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鮮やかに、笑顔とともに心にしっかりと刻まれている

今から12年前、あっけなく親友を亡くした。

ケータイに彼からの着信が入る。
当時なんとなく疎遠になっていた彼からの着信を僕は無視した。
しかしその着信は、彼が亡くなったことを伝える彼の母親からの電話だったと、後になって知った。

***

彼とは大学時代からの、いや、その少し前からの知り合いだった。
明石の純朴な少年だった彼とは、何気なく話して馬が合った。
自分も明石出身だと告げると、彼は喜んだ。

彼は目指している大学が違ったが、僕は同じ大学を受けようと言った。
彼はムリだと言ったが、結局同じ大学に進むことができた。
学部は違ったが、変わらず仲がよく、同じサークルに入った。

僕は大学近くに下宿していたが、彼はそこからチャリで20分ほど離れた学生マンションに住んでいた。
よく彼のマンションを訪ね、深夜2時頃まで飲んだ。
サークル同期の仲よし男女7人で泊まり込んでのクリスマスパーティーなど、彼のマンションでの楽しい思い出も数限りない。

彼は、チャリで琵琶湖を一周したり、原付で中国地方を一周したりとアクティブで、最終的にはインドに数ヶ月滞在して帰ってきて、また行ったり。
すごいな、自分にはできないな、と感心していた。

しかしいつの頃からか、考え方の相違で次第に距離を置くようになった。
大学を卒業する頃には、もういっしょに遊ぶことはなくなっていた。

彼には持病があった。
卒業後何年かして結婚もしていたが、持病を理由に離婚してしまった。
自分の弱い遺伝子を残すわけにはいかないと。

彼は商社に勤め、学生時代にはまったインドへたびたび出張で行けるようになり、そこでカレーの魅惑に取り憑かれたらしい。
昼にはとびきりのカレーを出す風俗店を神戸のど真ん中に開きたいというナゾの夢を人づてに聞いた。

ある朝、神戸で彼を見かけた。
スーツ姿の彼は、彼女と思しきかわいい女性とそれはそれは楽しそうに連れ立って歩いていた。
何年かぶりだったので声をかけようかと思ったが、あまりに楽しそうだったのでそのまま見送り、彼は駅に消えていった。

ケータイに彼の母親から着信があったのは、その数ヶ月後のことだった。

営業の外回りの後、上司とファミレスで晩ごはんを摂った後、ソファー席の彼は、少し疲れたといって横になったらしい。
上司も彼が疲れていることを知っていたので、しばらく寝かせたままにしていたが、彼はすでに息を引き取っていたそうだ。

僕らはまだ30代だった。

***

まさに駆け抜けたとしか表現しようのない、激動の人生だった。
奔放すぎる生き方だったが、今思えば彼はできるだけ他人を巻き込まないようにしていた。
自分が短命に終わるということを薄々感じていたのだと思う。

最後に見かけた時、声をかけたほうがよかったかもしれない。
だが、あんなに楽しそうな顔を見ることができただけで十分だった。
彼が今を元気に生きていることを、神様が見せてくれたのだと思っている。
彼への思いは、疎遠だった何年かの間に色を失っていたが、その日以来また鮮やかに、笑顔とともに心にしっかりと刻まれている。

彼の冥福を心から祈っている。

(2021/4/27記)

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