ヴィオラ奏者、(弦四で)ヴァイオリンを弾く

そもそも今回ヴァイオリンを弾くことになったのは、カルテットのレッスンを引き受けたことに端を発します。ヴィオラは既に弾く人が決まっていて、自然の成り行きでヴァイオリンパートを担当しながらレッスンすることとなったのでした。

 レッスン当日、最初は2ndヴァイオリンを担当しておりましたが、成り行きで1stも弾くこととなりました。念のためさらっておいて良かったという安堵と共に、珍しい体験ができたので備忘録として、感じたことや思ったことをここに書き連ねておこうと思います。

里心

 レッスンではチェロ内側、ヴィオラ外側の配置で演奏を行いました。1stから見るとヴィオラは正面に位置します。ヴィオラが何をやっているか、イメージしていたよりもよく見えるのは驚きました。ヴィオラを弾いている時は向かい側が何をやっているかよく見えるなんて、あまり抱かない印象だったのです。
 さて、ずっと正面となると、ヴィオラの動きと共に表情がマスクをしていても伝わってきます。音符は少ないし地味な作業をやっているけれど、音楽の旨味を存分に味わえるようなパートの動き。羨ましい他ありません。
 「おうち、かえりたい……(´・ω・`)ショボン」
 ヴィオラへの里心がつきました。

「ヴィオラっていいよね」の謎

 嬉しく有難いことに、他の楽器の方から時折「ヴィオラっていいよね」という言葉をいただきます。言ってくださる方は、私の周りではヴァイオリン・フルート・トランペットなど、華やかな楽器の割合が多い気がします。今まで言葉を有難く受け取るだけで、その理由について考えたことはありませんでした。今回身を以て、その理由の一端を垣間見たのではないかと思います。

煌びやかではないけど

 ヴィオラにはヴィオラの、内声の難しさがあります。同じ内声でも、2ndヴァイオリンとは全く異なる役割を担っています。
 そのことを知っていても、1stの席から見たヴィオラは、とても穏やかそうな楽器に見えました。派手さはないけれど美味しい食事を摂り、日々を堅実に送っているような、退屈と平和が同居しているような。実は作品の一番美味しいところを食べているのはこの楽器(ヴィオラ)なんじゃないかと、強く感じたのです。

キラキラと孤独

 1stヴァイオリンを弾いて驚かされたのは、孤独さでした。カルテットの1stヴァイオリン、意外と孤独。下3声が音楽を固めたその上に乗るだけかと思いきや、受け身でいると乗れないのですね。自分から「仲間に入れて~」「乗せて~」と積極的に乗りに行かないと、なかなか下3声の音楽に食い込むことができません。「音楽に乗る」というのはあくまで結果なのですね。1stの人達は積極的な人が多いという話をよく聞きますが、受け身でいると役割が務まらないことがよくわかりました。
 1stと2nd、この役割の全く違うパートを行ったり来たりするヴァイオリンの人達。尊敬の念を新たにするのでした。

そしてヴィオラ奏者はヴィオラへ戻る

 かくしてカルテットレッスンは私自身も新鮮な体験を得て無事終了。ヴィオラ奏者はヴィオラへ戻ることとなったのでした。

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