『テルシオペレⅢ - 煌骨 - 』

※本作は『テルシオペレ』、『テルシオペレⅡ - 白骸 - 』の続編となっております。この作品からでも充分お楽しみ頂けますので、単品で読み進めるも良し、前のエピソードとの繋がりにニヤリとするも良し、楽しみ方は自由でございます。

前作は下記URLよりどうぞ。

Ⅰ:https://note.com/virtual_oscorps/n/n0fca20b89a21

Ⅱ:https://note.com/virtual_oscorps/n/nc53c06f5ad15

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「もしも神様が左利きならどんなに幸せか知れない」

      ―― Ado『ギラギラ』より

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 泥で澱んだ水溜まりから顔面を引っこ抜くと、その勢いで側頭部から脳みその一部が零れ落ち、飛沫を上げた。欠けた頭蓋骨を探してみるが、右目が潰れていては見つかるものも見つからない。左目も額から瞼にかけて皮膚が爛れ、べろんと捲れた皮がちらちら視界に入り込んで鬱陶しい。

 私の脳みそは、頭蓋骨は、右目は、皮膚はどこに行ったのだろう。周囲に視線を向けてみてもまるで見当たらない。代わりに戦車の轍から飛び出た同胞の手足を、戦場と化した旧市街を練り歩く屍者スケルトンの一団を、それに対抗する屍者ゾンビの一群を見止める。リビングデッド対リビングデッドの戦争は同じ『屍者』と表現したが、装備の充実ぶりや死者蘇生術の精度を鑑みても、同じという表現はあまりに失礼であった。

 かたや陣形を組み、近代兵器をこってりと惜しみなくその骨の身体に纏う軍隊然としたスケルトンのグループに対し、B級ホラー映画に登場しそうなゾンビの群れはぎこちない動きでAKのトリガーを引き、個々が戦略もへったくれもない特攻を繰り返している。

 当初数で勝っていたゾンビ軍はしかし、その頭数を百分の一にまで減らし、今や十数体が残るのみであった。私もその一体であるというのが実に不幸な所で、私達を製造した『ママ』には是非ともお礼を言いたい気持ちでいっぱいだ。ママ、こんな勝ち目のない闘いに私達のようなアンデッドもどきを駆り出してくれてどうもありがとう。ゾンビという名の操り人形でさえなければ、手ずから殺してやれるのに。

 黒ずんで血も通わない腕は私の意思に関係なく、かの骨らに銃弾叩き込めとAKを探す。しかし先の爆撃で頭蓋共々吹き飛んでしまったのだろう、泣く泣く腰のホルスターへと手を伸ばし、取り出した92式手槍を構える。

 既に仲間の屍体らは本来そうあるべくして土へと還り、残ったのは私一人だけ。おかげさまで骨の一団は皆私だけを見つめ、半端に群れる狼共の戦争ウルフ・オブ・ウォーに幕を引こうと進軍する。

「そんな、ォ、大勢に、注目、されゥと、照れまス」

 発声も上手くゆかないゾンビはしょぼい拳銃持って特攻をかける。同じ命をかけて執行されるカミカゼ・アタックだってもうちょっと功績が残せるだろうに、今の私はただ死ぬために動いている。今度こそちゃんと死ねるように。

 骨の一団は静止し、内一体が前方に躍り出る。迷彩色の衣服を纏い、左腕には腕章が、右腕にはパンプキンヘッドのマスコットが巻きつけてある。肩甲骨から噴き出す白い炎はさながらマフラーのようで、

「あッた、かそうデ、す、ネ」
「スターリングラードの火だ。最期に温まっていくといい」

 瞬間、視界が燃える。見れば白い火炎が私の全身を舐り、容赦なく燃やしている。火はたちまち剥き出しの肉を、筋繊維を焦がす。力が入らなくなった腕は手槍を取り落とし、脆くなっていた足の骨はポキンと折れて膝をつく形となった。

 何度目かの大地とご対面し、うつ伏せになった私の身体はそれでも変わらず景気よく燃えている。死ぬのは怖くない、これで二度目だ。取り立てて浮かぶ走馬灯も、思うことも遺したい言葉も無い。

 早く死にたい。自由意志を奪われ、自ら命を断つことも許されない私達が抱く唯一の願いを、目の前のスケルトンは分かってくれるだろうか。終わりの無い不死に飽き飽きしているノーライフだけが分かち得る苦悩を、この骨も抱いているのだろうか。

 もう何も見えない。ぶすぶすと肉が焼かれる音と、スケルトンのものと思しき声だけが聞こえる。

「おれだ、居残り組は見送った。リーダーは案の定欠席、自分が下校するまでの時間稼ぎに残したってところだろう。勿論実家は不明、後は地元の連中に任せるよ――旧きネクロマンサー、これはあなた達の因縁だ。おれも無関係とは言えない。中途半端な優しさは禍根を残す、今度はしくじらないよう徹底的にやるべきだ――いや待て、おれに考えがある」

*****

 自ら生み出したゾンビを囮にまんまと敵から逃げおおせた我らがママは、スケルトンの一団が退散したのを見計らって『まだ使えそう』な遺体の回収に出向いた。幸か不幸か私もその『まだ使えそう』に含まれていたらしく、ママの護衛にあたっていた屈強なゾンビに担がれ戦場を後にした。

 死者蘇生術にも色々ある。遺骨に魂を降ろす、死体をマリオネット人形のように操る、あるいは生前と寸分違わぬ姿を再現する。ママはこう言ってよければ仕事が雑で、半端に魂が残った屍者を無理やり制御下に置くという、ネクロマンサーなんだかゾンビ使いなんだか分からないことを繰り返していた。元はルナ・イルミナティという秘密結社の一員であったらしく、ゾンビ化の技法もそこで学んだものだと自慢げに話していた――その秘密結社から叩き出された悲しい過去を忘れたいかのように、何度も何度も。

 死者を思いのままに操る術に憑りつかれた老婆はむやみやたらにゾンビを乱造し、自らを『ママ』と呼ばせ疑似家族ごっこに興じていた。少年のゾンビを孫のように可愛がったり、目立ち鼻立ちの良い女ゾンビをこき使って最後には切り刻んだり、逞しい青年ゾンビを数体ベッドに侍らせては年甲斐もなくまぐわったり、蒐集したゾンビに対しろくな扱いをしない。

 大体、ゾンビになりたくて志願した者など一人もいない。私含むママ製のゾンビは皆、このおぞましい魔女に一度殺されているのだ。

「おかえり、ビンザン」

 ママの屋敷に担ぎ込まれた私は体の修復を終え――死体のストックからパーツを継ぎ接ぎしただけだが、無事動けるようになったところで彼女に呼び出された。だだっ広い洋風建築は誰も掃除などしないからあちらこちらに蜘蛛の巣が張っており、ネズミ這う廊下をゾンビが闊歩する様などはまさしくホラー映画そのものだ。

 ママの部屋はそのまま寝室となっており、ここだけ清掃が行き届いている。どぎついピンク色のファンシーなインテリアをこの一部屋に集約し、唯一の生者であるママは天蓋付きのベッドに横たわっている。傍らには今お気に入りの髭面ゾンビが座り、生気の通わない青白い手で、細く骨ばったママの手を握っている。果たしてどちらの手が本物のゾンビでしょうか、なんて意地悪な質問が頭に浮かぶ。答えは両方か。

「多くの子供達を喪ってしまった今、あなた一人だけでも救えたことは奇跡だわ」
「一人」

 ええ、とママは涙ながらに頷く。その顔には慈愛の籠った笑みが浮かんでいるがしかし、ひび割れた皮膚とくっきり浮かび上がった骨格で笑ってみても、ただただ不気味でしょうがない。まだ剥き出しの頭蓋骨の方が可愛げがある。

「正確にはあなた一人を完璧な状態に蘇生するため、まだ使えそうだった子達を全てあなたに回した、と言った方が適切でしょうね。欠けた子達がいくらそばにいても役に立たないのだし」
「そうまでして私を『直した』理由とは」

 と訊ねたところで、発声が今までとは比べ物にならない程流暢であることに気づく。声帯の保存状態が良い者から移植してきたのだろうか、今の私以上に精巧なゾンビをママが作った試しは無い。

 何か嫌な予感がする。そう思っての質問だった。するとママは落ちくぼんだ目の奥底、垂れた瞼の向こうに隠れた瞳を一瞬ぎらりと覗かせる。

「何度も私の邪魔をしてくれるあの忌々しいネクロマンサーには弟子がいる。その技量はまだまだ未熟、打ち取るなら今だわ」
「お言葉ですが」

 まともに会話をするのは久しぶりだ、普段は「ああ」だの「うう」だので事足りてしまうから――私は自分が言葉を話せる生き物だったことを思い出しつつ、言葉を紡ぐ。

「かのネクロマンサーの泣き所が弟子であったとして、それを亡き者にすることへの報復は我々が対処できるレベルではないと想定されます。ママにも危険が及ぶことは想像に難くありません。まして私達と敵対するネクロマンサーは彼女一人に限らず、今は彼女が矢面に立っているというだけでほぼ全ての勢力がママを狙い、ただでさえ劣勢に立たされている現状、ここは一旦引いてゾンビの製造に力を――」

 左肩に焼けるような激痛が走る。見ると肉がぐずぐずに溶け、間もなく腕がぼとんと床に落ちた。ママに視線を戻すと、そのシワシワな顔面を怒りで更に崩してしまっている。丸めて広げた後の新聞紙のようだ。

「誰が、いつ、あなたに意見することを許したの。別にあなたじゃなくてもいいのよ、今すぐその身体をバラして別の子に任せたって」

 その言葉に嘘偽りはない。このヒトを何度ママと呼んだって、一時的に気に入られることはあってもすぐ使い捨てにされる。そうして物言わぬ骸と成り果てた時、ようやっとこの呪縛から解放される。

 ここで造反するのもその解放への近道だが、まともに動ける体を得たのはゾンビになって初めてのことであったから、しばらくは生身に近い感覚を堪能したいという欲求に駆られた。例えそれが敵対するネクロマンサーの、ましてその弟子を殺すという八つ当たりのような目的のためだったとしても。

 どうせいつか人は死ぬ。あなたも、私も。

 私だって理不尽に殺され、死んでもまだこき使われているのだ。だったら名前も顔も知らない誰かさんに『理不尽』がふりかかることもあるだろう。

 しょうがない、全部しょうがないのだ。そういうものなのだから。

*****

 ウェルカムドリンクは真っ赤に澄んだクランベリージュースを傾けつつ、窓の向こう側に広がる青空へと思いを馳せる。死体もいよいよ空を飛ぶ時代だ。

 席の座り心地は悪くない。土に埋まるより余程快適である。フルフラットシートを取り替えてしまったのかと前の座席に座る女性は愚痴っていたが、正直私は腰を下ろせれば何だって構いやしなかった。

 乗客の身体は巨大な鉄の塊ひこうきに包まれ、重力を振り切って天へと向かう。離陸してすぐピュアグリーン・エア・ボーンなるカクテルを口にした。酒の味が良かった分、つまみのローストカシューナッツは蛇足に感じられた。

 機内食はどうだったかと言えば、前菜などはとりあえず腹に詰め込んでおけという思いで口に放り込み、主菜は海老ムース詰めが意外に美味かったという印象しか残らなかった。何だかんだでデザートのハーゲンダッツアイスクリームが一番美味しかった気がしなくもない。ハーゲンダッツは偉大である。

 飲んでばかりに食ってばかりのスカイトリップも終わりを告げた。シートベルトの着用を促すアナウンスに、襲い来る着陸の振動。人生初の飛行機搭乗は上々と言えた。

 バーチャル羽田空港国際線のロビーは閑散とした有り様で、一緒に降り立った乗客も数えてみれば十数人程度しかいない。蔓延する某ウイルスの影響で観光客が激減し、手持ち無沙汰になったグランドサービスは何をするでもなく、笑顔で持ち場に立ち続ける。

 戦場でもないこんなに平和な国にあって、流行り病はお構いなしに命も仕事も奪う。結局どこに行ってもおんなじだ。誰も彼も不幸なんだ。

「――――」

 第二ターミナル五階のマーケットプレイスに向かった私は空港を出るでもなく、日本食レストランを訪れる。ノレンを潜る際、営業時間の短縮を知らせる看板が目に留まった。

 予約していた個室に案内されると、既に先客が居座り、タッチパネル式のメニュー表を見ながら唸っていた――それは文字通りの獰猛な唸り声であり、獣の顔に相応しくグルルと喉を鳴らす。毛に覆われた顔と手と、ツンと尖った耳は私の発する音――衣服が僅かに擦れる音だとかを敏感に聞きつけ、こちらに顔を向けた。

 狼男ウルフマン。ライカンスロープやルー・ガルーの名でも広く知られるその人外は、私を見るや口元を裂けんばかりに吊り上げて笑う。今にも取って食われやしないかと身構えるが、狼男はこちらの警戒心など意にも介さず、そのいかつい見た目に反し爽やかな声を発する。

「やーやー、どうもッス。空の長旅、お疲れ様でした」

 向かいの席に座るよう促すが、その前に確認しておかなればならないことがある。この待ち人がママの手配した『協力者』であるかどうか、だ。

「『狼は小羊と共に宿り』」

イザヤ書の引用に、狼男は合言葉を口にする。

「『お腹いっぱい胸いっぱい』」
「お前が『追崎ついざき ろくめ』ですか」
「お前呼びなのに敬語、良いッスね。性癖刺さりまくり♡」

 追崎の軽口に形容しがたい不快感を覚えるが、彼が間違いなく協力者であることは確認できた。ひとまず予定通りに事が運んでいる事実に胸をなでおろし、席についた。

*****

 追崎 ろくめ。殺しで生計を立てる、いわゆるところの『殺し屋』だ。ママが一体どんなツテで殺し屋なんていう存在を見つけ出してきたのかは知らないが、実績はそれなりにあるらしく、曰く「ウラの業界ではそこそこ知られている」とのこと。

「殺し屋を自称する輩は多いスけど、その大半はガセだったり警察のトラップだったり。後は依頼を受けておきながら『この人は誰々を殺すよう指示した』って事実をネタに依頼者を強請る、なんてのも多いッスね。おかげでお客さんはまずモノホンの殺し屋探しから始めなきゃならんっていう、それもポリ公の警戒網を潜り抜けるような存在を、自分自身も目をつけられないよう注意しながらね」

 追崎は注文していた冷やしとろろうどんを啜る。十月になろうというのに日中はまだまだ暑い。ひんやりと冷たい麺は、汗腺をもたない狼人間には最高のご馳走であり『涼』だと彼は言う。

「ビンさんもどうですか、美味しいスよ」
「ビンザンです。私は機内で食べてきました」
「機内食!良いなぁ、自分食べたことないんスよ。どうでした?」
「普通でした。それで、話の続きを」
「んもー、ビジネスライクー」

 凶暴性の象徴たる牙はうどんをちまちまとかみ切り、喉の奥から飛び出す言葉はいずれも軽い。狼然としたシルエットを残しつつも人間味が遥かに勝っているというか、ちぐはぐだなと私は思った。実はこの狼人間、着ぐるみか何かではなかろうか。私のそんな思いなど知る由もなく、追崎は話を進める。

「依頼主であるビンさんの『ママ』とは、ルナ・イルミナティっていうコミュニティの縁で繋がりました。互いの細かな素性こそ今回の依頼を受けて初めて知ったんスけど、我々はどちらもこのコミュニティを抜けた人間だったんで」
「秘密結社でしたっけ」
「あ、知ってたんだ。自分も昔そこに所属してたんスよ、いうてパシリですけど――それで向こうさんから連絡があって、離反組のよしみで一つ殺しを頼まれてくれないかと。ビンさんと一緒にね」

 一緒、と繰り返す私に、

「相互監視が目的なんでしょ。ママさんに言われましたよ、あなたが立派に仕事をやり遂げたか見守っていてくれって。それと」
「裏切ったり敵前逃亡を仕出かしたら即始末しろ、ですよね」
「お互いにね」

 追崎はため息をつき、空になった容器を前に両手を合わせる。ご馳走様でした、と小さく呟いた後、ジャケットの胸ポケットからスマートフォンを取り出す。指まで逞しいその腕に、スマホはひどく不釣り合いだ。しばらくすると彼は画面をこちらに向け、にんまりと笑ってみせる。

「ママさんはね、自分が裏切るかもしれないという可能性も考慮してあなたをバーチャル日本に呼び寄せたんス。なんてったって今回のターゲットは――」

 動画を探していたようで、画面に映るその女性は自己紹介をしていた。ショートヘアに髑髏の髪留め、幼さの残る顔立ちが紫のドレスに少し背伸びした印象を与える。彼女が自身の名を口にすると、追崎は興奮気味に声を上げた。

「自分の推し、『ねくろ』さんなんですから」

 ――驚きが顔に出ていたのだろう、追崎は私を見てうんうんと頷いた。

「よりにもよって推しを殺す依頼が舞い込んでしまう、自分も殺し屋稼業は長い方ですがこんな不運は初めてッス。ですが」
「『推し』って何です?」

 え、と驚いた様子で目を瞬く追崎。私が面食らっていたのは、聞いたことも無い単語が彼の口から飛び出してきたからだ。バーチャル日本を訪れるにあたり、日本語の読み書きが出来るようママに脳を弄られたわけだが、それでも方言や一部界隈でのみ用いられる造語はインプットされていない。追崎が語る『推し』という言葉の意味もその例外ではなかった。

「ええと、簡単に言えばこの人のファンってことス」
「歌手か何かで」
「歌手、でもあるけどそれだけじゃないというか、配信で雑談したりゲーム実況もしてたり。VTuber、って単語くらい聞いたことあるでしょ」
「ハイシン?」
「そこからかー」

*****

『ん~、ばぁっ!こんねくろ、ネクロマンサーのねくろです』

 ピンと張ったシーツの上に体を放り、ごろんと仰向けになった私はスマホを天井に掲げた。画面の向こう側にいる少女を眺め、スピーカーを通して声を聴く。長時間のフライトで疲れただろうから、と追崎は私をビジネスホテルに案内し、明日の朝までくつろいでいるように言った。当人は電車のチケットを取ってくるとか何とかで、同じホテルには泊まらないそうだ。それで暇潰し兼連絡用にとスマホを手渡されたわけだが、ふと気になって先程見た彼女、ねくろのことを思い出したのだ。

 現在進行形でバーチャル世界とリアル世界を繋ぎ、コメントを介してコミュニケーションを取る、配信という通話形態。その内容は追崎の言った通り、喋りにゲームに歌にレクリエーション、マルチエンターテインメントとでもいえば良いのだろうか。

『ラーメンとデザート頼んで帰るのはそれはもうラーメン屋さんなのよ、実質』

 ターゲットのことをより深く知ろう、なんてつもりは毛頭なかった。私は単なるゾンビ、ママの傀儡に過ぎないのであって殺し専門ではない。たまたま殺人を任されただけで、その手の如何にも殺し屋らしい分析なんてまっぴらごめんだ。ただ、素直に気になっただけなのだ。ネクロマンサーを名乗るこの子は一体何をしているのだろうと。

 その『ぶいちゅーばー』なる活動にどのような意味があるのかと。

『ねぇ~、もう一回やらせなって~』

 楽しそうだな、とは思った。しかしそれ以上に、私には叶わなかった幸福をまざまざと見せつけられている気がした。自分を慕う者達と流暢にお喋りすること、流行りのゲームを時間いっぱい遊ぶこと。

 そして、歌うこと。

「――縋った意味も無い無い無い、な」

 その曲の名前は知らないが、何度も繰り返し聞いている内に歌詞は覚えてしまった。ついサビの終わりを口ずさみ、次いでタイトルに目をやり――苦笑する。

 良い歌声だ。配信の録画アーカイブを見る限り、悪人というわけでもないらしい。人気もあって、近々彼女が出演するイベントも開催されるという。実に素晴らしいことだ。

 しかしflos素晴らしいf l o s内に摘み取られる。唐突に、華の気持ちなど知らないで。私がその摘み手だ。私の生が摘み取られ、動く屍と化したように今度はネクロマンサーの命を摘む。世の中は本当によく出来ているじゃあないか。

 ふと化粧台の鏡を見やると、そこには意地の悪い笑みを浮かべた屍者が寝転がっていた。この世の全てに絶望し、自らを縛る者達へ反逆するための牙を折られた哀れな肉人形。ニヒルめいたその笑顔は間違いなく悪人のそれであり、視界に入り込む全てを見下していた。

 無論、自分のことさえも。

*****

 昔、戦争があった。大きな戦争の裏に隠れた、小さな小さな戦争だ。

 二度目の世界大戦の最中、某国の武装親衛隊・髑髏部隊には特別な任務が与えられていた。それはサイコキネシスやテレパス等の異能を持った存在の抹殺、言うなれば『戦略的オカルト』の排除であった。当時の労働者党自体にオカルティズムを感じる夢想家は今も数多いが、それはあくまで民衆を扇動するためのスパイスに過ぎない。大衆には刺激的で陳腐な設定や伏線が必要なのだ。

 とはいえ真に危険な異能は放って置けない。ネクロマンシーなどもその典型ではあったが、当時バーチャルドイツで暗躍していたネクロマンサーの一派は既に屍兵の量産と運用にこぎつけていた。武装親衛隊であっても手を出せる相手ではなかったが、彼らとて総統の手前、手ぶらで帰るわけにもいかない。そこで当時、好き勝手暴れていたためにネクロマンサー界隈でも疎まれていたママに白羽の矢が立った。

 死者の秩序の名の下に、あるいは偉大な指導者の名の下に、本心では両陣営のスケープゴートとして、秘密結社崩れのゾンビ使いとの闘争が始まった――当時、ドイツの占領下にあったバーチャルフランスの小さな村を舞台に。

 なんてことはない、何度体験したかもしれない平凡な土曜日だった。SSの第二、第三装甲師団が村にやってきて、逆心の兆しはないかと建物の調査を始めた。その間男は納屋に、女子供は教会に押し込められた。

 それから程なく、銃撃戦が始まった。当時別の肩書で村に潜伏していたママをあぶり出すべく、SSと死霊術師の連合は村民を巻き込んでの皆殺しを決めたのだ。

 四方を火に囲まれ、焼肉になるのを待つばかりであった教会内の人々は窓から逃げ出そうとするが、機関銃で蜂の巣になって落ちてきた。しばらくすると穴だらけの死体が動き出し、生者に襲い掛かろうとする死者と、そうした死者の動きをくい止めようとする死者とに分かれた。前者はママの、後者はネクロマンサーの支配下に置かれた屍だ。

「助けて」

 少女は大きな樹の下で歌をうたっていた。友達と一緒になって、将来は有名な歌手になるんだと嘯いていた。世界は平和ではなかったかもしれないが、少女の目に映る範囲では安寧があった。しかし、ささやかな平安は一瞬にして奪われた――皮膚を焼かれ、流れ弾に足を穿たれ、屍に首を食い千切られ、喉に詰まった血でごぼごぼと泡を吹いていた。

 横たわった世界は輪郭も曖昧で、ただ人々の悲鳴と怒鳴り声だけが鮮明に聞こえる。やがて何もかもが赤に染まり――。

「大丈夫ッスか?」

 目を開けると、追崎の大きな目玉が視界いっぱいに広がる。近い、と言って手で振り払うと、彼はヘラヘラと笑う。

「整った顔は間近で眺めたいのが狼心ッスから」
「赤い頭巾でも被れば良かったですか」
「それ良いッスね、絶対可愛い!」

 彼のお世辞ですっかり目が覚めてしまった。ホテルに一泊した後、電車に乗り込んだ所で眠り込んでしまったようだ。目的地までまだしばらくかかりそうだが、あんな夢を見た後だ、もう寝れそうにない。

 向かい合って座る追崎はリュックサックを隣の席に預け、悠々とサンドイッチを頬張っていた。一口でぱくりとサンドイッチを飲み込み、指についた卵ペーストを舐めとると、興味深そうに呟く。

「いやしかし驚いたな、オラドゥールの生き残りだなんて」

 夢から覚めた直後のように顔が強張る。私は自分でも気づかない内に追崎を睨みつけていた。対して追崎は物怖じすることなく、

「あれだけ魘されてたんだ、嫌でも分かるッスよ。寝言でSSがどうとか言ってました」

 それ以上何も言わず、自身のスマートフォンに目をやる。やはりそこには『彼女』がいて、大海をバックにセーラー服姿で歌う姿があった。

 ――そう、君は独りさ。

 ――居場所なんて無いだろ。

「消して、下さいッ」

 私は声を荒げる。聞きたくない、順風満帆に幸福の道を歩み続けた人間の歌声なんて。

 私だって歌いたかったんだ。歌い続けたかった、それだのにどうしてこうも違う。何が違ったっていうんだ。どうして今私だけが、惨めにも全ての元凶の小間使いをやらされて何度も何度も何度も何度も体が千切れてチクショウチクショウチクショウ!

「重症だな」

 キザで軽口な追崎の声が、その時だけは狼らしい低音であった。彼はため息を漏らし、しぶしぶスマホで再生していた動画を止めた。それから憐れむような視線を寄越したので、私は怒り露わに食ってかかる。

「推しを平気で殺そうとする人に重症だ何だと言われる筋合いないですよ」
「せっかく転がり込んできた依頼をいちいち私情で断っていたら、殺し屋は食っていけないんスよ。友人だから、家族だから、恩人だから、好みだから、何も悪いことしてないから、推しだから。そりゃあ気分は最悪ッスよ、でも推しが明日のご飯を用意してくれるわけじゃないんで」

 しょうがないんス、そういうものですから。

 追崎の言い分に、私はそれ以上何も返せなかった。だってその言葉には心当たりがあったから。

 しょうがない、全部しょうがないのだ。そういうものなのだから――分かっていたのに、ではどうして私は今、彼に喧嘩を吹っ掛けるような真似に出たのだ。何も変わらないのに。

 何かが変わる気がしたのか、何がきっかけだ。

「――ごめんなさい」

 その答えを出す前に、私は頭を下げた。ごちゃごちゃ考えるのが嫌になったのだ。

 追崎は何でもないというように手を振ってみせる。それからウンと大きく頷き、

「別に気にしてないッスよ。おかげで寄り道する決心がついたんで」

*****

 そもそもの話、何故ママは自分が追い出された組織の繋がりを手繰ってまで追崎に殺人を依頼したのか。確かに顔見知りの方が頼りやすいというのはあるだろうが、真の狙いはそこではない。

 追崎はねくろのファン(『ねくらー』というらしい)であるが故に知っているのだ。一度踏み込めば二度と生きては出られない彼女の領域『樹海』の所在を。

「樹海へ行く前に寄っておきたいところがあります。まずはそこに」
「長引く分には良いですよ」
「帰らなくて済むから?」
「うっ」
「良いスよ、こんなの裏切りの内に入りません」
「あの脳髄ピンクメンヘラクソ野郎の所に帰りたくないんで!」
「開き直りすぎぃ」

 無人駅を降りてしばらく、見晴らしの良い草道を黙々と歩く。たまに田畑を見つけては汗を流すご老人に挨拶し、その度に「せっかく来たから」だの「暑かろう」だのと理由をつけては半強制的に持たされた野菜や果物を齧りながら進む。

 追崎は通りすがる住人に声をかけては、この辺りに酒が飲める場所は無いかと聞いて回っていた。すると誰もが口を揃えて、こう言った。

「街の方に最近出来たオシャレなバーがある」

 街と一口に言ってもアパートが数棟建ち並び、そこにこじんまりしたドラッグストアと家電量販店があるだけで、都会のそれとは比べるまでもなく閑散とした趣であった。それでも人の気配はそこそこに感じられるので、この田舎町の中心地ではあるのだろう。

 流行とは縁の無い土地にあって、更に時代が逆行しウエスタン・サルーンを思わせる店が一件見つかった。新品の看板には黄色いペンキでくっきり『Rue de la Lune』と書かれている。

 店に入ると、一面に彩られたカボチャや白いお化け、フランケンシュタインなどハロウィンの主要なモンスター達の装飾が目についた。バーの内装もオレンジ色を基調に、コウモリ型のキャンドルや月のイルミネーションが如何にもハロウィンらしい雰囲気を醸し出している。

「ハロウィン、まだ始まってないスよ」

 追崎がカウンターに向かって吠えると、店の奥から現れた金髪の女性が負けじと言い返す。

「こういうのは前々からちょっとずつ準備して楽しむものなの!」
「この様子だとハロウィンって文化すら定着してなさそうッスけど、この街」
「いい加減にしないと殴るよ、殴るのだけは一人前なんだぁ」

 勘弁してくれと首を振る追崎にどこか得意げな笑みを向けた後、女性はこちらを見る。

 何も言わずじいっとこちらに微笑みかける彼女に、私は思わず目を逸らしてしまう。気のせいだろうか、顔立ちがどことなくターゲットに似ているような――親族だろうか。しかし血縁が殺されようという時にわざわざ顔を見せる道理はない。

「この子とお話すればいいんだよね」
「すみません、お願いします」
「急にしおらしい」
「真面目な場面なんで」

 よかろう、と女性はその豊満な胸を張る。それから一呼吸置いた後、語り始める。

 どこか嬉しそうに、言葉を紡ぐことが久しぶりだというように。

*****

 これから話すのは、きっと夢の話。

 今も夢を叶えようとする人、もう叶わなかった人。そんな話。

 誰にだって大なり小なり、自分がしたいことってあると思う。アイドルになりたい、自分の特技で成り上がりたい、お友達がたくさん欲しい。もっと分かりやすく言えば、山盛りのお肉やポテトを食べたいとかも立派な夢だと思うの。

 やりたいことがある。叶えたい夢がある。そのために前進する。とっても分かりやすくて、とっても難しいこと――まずその夢自体が難しい。アイドルを例にあげると、ステージに立つためには具体的に何をすればいいのか、どうすればたくさんの人に見てもらえるのか、誰も答えなんか教えてくれない。だって正解は一つじゃないし、正解なんて無いのかもしれない。孤独の中を手探りで進むしかないんだよ。

 次に、環境が立ちはだかる。周りの人達が「諦めろ」「お前には向いてない」って囁きかけてくる。お仕事に割く時間だってそう、ご飯を食べないと生きていけないし、ご飯を買うにはお金がいる。ツイツイが言ってなかった?誰かがご飯を用意してくれるわけじゃないって。

 だからねくろちゃんの夢を邪魔するな、って?ううん、私が言いたいのはそうじゃないの。でもねくろちゃんのことが思い浮かんだのなら、もう一息。

 最後に、夢でも環境でもない、他ならぬ自分が自分の邪魔をする。もう駄目だって、もう無理だって自分の声が聞こえるんだ。

 しょうがない、って。

 見切りをつけるにはまだ早いかもしれないよ。ねくろちゃんも、そして君も。

 捨てた夢があるんだよね、それにはもう手が届かないかな?本当に?

 え、私?私は――駄目、だったのかな。その結末を受け入れはしたけど、すごく怖かったし、何より悲しかった。でもね、それで私が消えてなくなったわけじゃないの。今こうして喋っていることが何よりの証明。

 誰かが、私のことを忘れないでいてくれた。うろ覚えの紛い物だとしても。

 私はきっと夢を『繋げた』んだと思う。『託した』の方が格好いいかな。

 お話はここまで、それじゃあ聞くよ。

 一度捨てた夢を、捨てざるを得なかった夢を、君はどうする?

 そのままにする?もう一度拾い上げる?それとも――。

*****

 バーを後にした私達は、いよいよ樹海を目前にしていた。バリケードに囲まれた大自然は何重にも折り重なった濃淡様々な緑色で構成され、ひとたび足を踏み入れれば日光を限りなく遮断した闇の世界が待っている。

 ――私は、金髪の女性が投げた問いかけに答えられなかった。無言のまま、叱られた子供のように突っ立ってることしか出来なかった。

 今はそれでも良い、と彼女は言ってくれた。この任務の中で答えを見つければいい、と。彼女も最後まで、ターゲットを殺してはいけないとは言わなかった。

「――――」

 背負ったガンケースは私の身体には大きく、結果的に盾の如く背中を護る形となった。追崎が調達してくれたハンドガンを腰のホルスターに収め、その他武器類を入念にチェックする。

 追崎は先んじて樹海に侵入し、予定した潜入ルートの安全を確認している――とバリケードに空いた穴の向こう側から、毛でもじゃもじゃのサムズアップが飛び出した。体格の良い追崎がどうにか体をねじ込んで通過できたその隙間を匍匐で難なく通り抜け、彼と合流する。

「手筈通り、ねくろさんがいる『広場』を目指します」

 私は頷き、二手に分かれようとする。

 昼時には珍しく、彼女は今樹海の開けた場所で屍者相手にコンサートを開いている。いわゆる『歌枠』だ。その『広場』は地形的にくぼんだ場所にあり、周囲の斜面には身を隠せる木々が生い茂っている。隠れて狙撃するのにうってつけだ。

 せめて、わたしが答えを得るまでは殺されてくれるな。そんな身勝手な願いを抱きつつ、走り出そうとした私の前に一匹のムカデが横切る。耳元でコウモリが羽ばたき、カラスの鳴き声があちこちで木霊する。樹海に生息する生き物達が一斉に動き出し、各々が発しうる音を全力で響かせる――それは我々の侵入に対するアラートだった。

「こっちの位置を掴むのが早すぎる!待ち伏せッス!情報が洩れてたんだ、クソッ!」

 追崎の周りには夥しい数の蝶が舞っていた。彼は両手の爪で蝶の群れを引き裂くが、裂いた数の倍はどこからともなく湧いてくる。

 樹海の奥底、深緑よりなお深い闇の向こう側から進軍するドクロの一団。まだ日中だというのに天蓋を気取る木々の隙間から紅い月が覗く。深紅の花弁が舞い散るその先で、ゴシックロリータ衣装に身を包んだ吸血鬼が気高さを湛え、侵入者を嘲笑う。

 これでは暗殺どころではない、私達はまんまと嵌められたのだ。

「自分が道を開くんで、ビンさんは先へ行ってください」

 まとわりつく蝶をひとしきり叩き終えた後、彼はそう言って牙を剥き出しにする。グルグルと狼らしい唸り声を上げ威嚇するが、骸骨達の先頭に立つ吸血鬼は歯牙にもかけない。

「勝てますか」
「まず無理ッスよ。でも時間稼ぎぐらいなら」

 彼は盛大に指の骨を鳴らすと、両手で空を切った。するとコウモリとも蝶とも異なる羽音が辺り一帯に拡散し、吸血鬼とドクロ群がその動きを止めた。見るとゴスロリ衣装が不自然に歪み、絞めつけられている。おそらくは極小のワイヤーを飛ばしたのだろうが、説明を待たず私は駆け出した。

「あなたの奏でる旋律は、自身の闇を照らせるかしら」

 その女声に振り向くが追崎達の姿は遥か後方に退き、ワイヤーを解いた吸血鬼と追崎が取っ組み合っている。体の大きさこそ追崎の方が勝っているが、どう見ても彼が圧されていた。当初の計画が狂った今、無事を祈ることしかできない――私は『広場』へと急いだ。

*****

 どのくらい走っただろうか。目に優しいグリーンな世界がどこまでも続いているせいで遠近感などあったものではない。事前の打ち合わせ通り、目印となる巨木の僅かな傷や土の掘り起こされた痕跡を発見できているあたり、順調に進んではいるのだろう。

 立ち並ぶ木々の遥か先に、僅かな光が見える――と同時に頬を銃弾が掠めた。

「Sit down please」

 とっさに木を背に屈むと、続けざま二発の銃撃が幹を揺らした。

「ヘイ!顔見せなよ、屍女グーラ

 携帯していた手鏡越しに声の主を探す。背なの木を挟んでちょうど反対側に、P230とグロック18の二丁を構えた灰髪の男が見えた。気配からして人間ではない、悪魔の類か。

「どうせお前はここで終わりだ、最期くらいイケメン拝んで逝きな」
「もう少し老けたらまた声かけて下さい。年上趣味なんで」

 私は躊躇うことなく飛び出し、男の肩に弾丸を打ち込んだ。S&W M500、生身の人間ならば木っ端微塵に吹き飛ばしてしまう最強のリボルバーはしかし、肩周りの皮膚を剥がすに留まった。それも消し飛んだ衣服ごと再生し、二丁拳銃から放たれた銃弾が私の体を貫通しガンケースに当たって止まる。無論両者とも死にはしない。

 限りなく不死に近い能力を持った者同士が衝突するといつもそうだ。互いに肉薄しながら撃ち合い、遂にはゼロ距離で全弾を叩き込む。弾が無くなれば取っ組み合い、拳で殴り足で蹴るの応酬だ。

 男の鳩尾に肘打ちを決める。しかし彼が仰け反ると同時に伸ばした手は私の頭をむんずと掴み、続けて膝蹴りを顔面に食らわせた。鼻は折れたが気にしない。その手を振り払おうとするが髪を掴んで離さないので、小指を掴んで思い切り捻り上げた。指が折れ曲がった激痛でようやく手を引っ込めるが、苦し紛れに突きだした前蹴りが私の顎を思い切り蹴り上げた。

「あああ、くそだらあぁ。痛ぇな」
「お互い様です」

 鼻と口に詰まった血を吐き出し、男をねめつける。人外同士、まだまだ闘う余力は残しているだろうが悠長にしてもいられない。襲撃を知られていたのであれば、ターゲットはそもそも樹海にいない可能性もある。もしそうなら無駄骨だ。

「いや、ねくろはここにいる」

 男は言い切ってみせた。わざわざ居所を明かすメリットなど無いだろうに、余裕綽々といった様子で衣服に染みついた血を見やり、顔をしかめる。

「会いたければ会いにいけばいい。あいつは誰が来ようと拒まないよ」
「でもあなたは邪魔をする」
「試してるって言ってほしいよね。自分が何をしたいかさえ分かってない奴を行かせるわけにはいかない――はれ?」

 よく喋るその口にM500の銃口を突っ込むと、彼は急に大人しくなった。こういう時、想像する内容は人間も悪魔も大差ないらしい。

「はらひれなんひゃ」
「M500の装弾数は五発、よく知ってましたね。でも最初に肩を撃った後、一発だけ装填した事には気付かなかった。いっそただのリボルバーだと勘違いしていれば警戒も出来たでしょう。それと」

 私は引き金を引く。火炎ガスの輝きに目を細め、しかしアドレナリンで研ぎ澄まされた視力は倒れ伏す悪魔の動きをスローモーションで追う。体内ならばあるいは、とも考えたが、やはり血液一滴出やしない。とはいえ衝撃は大きかったようで、男は白目を剥いて草原に伸びてしまった。しばらくは目を覚まさないだろう。

 意識の無い彼に向け、私は答える。

「私が本当は何をしたいのか、少しずつ分かってきました。追崎や金髪のあの人、それにあなた達のおかげで」

 ありがとう。深く頭を下げた後、私は駆け出した。

*****

 木漏れ日に向かって緩やかな下り坂が続く。追手が迫っていないか後方を確認しつつ、慎重に歩みを進める。ほぼ真っ黒な世界が続いたせいで、その先に広がっていた『広場』はとても眩しく感じられた。

 どこまでも密集する木々は円形の広場だけぐるりと避け、開けた平原に降り注ぐ陽の光は天国から続く階段のようだ。そこに集う骸骨達は外の騒動などお構いなしに、ただただ『彼女』の歌声に聞き入っている。

 簡素なステージにあって、マイクを手に歌を奏でる一人の少女。紫のドレス、ショートヘア。遠目からでも分かる、彼女こそがターゲットだ。

 私は背負っていたガンケースを降ろし、収納されていたスナイパーライフルを取り出す。マクミランTAC-50、バーチャルカナダ軍が使用するものと同じ光学照準器を備え、私はねくろに狙いを定める。現在地点から下方、ターゲットまで約七百メートル。銃の性能を思えばもう少し距離を取っても良いが、広場の標高が低い分、下がり過ぎると射線を外れてしまう。かと言ってこれ以上近づけば切り立った坂に足を取られて滑り落ち、私はまんまと死者の群の前に我が身を晒すことになるだろう。

 観測手無しの狙撃とはお笑い草だが、そこはママが目玉と脳とを弄り回してくれたおかげでカバーできる。照準器だって要らないくらいだ。それでも一応は追崎をスポッターとしてアテにしていたのだが、彼は一向に追いついてこない。

 ターゲットもターゲットで、待ち伏せしておきながら本人は悠長に歌っているという有り様だ。それとも吸血鬼や悪魔に護衛を任せていれば問題ないと踏んだのか、それとも何か別の狙いがあったのか。

 スコープ越しに彼女を見る。狙いは十分、頭部でも心臓でも撃ち抜ける。

 後は、引き金を絞るだけ。

『ビンザン』

 頭部に狙いを定めたその時、私は確かに声を聴いた。自分の身体の内、耳の内側から彼女の声が聞こえたのだ。

 我が最低最悪の主、ママの声が。

「な、にを」
『ここまでよく頑張ったわね、ママは鼻が高いわ。流石は最高傑作、しっかりと囮役を全うしてくれた』

 私は唖然として言葉を失う。どのみちこちらの声は聞こえていないようで、

『ここよ』

 視界の真ん中できらりと何かが光る。目を凝らすと、ターゲットを挟んで向かいの木陰に見るも悍ましい化け物が居座っていた。顔は確かにしわくちゃの老婆で、しかし体は普段ペットにしている屈強な男ゾンビの手足をふんだんに混ぜ込み、ママは手が四本、足が三本の怪物と化していた。その手には同じくスナイパーライフルが握られ、狙いをしかとねくろに合わせていた。

『あなたと追崎さんが派手にかき回してくれたおかげで、私は難なく樹海に潜入できた。自らの手であの憎きネクロマンサーの鼻っ柱をへし折ってやれるのよ。どんな顔をするか見ものだわ、私に逆らうからこうなるんだって思い知らせてやる』
「――――」
『ああ!若い芽を摘み取る瞬間っていつもそう。その子の将来、希望、そして夢を奪うのって最高よ。ビンザンも歳を重ねれば分かるわ、無知で馬鹿な若造が残酷な現実を前に挫けるのを見ると、たまらなく心地好い!』

 ママは迷いなくトリガーを引いた。撃ち出された銃弾は瞬く間にターゲットへと迫り、そのこめかみに血の華を咲かせようとする――がしかし、ほぼ同時に発射された弾丸と交わり、どちらもステージに着弾した。

 ぽっかり穴の空いたステージ、ママの動揺、骸骨達のどよめきを肌に感じていると、ねくろと目が合った。向こうから私が視認出来ていたのかは分からないが、狙撃を狙撃で防いだ私に向け、彼女が軽くウィンクしたように見えたのだ。

『ビンザン!あなたどういうつもり!?』

 私はひどく冷たい視線を返す。そして彼女の挙動より早くライフルを取り直し、その照準をねくろではなく、私が本当に殺すべき相手へ――即ちママへと向ける。

「その舐め腐った動機で私のことも殺したのか!ふざけてんじゃねぇぞクソババア!」

 一切の躊躇いなく放った弾丸はママの額を抉って脳味噌をぶちまけた。遊底を操作し、二発目、三発目を叩き込む。心臓、それにもう一度頭部を撃ち抜くと、スコープを通し化け物の死にざまを確認する。すっかり事切れた多手多足のゾンビ使いは、死してなおその顔面に貼りつけた気持ちの悪い笑みを崩すことはなかった。

 ――やった、やってしまった。ターゲットなどそっちのけで自分を操ってきた元凶を始末した。ほとんど成り行きとはいえ、事が済んだ今だからこそ言える。

 これが、私のやりたかったことなのだ。人の夢を理不尽に奪うのではなく、人の夢を奪う者から命を奪う。諸手を他者の血で染めてしまった私にはもう、夢を追いかける権利などない。だからせめて、ひたむきに頑張る人に不条理があってはいけない。そう強く思うのだ。

 広場では骸骨達が己の主を護ろうとステージに乗り上げている。これでは狙撃も何もない、任務失敗だ。

 ビンさん、と背後から呼ぶ声がする。振り向くと、満身創痍といった有り様の追崎が足を引きずって近づいていた。左手は真っ二つに裂け、眼球を失った右目の空洞から白い液状の何かが漏れ出している。

 彼の顔は絶望に歪んでいる。状況は既に察したと見えるが、それでも確認を取らずにはいられないらしい。震える声は怯えだけでなく、獣が襲い掛かる時のそれも含んでいた。

「任務は、どうしたんスか」
「失敗です、依頼主のママは死亡しました。報酬も支払われないでしょう、これ以上の争いは無意味です」
「殺し屋は『殺せません』が通用しない世界だって、あっけなく食い扶持を失う仕事だって言ったッスよね」

 その言葉が絶対に追崎を怒らせると分かっていながら、それでも半ばやけくそ気味だった私はとびきりの笑顔と共に言ってやった。

「しょうがないですよ、そういうものですから」

 狼人間の咆哮は間もなく、ライフルの一発でかき消された。襲い掛かってくることは目に見えていたから、私はその牙で引き裂かれるより早く彼の頭部を吹き飛ばすことが出来た。首から上を失って倒れ伏す追崎の遺体を一瞥し、私はもう一度笑う。

「あなたとの任務は楽しかったですよ、程々にね」

*****

 そこから先のことは、あまり覚えていない。所詮は操られるしか能の無いゾンビが主君を失い、無理くり繋ぎ留めていた体も元の屍に還ろうとしていた。足の肉から腐り始め、頽れた体は傾斜を転がっていく。途中で手を、耳を、臓物の一部を落とし、気づけば広場の中心に寝転がって空を見上げていた。

 最後に青空が拝めて良かったなと、感傷的なことを思う。樹海の薄暗さには正直参っていたのだ、ここは良い場所だ。草花がぼろぼろの体を包み込んでくれる、陽光でほんのりと暖かい。

 ほとんど見えなくなった視界にぼんやりと、見慣れた顔が飛び込んできた。こうして近くで見ると本当に可愛い。整った顔は近くで見るに限ると言った追崎の気持ちが今になって分かった。

「こんねくろ」

 私は覚えたての挨拶を口にした。結局、アーカイブでしか彼女の配信を見てはいないから、一度使ってみたいと思っていたのだ――と、そこで気づく。なぁんだ、私は彼女のことをちっとも憎らしく思ってなんかいないじゃあないか。嫉妬心に憑かれはしたが、それもすっかり取り除かれてしまった。今はもう純粋に、心から応援したいと思える。

「こんねくろ、ねくろだよ」
「――初見、になるんですか。こういう場合」

 ふふ、と彼女は笑う。私もつられて微笑む。

 そろそろ喋るのもしんどくなってきた。視界は真っ暗だ。全身の感覚が無い。いよいよ待ち望んだ死が迎えにきてくれた、ずいぶん待たせてくれたものだ。

「あの」

 何、と彼女の声。看取ってくれるのもそれはそれでありがたいのだが、最期に一つだけ、いわゆるリクエストというやつをしてみたいのだ。歌枠のアーカイブで聞いた、あの歌を。

「うん、いいよ。任して」

 本当はもう、聴覚もほとんどダメになっていた。それでも、人間に秘められた第六感的な何かが働くことを期待して、私は。

*****

 うたはきこえない。でも、あなたたちにはきこえてるんでしょう。

 わたしも、『たくす』ことにしました。あのひとのように。

 だからどうか、これからも、ゆめをつないで。

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 頭が無い、というのはどうもスース―していけない。物は試しとかろうじて形の残った上顎を首の断面に被せてみるが、ずるりと滑り落ちたので潔く諦めることにした。

 首無し狼人間の接近に『彼女』は、ねくろさんは何も言わない。今回のゾンビ使い襲撃を治めるためとはいえ、彼女にはつらい役を押しつけてしまった。そもそもの立案者であるあの元ジャックランタンが悪いのだ、と愚痴ると、

「ねくろも師匠の助けになりたかったし、それに――この子の事も」

 ほとんど原形を保っていない肉片に、わたしは一時とはいえ相棒を務めた少女の姿を見出そうとする。それでもやはり、屍は一度制御を失えば、残酷なまでに死体と成り果てる。

「優しいッスね」
「そうでもないよ。それとその口調、いつまで続けるの?」

 いたずらっぽい笑みにわたしは無い顔が熱くなるのを感じ、喉の調子を戻そうと咳ばらいをする。

「ごほん、げふん。うん、戻った戻った。まごうことなきオスコールさんの声ですね」

 内面的なキャラ作りに加えること、骨の身体とは異なる諜報・偽装工作対応の狼人間型からくり人形『追崎 ろくめ』改め『終式ついしきジャノメ』。ねくろさんの師匠にイチャモンつけて襲ってくるゾンビ使いを隠れ家から引きずり出し、決着をつけるために用意した器だ。

 ここまでの流れは全て計画されたことであった。後はビンさんをスケルトンとして生き返らせればめでたしめでたしのハッピーエンドだ。

 ところがねくろさんは彼女の遺体を見下ろしたまま、死霊の術を行使しようとしない。

「『もういい』だって」

 彼女の言葉に、わたしはビンザンという少女とのやり取りを思い出す。自分の将来を奪われ、長い事こき使われて、そんなビンさんに対しわたし達は繰り返し問うてきた。失ったものを取り返す道もあるぞ、まだやり直せるぞ、と。ママと呼ばれる黒幕をおびき寄せる役割を担ってもらう報酬として、ネクロマンシーの技法で蘇生し本来の生を謳歌してもらう予定であった。ドクロ姿は嫌だと言われた時のために、わたしもからくり人形を別に一体用意していたのだ。

 それでも、ビンさんは最期の最期で生を拒んだという。彼女のためにねくろさんが歌を捧げた後、満足したかのように。

「あーあ、フラれちゃった」

 ねくろさんはどこへとなく歩き出す。その足取りは決して重くはない。

 彼女は意味のない蘇生はしない。無理強いもしない。

 生と死の境目にそっと腰かけ、今日も歌う。

 託された夢を、歌い続ける。

《了》

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備考:我が親愛なる推し、ねくろさんに捧げます。誕生日と活動2周年、本当におめでとうございます!

(作:オスコール_2021011)

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