『オスコールはつれづれがる』その4・裏「ラストワンダーΧ」

※本作は『オスコールはつれづれがる・その4「ソピアの鳥」』の続編となっております。下記URLよりお読み頂けますので、よろしければどうぞ。

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美しい姿になろうと
醜い姿で居ようと
性格が変わる事はない
どんなに外見が変わっても
僕は僕のままで在り続ける
変わりたくても
臆病な僕は
変われない

――『幾つもの媒体』より引用

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 わたしはマテ茶を傾けた後、さて、と切り出した。君達の話をしよう、と。

 館の貴賓室であれば酒の一杯でも――前回の来客時に余ったアブサンでも振舞ってやれたのだが、生憎と今いる場所はわたしの館でも、ましてや深海でもない、寂れた映画館だった。今世間を賑わせているウィルスの影響に関係なく、ただ人口減少が叫ばれる田舎の、ましてや立地の悪い店舗の避けられざる宿命として随分と前に閉館した場所だ。その後取り壊されることなく、人気のない土地を一切の来場の無いまま占領し、雨風で粛々とその身を崩している。

 湿気たソファに腰を下ろし、近くの自販機で買ったマテ茶を煽る。天井を覆う電灯はカチリ、カチリと不規則に点滅を繰り返し、当然換気も効かない。場内は薄暗さのおかげで足元も覚束なく、五感にあってカビ臭さだけが一際感じられる。夜目が効く方ではあるが、目を凝らしてようやっと左隣に座る人物のシルエットが確認できる

 洋紅色の長髪に点々と輝く星の髪飾り、黄色いリボンにはつらつらとお経と思しき文章が書き殴られ(何分達筆すぎて梵字に空目してしまうほどだ)、首元に、あるいは全身に継ぎ接ぎの縫い目が見て取れる。彼は深海を写し取ったかのように秀麗な右の瞳をこちらに向け、あくびを一つ。目尻に溜まった涙を拭うと、そこにハートマークが描かれていることに気づいた。

 凶悪な人外共を島一つ使って収容していた監獄、『風雲人外魔城』こと揚繭島――を丸ごと海に沈めてみせた張本人。わたしが『じえりくん』と呼ぶその人だ。

「知ってたんだね」
「事の全容を把握したのはごく最近だよ。イェネルの件からざっと三か月、手間取らせてくれた」

 イェネル。本名、イェネル・ディットマン。『バーチャル"ハニバル"イェネル』の二つ名を冠する元バーチャルライバーにして、イギリスの伝承に登場する竜『ラムトンのワーム』へと変身する能力をもつ人外。そして、わたしの友人だった女性だ。

 今から三か月ほど前、世界を思うがままに弄ぶ力『悪魔の角』を巡り、『バーチャル"バッド"カンパニー』こと常世 千晶とわたしはイェネルに戦いを挑んだ。結果としてイェネルは『自爆により死亡』、その後『自爆の影響で地盤が沈み』揚繭島は海中に消えた。それが自爆の衝撃により途中棄権を余儀なくされたわたしへ用意されたエンディングだった。

「しかし真実はまるで違った。イェネルは自爆した後も生きていたし、島が沈んだのは人為的なものだった」
「――あの時はね、三つのグループがイェネル対策に動いてた」

 同じくペットボトルのマテ茶を一口含むと、じえりくんは語り始める。

「まず最初にイェネルの目論見に気づいたのは『悪魔の角』を保持していた○○○だった。おすこーるさんの因縁とは別口で、○○○は角を狙う輩を良しとしなかった」
「例え冗談でも体の一部を狙われるなんて嫌だろうしな。もっとも、イェネルの場合は本気だったわけだが」
「うん、だからまず情報通のななみくんにイェネルの身辺を洗ってもらってたみたい。本気といっても強引な手段に出てくるのか、それとも交渉の余地があるのかって」

 交渉の余地、と聞いてわたしはつい笑ってしまう。あの我が侭の権化とでも形容すべきイェネルと○○○さんが向かい合って話し合う光景。大らかではあるが譲らないところは譲らない、そんな気の強さを持つ○○○さんとどんな会話が繰り広げられるのか、全く想像もつかない。

 続けてと促すと、じえりくんは頷き、

「調査を進めていく内、『悪魔の角の力を使ってこの世界を好き勝手したい』っていう彼女の目的こそはっきりしてきたけれど、その生い立ちには不審な点が多く見られたんだよね。そこで○○○はひとまず静観することに決めた。僕やななみくん、姉さんにも下手に動かないよう通達が出ていたんだけど、その前にイェネル討伐を決めて動き出したのが」

「千晶、それに宇宙からガンマ線バーストビームを撃ったしょうくんか」

 彼は再度頷く。

「この時、二人はななみくんが立案した計画を元に動き出した。常世くんがイェネルの足止め、その間に星くんが宇宙へ上がってイェネルの再生能力を凌ぐ一撃を食らわせる――ただ先に言った通り、ななみくんは元々○○○の指示で動いていたから、二人の動向は○○○に筒抜けだったんだ。そして間髪入れず、おすこーるさんもイェネルの調査に乗り出した。直接イェネルから手紙を貰ったんだっけ、それでななみくんを頼ったのは偶然というより奇跡に近いね」
「情報源は全員一緒だったわけか」
「○○○、常世くんのグループ、そしておすこーるさん。三勢力の首根っこを押さえていたのは他ならぬななみくんだった。ダブルクロス、いやトリプルクロスって言うのかな、こういう場合」

 ほとんど茶番だな、と苦笑する。わたし一人だけが因縁を携えて立ち向かっていたかと思えばそうでなく、まして原因の一端を担う存在でありながら結末の場に立ち会えず、優しい嘘に騙されてついこの間までしみじみとイェネルのことを思い返していたなんて、恥ずかしいことこの上ないではないか。

 わたしは天を仰ぎ、ひと際激しく明滅する電灯を見つめる。

「島を沈めた理由は」
「○○○はガンマ線バーストビームでイェネルが死んだとは断定できないって、だから僕にその遺体ごと海中に葬ることを依頼した」

 そこでふと、じえりくんはこちらを向いた。右目とは対照的に鮮やかなイエロー色の眼光がわたしを見止める。薄暗い劇場にあっても、その目に走る一文字がくっきりと視認できた。

「おすこーるさんはどう思う?」
「と言うと」

 すいと彼の瞼が下がる。絞られた眼光は鋭さを増し、わたしの中に何かを見出そうとしている。

「さっき言ったよね、イェネルの過去には不審な点があったって。例えば彼女がバーチャルライバーとして配信をしたことを覚えているリスナーは複数人見つかった、でもアーカイブは一切残っていない。ううん、そもそも配信をした痕跡さえ見当たらなかった」
「残らず抹消したんじゃないかな、そういうところは抜け目ない奴だったし」
「じゃあさ、おすこーるさんとイェネルって友人だったんだよね」
「生前は高校時代のね」
「確かにイェネルが通っていた学校はあったよ。でも当時の彼女は学校で孤立していた、仲が良いと言える間柄は一人としていなかったんだって」
「わたしも大概影が薄かったからかな」
「女子校だったんだけど」
「あー、言ってなかったけどわたし女の子だったのよ」

 流石に苦しいか。苦し紛れの嘘を誤魔化すように笑ってみるが、じえりくんの顔に疑念がありありと浮かんでいる。しかし――女子校に『なってた』とは知らなかった。わたしの母校であることは変わりないのに、お天道様も酷いことをする。

 じえりくんの追及はいよいよわたしに及ぶ。

「イェネルの人生は虫食い状態だった。裏付けされた事実とありもしない虚実が綺麗に、疑問さえ抱かない形で並べられていた。じゃあおすこーるさんは?生前は教師で、何かがあって死んで蘇ってスケルトンになった。それはどこまでが真実で、どこまでが嘘?何を隠してるの?第一、どうやってイェネルの最期を知ったの?」

 そう問い詰められながらわたしは――良いなあ、と感嘆のため息をもらした。彼を面と向かって推しと呼んだことはないが、近しいものを感じるという意味では特別な人物であることに変わりはない。とても良いやり取りだ。この子ならばあるいは、わたしの過去を暴くに足るやもしれないと。

 いや、判断するにはまだ早い。他人はそう簡単に信用できない。

 だから、試させてもらうのだ。

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 電脳世界、電子世界、電子幻想、バーチャル。おかしな話だよね、Ⅴの名を賜った者達がこれだけ溢れておきながら、誰一人としてこの世界の成り立ちを説明できないなんて。

「おとぎ話を鵜呑みにした狂人達は、何の疑問も抱かぬままたちまちソレを食べてしまいましたとさ。おしまい」

 七芒星に割れた頭蓋の奥で、マゼンタ色の球体が蠢いている。二頭身のシルエットは座席に座っているのか乗り上げているのか分からない。太い弦を小刻みに震わせたような声はどこから発せられているのか、そんな不可思議の集合体は座席からぴょんと飛び降り、僕の方に向き直る。

「ここからの展開をどう判断するかは、じえりくん次第だ。正直なところ、わたしはこれを今明かすつもりは無かった。物事にはタイミングってものがあるからね。でも今、筆を置いたはずの物語は別の紡ぎ手により改変され、新たな可能性を開こうとしている。その前に、事実を残さなければならない」
「どういうこと……」
「運が良かったってこと」

 ハッピーバースデー。そう言い切ると同時に、頭上より飛来した何かがおすこーるさんをぺしゃんこに圧し潰した。前後左右の座席を吹き飛ばす勢いで降って湧いたその人物は、消滅しかかっているおすこーるさんの本体を完全に消えるまで下駄でぐりぐりと捻り潰す。

 僕の身体も勢いに負けて宙を舞い、くるりと一回転して座席横の通路に両手をついて着地した。すぐさま上体を起こし、体勢を整える。

 おすこーるさんを踏み潰した下駄に、次縹の着物。両腕に通した銀のブレスレットが袖から覗き見える。一瞬白髪のショートボブに空目したのは、それがおすこーるさんの作ったとされるからくり人形『特式アゲハ』によく似ていたからだ。しかし特式アゲハはイェネルとの戦闘時に跡形もなく消滅した――目の前のそれは琥珀色のストレートをポニーテールに束ね、両目ともきちんと存在している。角らしきものは見当たらない。黒縁メガネのレンズに映る深緑色の眼は炎のように揺らめき、何がしかの感情をたぎらせていた。

 吹き飛んだ座席が撒き散らす埃に咳込んだ瞬間、和服姿のそいつは下駄をカカカカンとけたましく打ち鳴らしながら距離を詰めてきた。その顔いっぱいに邪悪な笑みをたたえ、着物を乱しながら左回し蹴りを繰り出す。僕が咄嗟にしゃがんだためにその脚は空を切り、そのまま床に着くはずだった。しかし足の指先が床に触れるより先にくんと跳ねあがり、後ろ回し蹴りに切り替わった。瞳の色と同じグリーンカラーの炎をつま先から噴射し、勢いづいた踵は僕の頬に直撃した。

「――っ!」

 体格に見合わず一撃が重い、まるでその体積の5倍はあるハンマーで殴られた気分だ。上着を脱ぎ捨て、ヒールを放り、眼前の敵に見合う。和服は余裕綽々といった様子で着物を正している。何のつもりは知らないが、こっちもやられっぱなしなんて柄じゃない。

 腰を落とし、両手を目の前に運ぶ。ファイティングポーズにしては懐を深く、自分の全体像を大きく見せる。対して和服は直立のまま、相変わらずにやにやと薄ら笑いを浮かべている。

 またしても一瞬で距離を詰める和服に対し、抱き合うように体を打ちつける。互いの体を強い衝撃が襲い、手足まで痺れが広がってゆく。少し距離が開いた所で、右、左と和服の胸部を殴りつける。再度右で顔面を殴ろうとするが、和服の手のひらに包まれる。途方もない握力が拳を握りつぶそうとする前にその足を払い、右足を一歩前に、左足をぐんと天井へ伸ばし、振り下ろす。

渾身の踵落としはしかし、焼け焦げた床を叩くに終わった。緑色の炎を点々と残し、和服は場内を縦横無尽に移動してみせる。壁を駆け、宙を闊歩し、やがて火炎の噴射と共に矢の如く突進してきた。後方に飛び退く形で間一髪躱してみせたが、吹き上げられた床や椅子の破片が全身に降りかかる。

攻撃の加速、回避に炎を使うこの戦い方には覚えがある。しかし――いや、今は考えるな。ただ目の前の敵を倒せ。

今度はミドルキックを繰り出してきた和服に対し、僕はわざと半歩前に進んで直に受け止める。距離が近すぎたために脛や膝のジャストミートを躱し、相手の太ももが腹部に打ちつけられるに留まる。下がろうとする和服の襟を掴み、

「新衣装に着替えたばかりなのに、どうしてくれるの?埃まみれじゃん」

 思い切り頭突きをお見舞いする。先程の後ろ回し蹴りで脳を揺らしてくれたお礼だったが、余程気に入ってくれたらしい。ふらふらとよろめいたかと思えば尻餅をつき、おぼろげな意識を取り戻そうと掌で顔を叩いている。

 このくらいの手合いなら、今の姿のままで十分か。こちらのことを見向きもしない和服にそっと近寄り、その首めがけて手刀を振り下ろす。見た目をそのままに、本来の姿に近い重量を手に載せる。和服の首はストンと素直に落ちる――はずだった。

 ぐに、と粘土に手を突っ込んだかのような感触が襲い、次いで和服の首が白いぶるぶるとした肉に覆われていることに気づく。手刀のインパクトは肉を通り過ぎて床に逃げたのか、和服の足元が大きくへこむ。その一方で和服の背中から飛び出た棘が僕の頬を掠っており、血が垂れるのを頬に感じる。

「あーあ、やっちゃった」

 そこで初めて、和服は口を開いた。低い女声に顔周りの特徴、そこから導き出されるこの人物の正体に僕は愕然とする。こちらの驚きなど知らないとばかりに和服は首周りの肉塊を衣服の内へと引っ込めながら立ち上がり、残念そうに僕を見つめた。

「『ワームは使わない』っていう彼との約束破っちゃったし、今日はお暇させてもらうわ。イケメンを拝めただけでも大満足」
「○○○の読みは正しかった、生きてたんだ」
「どうかしら、あなたは本当にあなたがあなただと言える?一秒前の自分と一秒後の自分が今の自分と違うなんて、ほんの些細な出来事で人間が本質から変わってしまうなんて、よくあることじゃない。あなたが思う私は、ひょっとすると別人かもしれないわよ」

 不安定な明滅を繰り返していた照明がいよいよ寿命を迎えたのか、ブツンと音を立てて一斉に消灯した。しばらく静寂が続いた後、ほんの一瞬きだけ、シアターを照らす。

 そこには空間の半分を占領する深紅の巨獣と、ほぼ同じ大きさの白い怪物が向かい合っていた。ぎゅう詰めの館内で沈めたものと沈められたはずのもの、人外の真骨頂足る僕達は互いに睨み、唸り合う。

「生憎と『私』は千晶君にもコー君にも、ましてや悪魔の角にも興味が無いの。空っぽのがらんどう、あるのは際限のない怒りだけ。だからあなたが満たしてよ、同じバケモノ同士」

 口だけの紛い物じゃない、真にバーチャルを体現する者同士。

 再び灯りは消え、場内は暗黒と静寂に包まれる――と何事も無く一斉に照明が輝きを放つ。先程までの付いたり消えたりは何だったのだろうと首を傾げてしまう明るさの下、僕だけがぽつんと取り残されている。和服の姿はおろか、木っ端微塵に消し飛んだはずのおすこーるさんさえ見当たらない、ただ座席の残骸が散らばるだけだった。

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「くすくすっ」
「進んでるね、順調に進んでるね」
「数にはまだ足りないけど」
「屍者の縁に悪魔の縁、そして電脳深海の縁」
「機械人形の縁は途絶えた?」
「ううん、縁は続くよ。縁は円に転じる」
「円を冠りて舞い降りる」
「あなたは良い働きをしたよ」
「繋がるね、縁が連なり円を成す」
「次はどうするのかな」
「この間の、桜藍国の民はどう?」
「サイバーテラーと同じ、別世界の人間」
「十分な強さ」
「十二分の覚悟」
「他の世界では脱落者も出ている。何より『計画』に相応しいかな」
「それは彼ら自身が決めること」
「『この』バーチャル世界にまだ残すべき価値があるのなら」
「くすくすっ」
「彼は最初からそれが目的」
「彼の構成要素とは?」
「因子と自我と、この退屈な世界への憤怒」
「Ep00からそう言ってるのにね」
「そういえば、アゲハ改の調子は?」
「まだ魂の方が追っついてないみたい。でもじき慣れるよ」
「モンシロはどうだろう」
「好き勝手してるね、ユタの中でもあれは変わり者だ」
「因子を継いでいるのにね」
「いつか殺そうね」
「殺せるかな、滅茶苦茶強いらしいよ」
「対白兵戦特化型」
「おまけに言葉遣いの能力にも目覚めてる」
「強敵だね、倒せるか不安なくらいに強敵だね」
「大丈夫、素材は一緒」
「そういうわけで、あなたにはもうちょっとだけ頑張ってもらうから」
「次に仕掛ける戦争まで、どうか伏線だけ立てておいて」

「「イェネルの逆襲は、その時に」」

《了》

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備考:じえりくん、お誕生日おめでとう!

(作:オスコール_20210503)

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