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記憶の中の春

数日前 雨が降った。
もちろん パリで雨が降ることなどしょっちゅうなのだけれど、その日の雨はいつものと少し違っていた。
温度とか匂いみたいなものが日本の雨を思い出させたのだ。あの独特の柔らかさと、少しだけ土の匂いを含んだやさしい日本の雨。
日本にいた頃、私は雨の日が大好きだった。

アパルトマンを出ると、ふいにその柔らかい春の雨は、魔法の杖のように高校の入学式の時に着ていた真新しくよそよそしい新しいブレザーの感触とか、満開の桜並木とか、合格発表の直後に興奮しながら母と入った仙川の喫茶店の匂いまでを一緒にして運んできた。

それらは単純に思い出や記憶として片付けるにはあまりにもリアルで、少なくとも疲れてぼうっとした気持ちでスーパーへ買い物に行こうとしていたその時の私の存在よりはよほど色鮮やかだった。記憶の中の出来事ほど不思議なものはない。

私の中で、知らないうちに過去のあらゆるシーンが選び出され、いつの間にか非の打ち所のないほど見事なタペストリーが完成している。
そんなタペストリーの中の風景がこうして不意に現れて私を魅了するとき、現在の自分もまた新たなタペストリーを制作中なのだということに気づく間もなく、徹底的なまでに味気のない今この瞬間というものに絶望してしまう。

そんな遠い日の春の記憶を全身で噛み締めながらわたしは人々があからさまに絶望したり、怒ったり笑ったりしているパリの通りを歩いた。
そしていつの日か、この街での記憶が何から何まで未来のタペストリーの中に織り込まれる頃、わたしは一体どんな気持ちでそれを眺めるのだろうと想像した。

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