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どちらも思わずため息の漏れる極上のホテルだ

神戸を代表するホテルといえば、言わずもがなの〈オリエンタルホテル〉。
しかしこのホテルの歴史を語るのはそうたやすいことではない。

この記事が、今もなお営業を続ける神戸のオリエンタルホテルに泊まろうとする方々の選択の一助になれば幸いだ。

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オリエンタルホテルの歴史は、旧居留地の歴史。
幕末の開港にあたり、三宮~元町間の海に面した区画が外国人居住可能なエリア、すなわち外国人居留地として設定された。

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オリエンタルホテルはこの居留地で、外国人による外国人のためのホテルとして産声をあげた。

旧オリエンタルホテル

■初代(明治3年~20年)
明治3年、オランダ人により居留地79番地(上記地図①)に開業。
明治14年、イギリス人の手に渡る。

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■2代目(明治20年~40年)
明治20年、フランス料理の父、ルイ・ベギューが80番地(地図②)に拡張。
極上のフランス料理でもてなし、東洋一のホテルに育てあげた。
明治26年、87番地(地図②’)に別館開業。

■3代目(明治40年~昭和39年)
海を臨む6番地(地図③)に移転、とくに料理の評判は他を圧倒した。

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神戸の洋食には海系とおか系があり、盛りつけも両者で異なる。
陸に上がった外国航路のコックの洋食店が海系なのに対し、陸系はまさにオリエンタルホテルの系譜を持つ洋食店のことを指すのだ。
奥深い神戸洋食についてはまた稿を改めて。

大正6年、ついに日本人の経営となり、増築されて海沿いに偉容を見せた。

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ヘレン・ケラーが人生でもっともおいしい料理だったとの言葉を残したのも、神戸港に着いたアインシュタインが休憩したのも、谷崎潤一郎『細雪』にたびたび登場するのも、この3代目。

昭和20年、神戸大空襲で消失したが、昭和23年に部分再開。
昭和29年、マリリン・モンローが新婚旅行で宿泊した。

■4代目(昭和39年~平成7年)
昭和39年、居留地25・26番地(地図④)に移転し開業。
世界初の、屋上に灯台を設置したホテルとして話題になった。

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拡大路線をとった昭和末期、全国にオリエンタルホテルが誕生したが、そのまっただ中の平成7年、阪神淡路大震災で被災し、ついに廃業。
運営者を変えながらも、明治3年から脈々と受け継がれてきた旧オリエンタルホテルの歴史はここで幕を閉じる。

オリエンタルホテル神戸

平成22年、旧4代目の跡地に〈オリエンタルホテル神戸〉が建った。
上の旧4代目の写真と見比べると、全体の形状を似せているのが分かる。

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館内はオリエンタルな雰囲気が随所に漂う。

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ただし東京のブライダル企業運営のまったく新しいホテルであり、明治以来の旧系の伝統やレストランはここにはない。

神戸メリケンパークオリエンタルホテル

平成7年、旧系が建設していた〈神戸メリケンパークオリエンタルホテル〉が、旧系の息の根を止めた震災の半年後にバトンを受けるかのように開業。

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オリエンタルホテル-1-1[1]

旧系直営の新ホテルとして、従業員の大半もこちらに移った。
また旧4代目の屋上にあった灯台もこちらに引き継がれ、公式な灯台として今も神戸港を行き交う船の安全を見守り続けている。

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海に突き出した突堤の先端に立つので、夜景はことのほか美しい。

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旧地で名前を引き継いだ〈オリエンタルホテル神戸〉と、新地で伝統を受け継いだ〈神戸メリケンパークオリエンタルホテル〉、どちらを選ぶ?

迷ったときはもちろん、両方に泊まってみることをオススメする。
どちらも思わずため息の漏れる極上のホテルだから。

(2021/9/19記)

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