【so.】細田 直己[5時間目]
「いまからホームルームを始める」
三条センセーが教壇から言った。
「せんせー昼ご飯は?」
早速ぶーちゃんが餌の心配をしている。
「このあと5時間目をその時間にする」
「ハセベのおばちゃんが帰っちゃうよ!」
コンビニでなんか買ってきとけばいいじゃん。
「ハセベさんにはさっき5時間目が終わるまで待っていてくれるよう頼んでおいたから安心しろ」
「マジか~。じゃあ5分でおわろ!」
「そうはいかない。君たちに聞きたいことがあるからだ」
長くなるのか、この時間。くだらない。
「こないだ面談やったじゃないっすかー」
和泉が不満げに言った。面談はワタシも先週やった。演技力が試されるなと思って、気合いを入れて臨んだ。こういう時からの積み重ねが、女優になったときに生きてくるかもしれない。
「年末の件はもういいんだ」
「いいってどういうことですか」
埋田が噛みつく。いいって言ってんだからいいじゃんか、もう。
「…えっとな、さっき人体模型が落ちてきたな」
「山浦が犯人ー?」
和泉がいきなりぶち込んだ。アイツいないもんねえ。
「…まだ分からない」
「三条先生、でも、山浦さんだけいません」
委員長にまで疑われてる山浦。笑える。ツメが甘いのよ。ワタシが人体模型落とした犯人だったなら、しれっと今この時間にも参加してるね。
「…そうか」
「山浦さん、面談のあと、怒って帰ってきましたけど」
埋田は山浦の庇っている。アンタも共犯なのか。
「えっとな、山浦の件はあとで説明するから、まず俺の話を聞いてくれ。君たちの中で、裏サイトってものを知ってるのは何人くらいいる?」
危うく声を上げそうになった。その話題は想定していなかった。
「何それー」
ぶーちゃんが興味なさそうに言った。
「匿名で誰でも書き込めるネットの掲示板のことなんだが、このクラスの掲示板もあってだな」
誰が書き込んだか検証するつもり? ワタシそこまでマズいこと書いたっけ? 書いてないとは断言できないから、細かく詮索されてはボロが出てしまう。ひとまずこの場を脱して策を練るほうが賢いのではないかと思った。
「先生」
ワタシは気分が悪くなった風を装って弱々しく言った。
「なんだ」
「もう、郷さんのことがあって、さっきの人体模型落とすような酷いことがあって、これ以上、刺激の強いこと、やめてください…」
「いや、なんというか」
明らかに三条センセーは戸惑っている。男なんて弱い女に強く出られないんだからチョロいもんだ。
「先生、先生、ほんと、ワタシ、つらい…。さっきから気持ち悪くて吐きそうなんです」
ワタシは前にVoiTuboで見た「リアルに見える吐く真似」って動画を再現してみせた。やっぱり日々の積み重ねが生きるのよね。
「大丈夫か。ちょっと隣の席だから悪いけど、伊村な、細田を保健室まで連れて行ってくれないか」
「…わかりました」
ちっ。今の席順を呪うわ。隣がもっとチョロい奴なら簡単に巻けるのに。仕方ないから、肩を差し出してきた伊村に右腕を預けて、よろよろと歩いて教室の後ろのドアから並んで外へ出た。保健室、遠いんだよな。しばらくノロノロ歩いて、トイレの前まで来たところで言った。
「ありがとう。もう大丈夫だから。教室に戻って?」
トイレで休めば大丈夫かも、と付け加えようかと思ったら、伊村は無表情に言った。
「いや、ついて行くよ」
このままあと半分廊下を歩いたあと階段を降りて保健室へ着くまで、のたのたと歩かなければいけないのもなかなか苦痛だ。けれど仕方ない。ひとまず体調不良を演じきって、保健室のベッドで今後の作戦を考えよう。他の学年もホームルームは長引くようで、まだ誰も廊下を歩いていない。伊村にサポートされながら、ゆっくりと階段を降りて、保健室のドアの前までやって来た。ワタシは伊村の肩から腕を放して言った。
「ほんとうにありがとう。でも、もうひとりで大丈夫だから」
伊村は気味の悪い目つきでこちらを見ながら言った。
「大丈夫なもんか。全部分かってるんだよ」
意外な反応に、頭の中が真っ白になる。
「えっと、何のことかな?」
「もうそういう演技は要らないよ。郷さんを殺したのだって、第一発見者を大和さんに仕立てて工作したのだって、裏サイトで暗躍してたのだって、全部分かってるんだ」
「…なんなのあんた」
ワタシは思わず後ずさりをした。
「だいぶゆっくり歩いてくれちゃって。時間が勿体ない。普通に歩けるだろ」
「あんたなにが言いたいのよ」
「ここじゃなんだから、誰も来ない所へ行こうよ」
そう言うと伊村は向こうへ歩き始めた。ワタシが何でついていかなきゃいけないんだ。2、3歩進んで伊村はこちらを振り返って言った。
「来て、くれるよね?」
「わかったわよ」
1階の廊下を伊村は下駄箱のほうへとスタスタ歩いていく。ワタシの体調不良は演技だと分かっているとでも言うみたいに。主導権を握られているのが不愉快だ。さっき伊村の言った「全部分かってる」って言葉が引っかかる。裏サイトに書き込まれていたのと同じ文言じゃないか。だとすると、裏サイトに書き込んでいたのは伊村? 伊村の後ろで一歩一歩踏み出す毎に、ぞわぞわする感覚が全身に広がっていく。
「ちょっと、どこまで行くのよ」
後ろから声をかけたけれど、伊村は答えない。辿り着いた下駄箱で伊村が外履きに履き替えたから、渋々ワタシもローファーを履く。
「ねえ、あんた何が目的? お金なら10万円までなら何とか払う」
下駄箱から外へ出るとかなり寒い。伊村は怒りを露わにして言った。
「はあっ? 僕が金目的で君を強請るとでも思ったのか!? 舐められたもんだな!」
そう言うとまた伊村は教室棟から体育館の方へと歩いていく。
「気持ち悪いのよあんた」
そう言ってやったけれど、伊村は何も答えない。体育館を回り込んで、体育館裏の木や草が生えている茂みの辺りで伊村は足を止めて振り返った。
「ふふっ。やっと着いた。そこの箱を見てごらんよ」
伊村はなんだか興奮したように言った。伊村の指差す先には、段ボール箱の脇に何か塊が落ちていて、その周りに更に細かいものが散らばっている。気味が悪いから見たくない。ワタシは少しずつ歩み寄って、伊村の指差す箱の3メートルくらい手前くらいまで近づいた。
「ひ!」
腰が抜けるかと思った。猫が口から何か吐き出すようにして倒れていた。
「それは今朝、僕が殺したんだ。朝起きたときから、ゾクゾクして止まらなかったのに、果たしたらすっと、冷めてしまったんだ」
「何なのよあんたは!」
この学校の生徒はクソばっかりだと思ってたけど、コイツはとびきりのクソ野郎じゃないか。
「もうね、猫じゃ満足できないんだよ」
「気持ち悪い」
そう言うのが精一杯で、ワタシは動くことが出来ない。足がすくんで動かない。
「ほんとにね。同意するよ。否定しても否定しても、脳が命令するんだよ」
伊村はそう言うとこちらへ向かって歩き出した。
「動かないでよ!」
「君が動けないんじゃないか。はははっ」
伊村はずかずかと歩み寄ってきた。
「君さあ、自分のこと、可愛いと思ってるだろう?」
「だったら何よ!」
「そういうの、滅っ茶苦茶にしてやりたくなるんだ」
「来ないで!」
「誰も来ないよ。あの盆暗どもが僕の元へたどり着くまで、何ヶ月かかるやら」
「寄るなよ!」
足が動かない。なんでよ。伊村が制服の内ポケットから何か取り出した。ぎらっと光ったそれは、ナイフか何かだった。
「さすがに人を殺したいと思っても、何の恨みもない人間を殺すのは気が引けたんだけど、郷さんの自殺に君が関わっていたことが分かって、君が救いようのない極悪だと気づいてしまったんだよ」
「きゃああああー!!!!!!」
ワタシは生まれて初めて、悲鳴というものを上げた。
「無駄だよ。すごい。心臓がバクバクいってる。このナイフはさあ、薄い刃を何枚も重ねてあって、これで切ったら綺麗に縫合することはできない、一生跡に残るんだよ。ふふふふふ」
「わああああああ」
逃げたい。なんで足が動かないの!
「郷さんの自殺の原因が君だったなんて、今日気づいたんだ」
伊村が目の前に立った。
「しょ証拠は!」
「そんなの、状況証拠が物語ってる。それに僕は裁判官でも警察官でもないんだよ? 僕が、君を殺すことに対して何の呵責も負わないのなら、それでいいんだ」
「ワタシは殺してない!」
「へー。でももう、君が郷さんを殺したかはどうでもいい。僕が君を殺すんだよ!」
そう言うと伊村はナイフを握った右腕を、ワタシへ向けて振り抜いた。
「いたっ!」
「頬。綺麗な頬。そこへ一生消えない傷をつけてあげたよ。あはははははは」
「ひ、ひやあああ」
切られた! 切られた!
「うるさいな。やっぱり何か飲ませるべきだったな」
助けてと声を出したいけれどそれが出せない。ワタシの両足はついに体を支えきれずに崩れ落ちてしまった。
「だ、だれか」
「来てもいいけど、その前に殺すよ」
ワタシは伊村を睨み上げて言った。
「あんたこんなことしてただですむと」
「思ってないけど、少年法と精神鑑定が護ってくれるさ」
伊村はナイフに付いた血を舐めた。次は殺される!
「細田さん! 伊村さんやめて!」
橋本の声だ。後ろの方から駆けてくるらしい。伊村が舌打ちをした。
「とどめェ!」
ナイフを上に振り上げた伊村の右手に、大きな塊が当たった。ナイフがふわっと浮き上がって、向こうの方へ落下して音を立てた。
「ストライク!」
ぶーちゃんの声。
「よっしゃ!」
少年の雄叫び。ソフトボールでも投げたんだろうか。伊村は落ちたナイフを拾おうとしたみたいだけれど、先に橋本がナイフを蹴り飛ばした。それを目で追った伊村だったけれど、間に合わないと察したのか、追うのを止めて、橋本へ向き直って言った。
「ふ、やはり一番乗りは橋本君だったか」
「何やってる!」
遠くから三条センセーの声がした。遅いんだよお前ら。切られた頬が熱い。血が出続けているのを感じる。左手の指先で頬を触ると、指の腹が血の上で滑った。なんでこんな目に遭わなければいけないんだ。
「武器は!?」
センセーに聞かれた橋本が答えた。
「あっちの方に」
橋本に睨みつけられたまま、伊村は全く抵抗する素振りを見せない。
「痛い痛い痛ぁあい!」
ワタシはやっと助けがきた安心感からか、声を上げて泣いた。
「橋本、悪いが保健室行って宮本先生呼んできてくれるか。包帯とかも頼む」
「わかりました!」
橋本が走って行って、三条センセーはワタシへ近寄って尋ねた。
「大丈夫か」
「痛ぁい! 痛いよぉ!」
もうワタシにはそう言う以外のことができない。
「…諦めろ伊村」
センセーは伊村へ振り向いて言った。
「もう諦めたよ。果たせず残念だ」
そう言うと伊村はその場にしゃがみ込んだ。
「ナオ、大丈夫?」
大和が近寄ってきたけれど、何をしてくれるわけでもない。横でただオロオロされてもワタシはどうすりゃいいんだよ。周りに福岡やら平やら、少しずつ人が増えてきた。
「痛いよぉぉぉ!」
痛みが収まらない。血が止まらない。ワタシ、死にはしないよな。
「伊村お前何でこんなことしたんだよ!」
福岡が声を上げた。
「綺麗な鏡を割ってみただけさ」
伊村は事も無げに言った。クソっ。
「お前マジか!」
ぶーちゃんまでも驚きの声を上げた。
「豚は五月蠅いな」
伊村が忌々しげに言う。悔しいけれど、言えてる。キョロキョロし始めたぶーちゃんの頭を、少年が叩いて言った。
「お前だよ」
平がそれを見て笑っている。お前らにはこの痛みや辛さが何も分からないんだ。
「ちょっと…タイラー」
平を窘める橘。伊村は吐き捨てるように言った。
「ポンコツ揃いだな」
センセーが立ち上がって、みんなに聞かせるように言った。
「いまこの場にいる全員、ひとまずこのことは黙っておいてくれるか?」
「…はぁ?」
少年が困惑した声を発した。
「何言ってんの先生ぇ警察! 警察呼んでよお! 痛いよおぉ!」
ワタシは精一杯痛がって見せた。
「これ使って」
橘が近寄ってきて小さなタオルを渡してくれた。それを頬へ当てると、タオルはジットリと湿っていく。だんだん体が熱っぽく感じられてきて、くらくらとしてきた。ワタシはそのまま地面に背中を預けて目を閉じた。なんだか一瞬スーッとするような感覚があった。ワタシ死ぬのかな。パタパタとこちらへ向かって走ってくる音が聞こえる。橋本が宮本センセーを呼んできたらしい。急げよ。おせーんだよ…
やっぱり神様なんていなかったんだ。形成外科の先生から「この痕は完全には消えないね」と申し訳なさそうに言われて、世界が真っ暗闇に覆われたように思えた。病院の待合室へ戻って、付き添いで来たパパに当たってしまった。
「なんでママは来てくれないの」
「ママは、どうしても外せない会議があるんだって」
そんなの、さっきも聞いた。形成の先生に対して、もうちょっと喰らいついたりしろよと思った。並んで椅子に腰掛けているパパの情けなさが、ますます惨めな気分にさせてくる。
「この傷、消えないんだって」
「…うん」
パパはそう言うとまた黙り込む。
「こんなの、いっそ死んだ方が良かった!」
ワタシがそう言うと、パパは黙ってこちらを見て、無事な方の頬を打った。
「そんな悲しいこと、二度と言うんじゃない。パパもママも、お前が生きていてくれただけで、幸せなんだから」
最低な気分だ。最悪な気分だ。だからパパなんて大嫌いなんだ。ワタシは俯いて口を閉じた。大学病院は会計に呼ばれるまで長いから嫌いだ。世の中嫌いなものばっかりだ。ちらっと横目でパパを見ると、パパは静かに泣いていた。止めてよそんなの。ワタシが悪いみたいじゃない。止めてよそんなの。ワタシまで涙が出てきちゃうじゃない。
前の時間
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?