すーちゃん

こんにちは。 私は20年以上前に624gで生まれました。 生存確率は30%程度。 3…

すーちゃん

こんにちは。 私は20年以上前に624gで生まれました。 生存確率は30%程度。 3割に入ったからには、何としててでも 人生を楽しむ!をモットーに 生きています。 アイコンは息子が描いた絵です。

最近の記事

624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその49

前回は、 フィギュアが友達!!!! ということをメインにかいたが、 今回は、 ねりけし作りに没頭してたら 1人取り残されていた エピソードを紹介する。 小学校3年生のころ 消しカスを定規で練り練りしたら 練り消しもどきができるのが流行った 単純作業大好きand過集中の私は 授業が終わった休み時間に没頭していた。 ひたすらねりねり。 ひたすらねりねり。 ふと顔を上げた。 教室の電気が消え、誰もいなかった。 「次体育だったっけ、、、」 呑気に着替え、10分も遅刻。

    • 624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその48

      今日は、特別に美味しいいくら丼をいただきました。 応援してくださってありがとうございます。 見てくださってる方々もありがとうございます。 励みになります。 前回は、話についていけないことについて 書きました。 私にとって、流れるような会話は 音の羅列のように聞こえる時もあり、 聞いて理解して、その場にあった返しを するまで、時間がかかりました。 特に小学生あたりの頃は 「相手がどう思っているか」まで考えが 及ばなかったので、 自己中心的な会話が多かったと思います。

      • 624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその47

        前回はどのように聞こえるかを記事にしましたが今回は、人間関係の困りごとについて書きます。 今は大丈夫ですが 私は複数人での雑談がとても苦手でした。 話題がいつのまにか変わったり、 複数の人が話してて、必要な情報を 頭の中で整理してる間に次の話題が 始まり、ついていけなかったり、、、。 おまけに芸能人の顔の見分けがつかなかったので、どの俳優が好き、どのドラマが好きとかもありませんでした。 ドラマを見ようと見れば、 主人公の顔がわからない、 なぜ登場人物が泣いているのか解説

        • 624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその46

          こんにちは。 小学校1年生の時の奇行を書いてきましたが、今回は、私にとっての音の世界を紹介したいと思います。 今は、何とか少しはマシになっていますが 高校までは、聴覚が過敏、過集中で 困ったこともありました。 今回は具体的にどのように聞こえてたのか お伝えしようと思います。 まず、小さいころの記憶はあまりないので 中学校ごろの記憶になりますが、 全ての音を拾ってしまい、隣のクラスの授業の声も聞こえ、鳥の声も聞こえ、全てのざわめきが入ってくる状態でした。 必要な音を聞

        624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその49

          —4月12日お誕生日でした!—624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまで

          こんにちは。 久しぶりの更新です。 4/12でお誕生日を迎えました。 28年前に624gで生まれた私ですが、 今は子育てに奮闘しながら 楽しい人生を送っています。 いつか、このブログが 超低出生体重児のお子さんのお母さんの 力になれますように。

          —4月12日お誕生日でした!—624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまで

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまで45

          小学校には宿題というものがある。 一年生の宿題で 8+3= 9+2= 2+5= というようなものがでた。 この3問にどれぐらいの時間がかかったかと言うと、、 2時間越え! 泣きながら父と問題を解いた。 おそらく、他の子供であれば 30分もかからないであろうことを 人の何倍もかけないとできなかった。 繰り上がりの概念が分からず、 たった3問で泣きながら2時間かけて 解いた。 そして、この「人の何倍もかかる」 という事実は、 小学校を卒業しても 中学校を卒業しても

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまで45

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその44

          お久しぶりです。 見てくださる方もいらっしゃるみたいで とってもとっても嬉しいです。 ありがとうございます。 前回の続きです。 小学校一年生の算数のテストが返ってきた。 な、なんと、、!!! 47点!! 50点中の47点ではない。 100点中だ。 流石の私でもこの時の衝撃は覚えている。 算数が本当にわからない。 先生が言っていることが聞き取れない。 音としか認識できない。 その時はそんな自覚はなかったが、 確実に私の困り事であった。 次回、 算数の宿題に苦

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその44

          [番外編]624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまで

          お久しぶりです。 今回は、番外編で手相鑑定してもらった 話を書きます。 マルシェで 手相鑑定してもらった。 今回は2回目。 1回目のときは、これからどうしようとか悩んでた時期だったし、大変なことも多かった ので、疲れたオーラ満載で行った。 そしたら27歳から運気が上がる と言われて、すっごくびっくりした。 その時は自分の軸も定まっていなかったから、注意すべきことも言ってくれて、私ってめっちゃ自分軸も生き方もフラフラしてるやん、、と撃沈。 今回、何でこんな撃沈した手相

          [番外編]624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまで

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその43

          算数の時間。 一年生は数を数えることから スタート。 さんすうボックスにある 四角の磁石のおはじきを眺めていたら なんだかキャンディに見えてきた。 先生が話してることがよくわからない。 だから、おはじきを口に入れて キャンディごっこをした。 指を指して いーち、にー と数えることが難しく めちゃくちゃに数えていた。 口で言うのと指で指すことが一致してなかったと思う。 数を数えるのは、 頭の中で、1、その次は2 と考えて、 それと同時に指を指すという動作が あるの

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその43

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその42

          ピカピカの一年生といえば、、 ピカピカのランドセル。 私は、お下がりのランドセルだった。 決して貧乏とかではなく、 ランドセルはすぐにボロボロに なるから、などの親の意向だった。 ある日、クラスメイトに 「おまえのランドセルボロボロだーい!」 みたいなことを言われたが、 「みてみてここ、さわってごらん! ふわふわなんだよ。 おさがりだからふわふわなんだよ。」 って言ったら、 「ボロボロ」といっていた子が 「いいなぁ」 と羨ましがってたそうだ。 持ち前の前向きさで、 特

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその42

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその41

          6歳の時に父と母と3人で山に登っていた。 もうすぐ頂上!ってところで スポン!!と母の目の前で私が消えてしまった。 母は動転するあまり、 「もう、死んでしまった!」 と思ったという。 すると、 「おかあさーーん、たすけてーー!!」 と声が聞こえてきた。 母がふと下をみると、 逆さまに宙ぶらりんになっている娘がいた。 支えは片足一本が岩と岩の間に 挟まっているだけ。 父が慌てて、 スポン!と片足をもって引き抜く。 幸い怪我もなく、元気だった。 当時のことをよく覚

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその41

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその40

          もうすぐ小学校に上がる年長さん。 まだまだジャージャーとお漏らしをしていた私。 母は元教員だったということもあり、 小学校に上がるまでに治さなければ!と思っていたらしい。 そして、 「トイレ行きなさい」 と言っていた結果、、、 頻尿に。 漏らさなくなったが、 1時間に1回ぐらいトイレに行っていて 心配になって病院に連れて行ったら 「精神的なもの」 といわれたらしい。 それから、 トイレトレーニングは一旦おやすみに。 私の息子は3歳でとれていたから 私は余程とれるの

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその40

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその39

          年中さんのお遊戯会本番1週間前、 ある衝撃的な事実が発覚した。 ダンスを全く覚えていない!!! 私は今でもダンスも苦手で、人がやっていることを見て同じように真似することも苦手だった。 お遊戯会を1週間後に控えた私。 危機感を全く持ってない私     vs ちょっとまずいぞと思っている母 慌てて母が先生に踊りを教えてもらい、 特訓が始まった。 本番はお察しの通り、、の結果だったが、棒立ちよりはマシだった。 ちなみに同じ失敗を中学生になっても やらかす。 お楽しみに。

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその39

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその38

          年中に進級し、行われた親子参観日。 親は途中で退出し帰ることになっていた。 そこで私は号泣。 先生は 「え、なんで??」 と驚いていたという。 というのも、この親子参観日は 年少の時から行われていて、 みんな年少さんの時には親と離れたくなくて号泣するが、少し慣れてきた 年中さんになると泣かなくなる。 私以外の子は泣いていなかったらしい。 私は年少さんのときは 「ばいばーい」 とケロッとしていた。 その時は、状況が分かっていて バイバイしたのではなく、 状況が読めな

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその38

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその37

          小児喘息の重度だった私は、幼稚園に入園しても喘息発作を起こしていた。 幼稚園はじめてのおゆうぎ会。 母にとっては、はじめての子どもの 晴れ舞台。 親も子どももドキドキ、、、!! そして、 なんとおゆうぎ会の前に喘息で 入院!! 「あひるサンバ」を踊る予定だった。 母は、お医者さんにおゆうぎ会の時だけ外出許可を出してもらった。 なんとかあひるサンバを踊ることができた。 踊るというより手足バタバタさせてたらしい。 衣装も幼稚園の先生の手作り。 先生たちの苦労には頭

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその37

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその36

          幼稚園での初めての運動会! 朝、母が教室を覗くと私はいなかったという。 他の子どもたちが 「いませんせいにおしりあらってもらってる〜」 と、教えてくれた。 まさかの運動会当日バタバタしている時にうんちをおもらし。 先生も 「このタイミングで、、」 と思ったに違いない。 運動会当日は 「競争」 の意味が分からずリレーでは 走らず歩いていたという。 そして、親子競技で ズルをしようとした私を父が叱り 大泣き。 運動会というより、私の「できないこと披露大会」 次回、 お

          624gで生まれた私が普通の人の皮を被れるようになるまでその36