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【創作短編】彩りのある日々を

僕の彼女は日常を楽しむプロだ。

付き合ってから今日で三年が経つ。今日はその記念日のデートだ。記念日とはいえ、行き先はいつものお酒や食事をも楽しめる本屋。しかしここが僕たちの出会いの場所。大事な場所だ。彼女を待つ間、僕の思い出話に付き合ってもらえたらうれしい。


三年前、僕は社会人一年目だった。必死になって就職活動をして唯一内定を頂けた会社で、失敗を繰り返す毎日だった。心身共にくたくただった。僕は昔から、嫌なことがあるとすぐ本屋へ向かう。そして僕の住む町には、面白い本屋があった。本だけでなく、軽食や飲酒が楽しめる本屋だ。その日も仕事で失敗ばかり。最寄り駅に着くと、足はもう無意識的にそちらへ向かっていた。

店に入ると、僕はまず文芸書コーナーへ向かう。大抵の人は持ち運びに便利だとか、形が揃っていて並べたとき見栄えが良いだとか言って文庫を好むから、文芸書コーナーにいるのは常に僕だけだ。だがその日は先客がいた。コロンとしたショートボブの小柄な女性。彼女は僕に気づくと、こう話した。
「文芸書がお好きなんですか?最近は皆文庫好きだから珍しいですね」
僕は頷くと、彼女は笑ってこう続けた。
「文芸書って素敵ですよね。わたし、文芸書コーナーを見ているとケーキ屋さんを思い出すんです。ショーケースに並んだ、色んな形や色をしたケーキたち。美しいな。今日は何にしようかな。そう感じちゃってわくわくします」
驚いた。確かに僕も文芸書が好きだ。重厚感があって、本を読んでいるという実感ができるから。しかし、彼女のように考えたことはなかったし、同時に素敵だと思った。瞬間、体が3mm程浮かんだような心地がした。ドラえもんかよと思われそうだが言わないでくれ。僕はそれくらい、彼女に惚れていた。

それから程なくして、僕たちは交際を始めた。彼女も「文芸書コーナーにいたことももちろんだし、何よりあなたの持つ雰囲気が好き。私を優しく包んでくれているように思える」と言ってくれたからだ。そう、いわゆる両思い。付き合ってからも、彼女の発想に日々を彩られる毎日だった。仕事の失敗も彼女に会えば払拭されたし、徐々に減っていった。

僕たちは互いに社会人一年目。金銭的に余裕がなかった。偶然にも彼女は近所に住んでいたので、週に一度程度仕事帰りに合流し、本屋へ向かう。そこで数冊本を買い、少々の飲酒。帰りにコンビニでアイスとチューハイを買って、どちらかの家でまた飲酒。こんなデートばかりでつまらないか、彼女に聞いたことがある。彼女はこう言った。
「ううん。むしろ楽しい。本屋さん行ってお酒飲んで、帰りにコンビニでアイスとチューハイ。それって今まで『わたしだけの当たり前』だったのね。それをあなたと分け合えることが素敵だし、大好きなあなたといるだけで、駅も本屋さんもコンビニもお家も輝いて見えるの。わたしにとってあなたと行く場所は全部ハネムーンみたいに感じるの。あっ、それなら今日は違うアイスにする?あなたはパピコ食わず嫌いするけど美味しいんだからね?今まで一人で二つ食べるのもちょっと寂しかったし」
彼女の笑顔と共に渡されたパピコは、とても甘くて美味しかった。

季節は巡り二回目の冬。クリスマスイブだった。昨年も二人でいつもの本屋へ行き、クリスマスや冬にまつわる本を買って、本屋で提供されたシャンパンを飲みながら読んだ。特別なことよりも日常を好む彼女のご意向もあって、社会人二年目である程度の蓄えがありつつも今年もそのつもりだった。いつもの最寄り駅で彼女を待つ。しかしいつになっても彼女は来ない。LINEを送信する。返信が来ない。電話ボタンを押そうとすると、彼女が大粒の涙を流してやってくるのが見えた。僕はすぐ彼女の元へ向かった。泣き崩れる彼女の肩を抱きそのまま僕の家へ。話を聞くと、仕事で後輩がミスをして、先輩だからと肩代わりをして遅くなったそう。その責任感の強さに驚いていると、彼女はこう話した。
「わたしね、一人になると嫌なことを思い出して容易に泣いてしまうの。でも人前では泣けなくて。だって迷惑でしょう?よりによってずっと楽しみにしてたクリスマスにめそめそ泣いてる女を慰めるの。でもね、同時にこう思うの。今日久しぶりに人前で泣けたってことは、あなたのことを相当愛していて、信頼しているって。そして一人ではなく誰かの前で泣くことって、こんなに落ち着くんだって。あなたと出会えて本当に良かったなって、今日心の底から思えたの。本当にありがとう」
迷惑なんかじゃないと、僕は彼女を強く抱き締めた。二回目のクリスマスを通して、彼女の強さ、他者への思いやり、そして何より僕への強い愛を痛感した。自分で「僕への強い愛」なんて傲慢かもしれないけれど、クリスマスイブに免じて許してくれ。


いつもの駅に彼女がやってきたので、思い出話はここまで。いつものように二人で本屋へ行き、本を買う。そこで飲酒。本屋を出ていつものようにコンビニへ向かい、アイスとチューハイを買って、僕の家へ。彼女は僕の本屋の紙袋を見て尋ねた。
「何の本買ったの?サイズ的に雑誌?珍しいね」
僕が開けるよう促す。すると彼女から嗚咽が漏れ始めた。僕は彼女の左手の薬指に、小振りな宝石が施された小さな輪を通しながら話す。
「あのクリスマスから決心したんだ。僕ね、あなたと出会って、あなたの発想を日々聞いていて、僕の平凡な人生にも彩りがあると気づいた。あなたと出会った頃は仕事で病んでいたけれど、今となってはあなたのことを想うと頑張れるし楽しい。むしろ病んでこの本屋に行ってなかったら、あなたと出会えてなかった。病ませてくれてありがとうとさえ思えてくる。僕はね、そんなあなたと一生、日常を共にしたい。でもそのためには、想いを告げるための非日常も必要だよね。日常も非日常も、これからもずっと、僕と過ごしてくれませんか?」

彼女は左手の薬指を大事そうに触れながら頷いた。日常を楽しめるプロは、今日から僕のお嫁さんだ。

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