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母のカレーとハイライをもう一度食べたい

父はカレーが嫌いだった。

父は今も存命だし、今なおカレーが嫌いだろうから、「父はカレーが嫌いだ」が正しい。
でも、独り身になった父が自らカレーを食べるはずもなく、生前の母もあえて父にカレーをぶつけることはしなかったから、きっと父はもう長い間カレーを口にしていないはずだ。
父とカレーのぎくしゃくした関係は、僕の中でうんと過去のまま時が止まっているから、「父はカレーが嫌いだった」と過去形になる。

僕は父がカレーを食べる姿を一度しか目撃したことがない。
いかにもまずそうにカレー食べる父の姿は、僕の中に40年ほど前の記憶として残っている。
祖母が入院し、母が付き添うことになった晩、料理はインスタントラーメンか素麺くらいしかできない父と、兄・僕の3人となった。
母はやむをえずカレーを作り置きし、ごめんこれ食べてと昼過ぎにバタバタと出ていった。
夕方になって父は、これもやむをえず鍋のカレーを温めて3人分を盛る。
そして父は自分のカレーに大量のウスターソースをかけ、世にもまずそうな苦悶の表情を浮かべながら一気に食べきった。
初めて見る父とカレーの関係は、子供心に衝撃だった。

僕はカレーが好物だ。

「お父さん、カレーが嫌いだからね」と母はいつも父の出張の晩にカレーを作ってくれた。
父は当時、比較的出張が多く、僕は飢えることなくまっとうなカレー人生を送ることができた。
ある時、母になぜ父がカレーを嫌うか訊いてみた。
「あぁ、お父さん、もともとハイライが嫌いみたいよ」
へぇ、そうなんや、ハイライ嫌いなんや。

神戸ではそれはもう古くからハヤシライスのことをハイライと呼ぶ。
西洋料理は開港とともに怒濤のように明治の港町に上陸し、姿形を日本風に変えて洋食として定着した。
神戸では看板メニューがハヤシライスの老舗の洋食屋も多いが、そのほとんどがハイライもしくはハイシライスと表記、発音する。
新開地の〈グリル金プラ〉〈グリル一平〉、三宮の〈グリル十字屋〉、元町の〈グリルミヤコ〉などハイライがうまい店は枚挙にいとまがない。
洋食屋の生命線であるデミグラスソースがカギのハイライだから当然だ。
家でもハイライとしか聞いたことがなかったから、神戸の外ではそれをハヤシライスと呼ぶということを知るのはずっと後のことだ。

「お父さん、若い頃に食堂でハイライ食べてみたらしいけど、見た目と裏腹の甘さに気持ち悪くなって、それ以来食べられなくなったんだって」
ハイライ、確かに甘い。
母はハイライも父の出張の晩にだけ作ってくれた。
「見た目そっくりなカレーもハイライに引きずられて嫌いになったみたい」
父がカレーをいかにもまずそうにウスターソースでごまかしながら食べたのは、そういうわけだった。

母の一周忌が近づいてきた。
父のいない晩だけ特製の、母のカレーとハイライをもう一度食べたい。

(2021/11/17記)

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