【so.】堀川 国子[5時間目]
「いまからホームルームを始める」
三条先生が教卓から声を響かせる。さっきの校長先生のお話からの続きで、人体模型落下事件についてのお話なのかなと思った。
「せんせー昼ご飯は?」
新藤さんが先生に尋ねる。よくこの状況でお昼の心配ができるなと呆れてしまう。
「このあと5時間目をその時間にする」
「ハセベのおばちゃんが帰っちゃうよ!」
彼女はまだ諦めない。お弁当を持ってきていれば、そんなことに思い悩まなくたって済むのに。
「ハセベさんにはさっき5時間目が終わるまで待っていてくれるよう頼んでおいたから安心しろ」
「マジか~。じゃあ5分でおわろ!」
「そうはいかない。君たちに聞きたいことがあるからだ」
聞きたいことって何だろう。
「こないだ面談やったじゃないっすかー」
和泉さんが言う。面談で聞かれたこととは別のことをこれから私たちに聞くのだろうか。この場にいない山浦さんのことだろうか。
「年末の件はもういいんだ」
「いいってどういうことですか」
埋田さんが怒ったように言う。彼女は郷さんと仲が良かったから、未だに事件のことが腑に落ちていないようだった。
「…えっとな、さっき人体模型が落ちてきたな」
「山浦が犯人ー?」
和泉さんが単刀直入に言った。
「…まだ分からない」
意外にも先生は言葉を濁す。私は念押しで言ってみた。
「三条先生、でも、山浦さんだけいません」
「…そうか」
「山浦さん、面談のあと、怒って帰ってきましたけど」
埋田さんは、やはり仲の良い山浦さんを疑われていることを察したようで、反発するように言った。
「えっとな、山浦の件はあとで説明するから、まず俺の話を聞いてくれ。君たちの中で、裏サイトってものを知ってるのは何人くらいいる?」
裏サイト…学校なんかのことを匿名の卑怯者が書き混み合う陰湿な掲示板のことだろう。
「何それー」
新藤さんは興味なさげに尋ねた。
「匿名で誰でも書き込めるネットの掲示板のことなんだが、このクラスの掲示板もあってだな」
このクラスにも、そんな所へ書き込みをしている不潔な人間がいるのか。一体誰だろう。
「先生」
弱々しい声を発したのは、細田さん。
「なんだ」
「もう、郷さんのことがあって、さっきの人体模型落とすような酷いことがあって、これ以上、刺激の強いこと、やめてください…」
たしかに年末から物騒な出来事が相次いでいたから、心身に不調を来す生徒が出たっておかしくはないと思う。細田さんは明るく見えるけれど、意外と繊細なところがあるのかもしれない。
「いや、なんというか」
「先生、先生、ほんと、ワタシ、つらい…。さっきから気持ち悪くて吐きそうなんです」
そう言って細田さんは嘔吐するような素振りを見せた。思わず振り返ったけれど、なんとか抑えたらしい。
「大丈夫か。ちょっと隣の席だから悪いけど、伊村な、細田を保健室まで連れて行ってくれないか」
「…わかりました」
伊村さんは冷静に細田さんへ肩を貸して、ゆっくりと、無理のない歩みで後ろのドアから出て行った。教室から保健室までは少し遠いから、たどり着くまで時間がかかるだろう。
「他の者も気分が悪くなったりしたら、遠慮せず言うように。それで…どこまで話をしたか…」
もう、こうやって話の腰を折られるのって、自分の話じゃなくてもいらいらする。私は話を元に戻そうと言った。
「このクラスの裏サイトについてです」
「そうだ。えー、実は先生は前から裏サイトの存在を知っていたんだけれど、取り立てて問題視はしていなかった。でもな、今日の書き込みの中に、看過できないような物があったんだ」
「カンカってなんですか?」
岡崎さんが暢気に言う。看過も知らないなんて、写真を撮るよりもっと本を読めばいいのに。
「殺害予告じみたものがあったんだ」
「ひっ」
誰かが小さな悲鳴を上げた。殺害予告だなんて…誰か部外者に狙われているのだろうか。何にせよまともな事態ではないことは確かだ。
「いいか、ちょっと気分を悪くする者もいるかもしれないけれど、読み上げるぞ。…やってやるやってやるやってやるよ見とけよ。この書き込みが午前中の最後の書き込みだ。そして人体模型が落ちた」
「じゃあ山浦が書き込んだんだ!」
和泉さんが叫ぶ。山浦さんが犯行予告をして、それで人体模型を落としたってこと? 山浦さんはもうちょっと大人な人かと思っていたけれど。
「…あくまで可能性が高い、推測の話だ」
「推測で犯人扱いするんですか」
埋田さんが咎めると、和泉さんは悪態をつく。
「決まりじゃん」
疑わしきは罰せずって原則を知らないんだろう。
「大事なのはな、この後なんだ」
まだ続きがあるっていうの。穏やかではない話題が続くものだなって思う。
「先生ソレどうやって見んの?」
福岡さんが尋ねた。
「わざわざ見なくてもいいぞ。今から読み上げる。…えーと、田口、お前の名前が出てくるからな」
「は? ワタシ?」
興味なさそうに聞いていたらしい田口さんが、驚いた声を上げる。普段の彼女の振る舞いでは、匿名掲示板に悪口を書かれたっておかしくはない。
「えー、行くぞ。…田口もたまにはいいこと言うわ。ホント死ねば良かったのに」
「何だよそれ! ふざけんな! 誰だよ!」
田口さんは周りを睨んで恫喝した。その野蛮さが反感を買っているってことには思い至らないらしい。
「落ち着いてくれ。次にもうひとつ書き込みがあって終わってるんだが…読むぞ。…それじゃあまずあんたから殺してやるよ。特定したぞ」
「きゃああ!!」
つぐみちゃんが大きな悲鳴を上げた。でも待って。その内容からして、外部の人間じゃない。内部の人間が書き込んでいる。
「せんせーもうやめよう。怖いよ」
もじゃが怯えたように言う。いまほとんど全員が集まっているんだから、凶行には及べないから少しは落ち着いて欲しい。
「書き込みはここまでだ。俺だって全員を集めてこんなの読みたくなかったけどな、殺害予告があったらもう事件になるんだ」
誰がそんな不穏なことを書き込んだのか突き止めなくては。私は決意と共に先生に尋ねる。
「じゃあ、今から犯人捜しをするんですか?」
「別に魔女狩りをするんじゃないんだ。ただ、起こるかもしれない事件を阻止したいだけなんだ。だからみんなには衝撃的だったかもしれないが、明らかにした。それで聞きたいんだが、この書き込みに心当たりはないか?」
誰も言葉を発しない。私にも心当たりは全くないけれど、さっきの体育館から教室へ戻るとき、田口さんが誰かと揉め事を起こしていたのが気にかかった。近くにいなかったので、その相手や内容までは分からなかったのだけれど。
「まあ、自分が書き込んだとは名乗り出たりしないよな。じゃあ、その一つ前の書き込みのことが分かる者は?」
「ジョーさー、すっげ気分悪いんだけど」
田口さんが悪態をつく。そうか、一つ前の書き込みは、体育館の後の揉め事での田口さんが発した言葉なんだ。
「保健室行くか?」
「そういうのじゃねーんだよ!」
「この発言に心当たりは?」
田口さんは質問に答えない。自分の発言が原因だっていうのに、なんであんな不遜な態度をとり続けられるのかしら。
「ヨシミちゃんごめん。先生、これは、さっきの体育館からの帰りの廊下での発言です」
神保さんが代わりに答えてくれた。やっぱりそうか。
「ついさっきじゃないか。何があったんだ」
「もういいって!」
隠したがる田口さんを遮って、福岡さんが説明を始めた。少し意外な展開だった。
「山浦だけがいなかったから、人体模型を落としたのが山浦じゃね?って話になったら、ヨシミが言ったんす。ホントに死ねば良かったって」
酷いこと言うもんだ。もし本当に山浦さんの仕業だったとしても、死んだらいいなんてこと絶対に言うべきじゃない。
「そしたら埋田さんが来て、ヨシミにビンタして」
思わず埋田さんの方を見てしまう。
「本当か埋田」
「言いたくありません」
埋田さんがそう言うと、田口さんは吠えた。
「しただろうがよ!」
露悪的なこと言って報いを受けて、それを覆い隠そうとして明かされて、なんともみっともない。三条先生は咳払いをして、再び話し出す。
「それでだな」
「ねえ先生、この書き込みした人は、あの場で、会話が聞こえる位置にいた人ですよね。私は離れたところ歩いていたから、埋田さんの言ったことしか聞こえなかったです」
橋本さんが冷静な推理を披露した。全くその通りで、田口さんの会話を聞いていた人をリストアップすれば、自ずと裏サイトに書き込んでいた人だってことも分かる。
「じゃあ、その時、田口の周りに誰がいたか、誰か覚えてるか?」
「あたし、つだまる、やまち」
福岡さんが言う。聞いていたのは福岡さん、津田さん、大和さん。
「私と、細田さんもいました」
それから神保さんと、細田さん。
「私とさっちんはいたし、他にも何人か歩いてたよ」
中島さんと新藤さん。あと数人。
「私覚えてねーけど」
新藤さんがバカみたいなことを言う。
「おめーはパンのこと考えてたからだろ!」
あのふたりの漫才、疲れるのよね。
「他にこの会話を聞いてたっていう者は?」
見回すと、埋田さんが手を挙げた。揉め事の相手だもの、聞いてなければおかしい。
「せんせーさー、最後の書き込みしたやつを特定しないといけないんじゃないの?」
和泉さんはいまいち今の問題が理解できていないらしく、あくまで犯人捜しを訴える。
「それが難しいから、狙われそうな方を特定した方が防げるってことじゃない?」
橋本さんが和泉さんに優しく教えてくれた。彼女のような頼もしい人ばかりだったら良いのに。
「ああ、そうだ。だから今、田口の発言を聞いていた者を探してるんだ」
先生がまとめると、新藤さんが適当なことを言った。
「えーじゃあジンさんが殺されるかもしれないってこと?」
「嫌っ!」
後ろの方から誰かの叫び声が聞こえてぎょっとした。何かの攻撃を受けた悲鳴とかではなく、新藤さんの放言が衝撃的に思えた故の脊髄反射のようだった。
「好き勝手に発言するなー。いまこうやって全員集めているからそんなことはさせない」
そう。この場にはクラスのほぼ全員が揃っている。不明なのは山浦さん。それと、さっき保健室へ行った細田さんに伊村さん。ひとりきりだと思われるのは山浦さんだけれど、彼女は田口さんの問題発言を聞いていないはずだから、犯人が「特定した」ターゲットとは考えにくい。
「山浦が殺しに来るんでしょー?」
和泉さんが考えなしに言うと、三条先生が怒鳴った。
「黙れ!」
教室は静かになった。和泉さんの野次は度を越えていると感じていたので、少し胸のすく思いがした。
「…悪い。ちょっと先生も初めての事態で焦ってる」
先生も人間だもの、参ってしまう時だってあるだろう。けれど私には、今起こっている出来事が年末の郷さんの事件の延長なのではないかと思えた。
「三条先生。この、殺害予告をした人物は、郷さんも殺したって事は考えられないんですか?」
根拠があるわけではないけれど、今だからこそ引っかかっていたことをぶつけてみようと思って言った。
「郷は自殺なんだ」
「何故そう言い切れるんですか?」
先生は忌々しげにこちらを見ると、投げやりに言った。
「理由がない」
郷さんの殺される理由? そんなの、犯人にしか分からないじゃない。
「理由なら、終業式の前の日に、郷さんのヘアピンがなくなる騒ぎがあったじゃないですか」
埋田さんが初めて聞くことを言った。
「何それ。そんな話、初めて聞いた」
私は埋田さんへ振り向いて言った。
「えっ、ヘアピンって…何? どゆこと?」
岡崎さんも知らなかったらしい。一体どういうことなの。
「終業式の前の日のね、4時間目の体育の後、サトミちゃんがね、ヘアピンがなくなったってパニックになったの」
大和さんがぽつぽつと語った。
「初めて聞いたんだけど。えっ、みんな知ってたん!?」
「私も知らなかった」
岡崎さんが驚いて尋ねると、月山さんも同調した。終業式の前の日、4時間目の体育の後といったら「ホームルームはないからそのまま帰って良い」ということになったので、部活があった人や真っ直ぐ帰った人は知る由もない。
「その時教室に残ってた者だけが知っていることだ」
先生が当たり前のように言う。
「ちょっとワタシも知らないんだけど!」
田口さんが怒りの声を上げた。だって、あなたはあの日休んでいたでしょう。
「あのね、サトミちゃんが、あの日休んでたヨシミちゃんには黙っててって、何回も言うから、みんな言えなかったんだよ」
大和さんが打ち明けて、そんな理由で、今まで知っている人しか知らない出来事が生まれていたんだって、少しめまいを覚えるような思いがした。
「じゃあ、郷さんそれが理由で自殺したわけ!? 盗まれたってこと?」
岡崎さんが声を上げる。そうよ、窃盗が起きてたってことになるじゃない。
「落ち着けって。みんなも知ってるように、次の日の朝に大和が、郷を発見して俺に知らせてくれた。それで警察を呼んで遺体を調べたら、制服のポケットにヘアピンが入っていたのが分かったんだ。それは葬式の時に、田口にも確認してもらったよな?」
三条先生が田口さんに尋ねると、田口さんはぼそっと呟いた。
「だからいきなり聞いてきたのか…」
「え。っていうことは、盗まれてなかったってことですか?」
もじゃが困惑して言う。たしかにそうだ。ヘアピンがなくなった位で大騒ぎして、それを口止めまでして、翌日には首を吊っていて、そのポケットにはヘアピンが入ったいた…辻褄が合わない。
「だからな、みんなに面談で話を聞いたけれど、いじめがあったわけじゃない。郷の遺書が残っているわけでもないから理由は分からないけれど、ヘアピンを盗まれたのが理由じゃないってことは、確かだ。ご家庭の事情のことまでは踏み込めないけれど、それが理由なんじゃないのか」
私だって郷さんとそこまで仲が良かったわけではないから家庭の事情と言われると何も言えないけれど、家庭の事情で思い悩んでいたら、わざわざ学校で自殺するだろうか、とは思う。
「せんせーこのホームルームいつ終わる? もう腹がぺっこぺこなんだけど!」
新藤さんは最初からずっとお腹のことだけしか言わない。世界が滅びるときになってもお腹を空かせているんじゃないだろうか。
「もうちょっと我慢しろ。まだ5時間目の最初だろ」
「もーむりー」
新藤さんは机に伏してしまった。しかしあまり長引くようなら、一度トイレ休憩を挟む程度は良いんじゃないかなと思う。
「みんな協力してくれ。そしたら早く終われる。他に何か、思い当たることはないか?」
「サトミのこと?」
振り向けば、いつも通り厚着の福岡さんが言う。
「いや、書き込みのことだ」
殺害予告か。さっき名前が上がった人で…細田さんがいないな。さすがに保健室へはもう着いただろう。伊村さんがまだ戻ってこないのは何かあったんだろうか。
「先生。あの」
「なんだ、津田?」
「さっき、体育館の裏で、猫が死んでて…」
津田さんが唐突な話を始める。
「それ何の関係があんだよ」
和泉さんが憎々しげに言うと、福岡さんがそれを遮って付け加えた。
「あたしも一緒だったけど、猫が殺されてたっぽい」
私は何も言わない先生に代わって尋ねた。
「どうして分かるの?」
「誰かが猫を拾ってきて、体育館の裏に段ボールで家を作って飼いだしたの。で、みんなで餌をやったりしてたから」
「ちょっとそれ顧問の先生が許可したの?」
思わず聞いてしまう。バスケ部の顧問って何先生だったかしら。
「今そんな話じゃないっしょ委員長。その猫が、変な物食べさせられて死んでたのを、さっきあたしとつだまるで見つけたの」
福岡さんが呆れたように言う。勝手に猫を飼うことだって問題だと思うけれど。
「それはいつの話だ?」
「昼休みの前」
選択授業の時だ。この人たち、授業をサボったんだなとがっかりした。
「昨日の放課後は猫ちゃん元気にしてたのに…」
津田さんは泣きそうな声で言った。和泉さんがうんざりして言う。
「だからさあ、猫と殺害予告と何の関係が」
「あのね、猫を殺した人間って、だいたい次に人間を狙うの」
橋本さんが怖いことを言う。けれどその話は聞いたことがある。
「もうやめてよぉぉぉぉ」
つぐみちゃんが怯えたように叫んだ。ちょっと、さすがに休憩時間を提案した方が良いかもしれない。
「待って、体育館の裏?」
曽根さんが口を開いた。
「うん、バスケ部の部室の裏」
曽根さんは三条先生に声を掛けた。
「…あの、何の確証もない、ただ見かけただけの情報でもいいんですか?」
「それは聞いて判断する」
「朝に、体育館裏から伊村さんが一人で歩いてくるの見たんです」
伊村さん? 伊村さんは弓道部だから、体育館の辺りにいたっておかしくない。
「伊村は弓道部だろう? 部室から出てきたんじゃないのか?」
「だって私、弓道部の部室から出てきて見かけたんです」
あっ。さっき人体模型が落ちたとき、伊村さんが私の独り言に反論してきたことがフラッシュバックする。
「委員長、意外と命って脆いもんだよ。猫とかね」
その時は気色悪いとしか思わなかったのだけれど、ひょっとして…。
「先生さー。この写真、おかしくない?」
今度は岡崎さんが声を上げる。退屈だったのかデジタルカメラの写真を見返していたらしい岡崎さんは、何か見つけたようだった。
「何か撮ってあるのか?」
「私、卒業式前日の、体育の授業の前に、適当に写真撮ってたんだけど」
そう言うと岡崎さんは席を立ち、三条先生にそれを見せに行った。田口さんと埋田さんも席を立つ。
「…なんだこれは」
写真を見せられた三条先生は戸惑っているように見える。
「だから体育の前だって。ナオがヘアピンをポケットに入れる所が写ってるんだけど、これサトミちゃんの机なんだよ。私も今朝、栗原がこの写真をパソコンに表示するまで気がつかなかった」
「ナオがやってんじゃん!」
「盗んでたんだ!」
田口さんと埋田さんが声を上げる。写っていたのは細田さんがヘアピンを盗んでいたっていう証拠写真? だとすると窃盗があったことになる。
「…いや、でも、首吊った時のポケットには、入っていたんだぞ? 何かの間違いだろ」
三条先生は矛盾をぶつける。そうだ。まだ何かが足りない。
「先生。郷さんの遺体の第一発見者なんですけれど、大和さんだけじゃないでしょう」
橋本さんが尋ねると、三条先生は意味が分からないといった感じで返した。
「…何を言ってるんだ?」
橋本さんは三条先生にではなく、後ろの方を振り返って言った。
「ねえ、そうなんでしょ?」
その視線の先にいたのは、大和さんのようだった。
「…ハァ。そう。わたし、終業式の朝、下駄箱で出会ったナオと一緒に教室に入ったんで、ふたりでサトミちゃんを見つけたんです」
ため息をついて真相を明かす大和さん。ひとりで教室へ来て、急いで先生を呼びに行った勇気のある子といった評価だったけれど、そんなことが。
「おい! なんでそんな大事なこと黙ってたんだ!」
三条先生がまた怒声を発すると、田口さんが反発した。
「あんただってヘアピンのこと黙ってただろ!」
「うるせえっ!」
もう、うんざりだ。思い通りにいかないからって大声を発するのって、幼稚だなと思う。私は先生をたしなめるように言った。
「先生。怒鳴るのはやめてください。それで大和さん、だったら終業式の朝、あなたが先生に知らせに行っている間、細田さんはどうしてたの?」
大和さんに尋ねると、彼女は少し考えながら答えた。
「え、考えたことなかったけど…。なんか、わたしの手柄にしたらいいじゃんって言うから、わたしが先生に知らせに行って、先生と戻ってきた後に、初めて見る感じでナオが教室に入ってきた」
それを聞いた橋本さんは、情報を敷衍して推測を述べた。
「…つまり、大和さんが先生に知らせに行っている間に、細田さんは前の日に盗んだヘアピンを、郷さんの遺体のポケットに戻すことだって出来たわけですよね?」
「じゃーナオがサトミ殺したってことじゃん!」
和泉さんには理解が及ばなかったらしい。細田さんがヘアピンを盗んで、それをこっそり戻したってことしか判明していないのに。
「さっきからうるせーんだよおめーはよ! じゃあなんでワタシがサトミを殺したって噂をあんたが流したことになってんだよ!」
狂犬と化していた田口さんの毒牙は、和泉さんへと向けられた。
「だからそれは、ナオがわたしのせいにしたんだって」
「証拠があんのかよ!」
「あの、証拠なら、保存しております」
荘司さんが珍しく声を上げた。
「…は? なんであんたが出てくんだよ」
「す、すみませぬ」
「証拠ってなに? 教えてよ」
「は。ええと、今日の1時間目のあとに、拙者、雪隠へ赴いたのですが…」
普通に喋ったら良いのになと思う。
「さっちん?」
「パン食いてー!」
ソフトボール部のふたりの茶々を和泉さんが叱り飛ばした。
「うるさい! そんで?」
「ええと、個室の中で、たまたま、たまたまなんですが、私、音声を録音できるアプリを作動させまして…」
「ちょっとコイツ何言ってるかわかんねーんだけど」
田口さんがイライラして言う。
「誰かの会話を録音したってこと?」
「さよう。これをお聞きください」
「サトミちゃんのことでしょー?」
聞き覚えのある細田さんの声が、荘司さんのスマホから再生された。
「なんかいずみちゃんが言うには、ヨシミが犯人とかって噂があるらしいよ? 怖くない? 信じられなくない?」
これを今日の1時間目のあとに言っていたって…。ヘアピンを盗んで、もみ消して、さらに攪乱を図っていたってことになるじゃないか。
「これだ! これだよ、わたしが朝、ナオに変な質問されて、答えたんだ」
和泉さんは嬉しそうに声を上げる。
「おいメガネてめー、これ、ホントだろうな?」
田口さんは怒りの収め先が分からず、荘司さんに当たる。
「さ、さすがに細田氏の音声合成するアプリはありませぬ」
話を聞いていた福岡さんが、疑問を口にした。
「ナオがイズミンのせいにしようとしてたのは分かったよ。でも、なんでそんなことしたんだ?」
私にはなんとなく、分かる。橋本さんがそれを言葉にしてくれた。
「細田さんが、自分への疑いを反らしたかったんじゃ、ない…かな?」
「っていうことは、サトミちゃんが死んだのは、細田のせい?」
埋田さんが、見たくないものを見てしまったような口調で言う。
「静かに。仮にそうだとしよう。俺がいま問題にしているのは、裏サイトで殺害予告がされたことだ」
三条先生はあくまで殺害予告を阻止することが目的らしい。郷さんの自殺、人体模型落下事件と、どちらも解決してはいないのに。
「先生、この、ヨシミについて書き込んだのって、ナオなんじゃない?」
津田さんはスマホで裏サイトを見ていたらしく、声を上げた。
「ありうる。つーかさー、このログ読み返してると、明らかにナオの書き込みって、分かるよね」
和泉さんもそれに同調した。福岡さんは面倒だからかスマホを出さずに解説を求めた。
「あたし何が書いてあんのかわかんねーから説明してくんねー?」
「ログを見ると、サトミの自殺の後から、やたらそれを茶化すような書き込みがあって、それがナオだと仮定すると、異常にしっくりくる」
和泉さんが解説すると、橋本さんが恐る恐る言う。
「じゃあ、最後の書き込みの特定したっていうのは、細田さんだと特定したってこと…」
細田さんが危ない。
「狙われるのは、細田ってことか!」
先生が慌てたように声を上げる。私は先生に尋ねた。
「先生! 伊村さんが細田さんを保健室に連れて行って、どれくらい経ちますか!」
それと同時に橋本さんと神保さん、そして佐伯さん、福岡さんが立ち上がって、教室を出て行く。それにつられて和泉さんと大和さんも出て行く。
「堀川! みんなを教室から出すな!」
三条先生は私に言いつけてやっぱり教室を飛び出していった。もう、みんな自分勝手なんだから。私は慌てて教卓へと上がる。
「委員長! もう昼にしよう!」
新藤さんがまたも食らいついてきた。
「だめです! みんなを教室から出さないように言われたので」
「じゃあ何するの」
中島さんもウンザリしたような声を掛けられた。お願いだから、私に怒りをぶつけないで欲しい。
「先生が戻るのを待ちます」
「もうむり。今からパン買いに行く!」
新藤さんはすくっと立ち上がった。
「だめ!」
私が制止しても、彼女は止まらない。
「私以外にこの空腹を救える者はありえない!」
「委員長、これもう止まらないよ。諦めて」
そう言いながら中島さんも席を立つ。
「お願いだから!」
懇願しても止まらないどころか、その勢いは増していく。
「パンを求める者は私について来いっ!」
「いえい!」
もじゃも席を立った。
「ごめん委員長、私ももうおなかが限界」
岡崎さんまでもが立ち上がり、立ち上がった5人は次々と教室を出て行った。
「どうしてみんな私の言うこと聞いてくれないのよぉ…」
教卓に突っ伏してしまう。私のせいじゃないのに。私は何も悪くないのに。
「いいんちょう、大丈夫。まだ大勢残ってるよ」
つぐみちゃんが脳天気に声を掛ける。
「パン買ったら戻ってくるでしょ」
田口さんにまで励まされて、我が身が惨めに思えてきた。
「委員長-、みんなでお弁当食べよー」
タイラーが無神経に言う。
「さんせー!」
津田さんまで。
「それは」
と言ったところで次の言葉が出てこない。橘さんが私に決断を促した。
「部長、いま最善の指示は何?」
彼女は大人だなと思う。彼女の冷静な意見にいつも助けられる。
「それじゃあ…みんな…お弁当にしましょうか」
そう言うと、私のお腹がぐぅと鳴った。私は教卓から自分の席へと戻り、机の上にお弁当を広げる。半分くらい生徒の欠けた教室で、いつ戻るとも知れない人たちを待ちながら食べる昼食は、なんだか味を感じなかった。
「サトミが可哀想だよ。死んでまで利用されてさ」
近くでお弁当を食べている田口さんが、隣にやって来た津田さんに話している。細田さんが裏で暗躍していたのが本当だとすると、確かに相当酷いことをしていたことになる。だからといってその報いに殺されてしまうだなんてことはあってはならない。果たして橋本さんや先生たちは、無事に細田さんと伊村さんを確保できたのだろうか。保健室へ連れて行ったまま戻ってこなかった伊村さんの存在が、私たちの立てた推測の真実性を高めているような気がして恐ろしく感じる。
「えっ、ちょっと待っ」
突然、ひとりでお弁当を食べていたまことが、慌てたような声を発すると、俯いて固まってしまった。
「まこちん、どしたのー?」
つぐみちゃんが心配して声を掛ける。まことはぴくりとも動かない。
「まこちん? まこちん!」
つぐみちゃんに何度も呼びかけられてやっと、まことは顔を上げた。
「ちがうちがう! ちがうの!」
まことは急に否定をする。どうしたんだろう。
「まこ…ちん?」
「つぐちゃん、私、郷。郷義弓。ちょっと信じられないだろうけど、サトミが井上さんの体を借りてるの」
まことらしくない、妙にハキハキとした喋り方だった。
「井上テメー悪い冗談やめろよ!」
田口さんが噛みつく。
「ヨシミちゃん、まこちんはそんな冗談言うコじゃないよ?」
つぐみちゃんが、まことの肩を持った。
「ありがと、つぐちゃん。私、死んでた。死んでたんだけど、それに気づかないまま、この教室にいたんだ」
郷さん? まこと? 一体何が起こっているの?
「ほんとに…あなた、サトミなの?」
恐る恐る埋田さんが尋ねる。
「サエさん! 今はただ信じて欲しい。私、みんなに伝えたいことがあるの」
私はオカルトなんて信じないので、未だにあれがまことなのか、それとも郷さんなのか判断がつかない。
「井上さん? 郷さん?」
戸惑いながら呼びかけてみた。
「今はサトミでも郷でもいいよ、委員長。私、ナオちゃんが私を殺したことにされちゃってるの、どうしても訂正したくって、いまこうして井上さんの体を借りたんだ」
「ほんとに…サトミなの? なんで井上なの…?」
田口さんは混乱して語りかける。
「私ね、自分が死んだことに気がついてもいなかったんだけど、それに気がつくまでずっと、井上さんだけが私のことを見えてたの。霊感が強いのかな? だから、試してみたら、乗り移れたんだ」
「まこちん…じゃないの? サトミちゃん?」
つぐみちゃんが立ち上がった。
「そうなの、つぐちゃん。久しぶり!」
「サトミちゃんー!」
つぐみちゃんは、まことに乗り移った郷さんに抱きついた。つぐみちゃんは泣いてしまっているらしい。
「サトミ! 伝えたいこと…って、なに?」
埋田さんが発言の意味を尋ねる。
「そう…。あのね、私はナオちゃんに殺されたわけじゃないの。それだけ言わないと…って思って」
「なら、なんで!?」
「なんでワタシに断りなく死んじゃったんだよ!」
津田さんが言いかけるとそれを上回る音量で、田口さんが叫んだ。
「ごめんねヨシミちゃん。私、実はみんなと同級生じゃないんだ…」
「はぁっ?」
津田さんが困惑の声を上げる。
「あの…どういうことか、説明してもらえます?」
橘さんが説明を求める。抱きついたままのつぐみちゃんをゆっくり解き放して、郷さんは振り向いて言った。
「もちろん。そうさせて」
同級生じゃない。年末の自殺。郷という苗字。なぜ今まで思いつかなかったのか。私は、この学校の暗部にあたる、昔の事件を思い出していた。
「郷さん…。あなた、同級生じゃないっていったら…13年前の…?」
「さすが委員長、その通り。私はね、13年前、2学期の終業式にこの教室で自殺したの」
からっと郷さんは語った。
「あ…この学校の、黒歴史ですな!」
荘司さんがうわずった声で言う。
「何よそれ。知らないんだけど」
田口さんが言う。有名な話だと思ったけれど、13年も前、私たちがまだ小学校にも入る前の話。進んで尋ねて回らないと、答えてくれる人もいない出来事だ。
「たしか13年前にこの学校の生徒が自殺して、それ以来この学校の人気がなくなったって噂の…」
月山さんは知っていたらしくそう言うと、郷さんは申し訳なさそうに言った。
「はは…そういうことに…なるのかな」
「もうつまんねー冗談やめろよ井上!」
田口さんが怒り出した。突然、自殺した同級生は13年前の幽霊でしたなんて言われて、否定したくなる気持ちは分からないでもない。
「ヨシミちゃん、サトミちゃんだよ? わたし、わかるの」
つぐみちゃんは郷さんを庇う。
「わかんねえよ! なんなんだよ! なんでサトミが死んじゃうんだよ!」
田口さんは幼馴染みだと聞いていた。だから余計にショックだったんだろう。でも、本当に13年前に自殺した生徒だったのなら、そもそも田口さんと幼馴染みになんてなれるはずがないじゃないか。
「ヨシミちゃん、ごめん。私あんまり時間がないみたいだから、とにかく説明するね」
私は郷さんに分からないことをぶつけた。
「郷さん。13年前に亡くなったあなたが…なぜこのクラスに…?」
「うん…。私ね、死んでからずっと、ずっとここの教室にいたんだ」
「えっ。おうちは?」
驚いてタイラーが尋ねる。
「ねぇ、不思議でしょ? 朝になるとここにいて、そのままここから出られないの…」
「嘘よ! だって一緒に帰ったりしたじゃない」
埋田さんは郷さんと仲が良かったから、信じられないのも無理はない。
「うん、それはね、私がみんなに魔法? みたいなのを掛けちゃってたんだんだと思う」
そう言うと、荘司さんと川部さんが声を上げた。
「どんな妖術なのですか!」
「知りたいです!」
マンガやゲームの見過ぎなんじゃないか。こんな場面で喜ぶなんて考えられない。
「掛けちゃってた…っていうのは?」
埋田さんは詳しい説明を求める。
「私も仕組みはよく分かんないんだけど…。説明が難しいな…。えっと、私が普通にみんなと毎日を送ってるっていう風に思うような、そういう魔法がみんなに掛かっていたの」
「じゃあ、意図せず、自然に…ってこと?」
「…うん」
歯切れ悪く郷さんはうなずく。私は次に湧いた疑問をぶつける。
「なんでそれが、私たちだったのかしら?」
「…うん」
気まずそうに返事を返すけれど、何も答えのない郷さん。
「あなた、13年前に亡くなったのよね?」
さらに尋ねると、今度は橘さんが答えを促した。
「郷さん、あなたまさか、毎年…?」
郷さんは顔を上げ、すらすらと言った。
「そう。私が死んで、次の学年から、毎年。毎年4月の最初からこの教室にいて、2学期の終業式に自殺してたんだ」
「次の学年って…1年生が2年生に上がったときに、そのクラスに加わるってこと? 気づくでしょフツー?」
津田さんが当然の疑問をぶつける。
「それができちゃう…魔法?」
埋田さんが尋ねる。
「うん」
津田さんが聞いた。
「なんでそんなことを」
「私が知りたいくらいなんだけど…そういう風になってたの。そんな仕組みの中で、私は毎年4月から12月まで、その年の2年生なの」
「なら、私たちは、幽霊の郷さんと一緒に、2学期まで夢を見てたっていう感じ?」
月山さんがそう聞くと、郷さんは初めて微笑んだ。
「綺麗に言うとね」
田口さんが立ち上がった。
「じゃあ、サトミはワタシと友だちでも何でもないってことかよ!」
「ヨシミちゃん、それは違う」
「どこが違うんだよ! 全部魔法だったんだろ! 騙されてたんだろ!」
「それは違う。違うよ。たしかに私、みんなを騙してたのかもしれない…。でも、みんなと過ごした去年の私。それは紛れもなく本物の私だよ」
今度は埋田さんが問い詰めた。
「だったら、なんで死んじゃうのよ!」
「サエさん…。私だって、死にたくなかった。死にたくなかったんだよ! だって、だって、私、このクラスのこと、大好きだったんだから!」
誰かの鼻をすする音が聞こえる。私は郷さんへ確認した。
「じゃあ、自殺してしまうことは変えられなかった…ってことね」
「うん」
橘さんが、今日の事件との関連性を尋ね始めた。
「っていうことは、細田さんがヘアピンを隠したっていうのは…」
「偶然。偶然なんだけど…ちょっと利用させてもらっちゃった」
津田さんが食らいついた。
「どうやって」
「終業式の前の日には、次の日の朝に自分が自殺するってことは分かってた。だから、どうしたら自然かなってずっと考えてたら、私のヘアピンがなくなった。だから、ちょっと過剰に騒いでみちゃった」
「な…なんだよ! すげー焦ったんだぞ!」
津田さんはちょっと怒ったように声を上げた。
「ごめんね、つだまるちゃん」
橘さんはさらに尋ねる。
「あの…伊村さんのことは?」
「それは本当に、ぜんぜん知らないの。ヘアピンを盗んだのがナオちゃんだったってことも、知らなかった。だから…私の自殺がナオちゃんのせいで、それを理由にナオちゃんが狙われるんだとしたら…って。それだけは違うんだって言わないとって、思ったんだ」
そこまで郷さんが言ったところで、誰かの悲鳴が聞こえた。間に合わなかったんだろうか。どうしようと思う間もなく、タイラーが獣のような素早さで教室を飛び出し、それを追って橘さんも出て行く。
「ちょっと待ってタイラー!」
私はふたりを止めようと声を上げる。
「あなたたちまで!」
津田さんは私に言った。
「ほっとこう、委員長」
「どうしよう…私のせいで…」
郷さんがまた申し訳なさそうに言う。
「あんなに沢山行ったんだから、大丈夫だよー」
つぐみちゃんが暢気に言う。細田さんが殺されちゃったらどうするのよ。
「でも…」
言い淀む郷さんの肩を、田口さんが掴んで言った。
「サトミ! なんで死んじゃったんだよ!!」
「ヨシミちゃん、私のためでなんか、泣かないで」
「泣いちゃ悪いかよ! 笑えよ!」
田口さんは泣いていた。私ももらい泣きしそうになってくる。
「ううん。私のために泣いてくれてるんだったら、本当に嬉しいし、本当にごめんなさい」
「ワタシだけじゃないだろ…」
震える声でやっと言った田口さん。郷さんはみんなへ顔を回し、謝った。
「ごめんね、みんな…」
「例え13年前のサトミがかけた魔法なんだとしても、私たちはあなたの友だちなんだよ」
埋田さんが力強く言った。田口さんは何も言わずに郷さんへ抱きつく。
「うええええー、ヘアピン見つからなかったとき、酷いこと言って悪かったよおお」
津田さんも泣きじゃくりながら抱きついた。
「ありがとう。気にしてないよ」
私の頬もにも温かいものが流れていった。
「なんだかね、長い長い夢から、醒めたみたいな感じがするの」
「どういうこと?」
私はその発言の真意を尋ねた。
「私、去年までは、年末に自殺して、だけど年が明けたらもう魔法が解けて、誰も私のことなんて覚えていない中、一人でずっと教室の中に座ってる…そんな感じだったんだ。それなのに、1月の半ばになっても、私はこんなにもみんなの中にいられたんだよ。それって、奇跡」
「忘れるもんか!」
田口さんが強く叫ぶ。
「忘れられないよ」
埋田さんも声を上げる。
「…うん。そうだったら、本当に嬉しいな…。たぶんね、こうやって最後にみんなの前に出てくることができたのも、奇跡なんだと思うんだけど…」
「なんだよ」
津田さんが続きを促す。
「たぶん…これが最後の時なんだ…」
「最後だなんて!」
つぐみちゃんが声を上げた。
「そんなこと言うなよ!」
田口さんも泣きながら叫ぶ。
「みんな、ありがとう。本当に、ありがとう。今ここにいないみんなも、ありがとう。みんな、大好き。私、このクラスの一員になれて本当に良かった。ありがとう!」
私は必死に泣いていることを隠しながら、それでもきっと隠せていなかっただろうけれど、なんとか一言郷さんに尋ねた。
「行ってしまうの?」
「重りが取れたみたいな感じがするの。体が浮かんでいくような感じがしてて…」
「行くなよ! 友だちだろ!」
「ありがとうヨシミちゃん。思いっきり、やりたいことをやってね!」
「行かないで!」
埋田さんが悲痛に呼びかける。
「サエさん…。ごめんね。私、最後にもう一人にだけ、お別れを言いに行かなくっちゃ。もう行くね。みんな、ありがとう。またね!」
そう言うと、郷さんはがくっとうなだれて、抱きしめていた田口さんの肩に顔を埋めたような形になった。私の両頬を熱い涙が伝っていった。なんだか心が洗われるような、潤いのあるものが体の中を通り抜けていったような感じがした。
「あれ? みんなどうしたの?」
郷さんが抜け出たらしい、まことがぼんやりした声で言う。がらりと教室のドアが開いて、和泉さんと岡崎さんが入ってきた。教室の様子を見て戸惑った様子の和泉さんは、警戒したように声を発した。
「ヨシミもつだまるも、そんなに井上と仲良かったっけ?」
慌ただしい3学期を走り抜けた。担任の交代に傷害事件、さらに人体模型落下事件。最後のものは山浦さんの関わりが濃厚だったけれど、そのまま本人が留学してしまったから有耶無耶になったのがもどかしく思った。あれだけの騒ぎを起こしたそもそもの理由が、今となってはよく分からないまま。傷害事件に関わった伊村さんも細田さんもいなくなってしまったからそちらの真相解明も闇の中。この学校は13年前の生徒の自殺から呪われているんじゃないかと思う。何も解決していないけれど、そのまま事象は変化していく。
3年生が卒業して私は生徒会長になったので、修了式の終わった今日も、昼を食べつつそのまま生徒会の打ち合わせだ。新学年、新学期、色々と準備をしなければならないことがある。学年に1クラスしかないから、他の役員もクラスメイトにならざるを得ないけれど、見知った顔ならやりやすい。副会長には神保さん、書記に橘さんと、優秀な人が引き受けてくれたので心強い。人選的には同じ吹奏楽部の橘さんよりも、バドミントン部の橋本さんに入って欲しかったのだけれど、部活と勉強で忙しいらしく断られてしまった。
吹奏楽部のことを考え出すと、タイラーともじゃのふたりに後輩を任せるのは不安に思える。先生がいるから最悪なことはないと思うけれど。今日の昼練はちゃんとやっているだろうか。ああ、考え出すとついつい悪い方へ悪い方へ考えてしまうのが私のよくないところ。ふうとため息をついて呼吸を整える。
「会長、大丈夫?」
神保さんが尋ねる。なんだかその呼び名がこそばゆい。私はこの学校の生徒会長になったんだなと実感する瞬間だ。しっかりしなければ。
「大丈夫、大丈夫」
私は自分に言い聞かせるようにそう言った。
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