まれてきたばかりのような純粋さをたたえ、倍速めいた動きでパフェを吸い込んでいく。昨夜感じた殺気が嘘のようだ。

 ――お姉ちゃん。

「え?」

 その声は少女のものではなく、エビフライと格闘している文子さんのものでもなく。

 少女はふとこちらに顔を向け、口にホイップクリームがついていることに気づかないまま笑いかける。その時、少女の姿に私の面影が重なった。

 そっか、と一人納得し、少女の口を拭う。

「全く、忙しない子ですね」

お姉ちゃんもこんな気持ちで、私を見守ってくれていたのだろうか。

*****

「おっきかったねっ!」
「ええ、大きかったですね!」
「ねぇそれさっき食べたパフェの話?それとも試着室で文子さんひん剥いて出た感想?」

 どっち、どっちなの、と詰め寄る文子さんにあえて無言の微笑みを返し、私達は買い込んだ洋服を一時コインロッカーに収納する。食べ物、洋服、〆は遊園地。警戒心もまとめてロッカーに放り込み、完全に遊びムードだ。

 近場の遊園地は規模こそ大きいが、新年も明けたばかりで客入りは思ったほどでもない。待ち時間ゼロで乗り放題とまでは言わないが、どのアミューズメントも五分から、長くとも十五分程列に並べば楽しむことが出来た。

 ジェットコースター、観覧車、お化け屋敷、ゴーカート。一回転するジェットコースターに少女は歓喜し、観覧車では上空から見下ろす景色に感嘆の声をあげる。バーチャル世界を一望した後は三人寄り添いながらお化けのパレードを抜け、ゴーカートでは玉突き事故が頻発した。

 らせん状に剥かれたポテトを頬張り、犬なんだか猫なんだかよく分からないマスコットキャラと記念撮影をした後、またアトラクションに繰り出す。今度は水を浴びるジェットコースター、胃の中でポテトがシェイクされるバイキング、園内でひと際輝くメリーゴーランド。

 メリーゴーランドを降りた後、暗くならない内に帰ろうという話になり、各自お土産を物色し始める。そういえばオスコールさんの忠告を思い切り無視してしまったなと散々遊び倒した後で思い至り、少しお高めの砂糖菓子と、遊園地のロゴが七色に光る帽子を手に取る。これで許してくれるだろう、多分。

 時刻は午後4時、少女は案内板に掲載されたアトラクション『回るコーヒーカップ』の写真を名残惜しそうに見つめている。文子さんにお土産と荷物を任せ、私は少女の手を引いてコーヒーカップに向かった。乗り込んだ後は互いを酔わす勢いで右へ左へとハンドルを回す。

「ありがとう」

 少女は息を切らしながら感謝の言葉を口にする。

「あたしねっ、信じてもらえないかもしれないけど、最近生まれたんだ」

 彼女は語る。突如としてこの世界に誕生したが、彼女を知る者は誰も無く、彼女自身も無知そのものであった。触れたものの情報を読み取る能力で知識こそ育まれたが、それはあくまで知っているだけ、体験したわけではない。知識と実感を結びつけることなく、生まれたての耳年増な人外はあてもなくバーチャル世界を彷徨い続けた。

「あたしに家族という概念は無い、そもそもあたしが何かなんて自分でもよく分かんない。全ての事象がテレビのニュースみたいに他人事で、この世界に生まれて、一体何をすればいいかちっとも分かんなかった、考えもしなかった」
「――――」
「でも分かったんだ、苦無ちゃん。あたし」

 ――少女の言葉を遮り、はるか上空より飛来しコーヒーカップのハンドルに降り立つ人影。突然の出来事に神経は限りなく研ぎ澄まされ、スローモーションの世界にあってその全貌をくまなく視認することが出来た。

 次縹の着物をはためかせ、下駄は吸いつくようにハンドルを足場とする。日光で煌めく銀のブレスレット。ショートボブの白髪が躍り、右目があるべき所から天を突くように鉄製の巻き角が伸びる。見慣れたマゼンタ色の左目が私を、そして少女を見つめた。

「アラクネ」

 瞬間、コーヒーカップが弾けた。押し出された体は柵を超えて地面に叩きつけられる。衝撃で飛びかけた意識を取り戻すように頭を叩き、粉微塵に砕けたコーヒーカップの残骸を浴びながら周囲を俯瞰する。

 先程まで賑わいを見せていた園内はしんと静まり返り、人一人見当たらない。傍らには同じように投げ出された少女と、地に伏す私達を見下ろす着物姿の人物。背中には巨大な蜘蛛の脚が生え、尖った足先の切れ味を見せつけるかの如く空を切る。

「人払いも済んだところで、苦無さん、大人しくするようにって言わなかったかな」
「その声、もしかしてオスコールさんですか!?何ですかその美形は!良いケツですね!エッチですね!」
「真面目にやりたいんだけど」

 オスコールさんは決まりが悪そうに前髪をいじる。普段の骸骨フェイスでは絶対見られない貴重な仕草が拝めたところで、私は痛む体を強引に起こす。盛大に叩きつけられこそしたが動けない程じゃない、大丈夫だ。

 オスコールさんは両手を広げ、その中性的な姿をまざまざと見せつける。

「対人外戦特化型からくり人形《特式アゲハ》。これを取りに館へ戻ったら何だ、もう一体のからくり人形が盗まれていた。おまけに例の偽者もいないときている」

 彼の視線が少女へと注がれる。

「対白兵戦特化型《爆式モンシロ》。膂力こそからくり人形の中でナンバーワンだが、それはあくまで一騎打ちに備えた機体。近づかなければ――」
「苦無ちゃん!」

 騒ぎに気づき駆けつけた文子さんは、手に抱えた長い筒をこちらへと放り投げた。私はそれをキャッチすると同時に駆け出し、筒の中身を取り出す。

 間髪入れず少女に襲い掛かる蜘蛛の脚を、私は『それ』で叩き切る。一本、二本、三本、そして最後の四本。切り離された足先はくるくると宙で回った後地面に突き刺さり、断面から半透明の体液があふれ出している。

 少女を庇うようにしてオスコールさんとの間に割って入り、手に握った太刀の切っ先を彼に突きつけた。

「『月・鬼屋敷(かむりづき・おにやしき)』」 

 切られた蜘蛛の脚を所在なさげに見つめ、オスコールさんはその脚を引っ込めた。代わりに右手がもこもこと膨れ上がり、巨大な黒犬の頭部となって襲い来る。

 私はまず呼吸を整え、右足を素早く前に出し、獲物を丸ごと飲み込もうと大きく開かれた黒犬の口を横にないだ。舌と上顎を深く斬りつけられた黒犬は僅かに怯む。その隙をついて上段に構えた刀を振り下ろし、鼻から耳のつけ根にかけて刃を通す。いわゆる勢中刀の流れだ。

 深手を負った黒犬はピクピクと震えることしか出来ず、次第に風船よろしく萎み、元の右手に戻った。オスコールさんは手の調子を確認するように握っては広げを数回繰り返した後、こちらを見た。

「ブラックドッグが斬られるとはね。それ、妖刀の類でしょ。特式アゲハを持ち出したのは失敗だったかな、相性最悪だ」

 まさかの事態に備えて携帯しておいた刀をこんな形で抜くことになるなんて――オスコールさんの攻撃にはいずれも敵意が感じられた。手加減しようとか脅かそうとかいう遠慮を一切抜きにした、確かに少女を傷つけることを意図しての行動だ。

 はっきり言えば、殺そうとした。

「どうしてこの子を」
「話せば長くはなるけれど、無意味に傷つけあうよりはマシか」

 彼の左目は再び、私の後ろに座り込む少女を捉える。怯える彼女に寄り添う文子さんには微笑を向けると、彼は事の仔細を語り始める。

「その少女『ユタ』は、この世界を滅ぼしうる力を秘めた存在だ――」

*****

 来訪者の消えた無人の遊園地にあって、私達は少女の正体を知った。かつてバーチャル世界を滅亡させようとした異世界人がいて、その人物の因子を継いだのが彼女のようなユタと呼ばれる存在であること。そして過去に出現したユタの暴走により、国や万単位の人々が犠牲になっていること。

 故に、速やかにこの世界から排除する必要があること。

「元はと言えばサイバーテラーに好き勝手させたわたしの責任だ。何の関係も無い人々が犠牲になる前に、その子を渡してくれ」

 正直言って、私は迷っていた。文子さんも同じ気持ちだろう。今目の前にいる少女が、ユタがそんな力を秘めた存在にはとても思えなかったからだ。一日を共に過ごしただけだが、その間少女は何の変哲もない女の子であり続けた。パフェを味わい、服を着こなし、遊園地で遊びまくる、どこにでもいる普通の人間だったではないか。

 しかし、当の少女は絶望に打ちひしがれていた。生まれたばかりで、何をすればいいかも、生き甲斐も見つけられなかったと告げた彼女は、コーヒーカップの上で何かを言いかけた。この世界に生きる存在として、自分なりの答えを出そうとしたのだ。だがその機会は奪われ、代わりに提示されたのが『生きていてはいけない理由』だった。こんな残酷なことがあるだろうか。

「ユタ」

 躊躇いがちに少女を呼ぶ。彼女は俯いたまま、ほとんど力の抜けた体をふらふらと起こした。そのまま重心の覚束ない足取りで、オスコールさんの方へと向かう。

「行っちゃダメ!」

 私は剣を放り、代わりに彼女の腕を掴んだ。振り払おうともがくユタは、

「離してっ!あたしは生きてちゃいけないんだ!あたしが皆を不幸にするんだよ!」
「馬鹿!」

 思わず手を振り上げ、その頬を叩こうとする。しかし涙に濡れたユタの顔を見た途端手が止まった。すん、すんと啜り泣く彼女を前に、掌は行き場を失い垂れ下がる。

 目元を赤く腫らしながら、ユタは声を絞り出す。

「本当はね、ちょっとだけ分かってたんだ。自分の中にあるどうしようもない負の衝動、たぶん何度か溢れてたと思う。今はまだ押さえつけられてるけど、きっとその内支配されちゃう――そんな危ないのから生まれてきたんだ、当然だよね」
「あなたが悪い事をすると決まったわけじゃありません」
「そんなこと言ってたら可能性に殺されちゃうよ。あたし、二人を護りたい。今日だってすっごく楽しかったんだ、これからもきっと楽しいことでいっぱいだよ。でもね、あたしがいるとそうならないんだって。苦無ちゃんや文子ちゃんの『楽しい』を奪うんだ、傷つけちゃうんだ。そんなの、嫌だよ」

 二人のこと、大好きだもん。

 ユタの切実な思いは激しく胸を打ち、知らず右目から零れた涙は――決意に呼応するが如く、私の頬に新たな文様を描き出す。

「大丈夫です。あなたは絶対にそんなことしません」

 私は高らかに宣言する。彼女の震える肩を抱き、強く強く、何度だって繰り返す。

 大丈夫、絶対大丈夫だと。

「私が――お姉ちゃんが、あなたを傷つける全てからあなたを守ります、必ず助けます」

 そこで私はつい笑ってしまう。まさか自分がこちら側に立つ日が来るなんて思いもしなかったからだ。お姉ちゃんと呼ばれる立場に、愛する妹を守る立場に。

 文子さん、と呼ぶが早いか、彼女は全てを察してユタの手を取り、オスコールさんから離れる。追いかけようとする彼の顔に拾い上げた刀を突きつけて制すると、

「そういう一時の感情に任せた結論ってどうにも苦手だな」

 やれやれと言わんばかりに大きく首を振ると、急に勢いを強め、巻き角で刀の切っ先を弾いた。彼にしては珍しく怒りを露わに、

「つまるところ何の解決にもなってねぇだろうが!そこをどけ!」
「どきません!私はお姉ちゃんです!」

刀と角、そして私とオスコールさんの間に火花が散る。

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

《SIDE:椎名 文子》

 かたや一度自殺して転生した陰陽ガール、かたや一度殺されて蘇生した骸骨ボーイ。残る深淵組最後の一人、椎名 文子さんはといえば、普通の人間だ。だから走る速度も人並みで、特殊な能力といえば危険物取扱者の資格、戦いはサバゲーの中でのみ。真剣や異能での斬り斬り舞い舞いチャンチャンバラチャンバラにはとてもついていけないのだ。

 だからせっせとユタちゃんの手を引き、逃げるに徹することが今の私の使命だ。

「文子ちゃんも、どうして」

 先程から元気の無いユタちゃんに、私はありのままの思いを伝える。

「文子さんは至って普通の人間さんだからさ、世界を滅ぼす力がどうこう言われてもいまいちピンとこないのよね。実際どうすれば世界を崩壊できるのか――地球を真っ二つにする?全人類を皆殺しにする?『滅ぼす』っていう簡単な表現だけでもこんな風に方法を模索しないといけないんだ。私達は自分の意思を確立した存在だから」
「意思を、確立」
「選ぶ意思が無いと、破壊も創造もままならない。それは逆に言えば、選ぶ意思さえあればユタちゃんは自分の力を自分の望むように使えるってことだと思う。破壊ではなく、創造の方にね。だから選ぶ前に選択肢を投げ出しちゃ駄目だ。例えオスコールさんが、世界中の人達がユタちゃんの暴走にベットしたとしても、文子さんと苦無ちゃんは、ユタちゃんが今のユタちゃんでいる方に賭ける」
「っ、何でそんなに信じて――」
「一緒に過ごしてそう思った。それじゃ、駄目?」

 もうちょっと格好良いこと言えたんじゃないかなぁ、なんて心の中で後悔しながら走り続ける。出入口とは真逆の位置にあったコーヒーカップから遊園地の中央広場まで来た、あともう半分だ。

 ところが、私達の行く手を阻む男の姿があった。深青色の長髪に民族衣装を思わせる不思議な服装――ノースリーブとボンタンを合わせて装飾品を施したような具合だ。ゆうに二メートルを超える巨体はその全長を更に超える巨大な冷凍カジキマグロを携え、鼻先をちょうど剣の柄の要領で握り、私達に向けてぶんと振り下ろした。

 ガチガチに凍ったカジキマグロの身は、レンガ造りの広場をたやすく抉る。砕けた破片が飛び散り、チクチクと全身に当たって痛い。

「ユタちゃん、大丈夫?」

 何とか、とユタちゃん。破片のダメージこそ微々たるものだが、今はメンタルの方が心配だ。

 目前の大男はおそらく、オスコールさんと同じユタちゃんを狙った刺客だろう。それにしてもカジキマグロを武器にするなんて聞いたことも――いや待て、昔オスコールさんが話していたではないか。

《ファングレス》ドギーウルフ

 オスコールさんの古い友人であり、遠く離れた未開の地『新大陸』を拠点とする狩人(モンスターハンター)の名前が確かドギーウルフだったはず。その名を口にすると、寡黙なハンターはそっと一つ頷き、マグロを手に距離を詰めてきた。

 「逃げろ!」と叫び、私達は走り出す。ドギーウルフに追わせたまま、遠回りしつつ出入口を目指す作戦だ。ユタちゃんも手を引かれることなく自分の足で駆けている。おかげで先程よりは早く進める。何よりドギーウルフはその巨大なカジキマグロのおかげで足が遅い、これならすぐ撒けるか。

 そんな慢心を打ち払うかのように、何かが頬を掠めた。はるか前方に落下したそれは、先程ドギーウルフが砕いたレンガの破片だった。走りながら背後を確認する。彼は腕に取りつけた特殊な装備品にレンガ片をセットし、スリングショットよろしく撃ち出していたのだ。

 続けざまに射出された礫の一発が、私の太ももを貫いた。命に係わる傷ではないが、ともかく痛い。立っているのがやっとだ。

 ユタちゃんの肩を借り、負傷した足を引きずりながら路地裏に逃げ込んだ。ドギーウルフは悠々と追いつき、行き止まりで立ち往生する私達ににじり寄る。

「――わなきゃ、戦わなきゃ」

 ユタちゃんは震える声で幾度となく繰り返す。戦わないと、戦わないと。自分を鼓舞し、戦うことに対する恐怖心を抑えつけようと苦心している。

「でないと、殺される。やだ、やだ!本当はまだ、死にたくないっ」

 ――そういうセリフは本来、私が言うべきものなのに。ユタちゃんに先を越されてしまっては、ニンゲン代表の文子さんが体を張るしかないではないか。

 あくまで警戒を怠らず、慎重に距離を狭めるドギーウルフ。熟練のプロハンター相手に痛撃を与え、この場を乗り切るには誰かが犠牲になるより他にない。私はユタちゃんに顔を近づけ、耳打ちする。

「オスコールさんのあの体、蜘蛛の脚が生えたり巨大な犬の顔を出したりしてたよね。もしユタちゃんのそれが似たような性能を持っているとすれば、あるいはこの状況を覆せるんじゃないかな」
「この《爆式モンシロ》に乗り移った時、用途もある程度読み取ったんだ。肉弾戦に限って、モンシロは驚異的な運動神経を発揮する。だから接近すれば戦える、戦えるんだけどっ」

 ドギーウルフはもう目と鼻の先まで迫っている――彼は悲しげな表情を浮かべると、マグロを天高く掲げた。

「うおおおおりゃああああああ!」

 私は喉が潰れんばかりの声を張り上げ、単身ドギーウルフに突っ込んだ。振り下ろされたマグロをもろに食らえばあっけなくぺしゃんこにされてしまうだろう。だが出鼻を抑えれば、勢いが乗る前にマグロを止められる!

 怖い。恐い、コワイ。目の前に迫るマグロが、殺すつもりで振り下ろすドギーウルフの形相が、この上なく恐ろしい。そうだ、オスコールさんも苦無ちゃんも修羅場を潜り抜けすぎてすっかり麻痺してしまっているのだ。

 戦うということは、命を奪い合うということは、こんなにも恐ろしいんだって。

 ユタちゃんは戦うことが怖いんだ。それが分かったからこそ私は走り出せた。この子はオスコールさんの言う、サイバーテラーとかいうよく分からん奴のようにはならない。人を傷つけることの恐ろしさを知る人は、不用意に他者を傷つけたりなんかしない。それを確信し、彼女を生かす必要があると考えたからだ。

 ただで死ぬつもりはない、賭け(ベット)だ。

 カジキマグロの濁った目玉と視線が合う。凍りついた表面が頬を掠める。無事ドギーウルフの懐に潜り込めたものの、持ち手の鼻先が肩にめり込み、ベキベキと嫌な音を立てる。それがどうした、だから何だと歯を食いしばり、足を踏ん張り、彼の手を抑え込む。

「今だ、行け、行け!ユタちゃん!」

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

《SIDE:ユタ》

 最初に子供のふりをした。誰も迎えに来なかった。誰も手を引いてくれなかった。

 次に大人の真似をした。何も満たされなかった。何も手に入らなかった。

 最後に死人を演じた。かけがえのない人達に出会えた。この手で守りたいと思った。

『大丈夫です。あなたは絶対にそんなことしません』

 信じてもいいですか。こんなあたしでも、生きていていいですか。

『ユタちゃんが今のユタちゃんでいる方に賭ける』

 信じてもらっていいですか。その思いに、報いてもいいですか。

「そんなこと、いちいち人の許可取る必要ないよ」

 ――あたしの声だ。

 でも、あなたはきっとあたしの知らないあたし。あたしというユタを構成する誰かの魂。

「先生って結構思い込みの激しい所があるんだ。これ、って決めたらテコでも動かないっていうか、責任感が強すぎるのかな。だからね、『別の道もあるんだぞ~この石頭~』って説得してあげて」

 彼の言うこともまんざら嘘じゃないよ。あたしの中にはあなたともう一つ、とても恐いものが混在している。

「それは大丈夫、私が抑えてる。他のユタは魂の配分がこんなに偏らなかったんだと思う。半々か、向こうに寄り過ぎてたのかな。でもあなたの場合、あなたが望んでそう在らない限り破壊者にはならない」

 それも、信じていい?

「だから違うんだって。信じる信じない、じゃない。今言ったことは全部建て前であり可能性であり希望的観測であり、所詮あなたの妄想に過ぎない。でもあなたがその通りに動けたなら、全ては真実として肯定される。私も妄想じゃなくなる」

 ――分かった。ありがとう、あたし。行ってくるよっ。

「先生によろしくね、元気な私」

*****

 助走も無く、人工筋肉のバネだけで宙に跳ねたあたしの身体はカジキマグロと文子さんとを軽く飛び越え、ドギーウルフの真上に出た。蹴り出した右足は彼がとっさに持ち上げたマグロで防御されるが、マグロもろともその巨体は後方に吹っ飛び、勢いを保ったまま路地裏からも追い出された。

 反撃の様子は無い。痛みで崩れ落ちた文子ちゃんに大丈夫かと声をかける。

「もー駄目、肩痛い、体動かない。文子さんはここまでだぁ」

 彼女はひとしきり弱音を吐いた後、大の字になって空を見上げる。本当に動けないのだろう――マグロの鼻が直撃した肩は不自然に窪み、折れた骨が皮膚を突き破っている。それでも文子ちゃんはにへらと笑い、

「後、任せてもいい?」
「うん、全部任せてっ。もう死に急いだりしない、怖がったりしない」

 先程レンガ片で穿たれた太ももにマフラーを巻きつけ、ひとまずの応急処置を済ませる。もうこれ以上、大切な人を傷つけさせるわけにはいかない。

「あたしは、あたしの生き方を証明してくる」

 路地裏を出てすぐ、ドギーウルフは直立不動のまま待ち構えていた。彼の全身から湧きたつ闘志に身の毛がよだつ。とはいえこちらも覚悟を決めた、闘いは望むところだ。

 爆速。爆式の名に恥じないノーモーションからの超加速はドギーウルフに武器を揮わせる暇も与えない、瞬間移動に錯覚する程の急接近を可能とする。突きだした右ストレートに彼は僅かに遅れて反応し、両腕をクロスして防御するが、結果的に装備していたスリンガーを左手もろとも砕かれる羽目になった。

 残った右手で振り上げたカジキマグロは空振りする。咄嗟に距離を取ったあたしは、更に速度をあげるべくクラウチングスタートの構えを見せる。

 対してドギーウルフは力の入らなくなった左手を捨て、片腕でマグロを腰の位置までもっていくと、居合の構えを取る。迫ったところを迎撃する腹積もりのようだ。

 勝負は一瞬、どちらかの一撃でケリがつくはず――。

 最初にあたしが動く。ロケットさながらの勢いで直進するその間、あたしの目は信じられないものを捉えた。砕いたはずの彼の左手が動き、マグロの胴を支えた。続いて腰を切り、右手に掴んだカジキマグロの鼻がぐんと伸びる。正確にはマグロの体内に収められた刃が、この局面でようやく解き放されたのだ。

 鼻は柄。そして身は巨大な鞘。ドギーウルフの手には今、居合に相応しい太刀が握られていた。スピードはあたしを両断するに申し分ない、タイミングもドンピシャだ。

「だからって!」

 あたしは滑空したまま白刃取りを決め、掴んだ刃を思い切り捻り上げた。まっすぐに伸びた刀身が撓み、ドギーウルフは柄を放してしまう。武器は奪った、彼に抵抗する術はない。目の前に降り立ったあたしは殴りかかろうとするが、

「何で、刀を手放したの?」

 拳骨は彼の鼻先で止まり、代わりにあたしは疑問をぶつける。
先程繰り出した蹴りにしろ突きにしろ、この男はダメージこそ負いはしたものの、全て受け止めてなお闘う意思を捨てなかった。今のやり取りだってそうだ、刀が折れる危険性もありはしたが、決して拮抗できない力ではなかったはずだ。それなのに、どうして。

「――――」

 ドギーウルフは何も語らない。ただ、ずっと悲しそうにあたしを見つめてきたその顔に――どうしてだろう、安堵の表情が浮かんでいた。

*****

 ドギーウルフは結局一言も発することなく立ち去っていった。そればかりか、傷薬と思しき小包を手渡すと文子ちゃんが横たわる路地裏を指さし、最後に軽く会釈をして遊園地を後にした。

 文子ちゃんはといえばこれが意外にも元気はつらつで、包帯代わりのマフラーを外す間も、あたし達をこんな目に合わせたオスコールへ向けた恨みつらみを吐き出していた。

 ドギーウルフから貰った包みを開け、中に収められていた軟膏を文子ちゃんの足の傷に塗りつけると、見る見るうちに血が止まった。「おお、痛みも和らいでいく!」と文子ちゃんは言い残し、泡を吹いて気絶した。たぶん痛みが治まったのは気のせいで、傷口に薬をぬり込んだ時の衝撃で脳がスパークしたと見える。今の内にと肩の傷にも軟膏をすり込み、意識を失ったままの彼女を担いで疾走する。これが爆式モンシロの力か、十秒と経たず遊園地の出入り口に到着した。

「一人にしてごめんね、文子ちゃん。あたし、お姉ちゃんを助けに行かないとっ」

 彼女の身体を出入り口近くの草むらにそっと寝かせ、あたしは苦無ちゃんの下へと急いだ。

*****

 からくり人形に秘められた力を引き出し、刺客のドギーウルフを撃退した。それで少しばかり調子に乗っていたというのもある。駆けつけた先であたしが見た光景は、先程までの闘いが比較的『安全』なものであったことをありありと知らしめた。

 コーヒーカップなど見る影も無い、他のアトラクションを巻き込んで辺り一帯は更地へと還っている。真っ赤な雫を散りばめるのは演出のスプリンクラーではなく、苦無ちゃんの身体から噴き出す血液であった。

 着物は跡形もなく裂け、全身におびただしい程の切創を負っている。いずれも浅いのが救いか、しかし立っているのがやっとのようで、遂には刀を落としてしまった。

「苦無ちゃん!」

 痛みに呻きながらも刀を拾う苦無ちゃんに駆け寄り、その肩を支える。何で戻って来た、と言いそうな険しい表情はしかし、あたしと目が合った途端に綺麗さっぱり消え失せ、

「突破口を見つけたんですけど、どうにも厄介なんですよね」

 彼女の視線の先に立っていたのは着物姿のオスコールではなく、不気味なシルエットの西洋甲冑であった。

 まず横幅が大きい。お相撲さんか、あるいは巨人でも入っているのではないかと思えるほどに通常のスラリとした印象からかけ離れたそれは、たまに輪郭がぼやけて見える。加えてしゅいいいいんと風が吹き抜けるような異音。ヘルメットの隙間から一瞬覗いたマゼンタ色の光は、この甲冑にオスコールが隠れていることの証明だった。

「《特式アゲハ》奥ノ手、デュラハン。これを使うには一旦角付きの身体をドッペルゲンガーの能力で影の中に収納しないといけないし、この甲冑自体も普段からドッペルの影に潜ませておく必要がある。何より他の能力との併用が出来ない、使い勝手が悪いんだよな」

 オスコールはその巨体に見合わない軽やかな走りで、一気にあたしとの距離を詰める。甲冑くらい凹ましてやる、と思うより先に体が勝手に避けてしまった。本能で回避したわけではなく、苦無ちゃんが突き飛ばしたのだ。

 すんでのところ甲冑の体当たりを回避したあたしは、間近で甲冑の構造を視認するに至り――絶句した。

 手、足、頭、胴、各関節部に至るまで、表面が高速で回転していたのだ。それもミリ間隔で右、左、右と隣り合った回転とは逆向きに回っている。故に鎧は何層にも分かれ、全ての層が織りなす回転によってそのシルエットを歪んで見せていたのだ。風が吹きすさぶ音は回転の連なりによるものだろう。

 オスコールの操る甲冑『デュラハン』は一般的なプレートアーマーではなく、輪ゴムを束ねて作った人形とでも表現した方が適切だ。ただし輪ゴムの代わりに鉄製の細い円が重なりあい、触れたものを複雑な回転で八つ裂きにしてしまう。

 苦無ちゃんが刀で斬りつけるが、回転の威力に刀はおろか彼女の身体もろとも弾き飛ばされてしまう。

 オスコールはゆっくりと、もったいぶるようにあたしの方を向く。

「ただし、奥ノ手だけあって絶対に負けない。防御は最大の攻撃というわけだ」

 確かにこれでは手も足も出ない。しかし苦無ちゃんは先程『突破口を見つけた』と言っていた、ならば希望はある。仮に単なる強がりだったとしても、そんな強がりを貫き通し、希望があったことにする、そうすると決めたのだ。

 オスコールの狙いはあたしであるはずだが、先の言葉を聞いていたのか身を翻し、苦無ちゃんへと突進する。彼女の武器は刀、あたしは徒手空拳、いずれも格好の餌食だ。

「苦無ちゃん!」
「大丈夫!」

 苦無ちゃんは逃げる素振りも見せず、指で空間をなぞる。すると地面を割って水が吹き出し、災害めいた奔流がたちまちオスコールを飲み込んでしまう。陰陽術か、と叫ぶがもう遅い。激流は如何な巨体も飲み込み、どこかへとさらってしまう――かに思えた。しかし甲冑の回転は陰陽術をも蹴散らし、濁流はただの水飛沫へと変わる。

「回避と足止め。それから先に進まないじゃあないか」

 わずかに残った水溜りを踏み締め、オスコールは苦無ちゃんに肉薄する。苦無ちゃんも刀を構え直すが、他に手立てがあるようには思えない。もしや今のが『突破口』だったのか――考える間もなく、オスコールの手が刀を叩く。

 ドギーウルフとは違い、苦無ちゃんは刀を手放さなかった。甲冑自身の回転を利用しその手を跳ね上げることはできたが、勢いを相殺しきれなかった腕は不自然な方向へと伸び、ミシ、と鈍い音を立てた。

「――――!」

 苦無ちゃんの痛々しい絶叫が響く。駆け寄りたいのに、助けたいのに、オスコールはそんなあたしの心境を見越し、必ず二人の間に陣取っている。助けたければ突っ込んで来い、但しお前は八つ裂きになるがね。彼のそんな言葉が聞こえてくるようだ。

「殺したいのはあたしだけだよね。だったら苦無ちゃんは関係ない、もうやめて」
「手段を選べるほどの余裕は無いし、生憎と一対一を重んじる性格でもない。多対一、戦隊ヒーローとか大好きだ。まあ今回はこっちが『一』だけど」

 甲冑の手が再び苦無ちゃんへと迫る。腕が折れた今の彼女に刀を振るう余力は残されていない、躱すこともままならない。やめろ、やめて、お願いだから。

「わ、分かった!あたしが死ねば」
「コラッ!」

 喉が張り裂けんばかりの怒声にあたしも、オスコールすらビクンと震え手を引いてしまう。鬼のような形相でこちらを睨みつける苦無ちゃんはとてつもなく恐ろしいのに、それ以上にたくましく、強く、気高く、安心感に満ち満ちていた。続けて苦無ちゃんは叫ぶ。

「言ったはずです、必ず助けると!」

 もう、謝るのは嫌なんです。

 次こそ助けてみせる、そう誓ったんです。

 ――幻覚だろうか、その時、彼女の隣に誰かの面影を見た気がした。雰囲気はどことなく苦無ちゃんに似ているがもう少し大人びていて、そう、苦無ちゃんに姉がいたらこんな感じではないだろうかと、そう思える人。

 幻影はすぐに消えてしまったが、微かに見せたその人の笑顔はひどく儚げだった。どうにかして腹の底から笑わせてあげたいと思えるような。

 そのためならどんな力に手を染めても構わないと、そう覚悟できるような。

 あたしは胸に手を当てる。祈りではない、これこそがあたしなりの『突破口』だ。

 爆式モンシロに刻まれた情報、ひいては製作者のオスコールにまつわる情報を一挙に閲覧する。時間が無い、漫然と知識を蓄えるな、絞り込め、必要なのはあの甲冑をも倒せる力。

 ドクン、と全身が脈打つ感覚。だがそれは途端に怖気へと変わる。ほんの少しだけ感じた、この世の者ならざる悪意。これこそがオスコールの危惧するサイバーテラーの因子か。

 確かに見えた――中学生くらいの少年の姿。己の内に宿る切り札を探そうとするあたしに手を差し伸べてきたが、この手を取ったが最後、あたしは他のユタと同じ末路を辿ることになる。そんなのはお断りだ。

 こんなのに頼らなくたって状況を打開する策は絶対にある。他ならぬオスコール自身が最強と認めるものならばあるいは――よし、これだ。

 いつの間に目を閉じていたのだろう、かっと開いた視線の先で、オスコールが苦無ちゃんに掴みかかろうとしていた。あたしは両手を合わせ、今度は祈った。今しがた掴んだイメージを自分自身に当てはめる。

 初めてみんなに出会った時、彼の姿を真似たように。

 今度は『彼女』を真似てみせろ。

「……ネクロマンサー!」

 甲冑の指先が苦無ちゃんの肩に触れる寸前、彼の身体は突如として上空に吹き飛んだ。空高く放り投げられ、一体何が起きたんだと必死に手足をばたつかせるオスコールは、自分が今しがた立っていた場所を見下ろし、

「はぁああああああああああああああ!?」

 ちょうどオスコールが両足を着いていた場所から左右一体ずつスケルトンが飛び出し、両手で天を突いていた。彼らは唯一回転していない足裏を力一杯ど突き、甲冑を上空へとぶっ飛ばしてしまったのだ。

 デュラハンに入った状態でこのような事態に見舞われることが今まで一度も無かったのだろう、驚きのあまり受け身を取ることも出来ず、彼は頭から地面に叩きつけられる。甲冑の回転は瓦礫もかき分けられない程弱まり、ピクリとも反応しない。

 あっけに取られる苦無ちゃんへ「もう大丈夫だ」と伝えるために、下半身だけ地面から飛び出たオスコールには煽るつもりでパチンと指を鳴らし、最高に格好つけて言った。

「《爆式モンシロ》奥ノ手、『薄くて軽くて正しい恋(ハイヤーザンリスペクト)』」

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

《SIDE:阿賀内 苦無》

 どうしてこんなにも放っておけないのだろう、と考えた時、やはり思い浮かぶのは以前の私の姿だった。

 父の実験体として虫に憑りつかれ、自分でも知らぬ間に多くの人を手にかけ、私自身は何にも興味を示さない人形のような存在で、そんな状況を打開しようと奔走するお姉ちゃんや扇さんに甘えてばかりで。ユタは、そんな昔の自分によく似ていた。

 今ならお姉ちゃん達の気持ちが分かる――いや、嘘だ。本当は分かった気になって、守る側に立てた自分に酔っているだけだ。お姉ちゃんぶって、この世界に誕生したての可愛い女の子を護りたいだけなのだ。

「――――」

 文子さんと共に逃げたはずのユタが戻ってきた時、私は叱りつけようとした。何で戻ってきたんですか、時間を稼ぐから早く逃げなさい。喉まで出かかったそれらの言葉は全て、鋭さを増したユタの眼光にかき消された。一目で分かった、成長を遂げていたのだ。

 勇敢さこそ湛えていたが、それでも追い詰められたらあっけなく命を差し出そうとした。だから今度こそピシャリと叱りつけた。自信と不安の間で揺れ動く様は、間違いなく子供が大人になろうとしている証だ。甘さを切り捨て、覚悟を決め、更なる高みを目指そうとする先触れに他ならなかった。

「《爆式モンシロ》奥ノ手、『薄くて軽くて正しい恋』」

 今この瞬間にもユタは成長した。一枚、また一枚と幼子のベールを脱ぎ、途方もない強さを手に入れていく。それは時折感じた邪悪な気配などとは程遠い、正しい道の先にある力だった。

 ユタが振り向き、とびきりの笑顔を見せる。

「苦無ちゃん!あたしやったよ!オスコールを倒し――」

 まるで彼女が勝鬨をあげる瞬間を待っていたかのように、逆さまに突き刺さっていた甲冑が動きを見せた。緩やかに治まっていた回転速度を一気に引き上げ、地面を粉々に砕きながら横たわった後、人型に空いた穴から這い出てくる。

「解釈違い」

 ぽつりと呟いたその言葉の意味が分からず、私達はただ甲冑の挙動を見守る。対してオスコールさんはきょろきょろと辺りを見渡し、

「屍者は消えたか。そりゃそうだ、遊園地の下に骨なんか埋まってるわけがない。元々墓地でした、なんて話も聞かないしな。とすればお前のその能力、そっくりそのままネクロマンサーの力を使ってるわけではないんだな」
「――苦無ちゃん、立てる?」

 私は頷き、ふらつきながらも立ち上がる。両手にしかと刀を握りしめ、ハッとする。手が動く、折れたはずの骨が治癒していたのだ。外傷こそそのままだが、甲冑の回転を受け止めきれず骨折した両腕、ユタが駆けつける前に負傷していた肋骨諸々の痛みが消え去り、身体に力が戻る。

 始終を観察していたマゼンタ色の球体は、甲冑の中で明滅を繰り返す。何か考え込んでいるのか、時折「うーん」と悩ましげに唸る。

「ネクロマンシーは屍者を使役する術であって、何もない所からスケルトンを生み出したり、骨を再生する技法ではない。おそらくは『ユタが自由にイメージしたネクロマンサー像』を具現化しているんだろう。そもそもモンシロに奥ノ手なんぞ仕込んじゃいない。その五体から繰り出す打撃の一つ一つが十分すぎる程に必殺足り得るからだ。小手先抜きのガチンコ専用からくり人形、そこに自己解釈したイメージを投影するユタ自身の能力、ある意味特式アゲハの上位互換ともいえる。いよいよもって化け物だな、お前」

 ユタとオスコールさんは互いを激しく睨みつける。

「その身体、元々わたしが作ったものなんだが」
「ホコリ被ってたよっ、もっと大切にしたら?」
「うぐ――まぁ、管理が杜撰だったのは認める。だからといって盗っていい理由になるか?」
「ならないよ、ごめん。でも今返したらあたしのこと殺すでしょ」
「最初からそう言っている」
「どうして別の道を探そうとしないの?危ないものは問答無用で排除するの?」
「昔からそうなんでな。誰に対しても例外なく、容赦はしない。学生の頃からの友人と殺し合ったこともある、理由はもちろん『危ない』からだ。ましてお前はサイバーテラーの因子を継いでいる。もしかすると大丈夫かも、なんて期待は抱くに値しない」
「この、石頭!」

 ユタのその言葉に、オスコールさんはひどくたじろいだ。言葉に詰まり、ちらりと私の方を伺っては視線を地面に落とす。罵倒されて傷ついたにしては過剰すぎる落ち込みぶりを見せる彼に、ユタは激情に駆られるがまま言葉を浴びせる。

「あなただけ、あなただけがあたしのことまだ何も知らないのに!どうして!そのっ、サイバーテラーとかいう人のことばっかりで、なんで、何も――今を、見ようとしないの!?」

 ユタの傍に駆け寄り、背中をさすってやる。話している内に頭に血が上ってきたのだろう、言葉も途切れ途切れで、興奮のあまり過呼吸にも似た症状が出ている。はぁ、はぁと息を乱し、それでも彼女は自分の気持ちを伝えようとする。

「あなたのこと、少しだけ辿ったよ。モンシロに刻まれてる範囲だけど――悪い人じゃないじゃん。あなたも苦無ちゃんや文子ちゃんと同じ、誰かのために頑張れる人じゃん」
「知ったようなことを言う」
「あたしは知ってるよっ、でもあなたは知らないっ。だから知って欲しい、あたしはあなたが思っているような危なっかしい存在じゃない。もし本当に危険な力をもっていたとしても、あたしが真実を覆す。悪い事は全部全部否定して、証明してみせる。証明し続ける」

 ユタの想いに、正直な言葉に、オスコールさんは暫し考え込んだ後、首肯で答える。私達は笑顔で顔を見合わせるが、突如鳴り響いたけたたましい風切り音が束の間の喜びを吹き飛ばした。

 先程までとは比べ物にならない回転速度を見せた甲冑は、周囲にかまいたちを発生させる。細かな風の刃が木の葉を、地面を、コーヒーカップの破片を更に細かく分断する。天にも届く雄叫びは甲冑を通じて空間を震わせる。私達は説得が失敗に終わったことを悟り、各々臨戦態勢に入った。

「世の中には、どうしたって自分の意見を曲げられない石頭がいる。自分だけの善がった考えを貫き通そうとする頑固者、不退転を決め込むアンポンタン」

 オスコールさんのその言葉に、躊躇いの色は無い。夕陽が甲冑を紅く染め上げる。落とす影は零れ出た血液のように、その姿はまさしく『死を予告する者(デュラハン)』の名で呼ぶに相応しい。

「今わたしがここで見逃したとして、また別の誰かがお前を殺しに来るだろう。サイバーテラーが振り撒いた恐怖を覚えているのは、何もわたし一人だけではないからな。結局、ここでわたし如き跳ね除けられないようでは見逃す意味もないんだよ」

 これで最後だ。そう言って彼は姿勢を低く保つ。次の突進で何もかも切り刻むつもりのようだ。上体をぐっと前のめりに屈めつつ、

「先の言葉に偽りがないというのであれば、今すぐ証明してみせろ。その力で――わたしを否定してみろよ」

*****

 ユタが駆けつける少し前、怒涛の勢いで攻め来るオスコールさんの手技足技を刀でいなしていると、偶然にも斬りつけた向きと触れた箇所の回転方向とが一致し、私の身体はコマの如く回転した。しまった、この隙に攻撃される、と身構えたがしかし、回転を経て加速した刃はそのまま逆回転する箇所に触れ――装甲に傷をつけたのだ。

 偶然の一撃。しかし勝機を見出した私は、この『突破口』をユタに説明しようとする。しかし彼女はかぶりを振ると、

「さっき背中を撫でてもらった時にね、ちゃんと見えたよ。苦無ちゃんが狙いを定められるよう、あたしがオスコールの動きを止めるっ!」

 ユタは両手を突き出すと、目を閉じ、深呼吸と共に腕を広げる。開いた手の隙間には霧が渦巻き、それはやがて一本の線となり、折り重なってはその身を束ねていく。次第に実体を得た霧は刀となり、広げ切った両手には鞘と真剣が握られていた。

 それは私の故郷、桜藍国を幽世の悪鬼羅刹から守護する結界にして太刀。

「『摩利支天・天(まりしてん・さかあまつ)』。苦無ちゃんの知ってる摩利支天(オリジナル)は流石に再現できなかったけど」

 ユタは私がそうするように、身体から余分な力みを取り払い、呼吸を落ち着け、二度三度刀を振るう。柄の握り具合を確認し、颯爽と躍り出る。

「行くよ、お姉ちゃん」
「ええ」

 私もまた刀を構え、ユタの隣に並ぶ――何故だろう、ほとんど絶望的な状況にありながら、まるで負ける気がしない。

 オスコールさんの巨体が足場を砕く勢いで飛び出す。ほぼ同時にユタも駆け出し、激突する直前で彼の足元に刃を突き刺した。それが一体どうしたとばかりに甲冑の足が刀を踏みつける、と同時に渾身の力を込め、ユタは刃を振り上げようとした。足の裏が回転しないことは先のやり取りで判明している。そのまま上手く転倒させようとするが、

「そら、可能性が殺しにきた!」

 ぎゃりぎゃりと耳障りな金属音が響き渡る。地面に刺さった刀はまるで持ち上がらず、それどころか刃がどんどん地中に隠れていく。予想に反し、甲冑の足裏は内へ内へと引き込むような回転を見せ、逆にユタの動きを止めた。

 彼女は慌てず、それどころか不敵に笑う。パッと刀を放し後方に飛び退いた途端、地面を割って飛び出た骸骨達が甲冑を取り押さえようとする。群がる屍はしかし瞬く間に甲冑の回転に削られ、大量の骨粉が辺りを覆い尽くす。

「こんなのでわたしの動きが止まるとでも」

 ユタの狙いはまず、自分を餌にオスコールさんを釘付けにすること。ほんの一瞬でいい、派手な演出で創造した刀はブラフだ。次にスケルトンで拘束しようとするが失敗する『フリ』をして、カルシウムの煙幕を張る。

 そして最後に、煙に隠れて私が背後を取る。

「な――!?」

 背後への接近を許した甲冑が振り向こうとする。その動きは『良い』。上下に揺れたり斜めに動きさえしなければ、回転は目で追える。刀を振りかぶる方向に適した箇所を見極められる。

 まず一回、胴を薙ぐ。軸足を中心に体がぐんと一回転する。臓物をぐちゃぐちゃにかき回す衝撃に吐き気を覚えるがまだだ、この威力で斬っても甲冑の動きは止められない。

 二回、景気よく高速回転する二の腕に刃を当てる。甲冑の纏う真空の刃が、乾いた血で塞ぎかかっていた全身の傷を開く。脳が頭蓋骨の中でピンボールのように跳ねる感覚、気を失ってしまいそうだ。でもまだ足りない。ユタが作ってくれたチャンスを絶対無駄にはしない!

「三、回目ぇええええええええ!」

 人間の限界を超えた回転に体勢を崩さないよう目いっぱい重心を落とし、太ももの装甲を斬る。私の身体の回転速度と甲冑の回転速度が並ぶ。目に映る景色は何もかもが横に伸びて滅茶苦茶だ。

 これで威力は申し分ない、最後の一振りはあえて回転に逆らう形で叩きつける。

 だが、おぼろげな視界に残酷な事実が広がる。三度の斬撃を受けた甲冑は大きく仰け反り、そのまま地面に倒れ込もうとしていた。威力を増そうとしたためにオスコールさんが押し倒されるほどの衝撃を与えてしまい、刀の軌道から逃れようとしている。

「まだだよっ!」

 ユタは倒れかかった甲冑の胴体にアッパーカットを浴びせた。彼女の強すぎる力と甲冑の回転がぶつかり合い、目の前でダイナマイトが爆発したかのような衝撃と破裂音とが巻き起こる。右腕の肘から先が跡形もなく消し飛んでしまっているが、ユタは無事オスコールさんの身体を刀の届く範囲へと押し戻すことに成功した。

 振りぬいた刃が閃光となって煌めく――しゅいん、と鉄の擦れる音がした。今までの甲冑と刀がぶつかりあった時に起きた派手な金属音とは異なる、果物を剥いたように心地よい音色。

 刀は甲冑の手を、それから胴を断ち切り、無敵に思えた鎧をして真っ二つに切断せしめた。全身の回転が残らず止まり、上半身が腹から滑り落ちた。地面を転がる甲冑の中はもちろん空洞で、溶けかけのチョコレート菓子よろしくほろほろと崩れゆく。

 私は刀を杖代わりに、倒れそうになった身体を支える。ユタもぺたんと尻持ちをつき、茫然と甲冑の崩壊を見届ける。

 最早鉄粉とも灰とも分からないものに変わった甲冑は、突如地面に広がった影へと吸い込まれ、代わりに影の中から最初に見た角付きの和服が姿を現す。

 そうだ、まだオスコールさんにはこの体があった。戦いは終わっていない。

「いいや、終わりだ」

 私の心境を察してか、オスコールさんはそう言って両手をあげた。左手にはいつ用意したのか、小さな白旗が握られている。

「わたしの負け、降参だ。ビックリするくらい勝てる気がしない」

 潔い敗北宣言に張り詰めていた緊張の糸が切れ、私は半ば倒れるように腰を下ろした。痛みを和らげてくれていたアドレナリンも時間切れ、本来の痛覚が戻ってくる。

 ユタはぼんやりとした表情のまま、オスコールさんを見上げる。

「生きて、いいの?」

 そのか細い問いかけに、彼はバツが悪そうに答えた。

「お前がそう決めたんだろ。だったら勝手にしろ、いちいち人の許可取る必要ないだろ」
「あ。その言い回し……」
「モンシロもくれてやる。とはいえ修理が必要だろうから、当分はわたしの館に住むといい」

 オスコールさんはふんと鼻を鳴らし、何処ともなく立ち去った。ようやっと認めてくれたのだろうか、私達はしばらく顔を見合わせると――傷ついた体を引きずって何とか肩を寄せ合い、残った手を優しく握り、そのまま気を失った。

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

《SIDE:オスコール》

「どこ行く気ィや」

 すっかり暗くなった園内を散歩していると、黒服の連中に取り囲まれた。黒いスーツに黒い帽子、顔は黒子よろしく布で覆い隠している。さては子供に戻る薬でも飲まされるのかな、なんて冗句を口にすると、

「五体目はどないするつもりや、誰が見逃していい言うた」

 わたしは悪びれもせず、近くの黒服に笑ってみせる。骨の姿と違い、笑顔になると顔周りの人工筋肉が躍動するのを感じる。懐かしい心地だ。

「悪い悪~い敵はまんまと正義の味方御一行にしてやられてね、べそかいて逃げ帰る途中でござい。それも改心したところまでがお約束、わたしはもう五体目を殺すつもりはないよ。ていうかどれがドクなの?」
「――まぁええわ。ウチらも五体目は生かす方向で考えとるしな」
「そりゃ良かった。どこで見てたか知らないけどめでたしめでたしだ、じゃあオスコールさん帰るね。さよならバイバイまたいつ、か」

 立ち去ろうとするわたしの鼻先に、ワルサーの銃口が突きつけられる。他の黒服も各々武器を取り出し、一人後方に控えていた黒服が徐に顔の布を剥ぐ。

 その顔は紛れもなくドクの、マードクレス・マクドゥーガルのハンサム顔であった。しかし研究施設で見た白髪もそうだが、以前とは打って変わって顔の左半分が臙脂色の鱗に覆われ、口は右半分が人間由来の白い歯で、左半分が武骨な牙に変わり果てていた。

「ファイヤドレイクか。イェネルもそうだけど、何だってわたしの周りはみんな人外になりたがるかね」
「戦力不足を補うためや、ハナから『四体目』の支援は期待しとらんかった、ちゅうことやな」

 ドクの言葉にわたしは眉をひそめる。「何や、気づいとらんかったんかい」と驚いたような、小馬鹿にしたような口調で続ける。

「散々言うたやろ、お前なんか知らん、友達なんかやないって。ウチの知る『あいつ』はサイバーテラーと一緒にくたばった、生き返った言うてもそこに混じりもんがある以上、ホンモンとは呼べへん。そうやろ?」

 ドクの言葉を思い出す――四体目は比較的大人しいというか、こっちは良い意味で顔見知りなだけあって友好な関係を築けとる――自前で『器』用意した時はビビった――今でさえ慎重を喫してコンタクトしとるっちゅうのに。

 ――いつかは消さなあかんのやろうな。

「五体目は自らの意思に立脚し、サイバーテラーの力をも使いこなした。何企んどるかも分からんでフラフラしとる奴よりよっぽど管理しやすいわ。それに繰り返すが、研究対象は二体も要らん。ユタ同士で手ェ組まれたらこの世の終わりや。ほなな、四体目」

 黒服達の持つ銃火器がわたしに向けられる。当のわたしはといえばこの危機的状況もそっちのけで、突きつけられた事実を何度も何度も頭の中で反芻する――そうか、そうだったのか。答え合わせをどうもありがとう。

「全部手遅れだよ、ドク」

 目の前でPPKを構えていた黒服の腹部から何かが零れた。四角いそれはぺたん、と音を立てて地面に落ち、わずかに痙攣しながら大量の血を吐き出す。それは真四角に切り取られた人間の腹部だった。

 腹の肉が丸ごと抉れたことに気づいた黒服は、後から零れる臓物を手で抑えようとするが、自分の肝臓を口にくわえた子供の頭が飛び出したのを見ていよいよ卒倒し、そのまま息絶えた。

 黒服の腹部にぽっかりと空いた四角の穴、そこから覗く子供の頭部は目をぱちくりと瞬き、手を、肩を、お腹を、最後に足を引っ張り出すと、美味しそうに肝臓を齧る。

 同じことがわたしの背後でも起こっていたようで、黒服は突如腹を裂かれて死亡した二人の仲間と、その腹から現れ出た少年二人から目をそらせずにいる。異様な光景にあってドクだけは怒りでわなわなと肩を震わせ、彼らの正体を言い当てる。

「ツインズ」

 血まみれの少年達を指し示すその言葉に、彼らは顔だけをドクに向け、ゲラゲラと汚らしい笑い声をあげて答える。まるでこの時を待ちわびていたかのように、心底楽しそうに嗤い嗤い嗤い嗤い嗤い嗤う。

「やっとぼくらの出番だね」
「くすくすっ、相手が弱くてつまんないね」

 彼らの姿が消える。目にも留まらぬ速度で近くにいた黒服へと襲い掛かった彼らは、せっかく新たに拵えたからくり人形の特性も、ユタとしての能力も使わず、ただただ猛獣がそうするように暴れまわった。がぶりと首の肉を食い千切り、握力だけで黒服の頭蓋骨をぺしゃんこに握り潰す。小学生ほどの体躯から繰り出された膝蹴りをもろに受けた黒服は、後ろで立ちすくむ仲間に背中から飛び出した肺と心臓を浴びせる結果となった。逃げ惑う黒服の足を掴んでハンマーのように三度四度地面に叩きつけ、潰れた死体をわたしの足元に転がす。

「見てみて、変な顔ぉ」

 変な顔、では済まない程平べったくなった死体の顔を見せつけた後、彼らはまた腹を抱えて大笑いする。瞬く間にドク以外の黒服を排除した少年達は、わたし達に構わず死体から引きずり出した腸で縄跳びを始めた。

 この世に地獄があるのなら、今がまさにそうだ。

「お前が匿ってたんか」

 ドクの顔は既に人間の形を保っていなかった。尖った鼻、口の中にびっしり敷き詰められた牙。蒸気を発する鱗は逆立ち、喉の奥に憤怒の炎をたぎらせる。

「わたしは蘇った後すぐに身を潜めた。だから誤解しちゃったんだろうけど、ツインズは二体目と三体目じゃない。三体目と四体目だ」

 わたしはニッ、と歯を剥き出して笑い、両手で作ったピースサインを頬に寄せる。

「わたしが二体目だ。でも騙してたわけじゃない、わたしはマジに自分をスケルトンの一種だと思っていたし、ユタって呼び名もドクに教えてもらって初めて知った。そのことに嘘偽りはないよ」
「何でや!そいつらはサイバーテラーに匹敵する悪魔やぞ!この世界にあっちゃならん脅威や!お前もそれに気づいとったから、サイバーテラー使うてその二人殺したんとちゃうんかい!元々は敵同士やろうが!そないな連中引き連れて、お前は何がしたいんや!ええ!?何企んどる!?」

 ドクの絶叫に少し気圧されながらも、わたしは笑顔を崩さない。

「ラミア、アルラウネ、アラクネ、エキィドナ、ブラックドック、ドッペルゲンガー。デュラハンはもう使い物にならないとして、ファイヤドレイクはまだ持ってなかったな」

 ギシギシと右の巻き角が軋む。死体遊びに飽きた幼い怪物達は、まだ命のある人外を目標に定める。ほとんど悲鳴のような唸り声と共に、ドクは火炎を纏って突っ込んでくる。

 三対一とは彼に同情してしまうが、生憎と一対一を重んじる性格ではない。多対一、最近の仮面ライダーもそんな感じだ。

*****

 2021年、9月1日。ユタという、世界を揺るがしかねない存在を巡って繰り広げられた騒動から、かれこれ一年と八か月が過ぎた。仕事に誕生日と慌ただしい8月も終わりを迎え、引き続き多忙な9月が顔を出す。カレンダーも捲ってやったのだから、少しは抑えて欲しいものだ。

 ミンミンと命を燃やし鳴くセミもまだまだ繁忙期、雲一つない青空を見上げると、強い日差しに視界がチカチカする。館を出て少し歩いただけなのに、頭蓋骨の中に熱がこもって不愉快を極める。熱い、暑いと弱音を吐きながらもわたしは丘を往く。バーチャル世界の辺境だからこそ楽しめる自然の景観に、見知った少女が一人立っている。

「オス子」

 名前を呼ぶが、彼女は振り向かない。先程まで目の前に誰かがいたかのように、しかし既に去ってしまった誰かをそこに見出さんとするかのように、ただ真っ直ぐに前を見据えている。

 風が吹く。制服が揺れ、季節外れのマフラーがはためく。

「ちゃんと話せたか?」
「……遊園地で遊んでた時にね、あたし、苦無ちゃんに伝えようとしたことがあったんだ。途中で誰かさんに邪魔されて、結局言えず仕舞いだったんだけど」

 わたしは黙った。都合の悪い言葉は返答しないに限る。

 オス子は気にせず続ける。

「あたしには家族もいない、自分が自分でよく分かんない。この世界で何をすればいいのか悩んでたんだ。答えは出たけれど、それはオスコールと戦う前の、何も知らなかった時のもの。ユタとしての自分を知って、一度は折れて挫けて、それでも苦無ちゃんに助けられ、文子ちゃんに励まされ、オスコールに認めてもらった。答えはあの時と変わらないけれど、今度は胸を張って言えるよ――あたし、生まれてきて良かった」

 その言葉をオス子は、ユタは、一番伝えたかった人に無事伝えられたのだろう。そんな気がする。

「わたしも少しだけ話せたよ、『またちゃんと戻ってきます』って。疫病さえ落ち着けばまたひょっこり顔を出すさ、Vtuberの引退宣言なんて半分詐欺みたいなもんだ」

「っ!そう、だよねっ――また、会えるんだ。戻ってくるんだ、だから悲しくなんか、ない、のに――何で、こんなに、胸が痛い――」

 無理な笑い声はすぐ嗚咽に変わり、時折鼻水を啜る音が聞こえる。しばらくその状態が続いた後、彼女は声をあげて泣いた。膝をつき、赤子のように泣きじゃくる。

「――――」

 わたしは天を仰ぐ。空は、むかつくくらい晴れ渡っていた。

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

《SIDE:???》

「やあ、またもや僕だよ」
「様々な思想、思惑が絡み合う苦無ちゃんの冒険譚はこれにて終いだ」
「世界観を異にする者同士が一所に集うと話がしっちゃかめっちゃかになっていけないね、ここまでついてこれた者にはとびきりの感謝を」
「これは決して特定のメッセージを押しつける物語ではない、と僕はそう考えているけれど、それでも何かを学び取ろうとするのであれば是非伝えたいことがある」
「それは『人は変われる』ということ」
「今回それが特に顕著だったのが苦無ちゃん、加えてユタちゃんだ」
「苦無ちゃんはユタちゃんに自身の面影を見出し、姉の音無が如く振舞ってみせた」
「ユタちゃんは苦無ちゃんに音無の幻影を見出し、本当の姉妹のように肩を並べた」
「あなたのようになりたい、あなたに追いつきたい。そう思うことに本来、特別な力なんて必要ないんだ。特別じゃないから、誰だって変われる。大切な人のために」
「長話が過ぎたね。苦無ちゃんのこれからについてだが、動向を追うことが出来ない君達に代わって、この僕、扇町 扇が引き続き監視させてもらうよ」
「また面白い報告を受け取ったら知らせる。それまでは僕ともさようならだ」
「ではね」

《了》

____________________

画像1

備考:また相見えるその日まで、深淵にてあなたを待つ。苦無さん、本当にお疲れ様でした。

(作:オスコール_20210904)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?