『プラトライム ~バフォメットの眠る街~ 』

出会い二年、距離は変わらず。上にも、横にも。
月を見上げるように天に、日を捲るくらい傍に。
気が浮き立つのは燦燦と、照る我が心の雲隠れ。
口数はより少なく、踏み込まず往く背を見送る。
思い病める時もあり、つながり已める時もあり。
重ねた石は重く、不抜な気味は一人孤独を独る。

その哀しみを、わたしは知らず笑うのでしょう。
その苦しみを、わたしは知らず生きるでしょう。
その喜びは、あなたから貰ったものというのに。
その愛みは、あなたが教えてくれたというのに。
百千の言葉を尽くせども、万の言葉を並べども。
全の想いは伝えられず、全の思いを汲み取れず。
すれ違い分からず終い。でも不思議に心地好い。

出会い二年、月は変わらず。どこにも、誰にも。
今は照れ隠しを已め、往く背について独り口る。
哀しみも、苦しみも、喜びも、愛みも、一つに。
百千万の言葉を並べ尽くし、思いと想いを綴る。

せめてもの、せめてもの。受けては返す右の恩。

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《SIDE:???》

 バーチャル世界にあっても滅多にお目にかかることのない大寒波は、道も草も建物も氷の世界に閉じ込めてしまう。たちどころに水分という水分を固め、湧き水だろうが河だろうが、なだれ落つ滝であろうが容赦なく氷漬けにするのだ。

 息を吐くのはまだ良い。しかしひとたび空気を吸えば舌が痺れ、喉が凍え、肺にまで冷たさが沁みてくる。生身の身体ではあるいは、動くことすらままならない。

 万物を静止させる超低温の空間に、それでもけたたましい駆動音を響かせ立ち上がろうとする一体のマシン。それはロボットと呼ぶには人型を外れ、機械と言うには大きすぎた。ティラノサウルスを彷彿とさせる殺戮兵器は全長十五メートルに及ぶ巨体を雪上に寝かせ、パーツをあられもなく辺り一面に散乱させていた。

 ぎゅおおおおおおん、と悲鳴にも似た機械音を上げるマシンに、一人の女性が乗り上げる。紫を基調としたワンピースとポンチョは寒さを凌ぐには頼りないが、『彼女』はそんなことなど気にも留めず、首元を包むファーにも負けない柔らかな尾でひゅん、と空を切る。目は紅々と燃え、氷を纏った角に昇る朝日が乱反射し、光り輝く。

 夜明けを迎えた白の世界に君臨する『彼女』はその尖ったヒールでマシンにトドメを刺すと、顔を上げ、太陽を眩しそうに見つめた。

「――あれが、バーチャルバフォメット」

 バーチャル世界でも珍しい『バフォメット』の悪魔。低級を超え、七十二柱にも匹敵しうる由緒正しき信仰対象。人の浅ましき業から顔を出し、しかして人を導く山羊の王。

 これは『彼女』の、オーリの三日間に亘る奇天烈な冒険の記録である。

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《SIDE:オーリ》

 バーチャルドイツとバーチャルチェコとを隔てるエルツ山地は銀、錫、鉛、鉄、コバルト等々鉱石を産出し、およそ八百年もの間欧州諸国における鉱業を先導し続けた。鉱山が閉鎖された後、街に根づいた鉱夫とその家族は木工芸品の製作に転じ、特にクリスマスマーケットでは味わいのあるクリスマス人形が観光客を暖かく迎え入れる。

 ボクが辿り着いたアンナベルク・ブッフホルツも例に漏れず、降り積もる雪を帽子に蓄えた巨大なサンタ、この地を支え続けた鉱夫やパン屋さんを模った木彫人形で溢れていた。街全体が大きな玩具箱、聖歌隊の人形と生身の聖歌隊が並んで歌う様などは、まさしくボクらもこの玩具箱に収められた人形の一つであるような錯覚を受ける。

 観光客のお目当てである大パレードは明後日、今でも十分すぎる程に街は賑わいを見せているが、当日は更なる混雑が予想される。せめて一目見て帰りたいな、と独り言ち、屋台で買ったシュネーバルを口いっぱいに頬張った。

 ――助けてH i l f e

 数日前のこと。その言葉と共にエルツ山地近辺のとある街を示した地図、それに飛行機のチケット諸々が同封された手紙がボクの下に届いた時、ボクは真っ先にオスコールさんを締め上げた。ひどく見覚えのある展開だったからだ。

「わたしじゃない」

 と杖の突き刺さった頭蓋骨をこちらに向け、彼はそう言い切った。ちなみに刺したのはボクだ。

「本当に?」
「疑うね。悪いがドイツに友人知人はいない。それに『いつか』のように悪魔の角を狙っている勢力がいるならわたしが知らないはずはない。現状、そういううわさ話も聞かないな」

 その時、ボクらはオスコールさんの館の貴賓室にいた。彼はどこからともなくマグカップを二つ取り出し、一つをボクに渡す。赤々とした液体には輪切りのオレンジが浮かび、両手でマグカップを握るとほんのり温かい。すん、と香る甘さは酒特有の気品さを帯びている。

「ホットワイン。グリューワインとも言う」

 乾杯。そう言って互いのマグカップを軽く当て、口をつけた。

*****

 真白い空を見上げると、雪の粒が瞼に当たって冷たい。手袋をつけた手にハアァ、と息を吹きかけ、何の意味もないことに気づき微笑する。

 蒸気機関車は冷え切ったボクの体をフライベルクへと運ぶ。クリスマスマーケット目当ての客は大抵バスに乗り継いでザイフェンを目指すのだが、ボクは一人だけ別のバスに乗り込んだ。行き先はツィーゲズュース、今回の旅の目的地だ。

 痩せこけた腕みたいな枯れ木が左右に立ち並ぶ。今にも雪で滑り落ちそうな坂道をバスの運転手は難なく上る。曰く、この道路は木造品に使う樹木の切り出しによく利用されるため、季節を問わず通行できるよう見た目以上にきちんと整備されているらしい。その作業のほとんどは住民のボランティアによるものだというのだから驚きだ。

 一時間は揺られていただろうか、止まない雪は風に煽られ窓ガラスに白化粧を施そうとする。フロントガラスを忙しなく拭うワイパーの向こう側に、橙色の灯りが見て取れた。街灯だ。

 先に訪れたアンナベルク・ブッフホルツとはうって変わって、ツィーゲズュースという街は静まり返っていた。生き物が冬眠するように、命の息遣いこそあれ最低限に留めている。

 運転手に礼を言い、ボクはバスを降りた。ぎゅ、と雪を踏み締める音。吐く息が視界の雪と混ざり合う。白飛びしそうな光景だ。

 街灯を過ぎて少し歩くと、民家をちらほらと見かけた。子供のはしゃぐ声が聞こえ、そちらに向かうと子供達がせっせと雪だるまを作っていた。年の頃は十かそこら、四人の子供らは手袋をつけモコモコに膨れたフードを被り、唯一剥き出しになった顔を寒さで赤く染めている。

 こんにちは、と挨拶すると、一番背の高い子がこちらを向き、笑顔で元気よく挨拶を返した。ところがボクと目があった途端その顔に驚嘆が浮かぶ。他の子も同様だ。

「バフォメット様だ!」

 子供達が一斉にボクを取り囲む。つぶらな瞳を輝かせ、抱きつき、思い思いの言葉を口にする――どこから来たの。空を飛んできたんだよ。だってほら羽があるよ。『ヨシ婆』の言った通り尻尾もある。違うよバフォメット様はおっかないんだ。こんなに綺麗なお姉ちゃんなもんか。ねぇねぇ遊んで。一緒に雪だるま作ろ。いいでしょ。お願い。

 少年少女にもみくちゃにされていると、保護者と思しき女性がこちらに近づいてきた。最初は子供達の遊び相手を確かめに近づいたのだろう、形式的な笑みはやはり驚きの表情へと変わり、バフォメット様、と呟いた。

 ――それから何があったか、あまりの急展開でボク自身おぼろげにしか記憶していない。あれよあれよという間にホテルのパーティーフロアみたいな部屋へと招待され、豪勢な料理と共に街中の人間に取り囲まれた。皆のお目当ては『バフォメット様』ことボクで、まるで悲願叶ったかの如く狂乱し、中には涙ながらに握手を求める者までいる始末だが、肝心要のボクがこの状況をまるで理解していなかった。

「じゃあオーリお姉ちゃんは他所から来たバフォメット様なんだ」

 最初にボクと出会った少年、トニーはそう言ってマッシュルームをもぐもぐと咀嚼する。やっとボクのことを話せるくらいに場は落ち着いていたが、ボクを一目見て満足し帰路についた者や、既に酔い潰れ床で寝息を立てている者もいる。

「この街にもバフォメットが?」

 いるよ、と答えたのは少女のキリキ。

「普段はあたし達の目には見えないどこかにいて、あたし達のことを見守ってるの」
「ただの伝説だよ、大人のでっち上げたおとぎ話だ」

 とはむくれ顔のヘニオ。この子が最年長らしく、言うことも他の子より少し大人びている。

「いるもん。こうしてあたし達に会いに来てくれたもん」
「だから別人なんだって」

 はいそこまで、と睨み合うキリキとヘニオの間を手で遮る。立ち上がろうとするが、膝の上に頭を乗せまどろむ少女、チュチュエのことを思い出す。窓から見る景色も薄暗い。良い子はもう寝る時間だ。

 まだまだ構ってほしそうな子供達であったが、一人の老婆が近づくのを見るやさっと向かいの席を開け、幼いながらも恭しく頭を下げる。途中、くすくす笑うトニーの手をキリキがペシンと叩く音が聞こえた。チュチュエは眠ったままだ。

 老婆はそっと椅子に腰かけ、閉じかけた瞼の向こう側からこちらを伺う。敵意は感じない。

「すまないね、何も説明しないまま付き合わせちまって」
「いえ、こちらこそご馳走様でした。料理、美味しかったです」

 老婆はシメイ・吉野ヨシノと名乗った。街では『ヨシ婆』の愛称で親しまれているという。日系だが生まれも育ちもツィーゲズュース、御年八十になるという。

「この街では、バフォメットは何かのシンボルなのですか」
「シンボルというよりは信仰対象、ほとんど神に近い存在だね。ツィーゲズュースはそもそもの興りからして特殊なのさ」

 ヨシ婆は未だ眠りの中にあるチュチュエを見据え、何かを思い起こすようににっこりと、優しい笑顔を浮かべた。

*****

 修道士でありながら戦士として活躍し、あるいは財務機関として後の世にまで続くシステムを考案したテンプル騎士団は、フィリップ四世により男色行為、反キリストの誓い、悪魔崇拝の嫌疑をかけられ壊滅した。事実無根の冤罪により騎士団員は次々と処刑され、逃げ延びた団員も細々と隠れ潜む他なかった。

 バーチャルドイツはクレスベルクを頼った団員はやがて今のツィーゲズュースに根を下ろし、一つの街として再生を果たした。騎士団としての立場は捨てたが、彼らには心の拠り所となるものが残された。それが奇しくも異端審問の際に取り上げられたバフォメットであるとは、瓢箪から駒が出るというのはこういうことを言うのだろう。

「この街におけるバフォメット様とは生きる上での規範、見知った者もいない異国の地でご先祖様が生を繋ぐために創り出した秩序そのものさ。とはいえ決していないとも言い切れないのがバーチャル世界。事実、オーリさん、あなたが訪ねてきてくれた」

 そういうことか、とボクは頷く。不当な弾圧を跳ね除け、命を護るべく人々の頭の中でのみ復活を果たしたバフォメット、一個の存在としてバーチャル世界に生きるバフォメット。源流を共にしながら異なる道を辿った二匹の悪魔が今、ここにいる。

「この手紙に覚えは」

 ボクは『助けて』の一言が綴られた手紙を差し出す。宛先は書かれておらず、受け取ったヨシ婆も手紙をくまなく眺めた後、首を横に振った。

「人の筆跡は記憶している方だと思うが、それでも見覚えの無い字だね」
「この街の住人のものではない――何か他に思い当たる事はありませんか?困っている事とか、助けて欲しい事とか」
「まぁ、なくはないが」

 と、その時、どこかから怒声が聞こえた。寝ていたチュチュエがびくんと跳ね起き、きょろきょろと周囲を見渡す。

 次いで別の男の声。怒鳴り合いはいよいよ内容が明確に聞こえるほど激しさを増す。チュチュエをヨシ婆に任せ、ボクはホテルの外に出た。

「おたくもしつこいな!いくら積まれようが土地を売る気はない!」
「こんな寂れた街に居ついたって金にはならんでしょう。世に言う名所を見てみなさいな。今はクリスマスマーケットのシーズンだってのに、ここには観光客はおろか息子も孫も帰ってこない。みんな開発され切った都会が大好きなんだ、だから家族を見限って出ていく」
「なんて失礼な奴!子供達には故郷が必要だ、バフォメット様の住まうこの土地がな。ここから皆をいつでも見守っているんだ」
「バフォメットぉ?見かけた覚えはありませんが、一体どこに居るって言うんです」
「呼んだ?」

 歩道で言い争う男達に歩み寄り、双方の顔を見つめる。片方は街の住民だろう、食事の時に少し話をした覚えがある。郷土愛に溢れた恰幅の良い男だ。あの時見せたにこやかな笑みは今や怒りに歪み、もう一人の男性をねめつけている。

 そのもう一人はというと、紺のスリーピーススーツ姿に蓄えた顎髭を指で摘まみつつ、どこか馬鹿にしたような表情をボクに向けている。よく見ると彼の隣に少女の姿があった。人の顔をしているがしかし、狼の耳が頭頂部でぴょこぴょこと揺れている。狼男ならぬ狼女だろうか、トレンチコートに暗灰色のマッシュショート、紺碧アジュールの瞳がひたとボクを見据えている。

「どちら様で」
「バフォメット様」

 意図せず顎髭の疑問に住人が答える形となる。顎髭は不快そうに鼻を鳴らし、

「それはどうもはじめまして、ハラスマンと申します。以後お見知りおきを。こっちは――」
「要件を訊こうか」

 あまり気を許すべき手合いではない。即座にそう判断し、住民が求めるようなバフォメット様らしい威厳を湛え、呟く。言葉は少なく、決して油断せず。

 対してハラスマンと名乗る男も警戒心を強め、馬鹿にした表情を引っ込めるとこちらを探るように言葉を紡ぐ。

「怪しい者じゃあありませんよう。こう見えて行政職、お役所の人間だ。正確には地域活性化事業を委託された業者ですがね」
「土地を売るとかどうとか言ってたけど」
「ああ、実はこの街全体をリゾート化しようって話が上から出てまして、その件地域住民の皆様にご理解頂こうと足を運んだ次第です」
「住人を残らず退去させる?」
「ツィーゲズュースは決して大きい街ではない、人口も知れている。転居先の面倒もこちらで見させて頂きます。悪い話ではないと思うのですが、再三足を運べども皆様にはご納得頂けないようで」

 あいつの方が悪い、自分は悪くないと訴える子供の如く住人の方を見やるハラスマン。住人も負けじと言い返す。

「何がリゾート化だ。そんな話、過去に一度だって耳にしたことはない。役所が勝手に決めたってのか」
「さあ、役所に訊ねて下さい」
「訊ねたさ。でもドイツの役所が仕事しないのは今更言うまでもないだろ。それにあんた、まともな業者じゃないって噂も聞いたぞ。違法に銃火器を売り捌いてるとか何とか」
「名誉棄損ですなあ」

 けらけらと笑いながらハラスマンは踵を返す。

「これ以上は埒が明かない。私は何度も何度も提案しましたよ、全く。大人しく従っていれば今頃楽が出来たでしょうに」

 立ち去り際、ハラスマンはぎろりとボクらを睨みつけ、

「無知は死しても贖えない」

 呪言めいた言葉を吐いた彼とは対照的に、狼女は困り果てた様子でボクをしばらく見つめると、軽く頭を下げ、ハラスマンの後を追いかけていった。

 彼女は、と住人に問う。初めて見た顔です、と彼は答えた。

*****

 土地売買の話はそれこそ急に、何の前置きも前触れもなく持ち掛けられたという。

 ツィーゲズュースの土地を余さず買い取りたいという荒唐無稽な申し出は、当然の如く跳ね除けられることとなる。しかしハラスマンは引き下がらず、度々街に来ては誰彼構わず土地の話を始めるそうだ。それこそ子供相手にも。

「どうにも気味が悪くてね、近頃は子供達にも不必要に出歩かないよう言い聞かせていたんだが」

 ヨシ婆の視線がトニー、キリキ、ヘニオ、チュチュエの四人に向けられる。バツが悪そうに朝食を取る彼らを尻目に、ボクもパンに齧りついた。

 昨夜はヨシ婆の家に泊まり、夜遅くまで多くを語り明かした。この街のこと、バフォメットのこと、そしてボク自身のこと。ヨシ婆がそうであったように、崇拝の対象たるバフォメットとボクを別の存在と考える人は少なくない。同じバフォメットでも何もかもが異なり、しかしバフォメットはバフォメットなのでありがたい。現金なことだ。

 子供達にとっては単に良き遊び相手でしかないらしく、朝から四人揃ってヨシ婆の家を訪ね、朝食までちゃっかり頂いている有り様だ。手紙の主探しも手伝ってくれるというのでボクは何も言わないことにした。

「オーリお姉ちゃんはさ、どうしてこのお手紙を送った人を信じたの?」

 雪の止んだ街を散策している途中、ヘニオが問いかける。

「イタズラかもしれないのに」
「こんなに手の込んだイタズラするかな、わざわざチケットまで手配して」
「暇な奴は何でもするよ」

 そう言って彼はトニーを見る――先程から雪の塊を顎にあてがい「わしは聖ニコラウスじゃ、フォッフォッフォ」と叫んで回っているトニーと、まともに手紙の主を探そうとしない彼をクランプスとも見紛う表情で追いかけるキリキ。クランプスは良い子にプレゼントを配る聖ニコラウスに同伴し、悪い子を連れ去る怪物だ。

 チュチュエはまだ眠いのか、ヘニオと手を繋いだままウトウトしている。

「疲れてる?」
「うん、そう見える」

 ヘニオは彼女ではなく、ボクを見てそう答えた。疲れてるみたい、と。

「すごいおかしなことを言うかもだけど、オーリお姉ちゃんも何か助けて欲しかったんじゃないかなって。それであの手紙に共感して、ここまで来た」
「――どうだろう」

 Hilfe。

 誰かの手を借りる。誰かに救いの手を求める。ボクはそんなに追い詰められているように見えるのだろうか。ボクは無理なんてしていないし、辛くなんかない――とは思う。いや、今思った。あまり考えたくないのだ、こういうことは。自分で自分を十二分に理解している人なんてきっといない。だからいっそ何も理解しないように努めてきたのかもしれない。

 一度、この旅が終わったら考えてみよう。自分のこと、今のこと。

 そして、これからのことを。

「痛い」

 そう呟いたのはチュチュエだ。閉じかけていた目をかっと開き、彼女は手をぶんぶん振り始めた。どうしたの、と訊くヘニオに彼女は繋いでいない方の手をかざす。

 掌や手の甲に虫刺されにも似た小さな腫れが点々と浮かび、見る見るうちに爛れ始める。手袋をつけていなかったせいか、だとしても原因は何だ――いや、手だけではない。チュチュエの顔にも同じ斑点が現れている。剥き出しになった皮膚を覆う斑点は痛々しいまでに腫れあがり、チュチュエは悲鳴をあげて倒れた。

 と同時にヘニオがこちらを振り向く。

「オーリ、お姉ちゃ――」

 小さな顔をびっしりと埋め尽くす斑点。間もなく彼も雪に伏し、ガクガクと痙攣し始める。

「チュチュエ!ヘニオ!」

 慌てて彼らを介抱しようとするが、遠くで何かが倒れる音がした。見ると木陰に寄り掛かる体勢で子供が二人悶えている。

「トニー、キリキ……!」

 何だ、何が起きている。どうしてボクだけ無事に立っていられるんだ。

 混乱しまともに機能しない思考を叩き戻すように、眼前を舞う一粒の雪。いや雪と呼ぶには毒々しい紫色をした粉末は、見れば止んでいたはずの白雪に代わって少量ずつ、目を凝らさなければ分からない程に細かく、街中に降り注いでいた。

 試しに手袋を外し触れてみるが、特に変化はない。しかし子供達四人は今もなお地面にのたうち、胸を引き裂くような絶叫を上げている。

 ボクは全身に力を込め、まずチュチュエとヘニオを両手で抱えると全速力で駆け出した。一番近いのはホテルか――扉をぶち破る勢いで蹴り開けると、昨夜の後片付けをしていた従業員と鉢合わせた。あと二人いる、外の紫雪には触れるなと言い残し、もう一度外に飛び出す。

 トニーとキリキも顔がパンパンに腫れていたが、木陰に隠れていたのが幸いしたのか、チュチュエ達ほど重症ではない。急いでホテルに担ぎ込み、事態を知り駆けつけた他の従業員達に預ける。

 ホテルを出たボクは群青色の空を見上げた。紫雪は勢いを強め、激しく体を洗う。最早自然現象とは思えない勢いだ。それもそのはず、上空に浮かぶ妙な機械から紫雪は降り注いでいたのだから。

 卵型のその機械は底に空いた無数の穴から紫のシャワーを街に浴びせている。どういう原理で浮いているのかは知らないが、見た感じ誰かが乗り込んで操縦しているように思える。

 これはボクの感だ。嫌な視線――邪な考えをもった人間特有の、不快でべたつく視線を上空から感じ取れる。

 膝を曲げ、蹄にありったけの力を込める。羽を目一杯広げ、卵目掛けて跳躍したボクの体は一直前に、ぐんぐんと空へ上る。ワンピースがはためき、ネックレスが首元で激しく揺れる。

 ――いた。卵型の機械は上半分が透明になっており、中にハラスマンが座っていた。雲と同じ高さでふんぞり返っていたらバフォメットがここまで飛んできてビックリ、とでも言いたげな顔はしかし、すぐさま嘲笑に変わる。

 瞬間、がくんと首が仰け反る。角に何かが激突したのだ。そのまま重力に引かれ真っ逆さまに落ちてゆくボクは、ホテルの屋上に陣取る狼女の姿を捉えた。その手にはスナイパーライフルが握られている。

「狙撃」

 ボクの角をピンポイントで撃ったのか。凄まじい精度――それにニ対一、厄介だ。

 空中でくるりと半回転し、両足で着地すると迷わずホテルの壁に向かって走り出す。無策に飛べばまた撃ち落とされるだけ、少々乱暴な手に(足に)なるがやむを得ない。壁を思い切り蹴り、足首までめり込むと反対の足を突き出し、また壁にめり込ませる。壁面に足跡をつけながら、ボクはホテルを文字通り駆け上った。

 屋上に躍り出ると、狼女は既にスナイパーライフルを手放しており、空いた両腕を振るった。空気を切り裂く音が瞬時に近づき、極小のワイヤーがボクを切り刻む――その前に全てのワイヤーを手繰り、力いっぱい振り回した。

「嘘!?」

 狼女の体が引っ張られ宙を舞う。ワイヤーは千切れ、自身が弾丸の如き勢いで卵に向かっていく。

 両者は激突し、爆発に包まれた。爆裂音の後紫雨は止み、卵の残骸が黒煙で軌跡を描きながら落下していく。

 ホテルの屋上から無造作に飛び降り、ほとんど無音で地面に着地する。壊れた卵に近づくと、ゲホゲホと煙にむせながらハラスマンが飛び出した。狼女は見当たらない。

「ったく、乱暴ですねえ。おかげで髭が焦げちまった」
「何をばら撒いてた?」

 跪く彼の前に立ち、脅迫めいた声色で問う。すると彼は徐に顔を上げ、

「毒性の結晶ですよ。触れたら最後、おおよそ十二時間以内に死に至る」
「――!」
「あ、人外には無害なのでご安心を」

 ふざけるな、とハラスマンの襟首を掴んで強引に立たせる。たかが土地欲しさにここまでやる意味が分からない、おそらく彼の本当の目的は別にある。

 我ながら凄まじい形相をしていたのだろう、ヒィッ、とハラスマンは悲鳴を上げるがすぐに持ち直し、恐れにひきつった顔を無理に笑顔で誤魔化そうとする。

「どうしてそこまでするんだって?そこまでする価値が、このツィーゲズュースにはあるんですよ」

*****

 リゾート化計画なんてものは当然嘘だ。ついでに言うと行政から委託された業者というのも嘘で、地元住民にご理解いただくための説明とやらも大嘘だ。

 度々この地に足を運んだのは実地調査が目的だった。そういう意味ではツィーゲズュース全体を買い取りたいという言い訳は都合が良かった。名目上、業者がどこにいてもおかしくはないのだから。住民が怪しんで家に引きこもってくれたのも助かった。おかげで街の隅から隅まで観察することが出来たから。

 ――そうだ、全ては嘘から始まった。テンプル騎士団を壊滅に追いやったフィリップ四世の思惑、そこで持ち出されたバフォメットという虚像。人間の偽りの歴史はやがて本物として次代に語り継がれる。

 瓢箪から噴き出す駒をせき止める術はない。世界は嘘で飽和する。

 このツィーゲズュースで長きにわたり信仰されてきた『バフォメット様』は、この地に暮らす人々の生活を見守っているという。それも嘘だが、人々にとっては嘘じゃない。それは規範として、子供にモラルを説くためのおとぎ話フェアリーテイルとして確かに在る。そんな状態が何百年と続いた――共通意識は凝り固まり、幻覚はやがて実体を帯びる。人の願いに応えるように。

 住宅街を少し離れた場所に、開けた何もない土地がある。あのヨシ婆さんが『聖地』と呼ぶ場所だ。取り立てて目ぼしいものは無いが、奇妙なことに雪の積もりが他の場所に比べて薄い。融けかけているのだ。

 実際に行ってみるといい。微かに命の脈動を感じるだろう。熱を持った何かが、そこにいる。

 そうとも、ツィーゲズュースのバフォメットは実在する。あんたもそうだろうが、今この地には二人のバフォメットがいる。

「私はこれから『聖地』へ向かい、バフォメットを捕獲する。毒雪をばら撒いたのはこの地に潜むバフォメットに何らかの動きを期待してのことです。人の総意から生まれた神に等しき存在が、住民の危機に反応しないわけがありませんからねえ」

 ハラスマンはボクの手を振り払い、興味深そうにボクの角を見つめる。

「何だったらあんたを捕獲してもいいんですが、流石に手ごわそうだ」
「『角』のことも知ってる――お前の本当の望みは」
「ビジネスですよ。行政云々は嘘ですが、仕事ってのは本当だ。ちょっと売り出したい商品があって、そのためにどうしても力のある悪魔が必要なんですよ」

 立ち去ろうとするハラスマン。当然行かせるわけにはいかない――しかし壊れたはずの卵型が突如眩い光を放ち、ボクは咄嗟に目を瞑ってしまう。その刹那にハラスマンは卵に乗り込み、再び空を滑空する。

 まだ閃光の余韻で視力が覚束ない。限られた視界でどうにかホテルに辿り着くと、慌ただしく駆け回る住民達とぶつかった。誰もがあわてふためいているこんな状況だからこそ、冷静に情報を共有する。

 子供達はまだ息がある。しかし何分対処法が分からず、医者も手を焼いているという。毒雪がばら撒かれた時点で外出していた者が他にも十数人おり、皆一様に赤い斑点に苦しめられていた。

 無事視力を取り戻したボクはヨシ婆の所へ向かい、『聖地』の所在を訊いた。そこはかつてテンプル騎士団の生き残りが最初に居を構えた場所、今はより自然に近い場所へと住まいを移したが、やはり『聖地』と呼ぶにふさわしい、この街の始まりの場所だった。

「バフォメット様のご加護があらんことを」

 ヨシ婆の祈りに、ボクは笑顔で答える。

「嬉しいね、バフォメット二人力だ」

*****

 時間が経つのはあっという間だ。忙しない場合は特に。

 バスで通った道を辿るように、木々を抜け黙々と雪を踏み締める。深夜にあっても雪は月明かりで銀色に光り、『聖地』までの道を照らす。

 はらりと舞う玉雪の向こう側に、卵型の機械が見えた。一面銀の世界にどんと居座り、まるで何かが生まれ出るかのように時折震える。

 ――確かに分かる。この場所に眠る何かの息遣い。それは同類のボクだからこそますます強く感じられる。姿は見えないが、『この子』はボクが街に来た時から、いやずっと遥か昔からここにいたのだ。街の人達を遠くから見守り続けた――先祖代々の願いに、祈りに応えるために。

 どこか温かな空気はしかし、ハラスマンの快哉と共に張り詰める。温もりは消え失せ、風が吹き荒れる。空間がびりびりと振動し、卵型に大きな亀裂が走った。

「きたきたきたきたきたあ!きましたよおおおおお!」

 卵のサイズからはあり得ない質量の機械群が割って飛び出し、頭部と思しきパーツが雄叫びにも似た軋みを上げる。剥き出しの歯車に透明なチューブが血管、あるいは筋肉の如く張り巡らされ、その中を毒々しい紫色の液体が循環する。

 鳥脚に似た脚部と尾のように長く伸びたケーブルは駆動音の止まない巨大な胴体を支え、側面に生えたサブアームは先端が鋭く、掴んだものを穴だらけにしてしまうだろう。上顎を模した箇所には二つのカメラが点滅し、生き物の目を気取りボクを見据える。

 さながら機械仕掛けのティラノサウルスといったところか。十五メートルはある人造恐竜からハラスマンの楽しげな声が響き渡る。

「『ダイノジオー』。ハラスマンが贈る全く新しい二足歩行兵器」

 生きた『悪魔』を内蔵した、文字通りの悪魔的兵器だ。

*****

 ぶん、と尻尾めいたケーブルが空を裂く。すんでのところ屈んで避けるが、後ろ髪をばっさりと切られてしまう。図らずもショートヘアーになってしまった、なんてダイナミックな散髪だ。

 スライディングで雪を滑り、ダイノジオーの足元に着くや渾身の蹴りを食らわせる。しかし上体が僅かに揺れるに留まり、傷一つ付いていない。間髪入れず踏み潰さんと襲い来る両足を躱し、空高く跳躍する。狙うはハラスマンのいるコックピットだ。

 しかし動きを読まれていたのか、頭部がガバァと上下に開き、おびただしい数の刃が生えた口が襲い掛かる。両手で上顎を、両足で下顎を抑えるが、鋭い切れ味の刃は容易く手袋を、ボクの皮膚を突き破り、骨をも断たんとする。

「う、くっ――」

 仮にも悪魔だというのに体が圧し潰されそうだ。たかが機械に負ける程ヤワに出来てはいないはず――追い詰められていたボクはふと、ダイノジオーの口内の、更に奥を見つめた。橙色の灯りがほんのりと明滅している。それはツィーゲズュースを訪れた際に見かけた街灯によく似た、暖かい光だった。

 特撮の怪獣もびっくりの咆哮が肌を震わす。しかしその最中、ボクは確かに聞いたのだ。か細い、泣きじゃくる子供のような声を。

助けてH i l f e
「――君だったのか」

 瞬間、視界一面が焼ける。ダイノジオーの口内から噴き出した火炎放射の勢いでボクの体は雪に埋もれる。霞む空を見上げていると、ハラスマンの耳障りな声が木霊する。

「素晴らしい、想像以上だ!悪魔をも圧倒する悪魔と、殺戮マシンのハイブリッド!原形を持たない悪魔に機械を器として与え、同時に首輪として思うがままに使役する。こいつは高く売れる、バフォメット様々ですねえ。あっはっはっは――あ?」

 ボクは顔をしかめながらも立ち上がる。身に付けているポンチョが焦げ臭い、せっかく可愛く仕立てたというのに。とんだ迷惑だ。

 今、ダイノジオーの中に囚われているというバフォメットもそうだ。ツィーゲズュースの人々もそう、みんなみんな迷惑している。たった一人のしようもない欲望のために、何の罪もない子供達まで巻き添えになっている。

「おい、お前」

 口調が荒くなる。目の周りの筋肉が力む。今頃ボクの瞳は白目が黒く、眼光は紅色に切り替わっている事だろう。角が軋み、羽や尾の先端にまで意識を張り巡らせる。

 はっきり言おう。ボクは怒っていた。

「構えろよ」

 ボクはもう一度ダイノジオーの真下に滑り込むと今度は右脚部に手刀を打ち込み、適当に拳を握り込むと掴んだコードや基盤を力任せにむしり取った。

「このっ!」

 ダイノジオーが身を屈め、胴体で圧し潰そうとする。それより先にボクは尾のケーブルに移動し、これも根元から引き抜こうとする。流石に固いので口にくわえ、歯を立て噛みちぎった。

 ケーブルをダイノジオーの頭部に巻きつけ、ターザンよろしく旋回しサブアームと対峙する。突き出されたアームにこちらも拳を叩きつけ、粉微塵に破壊する。

「これならどうです!」

 胴を覆う半透明のハッチが一斉に開き、中からミサイルが何十発と射出される。ダイノジオー自身も爆風に巻き込まれているがなりふり構わず口を開け、トドメとばかりに火炎放射を浴びせた。

「はっはあ!多少ムシり取られたくらいで悪魔兵器は止まらな――」

 ミサイルと火炎放射による蒸気が晴れると、ハラスマンは息を呑んだ。

 ボクの前に分厚い氷の壁が出現し、攻撃の一切を防ぎ切ったのだ。左右の角も氷を纏い、普段より頭が少し重たく感じる。

 そのまま氷を蹴り砕き、割れた氷片が悪魔兵器の全身を削り取る。ボクはもう一度ダイノジオーに肉薄し、手あたり次第に分解し始めた。

「やめなさい!それ以上ムシムシするんじゃあない!ああ、ムシムシするな!」

 ボクから距離を取ろうと後退したダイノジオーはそこで初めて異変に気づく――ボクを倒すことに躍起になっていたせいだろう、自身の身体に満遍なく巻きつけられたケーブルやコードの残骸に気付かなかったのだ。

 十分な長さを持ったそれらの先端に、雪を被って巧妙に接近した住人達が張りつき、あらん限りの声を上げて引っ張った。

「バフォメット様を助けるんだ!」
「奴の動きを止めろ!」
「よくも子供達を!」
「騎士団の精神を今こそ!」

 まんまと縛り上げられたダイノジオーはミサイルのハッチを開くことも出来ず、ろくに身動きも取れず、頭部も真上を向いているために火炎放射が使えない。脚部は火花を散らし、サブアームは既に原形を留めていない。

「これで!」

 空高くジャンプしたボクの体を、僅かに顔を出した太陽が瞳と同じ紅で照らす。空中に氷の足場を作ったボクはダイノジオー目掛け突進し、右足を突き出す。蹄には円錐の氷を纏わせ、ドリルのように高速回転させる。

 最後の悪足掻きにと噴き出す火炎放射をも凍りつかせ、ボクの体はダイノジオーを貫いた。その巨体に大きな穴を穿ち、そこから橙色の灯りが零れ出す。

「――ありがとう。オーリを頼って良かった」

 その声はたちまち、凄まじい爆音にかき消された。

*****

 『聖地』に温かさが戻ったのを確認した後、更なる吉報が届いた。毒雪に侵された住人達が意識を取り戻したという。子供達も無事だそうだ。

 ただし困ったことが一つ。今回被害に遭った人々の頭に二本、急に小さな角が生えたという。それこそボクと同じような角が。そういえばハラスマンが言っていた――人外には無害なのでご安心を。

「毒から我々を救うために、バフォメット様が授けて下さった贈り物だよ。大事におし」

 ヨシ婆は涙ながらにそう語った。おそらく間違いではないのだろう。

 ハラスマンはと言えばダイノジオーを乗り捨て、どこかへと逃走してしまった。逃げる直前、もう二度とこの街に近づかないよう警告はしておいた。

「次は殺す」

 飾った言葉は要らない。ただしっかりと殺意を伝える。たっぷりあった顎髭もすっかり燃え尽き、めそめそと泣きながら走り去っていくハラスマンの股が濡れていたのは、あえて指摘しないでおいた。大人になってもそういうことはある、とりわけ恐怖に対しては。

「すげー!パレードすげー!」

 トニーのはしゃぐ姿は以前と変わりなく、しかし小さな角がかえって可愛らしくもある。キリキ、ヘニオ、チュチュエも同様だ。

 ボクと子供達四人、それに親御さんらを含むツィーゲズュース御一行は今、アンナベルク・ブッフホルツの大パレードを鑑賞していた。言いだしっぺはボクで、それに子供達が食いつき、親御さん達がしぶしぶついてきたという流れだ。

 屋台に人、名所に人、人外だって黙っちゃいられないと多種多様な種族がごった返し、街は大賑わいを見せている。トニーはシュトレンを頬張り、キリキはオーナメントを買ってくれと父親にねだっている。ヘニオは角がいたく気に入ったのか、パン屋さんのガラスに映る自分の姿をうっとりと眺めている。チュチュエは母親の腕の中でぐっすりだ。

 やがてパレードが幕を開け、いよいよ鉱夫の行進が始まる。ブラスバンドの音色が観光客を活気づかせ、人も人外も人形も、男も女も若者も老人もリズムに合わせて体を揺らす。千人に及ぶ大行進はその熱気で雪をも溶かす。

 まだまだ寒い冬は続く。でも心配は要らない。

 少なくとも今だけは、ちっとも寒くないんだ。

《了》

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備考:我が至高なる推し、オーリさんに捧げます。活動2周年、本当におめでとうございます!

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《SIDE:???》

 薄黄色い陽光は隈なく氷の世界を洗い、そこに映る敗者をも温かな光で包まんとする。哀れにも絶賛敗走中のハラスマンの前に立ちはだかると、涙でぐしょぐしょに濡れた彼の顔が怒りに歪む。

「一体どこで油を売っていたのですか!あんたがサポートしてくれたならあんな結果には」

 私はため息をつく。

「私の任務はダイノジオーの卵をツィーゲズュースまで無事運搬すること。卵をあなたが受け取った時点で任務は既に完了しています。バーチャルバフォメットとの戦闘は個人的なサービスですよ」
「う、ううう」
「それに私は警告もしました。あのバフォメットに手を出してはいけない、いやそもそもツィーゲズュースのバフォメットの回収そのものを諦めろと。でなければせめて彼女が、オーリが立ち去るまでは大人しくしているべきだと――今回の一件、『彼』は大層腹を立てています」

 私は懐から銃を取り出す。S&W M500、拳銃と呼ぶにはいささか大きすぎ、威力は強すぎる。生身の人間などぐずぐずに消し飛ばしてしまう。その銃口をハラスマンの額にあてがうと、彼は涙を浮かべて懇願する。やめてくれ、殺さないでくれ。

「け、結果的に住人は誰も死ななかったじゃあありませんか、あのバフォメットだって。お願いだから、許して」
「私にとってはただの小遣い稼ぎ、慣れない体を馴染ませるためのアルバイトに過ぎません。『彼』との関係だってそう、あくまで雇う側と雇われる側」
ビンザン!」
「あなたの口を永遠に塞ぐこと、それが私の『今』の任務です」

 ――雪の上に綺麗な血と脳みその華が咲く。ドイツにも彼岸花は咲くのだろうか。

 M500の銃口から揺蕩う煙をふっと吹き、すっかり顔を出した朝日に目を細める。

 任務完了。ターゲットは死亡、いずれまみえることになるであろうオーリの実力も確認できた。はっきり言って怪物だ、今の私では太刀打ち出来ないだろう。

 大丈夫、まだ時間はある。

 バーチャル世界の滅亡まで、しばらくの間さようなら。またどこかで会いましょう。

《了?》

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(作:オスコール_2021208)

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