【so.】栗原 信子[5時間目]
「いまからホームルームを始める」
三条先生が教卓から声を発した。たまきの起こした騒ぎで、やっぱり昼食はお預けになった。新藤さんが昼食について先生とやり合っている。お腹が空いたなとは思うけれど、我慢ならできる。もう、たまきは学校を出ているだろう。
「こないだ面談やったじゃないっすかー」
和泉さんが言う。
「年末の件はもういいんだ」
「いいってどういうことですか」
埋田さんが口を開いた。郷さんのことと、たまきのこと、心揺さぶる出来事が重なった埋田さんが、実は一番苦しいんじゃないか、そう思えた。
「…えっとな、さっき人体模型が落ちてきたな」
「山浦が犯人ー?」
和泉さんが酷いことを言う。それは正解なんだけど、もうバレてしまっていることにモヤモヤする。
「…まだ分からない」
「三条先生、でも、山浦さんだけいません」
「…そうか」
委員長までたまきのことを疑っているのかもしれない。
「山浦さん、面談のあと、怒って帰ってきましたけど」
埋田さんが言った。たまきの味方をするつもりなんだ。格好いいなと思うと共に、自分にはこの場で発言できる度胸がないなと情けない思いがする。
「えっとな、山浦の件はあとで説明するから、まず俺の話を聞いてくれ。君たちの中で、裏サイトってものを知ってるのは何人くらいいる?」
「何それー」
「匿名で誰でも書き込めるネットの掲示板のことなんだが、このクラスの掲示板もあってだな」
そういう陰の部分だって当然あるだろうなとは思っていた。みんな友だちみんな仲間だなんてあり得ない。
「先生」
「なんだ」
細田さんが消え入りそうな声で言った。
「もう、郷さんのことがあって、さっきの人体模型落とすような酷いことがあって、これ以上、刺激の強いこと、やめてください…」
「いや、なんというか」
「先生、先生、ほんと、ワタシ、つらい…。さっきから気持ち悪くて吐きそうなんです」
細田さんはえづいた。本当に吐いてしまったのかと心配したけれど、大丈夫だったらしい。
「大丈夫か。ちょっと隣の席だから悪いけど、伊村な、細田を保健室まで連れて行ってくれないか」
「…わかりました」
細田さんは伊村さんに支えられて、ゆっくりと教室を出て行った。
「他の者も気分が悪くなったりしたら、遠慮せず言うように。それで…どこまで話をしたか…」
「このクラスの裏サイトについてです」
「そうだ。えー、実は先生は前から裏サイトの存在を知っていたんだけれど、取り立てて問題視はしていなかった。でもな、今日の書き込みの中に、看過できないような物があったんだ」
「カンカってなんですか?」
岡崎さんが尋ねた。
「殺害予告じみたものがあったんだ」
「ひっ」
誰かが悲鳴を上げた。わたしだってぎょっとしたけれど、声にならなかった。
「いいか、ちょっと気分を悪くする者もいるかもしれないけれど、読み上げるぞ。…やってやるやってやるやってやるよ見とけよ。この書き込みが午前中の最後の書き込みだ。そして人体模型が落ちた」
「じゃあ山浦が書き込んだんだ!」
和泉さんはひたすらたまきのせいにしたがる。でも、たまきは裏サイトのことなんて絶対知らないと思う。写真と動画のアプリはよく使っていたけれど「検索とかよく分かんない」と言っていたから。
「…あくまで可能性が高い、推測の話だ」
「推測で犯人扱いするんですか」
埋田さんが反論する。
「決まりじゃん」
たまきを犯人扱いする和泉さんのことが、ちょっと憎らしく思えてきた。
「大事なのはな、この後なんだ」
「先生ソレどうやって見んの?」
福岡さんが尋ねた。わたしはわざわざ見ようとは思わない。
「わざわざ見なくてもいいぞ。今から読み上げる。…えーと、田口、お前の名前が出てくるからな」
「は? ワタシ?」
「えー、行くぞ。…田口もたまにはいいこと言うわ。ホント死ねば良かったのに」
「何だよそれ! ふざけんな! 誰だよ!」
田口さんがみんなを睨みつけた。これ、さっき埋田さんに頬を叩かれた原因の発言だ。あの近くを歩いていた人しか知らないことだ。
「落ち着いてくれ。次にもうひとつ書き込みがあって終わってるんだが…読むぞ。…それじゃあまずあんたから殺してやるよ。特定したぞ」
「きゃああ!!」
悲鳴を上げていたのは青江さんだった。
「せんせーもうやめよう。怖いよ」
野田さんも言う。わたしは、たまきの起こした騒ぎのことがホームルームの議題になるものとばかり思っていた。せっせと人体模型を運んだり、口裏を合わせたり、そんなわたしたちの小さな反抗とはまったく別の所で、別の事件が進行していたなんて。
「書き込みはここまでだ。俺だって全員を集めてこんなの読みたくなかったけどな、殺害予告があったらもう事件になるんだ」
「じゃあ、今から犯人捜しをするんですか?」
委員長が尋ねる。
「別に魔女狩りをするんじゃないんだ。ただ、起こるかもしれない事件を阻止したいだけなんだ。だからみんなには衝撃的だったかもしれないが、明らかにした。それで聞きたいんだが、この書き込みに心当たりはないか?」
誰も答えない。誰だって、自分が書きましたとは言わないと思う。
「まあ、自分が書き込んだとは名乗り出たりしないよな。じゃあ、その一つ前の書き込みのことが分かる者は?」
「ジョーさー、すっげ気分悪いんだけど」
埋田さんに叩かれた当の田口さんは、当然不愉快そうだ。
「保健室行くか?」
「そういうのじゃねーんだよ!」
「この発言に心当たりは?」
田口さんはそっぽを向いた。
「ヨシミちゃんごめん。先生、これは、さっきの体育館からの帰りの廊下での発言です」
神保さんが言う。
「ついさっきじゃないか。何があったんだ」
「もういいって!」
田口さんが語気を強めて言ったけれど、それには構わず福岡さんが話し始めた。
「山浦だけがいなかったから、人体模型を落としたのが山浦じゃね?って話になったら、ヨシミが言ったんす。ホントに死ねば良かったって」
酷い話だ。その場にいないからって犯人にされて。当たってはいるんだけれど。
「そしたら埋田さんが来て、ヨシミにビンタして」
「本当か埋田」
「言いたくありません」
「しただろうがよ!」
田口さんに怒鳴られても埋田さんは全く動じない。わたしなら泣き出してしまいそうだ。
「それでだな」
「ねえ先生、この書き込みした人は、あの場で、会話が聞こえる位置にいた人ですよね。私は離れたところ歩いていたから、埋田さんの言ったことしか聞こえなかったです」
橋本さんが、さっき思ったことを言ってくれた。そう、あの近くにいた誰かが裏サイトに書き込みをしたんだ。
「じゃあ、その時、田口の周りに誰がいたか、誰か覚えてるか?」
福岡さん、津田さん、大和さん、神保さん、細田さん、中島さん、新藤さんの名前が挙がった。
「他にこの会話を聞いてたっていう者は?」
埋田さんが黙って手を上げた。わたしも聞いていたけれど、怖くて手を上げることができない。
「せんせーさー、最後の書き込みしたやつを特定しないといけないんじゃないの?」
和泉さんが言う。
「それが難しいから、狙われそうな方を特定した方が防げるってことじゃない?」
橋本さんが諭した。やっぱり頭のいい人は頭の回転が速いなと思う。
「ああ、そうだ。だから今、田口の発言を聞いていた者を探してるんだ」
「えーじゃあジンさんが殺されるかもしれないってこと?」
新藤さんが適当なことを言ったら「嫌っ!」と誰かが一言叫んだ。
「好き勝手に発言するなー。いまこうやって全員集めているからそんなことはさせない」
「山浦が殺しに来るんでしょー?」
また和泉さん。
「黙れ!」
三条先生が叱ってくれて少し嬉しくなった。たまきは関係のない話だ。
「…悪い。ちょっと先生も初めての事態で焦ってる」
先生は憔悴しているように見えた。
「三条先生。この、殺害予告をした人物は、郷さんも殺したって事は考えられないんですか?」
今度は委員長が不穏なことを言う。
「郷は自殺なんだ」
「何故そう言い切れるんですか?」
三条先生は息を吐くと、ぽつりと言った。
「理由がない」
理由? 郷さんが殺される理由? 何かを見てしまったとかはないんだろうか?
「理由なら、終業式の前の日に、郷さんのヘアピンがなくなる騒ぎがあったじゃないですか」
埋田さんが言った。わたしの知らなかった話。面談で、埋田さんはその話をしたけれど、わたしには何もされなかった話。あの場にいなかったから、話さなくてもいいと思われていた話。
「何それ。そんな話、初めて聞いた」
「えっ、ヘアピンって…何? どゆこと?」
委員長と岡崎さんが次々に戸惑いの声を発した。教室は静まりかえってしまった。
「終業式の前の日のね、4時間目の体育の後、サトミちゃんがね、ヘアピンがなくなったってパニックになったの」
大和さんが休み休み、ゆっくりと言った。
「初めて聞いたんだけど。えっ、みんな知ってたん!?」
「私も知らなかった」
岡崎さんと月山さんが言う。ふたりは体育の後、そのまま写真部の部室へ行ったから知らなかったんだろう。わたしは教室で着替えてさっさと帰ってしまったから、やっぱり知らなかったんだ。
「その時教室に残ってた者だけが知っていることだ」
「ちょっとワタシも知らないんだけど!」
田口さんがまた大声で言う。
「あのね、サトミちゃんが、あの日休んでたヨシミちゃんには黙っててって、何回も言うから、みんな言えなかったんだよ」
大和さんが説明をする。岡崎さんが驚いて言った。
「じゃあ、郷さんそれが理由で自殺したわけ!? 盗まれたってこと?」
当然、それを疑うよね。たまきも埋田さんも、同じ事を考えたらしい。
「落ち着けって。みんなも知ってるように、次の日の朝に大和が、郷を発見して俺に知らせてくれた。それで警察を呼んで遺体を調べたら、制服のポケットにヘアピンが入っていたのが分かったんだ。それは葬式の時に、田口にも確認してもらったよな?」
三条先生の言うような説明が、たまきと埋田さんにはされたらしい。それがおかしいと思ったから、たまきは騒ぎを起こしたんだ。
「え。っていうことは、盗まれてなかったってことですか?」
野田さんが困惑して言う。
「だからな、みんなに面談で話を聞いたけれど、いじめがあったわけじゃない。郷の遺書が残っているわけでもないから理由は分からないけれど、ヘアピンを盗まれたのが理由じゃないってことは、確かだ。ご家庭の事情のことまでは踏み込めないけれど、それが理由なんじゃないのか」
先生がやたらと家庭の事情にしたがってた、とたまきは言っていた。これって、責任回避なんじゃないのかな。
「せんせーこのホームルームいつ終わる? もう腹がぺっこぺこなんだけど!」
今までの話が全く興味なさそうに、新藤さんが訴えた。
「もうちょっと我慢しろ。まだ5時間目の最初だろ」
「もーむりー」
「みんな協力してくれ。そしたら早く終われる。他に何か、思い当たることはないか?」
福岡さんが尋ねる。
「サトミのこと?」
「いや、書き込みのことだ」
殺害予告…か。
「先生。あの」
「なんだ、津田?」
「さっき、体育館の裏で、猫が死んでて…」
「それ何の関係があんだよ」
和泉さんが怒ったように言ったけれど、福岡さんが話を続けた。
「あたしも一緒だったけど、猫が殺されてたっぽい」
「どうして分かるの?」
委員長が尋ねる。
「誰かが猫を拾ってきて、体育館の裏に段ボールで家を作って飼いだしたの。で、みんなで餌をやったりしてたから」
「ちょっとそれ顧問の先生が許可したの?」
「今そんな話じゃないっしょ委員長。その猫が、変な物食べさせられて死んでたのを、さっきあたしとつだまるで見つけたの」
「それはいつの話だ?」
先生が福岡さんに尋ねる。
「昼休みの前」
「昨日の放課後は猫ちゃん元気にしてたのに…」
泣きそうな声で津田さんはつぶやいた。
「だからさあ、猫と殺害予告と何の関係が」
和泉さんが不満げに言うのを、また橋本さんが諭した。
「あのね、猫を殺した人間って、だいたい次に人間を狙うの」
「もうやめてよぉぉぉぉ」
青江さんが叫んで耳を塞いだ。たしかになんだか浮世離れした話が飛び交っていてくらくらしてくる。
「待って、体育館の裏?」
今度は曽根さんも何か思い出したようで口を開いた。
「うん、バスケ部の部室の裏」
「…あの、何の確証もない、ただ見かけただけの情報でもいいんですか?」
先生は疲れた様子で言った。
「それは聞いて判断する」
「朝に、体育館裏から伊村さんが一人で歩いてくるの見たんです」
「伊村は弓道部だろう? 部室から出てきたんじゃないのか?」
「だって私、弓道部の部室から出てきて見かけたんです」
教室は静かになった。誰も助け船を出さないあたり、伊村さんの人望のほどが窺えるような気がする。
「先生さー。この写真、おかしくない?」
デジカメを見ていたらしい岡崎さんが声を上げた。
「何か撮ってあるのか?」
「私、卒業式前日の、体育の授業の前に、適当に写真撮ってたんだけど」
そう言って立ち上がって教卓へと歩いて行く岡崎さん。田口さんと埋田さんもそれに続く。
「…なんだこれは」
「だから体育の前だって。ナオがヘアピンをポケットに入れる所が写ってるんだけど、これサトミちゃんの机なんだよ。私も今朝、栗原がこの写真をパソコンに表示するまで気がつかなかった」
急にわたしの名前が出てびっくりした。たまきにあげられる写真がないかなと物色していた痕跡が、ヒントになっていただなんて。
「ナオがやってんじゃん!」
「盗んでたんだ!」
田口さんと埋田さんも驚いたように言う。けれど三条先生は慎重な姿勢を崩さない。
「…いや、でも、首吊った時のポケットには、入っていたんだぞ? 何かの間違いだろ」
細田さんがヘアピンを盗んでたんなら、たしかに矛盾する。
「先生。郷さんの遺体の第一発見者なんですけれど、大和さんだけじゃないでしょう」
橋本さんが言った。
「…何を言ってるんだ?」
困惑した声を出す三条先生へは答えず、橋本さんは後ろの方を振り返って言った。
「ねえ、そうなんでしょ?」
ため息と共に口を開いたのは、大和さんだった。
「…ハァ。そう。わたし、終業式の朝、下駄箱で出会ったナオと一緒に教室に入ったんで、ふたりでサトミちゃんを見つけたんです」
「おい! なんでそんな大事なこと黙ってたんだ!」
声を荒げる三条先生に、田口さんが噛みつく。
「あんただってヘアピンのこと黙ってただろ!」
「うるせえっ!」
みんなムキになって、どうしたんだろう。そこまで感情を露わにしてまで、守りたい物があるんだろうか。わたしにはちょっと分からない。つばを飲み込む音すら立てるのを躊躇うような沈黙の後、委員長が諭すように言った。
「先生。怒鳴るのはやめてください。それで大和さん、だったら終業式の朝、あなたが先生に知らせに行っている間、細田さんはどうしてたの?」
「え、考えたことなかったけど…。なんか、わたしの手柄にしたらいいじゃんって言うから、わたしが先生に知らせに行って、先生と戻ってきた後に、初めて見る感じでナオが教室に入ってきた」
それって、細田さんはひとりきりになったってことだよね。
「…つまり、大和さんが先生に知らせに行っている間に、細田さんは前の日に盗んだヘアピンを、郷さんの遺体のポケットに戻すことだって出来たわけですよね?」
橋本さんが推測を述べた。
「じゃーナオがサトミ殺したってことじゃん!」
和泉さんがまた無茶苦茶なことを言う。ふたりが来た時にはもう郷さんは首を吊っていたんだから。
「さっきからうるせーんだよおめーはよ! じゃあなんでワタシがサトミを殺したって噂をあんたが流したことになってんだよ!」
田口さんが和泉さんに食ってかかった。
「だからそれは、ナオがわたしのせいにしたんだって」
「証拠があんのかよ!」
そう言われて次の言葉を出せない和泉さんに、意外な人が援軍に立った。
「あの、証拠なら、保存しております」
荘司さんだ。
「…は? なんであんたが出てくんだよ」
「す、すみませぬ」
荘司さん、頑張れと心の中で思った。
「証拠ってなに? 教えてよ」
和泉さんは縋り付くように言う。
「は。ええと、今日の1時間目のあとに、拙者、雪隠へ赴いたのですが…」
「さっちん?」
中島さんが聞き返すと、新藤さんが反射的に返した。
「パン食いてー!」
「うるさい! そんで?」
「ええと、個室の中で、たまたま、たまたまなんですが、私、音声を録音できるアプリを作動させまして…」
「ちょっとコイツ何言ってるかわかんねーんだけど」
田口さんがイライラして言う。和泉さんは努めて荘司さんへ尋ねる。
「誰かの会話を録音したってこと?」
「さよう。これをお聞きください」
そして荘司さんのスマホから、細田さんの興奮した喋りが再生された。
ヨシミって田口さんのことだ。
「これだ! これだよ、わたしが朝、ナオに変な質問されて、答えたんだ」
和泉さんは疑いが晴れそうで嬉しそうに言う。
「おいメガネてめー、これ、ホントだろうな?」
「さ、さすがに細田氏の音声合成するアプリはありませぬ」
荘司さんがそう言うと、福岡さんが疑問を口にした。
「ナオがイズミンのせいにしようとしてたのは分かったよ。でも、なんでそんなことしたんだ?」
橋本さんがまた、推測して言う。
「細田さんが、自分への疑いを反らしたかったんじゃ、ない…かな?」
「っていうことは、サトミちゃんが死んだのは、細田のせい?」
埋田さんも言う。郷さんは殺されたわけではないにしても、細田さんにヘアピンを隠されたせいで自殺したっていうのは、無理筋にせよ辻褄は合う。自分の命とヘアピンひとつが釣り合うとはどうしても思えないけれど。
「静かに。仮にそうだとしよう。俺がいま問題にしているのは、裏サイトで殺害予告がされたことだ」
三条先生はあくまで、掲示板の書き込みの真相究明をしたいらしい。もし、この場にたまきがいたらどうしただろう。郷さんの死の真相に近づいて、細田さんに対してなんらかの行動を起こしたかもしれない。そこまで考えて、細田さんが保健室へと消えたことを思い出した。こういう話が交わされることを見越して逃げたっていうのは穿った見方かなと思ったけれど、伊村さんに付き添われて保健室へ行ったことが、今更ながら大丈夫かなと思った。いくら教室から保健室が遠いといっても、もう伊村さんだけ戻ってきても良さそうなものなのに。
「先生、この、ヨシミについて書き込んだのって、ナオなんじゃない?」
スマホを片手に津田さんが言う。和泉さんもスマホを繰りながら同調した。
「ありうる。つーかさー、このログ読み返してると、明らかにナオの書き込みって、分かるよね」
「あたし何が書いてあんのかわかんねーから説明してくんねー?」
福岡さんが尋ねる。
「ログを見ると、サトミの自殺の後から、やたらそれを茶化すような書き込みがあって、それがナオだと仮定すると、異常にしっくりくる」
和泉さんの仮説を聞いて、橋本さんが言った。
「じゃあ、最後の書き込みの特定したっていうのは、細田さんだと特定したってこと…」
「狙われるのは、細田ってことか!」
三条先生が大きな声で言った。
「先生! 伊村さんが細田さんを保健室に連れて行って、どれくらい経ちますか!」
委員長が慌てて先生に確認する。それと同時に橋本さんや神保さんたち数人が一斉に教室を飛び出ていった。
「堀川! みんなを教室から出すな!」
委員長にそう言いつけて、三条先生も教室を飛び出した。
「委員長! もう昼にしよう!」
先生に急に言われて慌てて教卓へ立った委員長に、新藤さんが訴えた。
「だめです! みんなを教室から出さないように言われたので」
「じゃあ何するの」
中島さんが聞く。
「先生が戻るのを待ちます」
それって、いつになるやら。
「もうむり。今からパン買いに行く!」
新藤さんが意を決して席を立った。
「だめ!」
「私以外にこの空腹を救える者はありえない!」
中島さんも席を立つ。
「委員長、これもう止まらないよ。諦めて」
「お願いだから!」
懇願する委員長に構うことなく、新藤さんはみんなに呼びかけた。
「パンを求める者は私について来いっ!」
「いえい!」
野田さんが勢いよく席を立った。
「ごめん委員長、私ももうおなかが限界」
岡崎さんもカメラを首に下げたまま、席を立つ。曽根さんも席を立って、5人は廊下へと出て行った。
「どうしてみんな私の言うこと聞いてくれないのよぉ…」
委員長が悔しそうに言う。別に委員長が悪いわけじゃないと思う。ただみんな、我慢ができないんだ。
「いいんちょう、大丈夫。まだ大勢残ってるよ」
青江さんがのほほんと言った。
「パン買ったら戻ってくるでしょ」
田口さんも慰める。
「部長ー、みんなでお弁当食べよー」
平さんが机にお弁当を出して言った。
「さんせー!」
津田さんは嬉しそうだ。
「それは」
「部長、いま最善の指示は何?」
真面目な橘さんにまで促され、委員長は許可を出した。
「それじゃあ…みんな…お弁当にしましょうか」
張り詰めていた空気が緩んだ気がした。わたしは机の上に小さなお弁当箱を出して蓋を外した。小さなおにぎりが2個と少々のおかず。水筒を出して温かいお茶を口に含むと、ぼうっとため息が出た。結局わたしは、何一つたまきの味方をできなかった。埋田さんに申し訳なくて、吹き上がる情けなさに消えてしまいたいような思いがした。
味を感じないおにぎりを噛みしめていると、井上さんが急に焦ったような声を発した。
「えっ、ちょっと待っ」
「まこちん、どしたのー?」
俯いて固まってしまった井上さんに、隣の席の青江さんが声を掛けている。
「まこちん? まこちん!」
井上さんはむくっと起き上がり、慌てたように言った。
「ちがうちがう! ちがうの!」
「まこ…ちん?」
「つぐちゃん、私、郷。郷義弓。ちょっと信じられないだろうけど、サトミが井上さんの体を借りてるの」
いつものんびりした様子の井上さんがハキハキと喋っている。田口さんは怒ったように言った。
「井上テメー悪い冗談やめろよ!」
「ヨシミちゃん、まこちんはそんな冗談言うコじゃないよ?」
青江さんが注意した。
「ありがと、つぐちゃん。私、死んでた。死んでたんだけど、それに気づかないまま、この教室にいたんだ」
「ほんとに…あなた、サトミなの?」
埋田さんが戸惑いの声を発した。
「サエさん! 今はただ信じて欲しい。私、みんなに伝えたいことがあるの」
「井上さん? 郷さん?」
委員長も探るように尋ねる。
「今はサトミでも郷でもいいよ、委員長。私、ナオちゃんが私を殺したことにされちゃってるの、どうしても訂正したくって、いまこうして井上さんの体を借りたんだ」
「ほんとに…サトミなの? なんで井上なの…?」
田口さんが混乱したように言った。
「私ね、自分が死んだことに気がついてもいなかったんだけど、それに気がつくまでずっと、井上さんだけが私のことを見えてたの。霊感が強いのかな? だから、試してみたら、乗り移れたんだ」
さらっと言う井上さん。ううん、これは本当に郷さんが乗り移っているのかもしれない。
「まこちん…じゃないの? サトミちゃん?」
「そうなの、つぐちゃん。久しぶり!」
「サトミちゃんー!」
泣きながら青江さんは井上さんの姿をした郷さんへ抱きついた。
「サトミ! 伝えたいこと…って、なに?」
埋田さんは興奮したように尋ねる。
「そう…。あのね、私はナオちゃんに殺されたわけじゃないの。それだけ言わないと…って思って」
「なら、なんで!?」
津田さんが震える声で聞くのに被せるように、田口さんが大きな声で言った。
「なんでワタシに断りなく死んじゃったんだよ!」
「ごめんねヨシミちゃん。私、実はみんなと同級生じゃないんだ…」
津田さんが聞き返し、橘さんも説明を求めた。
「あの…どういうことか、説明してもらえます?」
郷さんは向き直って、頷いた。
「もちろん。そうさせて」
「郷さん…。あなた、同級生じゃないっていったら…13年前の…?」
委員長が尋ねた。
「さすが委員長、その通り。私はね、13年前、2学期の終業式にこの教室で自殺したの」
「あ…この学校の、黒歴史ですな!」
荘司さんが声を上げる。
「何よそれ。知らないんだけど」
田口さんの声は、泣いているように聞こえた。
「たしか13年前にこの学校の生徒が自殺して、それ以来この学校の人気がなくなったって噂の…」
月山さんがそう言うと、郷さんはなんだか申し訳なさそうに言った。
「はは…そういうことに…なるのかな」
「もうつまんねー冗談やめろよ井上!」
また怒りの声を発する田口さんを、青江さんは諫めた。
「ヨシミちゃん、サトミちゃんだよ? わたし、わかるの」
「わかんねえよ! なんなんだよ! なんでサトミが死んじゃうんだよ!」
ついに田口さんは声を上げて泣き出してしまった。
「ヨシミちゃん、ごめん。私あんまり時間がないみたいだから、とにかく説明するね」
「郷さん。13年前に亡くなったあなたが…なぜこのクラスに…?」
委員長が話を促す。
「うん…。私ね、死んでからずっと、ずっとここの教室にいたんだ」
「えっ。おうちは?」
驚いた平さんが聞いた。
「ねぇ、不思議でしょ? 朝になるとここにいて、そのままここから出られないの…」
「嘘よ! だって一緒に帰ったりしたじゃない」
埋田さんが声を上げる。たまきと3人で帰るのを何度も見たし、最近じゃ私もそこに加えられることだってあった。ずっとこの教室にいたなんて、そんなこと不可能だ。
「うん、それはね、私がみんなに魔法? みたいなのを掛けちゃってたんだんだと思う」
「どんな妖術なのですか!」
「知りたいです!」
荘司さんと川部さんが興奮して声を上げる。埋田さんは、もう少し冷静に発言について尋ねた。
「掛けちゃってた…っていうのは?」
「私も仕組みはよく分かんないんだけど…。説明が難しいな…。えっと、私が普通にみんなと毎日を送ってるっていう風に思うような、そういう魔法がみんなに掛かっていたの」
「じゃあ、意図せず、自然に…ってこと?」
「…うん」
理解が追いつかない。今までクラスメイトのひとりだと思っていた郷さんが実は死んでいて、そうとは気づかないような催眠が全員に掛かっていたってことだろうか。
「なんでそれが、私たちだったのかしら?」
委員長が尋ねると、郷さんは返事に困った様子を見せた。
「あなた、13年前に亡くなったのよね?」
今度は橘さんが尋ねた。
「郷さん、あなたまさか、毎年…?」
「そう。私が死んで、次の学年から、毎年。毎年4月の最初からこの教室にいて、2学期の終業式に自殺してたんだ」
わたしたちが1年生だったときにも、2学期の終業式にそんな騒ぎが起こってたってことになる。そんな記憶はない。
「次の学年って…1年生が2年生に上がったときに、そのクラスに加わるってこと? 気づくでしょフツー?」
津田さんも呆れたように尋ねる。
「それができちゃう…魔法?」
埋田さんが優しく聞いた。
「うん」
津田さんがさらに尋ねる。
「なんでそんなことを」
「私が知りたいくらいなんだけど…そういう風になってたの。そんな仕組みの中で、私は毎年4月から12月まで、その年の2年生なの」
「なら、私たちは、幽霊の郷さんと一緒に、2学期まで夢を見てたっていう感じ?」
月山さんがそう聞くと、郷さんははにかみながら言った。
「綺麗に言うとね」
「じゃあ、サトミはワタシと友だちでも何でもないってことかよ!」
田口さんが声を上げる。田口さんと郷さんは幼馴染みだと聞いていたけれど、それすらも作られた記憶だってことになる。
「ヨシミちゃん、それは違う」
「どこが違うんだよ! 全部魔法だったんだろ! 騙されてたんだろ!」
「それは違う。違うよ。たしかに私、みんなを騙してたのかもしれない…。でも、みんなと過ごした去年の私。それは紛れもなく本物の私だよ」
郷さんは泣きそうな声で言った。それに埋田さんが返す。
「だったら、なんで死んじゃうのよ!」
「サエさん…。私だって、死にたくなかった。死にたくなかったんだよ! だって、だって、私、このクラスのこと、大好きだったんだから!」
ああ、だめだ。わたしの目尻からすーっと涙が落ちていった。
「じゃあ、自殺してしまうことは変えられなかった…ってことね」
委員長が震える声で言う。
「うん」
なんて悲しいことなんだろう。
「っていうことは、細田さんがヘアピンを隠したっていうのは…」
橘さんが尋ねた。
「偶然。偶然なんだけど…ちょっと利用させてもらっちゃった」
「どうやって」
津田さんが聞き返す。
「終業式の前の日には、次の日の朝に自分が自殺するってことは分かってた。だから、どうしたら自然かなってずっと考えてたら、私のヘアピンがなくなった。だから、ちょっと過剰に騒いでみちゃった」
「な…なんだよ! すげー焦ったんだぞ!」
津田さんは怒ったような、でも安堵するような、感情の入り交じった言い方で言った。
「ごめんね、つだまるちゃん」
「あの…伊村さんのことは?」
橘さんはさらに尋ねる。今も進行中の別の出来事に、どの程度郷さんが関わっていたのか明らかにしたいようだった。
「それは本当に、ぜんぜん知らないの。ヘアピンを盗んだのがナオちゃんだったってことも、知らなかった。だから…私の自殺がナオちゃんのせいで、それを理由にナオちゃんが狙われるんだとしたら…って。それだけは違うんだって言わないとって、思ったんだ」
遠くで悲鳴がした。平さんが即座に反応して教室を出て行こうとする。
「ちょっと待ってタイラー!」
それを橘さんも追いかけた。
「あなたたちまで!」
委員長が声を出したけれど、ふたりは教室を出て行った。
「ほっとこう、委員長」
津田さんが言い捨てる。
「どうしよう…私のせいで…」
郷さんは心苦しい表情を見せる。
「あんなに沢山行ったんだから、大丈夫だよー」
青江さんが優しい声をかける。
「でも…」
「サトミ! なんで死んじゃったんだよ!!」
田口さんは郷さんの肩を掴んで叫んだ。
「ヨシミちゃん、私のためでなんか、泣かないで」
「泣いちゃ悪いかよ! 笑えよ!」
「ううん。私のために泣いてくれてるんだったら、本当に嬉しいし、本当にごめんなさい」
「ワタシだけじゃないだろ…」
そう田口さんが言って周りを見回した郷さんは、何人も泣いているのに気がついたようだった。
「ごめんね、みんな…」
「例え13年前のサトミがかけた魔法なんだとしても、私たちはあなたの友だちなんだよ」
埋田さんが声を出した。ついに郷さんの頬を流れるものが見えた。田口さんが郷さんに抱きつく。
「うええええー、ヘアピン見つからなかったとき、酷いこと言って悪かったよおお」
津田さんも泣きじゃくりながら抱きついた。
「ありがとう。気にしてないよ。なんだかね、長い長い夢から、醒めたみたいな感じがするの」
「どういうこと?」
委員長が聞き返す。
「私、去年までは、年末に自殺して、だけど年が明けたらもう魔法が解けて、誰も私のことなんて覚えていない中、一人でずっと教室の中に座ってる…そんな感じだったんだ。それなのに、1月の半ばになっても、私はこんなにもみんなの中にいられたんだよ。それって、奇跡」
「忘れるもんか!」
田口さんが叫ぶ。
「忘れられないよ」
埋田さんも声を震わせて言う。
「…うん。そうだったら、本当に嬉しいな…。たぶんね、こうやって最後にみんなの前に出てくることができたのも、奇跡なんだと思うんだけど…」
言い淀む郷さんに、津田さんが尋ねた。
「なんだよ」
「たぶん…これが最後の時なんだ…」
そんな気はしていた。今が郷さんとのお別れの時なんだ。たまきはなんでこの場にいないんだって、悔しくてたまらない。
「最後だなんて!」
「そんなこと言うなよ!」
みんなが声を上げる。
「みんな、ありがとう。本当に、ありがとう。今ここにいないみんなも、ありがとう。みんな、大好き。私、このクラスの一員になれて本当に良かった。ありがとう!」
こんな、こんなのってないよ。わたしはだって、郷さんのことをあまり知らないままだったもの。
「行ってしまうの?」
委員長が尋ねた。
「重りが取れたみたいな感じがするの。体が浮かんでいくような感じがしてて…」
「行くなよ! 友だちだろ!」
「ありがとうヨシミちゃん。思いっきり、やりたいことをやってね!」
「行かないで!」
埋田さんも声を上げた。
「サエさん…。ごめんね。私、最後にもう一人にだけ、お別れを言いに行かなくっちゃ。もう行くね。みんな、ありがとう。またね!」
たまきのことだ、そう思った。郷さんは崩れ落ち、田口さんに抱きしめられたまま、ゆっくりと顔を上げてぼそりと言った。
「あれ? みんなどうしたの?」
郷さんじゃない。井上さんに戻ってしまった。また涙がこぼれ落ちる。最後にたまきに会えてたら良いなと思う。がらりと教室のドアが開いて、和泉さんと岡崎さんが戻ってきた。和泉さんはあっけにとられた表情で尋ねた。
「ヨシミもつだまるも、そんなに井上と仲良かったっけ?」
「ノブちゃん、行こ」
声を掛けられてわたしは教室を出る。修了式のあとのホームルームが終わって、2年生はもう終わり。短い春休みを終えると受験生だ。何も忘れた物がないか、机の中とロッカーを確認して、後を追う。埋田さん…ううん、サエさんと仲良くなれて良かった。
「写真部は良かったの?」
サエさんが聞く。校庭の桜の木にはつぼみが沢山ついている。もう一度寒くなったら、そのあと一気に開花するんだろう。
「岡崎さんは課題をFILOで教えてくれるから」
「ふうん」
サエさんが「受験生になる前に服を見に行きたい」と言うので、一緒に橘中央駅のビルに入っているセレクトショップへ行くのだ。
「たまき、あっち楽しいらしいね」
サエさんはちょっと羨ましそうに言う。たまきともFILOでやり取りしている。向こうの昼間に当たる時間なら、割と返事が返ってくる。飛行機で10時間は掛かる距離に行ってしまったなんて、どうにも信じられない気がする。イタリアの義務教育は16歳までらしいので、親への体面から高校へは編入したようだけれど、退学して働き始めるつもりらしい。こっちへいたときも、暇さえあればイタリア語の勉強をしていたのを思い出す。色んな所へ顔を出して、友だちも、コネも出来つつあると言っていた。これが同じ1年の間に産まれた者同士なのかと惨めに思うときもある。
「人は人、自分は自分、そう思った方が楽だよ」
サエさんにそう言われて、随分救われた。たまきはたまきの人生だし、わたしはわたしの人生だ。まだどういう人生に着地するのか全然見えてはいないけれど、選択肢がひとつでも多くなるように、受験勉強を頑張ろうと思った。
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