【so.】津田満瑠香[5時間目]
「いまからホームルームを始める」
三条先生は深刻そうな表情で言った。でも、教室へ入ってくるときにハセベのパンの袋を持っていたことに私は気づいていた。あたし達には真っ直ぐ教室へ戻るよう委員長に言わせといて、その間に自分はちゃっかりパンを買ってたんだ。狡いなと思った。
「せんせー昼ご飯は?」
さっちんが尋ねる。もし、さっちんにバレたら、三条先生は半殺しにされんじゃないかと思う。
「このあと5時間目をその時間にする」
「ハセベのおばちゃんが帰っちゃうよ!」
「ハセベさんにはさっき5時間目が終わるまで待っていてくれるよう頼んでおいたから安心しろ」
「マジか~。じゃあ5分でおわろ!」
「そうはいかない。君たちに聞きたいことがあるからだ」
長くなるんだろうなと思った。あたしは今日はお弁当持ってきてるから良いけれど、なんだか憂鬱な気分がした。
「こないだ面談やったじゃないっすかー」
イズミンが不満そうに言う。
「年末の件はもういいんだ」
「いいってどういうことですか」
サエさんが噛みついた。サトミのことが有耶無耶にされたことに、サエさんは我慢がならないんだろう。もしかしたらサトミの自殺の原因にあたしも含まれるのかもしれないって考えが消えない。もう絶対に無理なことだけれど、可能ならあたしはサトミに会ってごめんねって言いたかった。
「…えっとな、さっき人体模型が落ちてきたな」
先生が話を始めると、イズミンがぶっ込む。
「山浦が犯人ー?」
「…まだ分からない」
「三条先生、でも、山浦さんだけいません」
委員長まで山浦のこと疑っているらしい。まあ、この場にいないんだから、怪しさ100%だよね。
「…そうか」
「山浦さん、面談のあと、怒って帰ってきましたけど」
サエさんは山浦とも仲が良かったから、やっぱりこの流れも面白くないらしい。
「えっとな、山浦の件はあとで説明するから、まず俺の話を聞いてくれ。君たちの中で、裏サイトってものを知ってるのは何人くらいいる?」
胸をギュッと締め付けられる感覚。ああ、やっと記憶から薄れてきていたっていうのに。
「何それー」
さっちんが興味なさげに言う。
「匿名で誰でも書き込めるネットの掲示板のことなんだが、このクラスの掲示板もあってだな」
「先生」
ナオが弱々しく声を出した。
「なんだ」
「もう、郷さんのことがあって、さっきの人体模型落とすような酷いことがあって、これ以上、刺激の強いこと、やめてください…」
「いや、なんというか」
「先生、先生、ほんと、ワタシ、つらい…。さっきから気持ち悪くて吐きそうなんです」
そう言うとナオは吐く演技をした。あざといなーと思った。
「大丈夫か。ちょっと隣の席だから悪いけど、伊村な、細田を保健室まで連れて行ってくれないか」
「…わかりました」
伊村さんに連れられてナオは教室を出て行った。あんなあからさまな演技をしてでも、このホームルームをバックれたかったのか。大人も狡けりゃ同学年も狡い。あたしは狡くはなりたくないなと思う。
「他の者も気分が悪くなったりしたら、遠慮せず言うように。それで…どこまで話をしたか…」
「このクラスの裏サイトについてです」
委員長はほんと頼りになるよな。
「そうだ。えー、実は先生は前から裏サイトの存在を知っていたんだけれど、取り立てて問題視はしていなかった。でもな、今日の書き込みの中に、看過できないような物があったんだ」
「カンカってなんですか?」
正恵が尋ねた。カンカってなんだろうね。
「殺害予告じみたものがあったんだ」
げっ。カンカって殺害予告ってことかよ。
「ひっ」
誰かが小さな悲鳴を上げた。
「いいか、ちょっと気分を悪くする者もいるかもしれないけれど、読み上げるぞ。…やってやるやってやるやってやるよ見とけよ。この書き込みが午前中の最後の書き込みだ。そして人体模型が落ちた」
「じゃあ山浦が書き込んだんだ!」
イズミンが叫ぶ。
「…あくまで可能性が高い、推測の話だ」
「推測で犯人扱いするんですか」
サエさんが反発すると、イズミンは嫌味っぽく言った。
「決まりじゃん」
サトミの事件があってから、あたしはずっと悩んでいたのに、イズミンはずっとなんだか荒れているように思えた。
「大事なのはな、この後なんだ」
「先生ソレどうやって見んの?」
のりんがスマホ片手に尋ねる。検索出来ないからな-、のりんは。
「わざわざ見なくてもいいぞ。今から読み上げる。…えーと、田口、お前の名前が出てくるからな」
「は? ワタシ?」
ヨシミが驚いて言う。あんな陰湿な場所だもん、ヨシミの悪口とか書かれたんじゃないのかな。
「えー、行くぞ。…田口もたまにはいいこと言うわ。ホント死ねば良かったのに」
「何だよそれ! ふざけんな! 誰だよ!」
ヨシミがブチ切れて、教室はシーンとする。だけど、あれ、これってさっきの廊下で言ったことじゃないのか。
「落ち着いてくれ。次にもうひとつ書き込みがあって終わってるんだが…読むぞ。…それじゃあまずあんたから殺してやるよ。特定したぞ」
「きゃああ!!」
さっきから悲鳴を上げていたのは、つぐちゃんだった。
「せんせーもうやめよう。怖いよ」
もじゃも泣き言を言う。あんたらが言ってなければあたしが言っていた所だった。
「書き込みはここまでだ。俺だって全員を集めてこんなの読みたくなかったけどな、殺害予告があったらもう事件になるんだ」
事件。非現実的な単語が侵入してきた。
「じゃあ、今から犯人捜しをするんですか?」
委員長が怖いことを言った。
「別に魔女狩りをするんじゃないんだ。ただ、起こるかもしれない事件を阻止したいだけなんだ。だからみんなには衝撃的だったかもしれないが、明らかにした。それで聞きたいんだが、この書き込みに心当たりはないか?」
そんなの、誰も答えられないでしょ…。目線だけを周囲へ動かしてみたけれど、誰も何も喋る様子が無い。
「まあ、自分が書き込んだとは名乗り出たりしないよな。じゃあ、その一つ前の書き込みのことが分かる者は?」
「ジョーさー、すっげ気分悪いんだけど」
ヨシミは不機嫌を隠そうともしない。
「保健室行くか?」
「そういうのじゃねーんだよ!」
「この発言に心当たりは?」
ヨシミは先生を無視した。すごいことするな。
「ヨシミちゃんごめん。先生、これは、さっきの体育館からの帰りの廊下での発言です」
ジンさんが耐えきれず言ってしまった。
「ついさっきじゃないか。何があったんだ」
「もういいって!」
ヨシミは発言を遮ろうとしたけれど、のりんは構わずに説明を始めた。
「山浦だけがいなかったから、人体模型を落としたのが山浦じゃね?って話になったら、ヨシミが言ったんす。ホントに死ねば良かったって」
あーあ。また揉めるのかなあ。
「そしたら埋田さんが来て、ヨシミにビンタして」
「本当か埋田」
「言いたくありません」
サエさんがそう言うと、ヨシミが吠えた。
「しただろうがよ!」
教室がビリビリ振動したみたいな錯覚を覚えた。先生はエヘンと咳払いをしてまた口を開いた。
「それでだな」
「ねえ先生、この書き込みした人は、あの場で、会話が聞こえる位置にいた人ですよね。私は離れたところ歩いていたから、埋田さんの言ったことしか聞こえなかったです」
橋本さんが冷静な意見を挟んだ。
「じゃあ、その時、田口の周りに誰がいたか、誰か覚えてるか?」
「あたし、つだまる、やまち」
のりんが言った。うん、あたしは聞いていた。
「私と、細田さんもいました」
ジンさんが続ける。
「私とさっちんはいたし、他にも何人か歩いてたよ」
キミが言うと、さっちんがバカみたいなことを言う。
「私覚えてねーけど」
「おめーはパンのこと考えてたからだろ!」
いいコンビだよなーと思う。
「他にこの会話を聞いてたっていう者は?」
見回したらサエさんだけが黙って手を挙げていた。
「せんせーさー、最後の書き込みしたやつを特定しないといけないんじゃないの?」
イズミンが興味なさそうに言う。
「それが難しいから、狙われそうな方を特定した方が防げるってことじゃない?」
橋本さんがそう言ってくれて、ああ、そうか、と思った。じゃあ、さっき名前が出た中に、裏サイトに書き込みしていて、目を付けられた奴がいるってことになるの?
「ああ、そうだ。だから今、田口の発言を聞いていた者を探してるんだ」
先生が言うと、さっちんも興味なさそうに言う。
「えーじゃあジンさんが殺されるかもしれないってこと?」
「嫌っ!」
あの声は、ノリカ? ひょっとして…いや、でもジンさん前にも名前の書いてないラブレター受け取ったことあるからな。
「好き勝手に発言するなー。いまこうやって全員集めているからそんなことはさせない」
「山浦が殺しに来るんでしょー?」
「黙れ!」
遂にイズミンが怒られた。少し反省した方がいいよと思う。あんな酷い事ばっか言い散らしても、誰も笑っちゃくれないんだから。
「…悪い。ちょっと先生も初めての事態で焦ってる」
疲れた素振りを見せる先生に、委員長が尋ねた。
「三条先生。この、殺害予告をした人物は、郷さんも殺したって事は考えられないんですか?」
「郷は自殺なんだ」
「何故そう言い切れるんですか?」
先生は面倒くさそうに言った。
「理由がない」
何の理由だろう。殺される理由? 自殺してしまう理由ならヘアピンが…いや、でも、それはまだハッキリしてないし…。
「理由なら、終業式の前の日に、郷さんのヘアピンがなくなる騒ぎがあったじゃないですか」
サエさんが、塞ぎかけてた蓋をひっくり返した。
「何それ。そんな話、初めて聞いた」
「えっ、ヘアピンって…何? どゆこと?」
委員長と正恵が口々に言う。ふたりとも、部活に直接行ったから知らないんだな。
「終業式の前の日のね、4時間目の体育の後、サトミちゃんがね、ヘアピンがなくなったってパニックになったの」
やまちがぼそぼそ言った。
「初めて聞いたんだけど。えっ、みんな知ってたん!?」
「私も知らなかった」
正恵が驚いて言って、同じ写真部のツッキーも同調した。
「その時教室に残ってた者だけが知っていることだ」
先生が言うと、ヨシミが声を上げた。
「ちょっとワタシも知らないんだけど!」
「あのね、サトミちゃんが、あの日休んでたヨシミちゃんには黙っててって、何回も言うから、みんな言えなかったんだよ」
やまちが言う。そう、何故だかサトミはヨシミにバレることを随分気にして、懇願してきたんだ。
「じゃあ、郷さんそれが理由で自殺したわけ!? 盗まれたってこと?」
正恵が声を上げる。
「落ち着けって。みんなも知ってるように、次の日の朝に大和が、郷を発見して俺に知らせてくれた。それで警察を呼んで遺体を調べたら、制服のポケットにヘアピンが入っていたのが分かったんだ。それは葬式の時に、田口にも確認してもらったよな?」
三条先生はヨシミに同意を求めると、ヨシミは何か独り言を言った。
「え。っていうことは、盗まれてなかったってことですか?」
もじゃは混乱している様子で尋ねる。
「だからな、みんなに面談で話を聞いたけれど、いじめがあったわけじゃない。郷の遺書が残っているわけでもないから理由は分からないけれど、ヘアピンを盗まれたのが理由じゃないってことは、確かだ。ご家庭の事情のことまでは踏み込めないけれど、それが理由なんじゃないのか」
うん、できれば家庭の事情であって欲しい。ヘアピンが見つからなくって、あたしとイズミンとのりんで、また買えばいいだろって責めて、それでサトミが泣き出しちゃって、あたし達は帰ったんだ。自分勝手な願いだけれど、あれが原因だったなんて、思いたくないんだ。
「せんせーこのホームルームいつ終わる? もう腹がぺっこぺこなんだけど!」
さっちんは空腹しか興味がないらしい。その脳天気さが羨ましい。
「もうちょっと我慢しろ。まだ5時間目の最初だろ」
「もーむりー」
「みんな協力してくれ。そしたら早く終われる。他に何か、思い当たることはないか?」
のりんが尋ねた。
「サトミのこと?」
「いや、書き込みのことだ」
裏サイトの殺害予告か。あたしにアレを教えてきたのはイズミンだ。実はイズミンが書き込みを重ねていたとかなら、納得も出来る。でも、だとすると、イズミンが殺されてしまうじゃないか。それはさすがに求めてない。だいたい殺すだなんて…。そこまで考えて、あたしは4時間目に体育館の裏で目撃したものを思い出した。
「先生。あの」
あまり思い出したくはないけれど、声を出してみた。
「なんだ、津田?」
「さっき、体育館の裏で、猫が死んでて…」
「それ何の関係があんだよ」
イズミンが激しく当たってくる。
「あたしも一緒だったけど、猫が殺されてたっぽい」
のりんが助け船を出してくれて助かった。
「どうして分かるの?」
委員長が尋ねてきた。
「誰かが猫を拾ってきて、体育館の裏に段ボールで家を作って飼いだしたの。で、みんなで餌をやったりしてたから」
あたしがそう言うと、予想外の所を委員長が問い質してきた。
「ちょっとそれ顧問の先生が許可したの?」
うわー、めんどくせーな。すぐにのりんが続けてくれて、ホッとした。
「今そんな話じゃないっしょ委員長。その猫が、変な物食べさせられて死んでたのを、さっきあたしとつだまるで見つけたの」
「それはいつの話だ?」
先生が尋ねる。
「昼休みの前」
のりんが答えた。あたしは倒れていた猫ちゃんの姿を思い出してしまい、悲しい気持ちになってきた。
「昨日の放課後は猫ちゃん元気にしてたのに…」
思わず口にすると、イズミンがまたウンザリしたように言う。
「だからさあ、猫と殺害予告と何の関係が」
橋本さんが振り返って言った。
「あのね、猫を殺した人間って、だいたい次に人間を狙うの」
「もうやめてよぉぉぉぉ」
つぐちゃんは大きな声で叫ぶと、両手を耳に当てて、何も聞こえないように自衛した。ああ、あれはいいな。
「待って、体育館の裏?」
今度は曽根さんが尋ねてきたから、答えた。
「うん、バスケ部の部室の裏」
曽根さんは先生に顔を向け、尋ねた。
「…あの、何の確証もない、ただ見かけただけの情報でもいいんですか?」
「それは聞いて判断する」
「朝に、体育館裏から伊村さんが一人で歩いてくるの見たんです」
「伊村は弓道部だろう? 部室から出てきたんじゃないのか?」
「だって私、弓道部の部室から出てきて見かけたんです」
みんな言葉を発することが出来ない。ああ、伊村さんなら…ってなんだか納得できてしまうんだ。
「先生さー。この写真、おかしくない?」
正恵がデジカメを弄りながら言った。
「何か撮ってあるのか?」
「私、卒業式前日の、体育の授業の前に、適当に写真撮ってたんだけど」
そう言うと正恵は席を立って教卓へ歩いていく。ヨシミとサエさんも席を立ち、その写真を見に行った。
「…なんだこれは」
先生は写真を見て、戸惑いの声を発した。
「だから体育の前だって。ナオがヘアピンをポケットに入れる所が写ってるんだけど、これサトミちゃんの机なんだよ。私も今朝、栗原がこの写真をパソコンに表示するまで気がつかなかった」
なんだって。ナオが盗んでたのか!
「ナオがやってんじゃん!」
「盗んでたんだ!」
ヨシミもサエさんも憤ったように叫んだ。あたしも怒りがわき上がってきた。だって、今日までずっと、サトミの死の原因の一端があたしにあるんじゃないかって悩んでいたんだ。
「…いや、でも、首吊った時のポケットには、入っていたんだぞ? 何かの間違いだろ」
先生が言う。たしかに、盗んだんなら、次の日にポケットから見つかるはずがない。おかしいぞ。
「先生。郷さんの遺体の第一発見者なんですけれど、大和さんだけじゃないでしょう」
橋本さんがすべてお見通しって感じで言った。
「…何を言ってるんだ?」
聞き返した先生には答えず、橋本さんは振り向いて呼びかけた。
「ねえ、そうなんでしょ?」
その視線の先にいたやまちは、大きくため息を吐くと白状した。
「…ハァ。そう。わたし、終業式の朝、下駄箱で出会ったナオと一緒に教室に入ったんで、ふたりでサトミちゃんを見つけたんです」
「おい! なんでそんな大事なこと黙ってたんだ!」
先生が声を荒げる。
「あんただってヘアピンのこと黙ってただろ!」
ヨシミがそれに反発すると、先生は一喝した。
「うるせえっ!」
教室は静まりかえっている。もう、疲れたよ。何でこんなにギスギスしているんだろう。誰のせい? サトミのせい? ナオのせい? あたしのせいじゃなかったら、それでいいよ、もう。
「先生。怒鳴るのはやめてください。それで大和さん、だったら終業式の朝、あなたが先生に知らせに行っている間、細田さんはどうしてたの?」
委員長が沈黙を破り、やまちへ尋ねた。
「え、考えたことなかったけど…。なんか、わたしの手柄にしたらいいじゃんって言うから、わたしが先生に知らせに行って、先生と戻ってきた後に、初めて見る感じでナオが教室に入ってきた」
それを聞いた橋本さんは、探偵みたいな推理を述べた。
「…つまり、大和さんが先生に知らせに行っている間に、細田さんは前の日に盗んだヘアピンを、郷さんの遺体のポケットに戻すことだって出来たわけですよね?」
なんだよ、ナオが悪いんじゃないか。あたしが年末年始どれだけ塞ぎ込んでいたと思ってんだ。ナオに対する怒りがじわじわと燃え上がっていく。
「じゃーナオがサトミ殺したってことじゃん!」
イズミンが叫んだ。
「さっきからうるせーんだよおめーはよ! じゃあなんでワタシがサトミを殺したって噂をあんたが流したことになってんだよ!」
ヨシミが今度はイズミンに噛みつく。ヨシミも怒りのやり場に困っているんだろうと思うと、何だか可哀想にも思えてくる。
「だからそれは、ナオがわたしのせいにしたんだって」
「証拠があんのかよ!」
「あの、証拠なら、保存しております」
え、誰? 声のした方を見ると、メガネの人だった。
「…は? なんであんたが出てくんだよ」
「す、すみませぬ」
「証拠ってなに? 教えてよ」
イズミンは藁をもすがるような感じでメガネの人に話しかけた。
「は。ええと、今日の1時間目のあとに、拙者、雪隠へ赴いたのですが…」
「さっちん?」
キミが反射的に口にした。
「パン食いてー!」
さっちんも反射で口走った。
「うるさい! そんで?」
イズミンは真剣だ。だって、ヨシミにぶちのめされる一歩手前だもん。
「ええと、個室の中で、たまたま、たまたまなんですが、私、音声を録音できるアプリを作動させまして…」
「ちょっとコイツ何言ってるかわかんねーんだけど」
ヨシミが声を荒げる。
「誰かの会話を録音したってこと?」
イズミンはなんとか証拠を得ようと頑張っているのが分かる。
「さよう。これをお聞きください」
そう言ってメガネの人は持っていたスマホを操作すると、ナオの興奮したような声が聞こえてきた。
また胸がギュッとなる。
嘘だ。そんな噂、初めて聞いた。ナオがイズミンをハメようとしていたんだ。
「これだ! これだよ、わたしが朝、ナオに変な質問されて、答えたんだ」
イズミンが嬉しそうに言うと、ヨシミはメガネの人に詰め寄った。
「おいメガネてめー、これ、ホントだろうな?」
「さ、さすがに細田氏の音声合成するアプリはありませぬ」
ヨシミはそれ以上責めるのは諦めたらしい。
「ナオがイズミンのせいにしようとしてたのは分かったよ。でも、なんでそんなことしたんだ?」
のりんが疑問を口にする。
「細田さんが、自分への疑いを反らしたかったんじゃ、ない…かな?」
橋本さんが推測を述べて、それを受けてサエさんも言った。
「っていうことは、サトミちゃんが死んだのは、細田のせい?」
「静かに。仮にそうだとしよう。俺がいま問題にしているのは、裏サイトで殺害予告がされたことだ」
そうか。あたしはあんまり見たくなかったけれど、さっき教えられた裏サイトをもう一度開いてログを読み返してみた。さっきのヨシミの発言を聞いていたって話題の時に名前が出た人を思い浮かべながら。すると、否応なしにナオの顔が思い浮かんできた。
「先生、この、ヨシミについて書き込んだのって、ナオなんじゃない?」
まったくのカンなんだけど、イズミンやヨシミに疑いの目を向けさせるような事をしていたナオなら、裏サイトに匿名で書き込んでいたっておかしくないなと思えた。
「ありうる。つーかさー、このログ読み返してると、明らかにナオの書き込みって、分かるよね」
イズミンもログを読み返しながら、賛同してくれた。
「あたし何が書いてあんのかわかんねーから説明してくんねー?」
のりんが尋ねると、イズミンはみんなに聞かせるように説明した。
「ログを見ると、サトミの自殺の後から、やたらそれを茶化すような書き込みがあって、それがナオだと仮定すると、異常にしっくりくる」
「じゃあ、最後の書き込みの特定したっていうのは、細田さんだと特定したってこと…」
橋本さんが独り言のように言った。
「狙われるのは、細田ってことか!」
三条先生が大きな声で言った。
「先生! 伊村さんが細田さんを保健室に連れて行って、どれくらい経ちますか!」
焦った様子で委員長も声を上げる。橋本さんとジンさん、ノリカが即座に席を立って、教室を飛び出していく。次にのりん、やまちも立ち上がり、あたしも立ち上がったイズミンに左手を引っ張られた。だけど、連れだってここを出るつもりにはなれなかった。
ナオがヘアピン盗んで、それが原因でサトミが死んじゃって、その後こっそりヘアピン戻してって…全部ナオが悪いんじゃないか。ナオの自業自得じゃないか。ナオを助けになんて、行きたくない。
それから、サトミの自殺にショックを受けたあたしがずっと塞ぎ込んでいても、イズミンはちっとも関係ないって態度だったのが許せなかった。それで今さら一緒に来いよだなんて、どういう神経してるんだと思った。あたしがイズミンの手をぱっと払いのけると、イズミンは軽く舌打ちして行ってしまった。
「堀川! みんなを教室から出すな!」
三条先生も委員長に言いつけると教室を出て行った。慌てて教卓へ立った委員長に、さっちんの突き上げが襲う。
「委員長! もう昼にしよう!」
「だめです! みんなを教室から出さないように言われたので」
「じゃあ何するの」
キミも呆れて言った。
「先生が戻るのを待ちます」
「もうむり。今からパン買いに行く!」
立ち上がるさっちん。ああ、もう止められないな、これ。
「だめ!」
「私以外にこの空腹を救える者はありえない!」
なんか英雄みたいになってきたぞ。
「委員長、これもう止まらないよ。諦めて」
キミも席を立った。
「お願いだから!」
「パンを求める者は私について来いっ!」
もじゃが立ち上がった。
「いえい!」
「ごめん委員長、私ももうおなかが限界」
正恵も立ち上がり、曽根さんも黙って立ち上がった。5人は悠々と教室を出て行く。
「どうしてみんな私の言うこと聞いてくれないのよぉ…」
委員長はうなだれている。
「いいんちょう、大丈夫。まだ大勢残ってるよ」
つぐちゃんが優しい言葉をかけた。
「パン買ったら戻ってくるでしょ」
ヨシミはぶっきらぼうに言ったけど、多分そうだと思った。
「部長ー、みんなでお弁当食べよー」
タイラーが待ちきれないみたいに言った。あたしもそれに乗っかる。
「さんせー!」
「それは」
もう一押しじゃないのかな。
「部長、いま最善の指示は何?」
橘さんに尋ねられて、遂に委員長は折れた。
「それじゃあ…みんな…お弁当にしましょうか」
良かった。やっとお昼ご飯を食べられる。あたしはお弁当を取り出して、ヨシミの隣の席が空いているのに気がついた。もじゃの席だ。もじゃなら、勝手に席を使っても怒らないだろう。あたしはヨシミの所まで歩いていった。
「ヨシミ、一緒に食べよ」
ひとりで食べるのが嫌だったからヨシミと一緒に食べようと思ったんだけれど、ヨシミはお弁当を持ってきていないみたいだった。パン買いに行くつもりもないのか、お昼抜くつもりなのか。なんだか気まずさを感じながらも自分のお弁当を広げて、心の中で「いただきます」と唱えた。
「結局さ、ナオの自業自得よね」
卵焼きを口へ運んだあたしに、ヨシミが言った。
「あー。え?」
さっき同じ事思ったな。あたしは口にものが入っていて喋られないってことにして、しばらくモグモグ噛んでいた。
「サトミのヘアピン盗んで知らん顔して、次の日にサトミが自殺したのにビビって、こっそりヘアピン戻したってことでしょ?」
卵焼きを飲み込んで、あたしはただ返事を返した。
「うん」
「そんで自分への疑いを晴らそうとあれこれ工作してさ、全部バレて今殺されそうだなんてさ」
「まあね」
言葉はトゲっぽいけど、ヨシミの言うとおりだと思った。
「なによりワタシを犯人に仕立てようとしたのが許せない」
「うん、それは酷いよね」
あたしはペットボトルのほうじ茶をゆっくり飲んだ。
「サトミが可哀想だよ。死んでまで利用されてさ」
「うん」
「案外、サトミもナオに殺されたんじゃないの?」
だんだんヒートアップしてきたなと思う。言葉に困る。
「それは…さすがに」
「ナオなんか」
「いや、もうやめよ、その話」
あたしはヨシミの言葉を遮った。いま、殺されてしまえばいい、って言おうとしてたと思う。さすがにあたしはそこまで酷いことは思わない。
「ン? ああ、そだね…」
あたしは何か全然別の話題がないかなと考えながら、おかずのハンバーグをかじった。
「えっ、ちょっと待っ」
左隣の席でひとりでお弁当を食べていた井上さんが、急に慌てたような声を出した。
「まこちん、どしたのー?」
向こうから、つぐちゃんが声をかける。でも井上さんはがくんと俯いてしまって動かない。
「まこちん? まこちん!」
つぐちゃんが必死に呼びかけると、井上さんはむくっと起き上がって声を上げた。
「ちがうちがう! ちがうの!」
「まこ…ちん?」
つぐちゃんが戸惑っている。あたしも口の中のハンバーグをかみ続けた方がいいのか迷っている。
「つぐちゃん、私、郷。郷義弓。ちょっと信じられないだろうけど、サトミが井上さんの体を借りてるの」
はあ?
「井上テメー悪い冗談やめろよ!」
井上さんの方を向いていたから、後ろからヨシミのドスの効いた声がしてビックリした。
「ヨシミちゃん、まこちんはそんな冗談言うコじゃないよ?」
つぐちゃんがヨシミへ言う。
「ありがと、つぐちゃん。私、死んでた。死んでたんだけど、それに気づかないまま、この教室にいたんだ」
井上は席から立ち上がった。いや、サトミ…?
「ほんとに…あなた、サトミなの?」
サエさんも困惑して尋ねる。
「サエさん! 今はただ信じて欲しい。私、みんなに伝えたいことがあるの」
「井上さん? 郷さん?」
委員長も戸惑って話しかける。
「今はサトミでも郷でもいいよ、委員長。私、ナオちゃんが私を殺したことにされちゃってるの、どうしても訂正したくって、いまこうして井上さんの体を借りたんだ」
サトミが井上さんに乗り移ってるって…そんなドラマみたいなことあるもんかと思ってしまう。
「ほんとに…サトミなの? なんで井上なの…?」
ヨシミも混乱しているらしい。
「私ね、自分が死んだことに気がついてもいなかったんだけど、それに気がつくまでずっと、井上さんだけが私のことを見えてたの。霊感が強いのかな? だから、試してみたら、乗り移れたんだ」
そういえば、移動教室から戻ってきたとき、井上さんの他に誰もいない教室で、井上さんが何か喋っていたのを見たことがあった。先週くらいだったと思う。独り言かと思ったけれど、会話してたってこと?
「まこちん…じゃないの? サトミちゃん?」
つぐちゃんが立ち上がった。
「そうなの、つぐちゃん。久しぶり!」
「サトミちゃんー!」
つぐちゃんと井上さんの見た目したサトミは抱き合った。つぐちゃんは泣いていた。
「サトミ! 伝えたいこと…って、なに?」
サエさんが尋ねる。
「そう…。あのね、私はナオちゃんに殺されたわけじゃないの。それだけ言わないと…って思って」
あたしは思わず口走る。
「なら、なんで!?」
すぐに後ろから大きな声で、言おうと思ったことを言われてしまった。
「なんでワタシに断りなく死んじゃったんだよ!」
ヨシミの声は震えていた。
「ごめんねヨシミちゃん。私、実はみんなと同級生じゃないんだ…」
「はぁっ?」
あたしは大げさに聞き返してしまう。意味が分からないよ。
「あの…どういうことか、説明してもらえます?」
橘さんがサトミに尋ねた。
「もちろん。そうさせて」
「郷さん…。あなた、同級生じゃないっていったら…13年前の…?」
委員長が立ち上がって、気になることを言った。
「さすが委員長、その通り。私はね、13年前、2学期の終業式にこの教室で自殺したの」
何その話。
「あ…この学校の、黒歴史ですな!」
メガネの人が興奮したように言う。
「何よそれ。知らないんだけど」
ヨシミも知らない話らしい。
「たしか13年前にこの学校の生徒が自殺して、それ以来この学校の人気がなくなったって噂の…」
ツッキーがそう言って、そういえば昔そういうことがあったって聞いたことを思い出した。歴史のある学校だから、そういうこともあったんだろうなとしか思わなかったけれど。
「はは…そういうことに…なるのかな」
自嘲気味にサトミは言った。
「もうつまんねー冗談やめろよ井上!」
ヨシミが声を上げる。いや、井上さんってこんな話し方じゃないし、信じられなくても信じるしかないと思うけど。
「ヨシミちゃん、サトミちゃんだよ? わたし、わかるの」
つぐちゃんがサトミを庇う。
「わかんねえよ! なんなんだよ! なんでサトミが死んじゃうんだよ!」
ヨシミは泣き出してしまった。どこか現実感のなかったサトミの自殺を、認めざるを得ないのが嫌だったんだな。思わずあたしも泣いてしまいそうになる。
「ヨシミちゃん、ごめん。私あんまり時間がないみたいだから、とにかく説明するね」
えっ。井上さんには悪いけど、一緒にお昼食べたりしたいのに。
「郷さん。13年前に亡くなったあなたが…なぜこのクラスに…?」
委員長が気になっていたことを聞いてくれた。
「うん…。私ね、死んでからずっと、ずっとここの教室にいたんだ」
「えっ。おうちは?」
タイラーが思わず尋ねる。
「ねぇ、不思議でしょ? 朝になるとここにいて、そのままここから出られないの…」
「嘘よ! だって一緒に帰ったりしたじゃない」
サエさんがサトミの言葉を否定する。あたしだって、サトミが山浦たちと帰るところなんて何回も見ている。
「うん、それはね、私がみんなに魔法? みたいなのを掛けちゃってたんだんだと思う」
「どんな妖術なのですか!」
「知りたいです!」
メガネの人とそのツレが興奮して尋ねる。そういうの後にしろよと思う。
「掛けちゃってた…っていうのは?」
サエさんがさらに尋ねた。
「私も仕組みはよく分かんないんだけど…。説明が難しいな…。えっと、私が普通にみんなと毎日を送ってるっていう風に思うような、そういう魔法がみんなに掛かっていたの」
「じゃあ、意図せず、自然に…ってこと?」
「…うん」
なんだかサトミは俯きがちに答えた。
「なんでそれが、私たちだったのかしら?」
「…うん」
委員長に尋ねられて、サトミはさらに俯いてしまった。
「あなた、13年前に亡くなったのよね?」
言葉に詰まるサトミに、橘さんが尋ねた。
「郷さん、あなたまさか、毎年…?」
サトミはぱっと顔を上げて言った。
「そう。私が死んで、次の学年から、毎年。毎年4月の最初からこの教室にいて、2学期の終業式に自殺してたんだ」
あたしはとても信じられなくって、言い返す。
「次の学年って…1年生が2年生に上がったときに、そのクラスに加わるってこと? 気づくでしょフツー?」
「それができちゃう…魔法?」
サエさんが言った。
「うん」
あたしはさらに言う。
「なんでそんなことを」
「私が知りたいくらいなんだけど…そういう風になってたの。そんな仕組みの中で、私は毎年4月から12月まで、その年の2年生なの」
「なら、私たちは、幽霊の郷さんと一緒に、2学期まで夢を見てたっていう感じ?」
ツッキーがまとめると、サトミは笑って言った。
「綺麗に言うとね」
あたしは、朝練のときに三上が言っていた幽霊って、サトミのことだったんだと気がついた。それから、年明けからずっと厚着ののりんの、その理由も。
「じゃあ、サトミはワタシと友だちでも何でもないってことかよ!」
ヨシミが声を上げる。怒りと悲しみとがぐちゃぐちゃになってるような、気の毒になるような表情をしていた。
「ヨシミちゃん、それは違う」
「どこが違うんだよ! 全部魔法だったんだろ! 騙されてたんだろ!」
「それは違う。違うよ。たしかに私、みんなを騙してたのかもしれない…。でも、みんなと過ごした去年の私。それは紛れもなく本物の私だよ」
「だったら、なんで死んじゃうのよ!」
サエさんも震える声で言った。
「サエさん…。私だって、死にたくなかった。死にたくなかったんだよ! だって、だって、私、このクラスのこと、大好きだったんだから!」
ぶわっと涙があふれ出した。止められなかった。
「じゃあ、自殺してしまうことは変えられなかった…ってことね」
委員長が言う。
「うん」
橘さんが、確認をする。
「っていうことは、細田さんがヘアピンを隠したっていうのは…」
「偶然。偶然なんだけど…ちょっと利用させてもらっちゃった」
「どうやって」
あたしは思わず尋ねた。
「終業式の前の日には、次の日の朝に自分が自殺するってことは分かってた。だから、どうしたら自然かなってずっと考えてたら、私のヘアピンがなくなった。だから、ちょっと過剰に騒いでみちゃった」
「な…なんだよ! すげー焦ったんだぞ!」
思わず声を上げてしまった。だって、だって、ずっと申し訳なく思っていたんだ。
「ごめんね、つだまるちゃん」
なんで謝るんだ。謝らなきゃいけないのは、あたしの方なのに。涙がぼろぼろ出てきて悔しい。
「あの…伊村さんのことは?」
橘さんは冷静に質問を続ける。
「それは本当に、ぜんぜん知らないの。ヘアピンを盗んだのがナオちゃんだったってことも、知らなかった。だから…私の自殺がナオちゃんのせいで、それを理由にナオちゃんが狙われるんだとしたら…って。それだけは違うんだって言わないとって、思ったんだ」
悲鳴が聞こえた。タイラーがばっと走り出して、橘さんもそれに反応した。
「ちょっと待ってタイラー!」
ふたりは教室を出て行ってしまった。
「あなたたちまで!」
委員長がまた焦る。
「ほっとこう、委員長」
あたしは委員長に言ってやった。
「どうしよう…私のせいで…」
サトミは申し訳なさそうに言う。
「あんなに沢山行ったんだから、大丈夫だよー」
つぐちゃんが、優しく言った。
「でも…」
「サトミ! なんで死んじゃったんだよ!!」
サトミの肩を掴んで、ヨシミが声を上げた。
「ヨシミちゃん、私のためでなんか、泣かないで」
「泣いちゃ悪いかよ! 笑えよ!」
「ううん。私のために泣いてくれてるんだったら、本当に嬉しいし、本当にごめんなさい」
「ワタシだけじゃないだろ…」
サトミは周りを見回した。泣いているあたしとも目が合った。
「ごめんね、みんな…」
「例え13年前のサトミがかけた魔法なんだとしても、私たちはあなたの友だちなんだよ」
サエさんがそう言うと、ついにサトミの目尻から光るものが流れた。ヨシミは何も言わずに、サトミを抱きしめた。
「うええええー、ヘアピン見つからなかったとき、酷いこと言って悪かったよおお」
あたしもサトミの後ろから抱きついた。言えた。やっと言えた。ずっとサトミに言いたかったんだ。
「ありがとう。気にしてないよ」
サトミはあたしに優しくそう言うと、天井の方を見上げて言った。
「なんだかね、長い長い夢から、醒めたみたいな感じがするの」
「どういうこと?」
委員長が尋ねた。
「私、去年までは、年末に自殺して、だけど年が明けたらもう魔法が解けて、誰も私のことなんて覚えていない中、一人でずっと教室の中に座ってる…そんな感じだったんだ。それなのに、1月の半ばになっても、私はこんなにもみんなの中にいられたんだよ。それって、奇跡」
「忘れるもんか!」
ヨシミは強くサトミを抱きしめた。
「忘れられないよ」
サエさんも言う。あたしだって言いたかったけど、涙が止まらなくって言葉にならない。
「…うん。そうだったら、本当に嬉しいな…。たぶんね、こうやって最後にみんなの前に出てくることができたのも、奇跡なんだと思うんだけど…」
黙ってしまうサトミに、あたしはやっとの思いで言葉を吐いた。
「なんだよ」
「たぶん…これが最後の時なんだ…」
「最後だなんて!」
つぐちゃんが声を上げた。
「そんなこと言うなよ!」
ヨシミも叫ぶ。
「みんな、ありがとう。本当に、ありがとう。今ここにいないみんなも、ありがとう。みんな、大好き。私、このクラスの一員になれて本当に良かった。ありがとう!」
嫌だよ。こんな最後って、嫌だよ。
「行ってしまうの?」
委員長が尋ねる。
「重りが取れたみたいな感じがするの。体が浮かんでいくような感じがしてて…」
「行くなよ! 友だちだろ!」
ヨシミが泣きながら叫んだ。
「ありがとうヨシミちゃん。思いっきり、やりたいことをやってね!」
「行かないで!」
サエさんも大きな声で叫んだ。
「サエさん…。ごめんね。私、最後にもう一人にだけ、お別れを言いに行かなくっちゃ。もう行くね。みんな、ありがとう。またね!」
抱きしめていたサトミの体は力なく崩れて、ヨシミの方へ倒れ込んだ。すぐに頭だけがゆっくりと上に上がって、ぼんやりとした声で言った。
「あれ? みんなどうしたの?」
サトミじゃない、井上さんに戻ってしまった。あたしは声を上げて泣いた。いつの間にか外からイズミンと正恵が帰ってきたみたいで、あたしたちを見つめて不安げに言った。
「ヨシミもつだまるも、そんなに井上と仲良かったっけ?」
伊村さんの起こした騒ぎのあとで、ヨシミとのりんの険悪な感じは嘘みたいになくなってしまった。イズミンとほっと胸をなで下ろしたんだけど、ヨシミは今度はおかしなくらいに勉強に打ち込み始めた。夢が出来たと言っていて、のりんもイズミンも理解できないようだった。
あたしには分かる。ヨシミはサトミの夢を引き継いだんだ。のりんとイズミンや、他にもほとんどサトミのことを覚えてるやつがいなくって、壮大なドッキリに引っかけられてるんじゃないかって最初は思った。どういう原理かは分からないけれど、サトミに思い入れの強かった人からは完全に記憶から消えなかったんじゃないか、そうヨシミと話したことがある。あたしはそこまでサトミと親しかったわけじゃないけれど、ヘアピン騒ぎで言い過ぎたってずっと後悔してたから、それで完全に忘れることが出来なかったのかなって思う。覚えてる奴だけで覚えておこうってヨシミは言った。あたしもそれでいいと思った。
後輩の三上に「最近は幽霊を見たって話ある?」と聞いたけれど「そんな話しましたっけ?」と返されて、こんな所までなかったことになるんだなって思った。のりんは異常な厚着をしなくなったし、ま、そういうことなんだろうなって納得した。こんなことならサトミともっと沢山お喋りしとけば良かったなって、そういう後悔は少しだけあるんだけどね。
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