『ショコラ・テ・イングレスの隠し味』

「人が恋に落ちるのは重力のせいではない」

   ―― アルベルト・アインシュタイン

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「これからバレンタインチョコを作ります!」

 オス子は館のキッチンを占拠すると、腕一杯に抱えた材料と器具とを天板へ放った後、そう宣言した。一方わたしはと言えばくたびれたパイプ椅子に腰かけ、「ふぁーいと」と雑な声援を送る。そして手に持った小説を開き、栞を挟んでいたところから読み進める。

 直立したまま動こうとしないオス子。痛いくらいに彼女の視線を感じるが、気にせず読書に耽る――それにしても『呪〇廻戦』の小説版が発行されているなんて知らなかった。「ねぇ、オスコールっ」この手のノベライズは当たり外れが大きいから手に取ってレジまで持っていくのにだいぶ悩んだが「オスコールってば!聞いて聞いて!」どうやら杞憂だったとみえる。読み応え十分だ。

「いい加減にしないとその本の帯に切れ目入れるよ」
「何その画期的な脅し方」
「手伝ってよ~。余った分あげるから」
「え、余った分しか貰えないの?」

 しぶしぶパイプ椅子から立ち上がり、骨の手を洗いながら材料を確認する。板チョコに生クリーム、それとココアパウダー。手作りチョコの定番、トリュフを作りたいのだとオス子は言う。それならわたしも作った経験がある、手伝えなくもないか。

「まずチョコレートをボウルに入れ、溶かします」

 はい!と元気に返事をしたオス子は颯爽と板チョコの包装を引き裂き、取り出したそれを割ることも刻むこともせずどかどかとボウルに放り込んだ。案の定そのまま湯せんにかけ、ゴムベラで豪快にかき回す。

 ――見た感じちゃんと溶けてるし、良いか。わたしはわたしで鍋を手に取り、生クリームを入れ温めていく。まだ半分も溶け切っていない板チョコを視界の端に捉えつつ、沸騰しないよう弱火で加熱する。

「チョコ溶けた?」
「ううん、まだ残ってる――ひや、もう大丈ふ」

 見ると、チョコは滑らかに溶け切っていた。だが気のせいか、溶ける前と後で量が変わっているように思える。いや、間違いなく減っていた。それにオス子の頬が一瞬ハムスターよろしく膨らんで見えた――彼女の唇に何か付いている。が、それを隠ぺいするかの如くぺろりと舐めとるオス子。

「次にその生クリームを入れてかき混ぜるんだよねっ、知ってる知ってる」

 じっとオス子の顔を凝視しつつ、しかし人肌に温まった生クリームをチョコの入ったボウルへとゆっくり流し込んでいく。対してオス子はハハハと乾いた笑い声を上げながらチョコと生クリームとをかき混ぜていく。なかなかどうしてカオスな光景だ。

 わたしは生クリームを最後の一滴まで入れ終えると、使った鍋や板チョコの包装を片付けていく。調理と同時進行で後片付けもこなす、それが上手な料理の仕方というものだ。

 段々ととろみがついていくチョコを、まるで宝箱でも掘り当てたみたいに爛々と輝く瞳で見つめるオス子。さしずめゴムベラはスコップで、チョコは宝石が埋まっている岩石か。

「もうこれ完成で良いんじゃないかなっ」
「丸めるのが手間ならそれタッパーに流し込んで、冷やした後に切り分けてココアパウダーまぶして完成でも良いかもな」
「ううん、このまま口に流し込みたい」
「豪快過ぎるわ」

 オス子がボウルを手に色んな人の口へとチョコを流し込んでいく様子を想像し、たまらず吹き出してしまう。そんな漫才ごっこを繰り広げている内にチョコレートと生クリームが程好く溶け合ったようで、わたしはボウルにラップをかけるようオス子に言う。彼女は次の指示を待つことなく、ラップをかけたボウルを冷蔵庫に放り込んだ。

 チョコレートが丸められるくらいの固さになるまで三十分ほどかかる。その間わたしは読書に没頭し、オス子はわたしのスマホでVtuberの配信を見ていた。企業に所属する有名なご同業の、独特な笑い声がスピーカーから流れてくる。

「オス子も配信してみたいか?」

 話が一区切りついたところで本を閉じ、わたしは問い掛ける。オス子はにへらと力なく微笑み、

「あたしはいいのっ。まだ自立できるような状況でもないし、オスコールの活動の準レギュラー要員くらいが居心地良いんだ」
「そうか」
「うん――でもね、でもねっ!いつか配信出来たら良いなとは思う。絶対楽しいだろうし、その」

 言いよどむ彼女に、わたしは答える。

「出来るさ、人生何が起こるか分からないからな」

 頭蓋骨の左目に宿るマゼンタ色の球体、つまりはわたしの本体が発する光を限りなく抑え、そして本来の明るさに戻す。ウィンクのつもりでやってみたのだが、ちゃんと伝わっただろうか。

 オス子はきょとんとした表情を浮かべた後、朗らかな笑顔を見せた。

「何それ、馬鹿みたいっ」

 馬鹿みたいとは何だ、とは言いながら、わたしもつられて笑っていた。

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 これ丸かなぁ、と恐る恐るオス子が差し出したそれは、非常にレモンを思わせる形状をしていた。横に尖っているというか、カ〇ーパンマンの顔みたいというか。

 冷蔵庫からひんやり固まったチョコレートを取り出し、一口大に丸める工程に入ろうかという時、突然の来客があったのだ。わたしが応対しているその一時の間にオス子はてきぱきとチョコレートをスプーンですくい、形を整え、ココアパウダーをまぶし終えていた。その作業自体は間違っていない。問題はどういうわけだか全てレモンめいた形をしていることだ。

 丸めるのが壊滅的にヘタ。その一言に尽きる。しかしボウルにはかろうじてあと一口分残っている。せめてこれだけでも綺麗な形にしようとわたしはチョコを取り出し、骨の手で丸めていく。

 そうして出来上がったのは、やはり横に平たい何かだった。

「――――」
「――――」

 わたし達は無言のまま、最後のチョコレートにもココアパウダーを満遍なく振りかけ、用意していた袋にチョコを梱包していった。そうして出来上がったバレンタインチョコレートの袋の山を見下ろし、次いで顔を見合わせる。

「かむかむチョコと名付けますっ!」
「驚きのポジティブシンキング」
「どうしようっ!これヤバいよっ!チョコ味のか〇かむレモンだ!先走らずにオスコールが戻ってくるの待ってれば良かった!」
「どうしようもなかったんだ、わたしが捏ねてもどうせかむ〇むレモンだった。かむかむ〇モンの呪いからは逃れられない宿命だったんだよ」

 おのれ、かむかむ――そう叫び、くずおれるオス子。わたしも項垂れるがしかし、

「問題は形じゃない、味だ。美味ければよかろうなのだ」
「じゃあオスコール、一袋開けて食べてよっ」

 いいのか、と訊ねるわたしに、オス子は頷きで答える。

「初めから一つあげるつもりだったからさ」

 きゅん、と無い胸が絞めつけられる。娘からバレンタインチョコを貰うお父さんの気持ちが今、なんとなくだが分かった気がした。

 ありがとう、いただくよ。黄色のリボンを解き、紅い包装に仕舞ったチョコレートを指で摘み、口にふくむ。チョコ本来の甘味に割合多めの生クリームが口当たりよく、溶けていないのにとても軟らかい。それに今しがた感じた父性が相乗効果を発揮し、かつてない感動的なチョコレートへと昇華していく。

 我慢できずもう一つ食べる。オス子は黙々と咀嚼するわたしを見つめ、不安げに感想を待つ。二つ目のチョコを丹念に味わった後、わたしははっきりと言った。

「美味い、最高のバレンタインチョコだよ」

 ぱぁ、と彼女の顔に笑みが弾ける。一つ放ってやると器用に口でキャッチし、口内に広がったであろう甘さに頬を緩ませる。

 美味しいのでオールオッケー。そんな共通認識の下、わたし達はハイタッチをしてみせる――それにしてもこの袋の量、一体誰にあげるつもりなのだろうか。オス子の交友関係を全て把握しているわけではないが、こんなに友人知人がいただろうか。

「オス子。それだけのチョコレート、一体誰にあげるんだ?」
「何言ってるの、ずっと目の前にいるじゃんっ」

 目の前。わたしか、わたしに全部くれるということか。

「ダ~メ、オスコールの分はもうあげたでしょ」
「だったら誰に」

 オス子はこちらを――いや、【そちら】を見てにこりと嗤ってみせる。

「もちろん、君にっ」

バレンタインオス子

《了》

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備考:マフラーつけてない制服姿のオス子、とても貴重。

(作:オスコール_20210214)

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