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『やりたいことがわからない』人生を25年、生きてきた僕が『やりたいこと』探しに執念を燃やし、オススメしている理由。

僕は一時期。


「やりたいことを見つけたい」人をサポートするコーチングをしたい!
『やりたいこと』が見つからず、苦しんでいる人をサポートしたいんだ!


と(無邪気に)思っていた^^


結果的に、あの頃の、僕の情熱は、あまりちゃんと伝わらず、終わっていた気がする笑

こういう抽象的な感じだと、「インターネット」では「ビジネス」にならない、そうだ。

その”言い分”は、だいたいの確率で、間違ってない、だろうwww

まぁビジネスとしては、ね。


だから何?


と突っぱねることも、できるにはできるのだが、いかんせん自分自身が


『確かに!』


と納得してしまったのだからしょうがない笑


でも最近また違った視点があったので、自己考察を行い、こういった『自分のやりたいことがわからない』問題で苦しんでいる人の、一助になれれば嬉しいと思うハムニダw

・「自分のやりたい」ことを探していて、周りから馬鹿にされている人
・そのせいで、自分はおかしいのかな、と自己評価を下げてしまっている人
・それでもなお「自分のやりたいこと」に出会いたい人
・「自分のやりたいこと」がわかっていて、「自分のやりたいこと」を探す人達の苦しみや、悩みや、その過程がまったくわからないと思っている人

に読んで欲しいです。

先に「やりたいこと」が見つかった僕の立場として、結論から言えば。

・それはまったくおかしいことではなく、「普通」です
・見つかると思うし、絶対に「ある」と思います
・他人は他人、自分は自分、でいい

てことです。

では、始めます^^

●「自分がやりたいこと」を見つけることが、果たしてなんなのだ?ビジネスになるとかならないとか置いといて、その問い自体になんの価値があるのだ?


僕はどうしても、この問いに答えたかった。

「やりたいこと」はなに?

という問いではなく。

「やりたいこと」を見つけることが、一体自分にとってなんだというのだ?
なぜそんなにも執念を燃やし、見つかった瞬間、歓喜にわいた(ひとりでw)のか?

という問いである。

自分が自分らしくある、ために、どうしても必要な”謎解き”だと思っている。


なぜなら僕は、『自分には、およそ25年間ほど「人生の空白期間」がある』と考えているからだ。

小学生後半から会社員をやめるまで(やめてからも数年)、とにかく毎日「気怠くて」「退屈」で、「やる気が激しく上下」し、なにより毎日『眠かった』。

その大きな原因が『自分のやりたいことがわからない』ということだったように思う。


小学生時代、(おそらく)好きでやっていた陸上競技を「お受験」のために引退した頃から始まっている。

中学時代、高校時代は『勉強さえしてりゃいいんだろ』と感じていて、成績だけはよかったが、ほんと「生きてる」意味がまったくわからなかった。

正直、自分の存在意義も考えたこともなかったが、考えたら『無』という答えを出したかもしれない。

部活も、遊びも、そのせいで「成績が落ちて」、「親から叱責される」なら、とにかくだらだらと唯一「評価軸」となる『勉強』だけやればいいという『省エネ』モードな感じで「死んだ人」のごとく、生きていた。

まぁでもこのまますんなり生きてりゃ、なんなりとなるんだろう、と、まだゆるゆると構えていた。

そして、大学生時代2年間は本気で『やばい』と思うほど、ダメな生活を送っていたが、「根は真面目」な性格がなんとか最後の砦となり、かなり難関な『編入試験』を死ぬ気で挑み、合格することにはなった。

頭のどこかにぼんやり『就職』という言葉がひっかかっていて、「このままだと、本気で、就職なんてできる人材になりえない!」というのだけはわかっていた(し、冷静に考えても、あのまま生きていたら、絶対に採用などなかった、と断言できる)。

そしていざ「就職活動」あたりから、この『自分のやりたいことはなんですか?』の問いに、真っ向から向き合うことになりだし、悩まされ始めるように思う。

お前がやりたいことを仕事にすればいいんだよ。

って、みんなが言うし、確かに『就活本』にも書いてました。

でも、そんなこと言われても、『本当にないんだって!むしろ、なんでお前は大学生のくせにそんなものがあるんだ!?』と友達に問い直していた。(まぁでも今や、そんな友達連中も、あの頃はなんとか捻り出しただけで、正直に生きているわけでもなさそうだが…僕より”少し”だけ、賢かったのだろうw)

そして、なんとかテレビ局に入社しても、その問題はつきまとってきた。というか、さらに強くつきまとってきた。

お前が撮りたいものを撮ればいいんだよ。
お前がやりたいことを、企画にしたらいいんだよ。
お前が会いたいひとをゲストにしたらいいんだよ。

だから、『本当にないんだって!そんなもん!』と、心から思っていて、「企画書を書くように」と指示があるたびに。

あーこの会社向いてない。まじでやめたい。もうやめて自給自足の生活とかしたい…

などと思っていた。(自給自足している方にも失礼だし、どの会社でも通用しないだろうw)

同時に『やりたいことのない』自分は、『価値のないやつ』だと自己評価を下していたように思う。

(しかし、今考えても、こんなことだと「テレビ局」のようなクリエイティブな業界では致命的だ。やめてよかった、と思う。)

そして『会社を辞める』決断をしたのも、金持ちの友人のこんな言葉がいちばんの引き金になったと思い出す。

『まぁアジアとか飛び出したら、なんなりとおもろいこと見つかるで〜』

僕は自分の人生が成功とか失敗とか、もはや年収など、なんの意味も持たず、まったく「面白いこと」がない人生になりそうで、ただ焦っていた。怖かった。不安だった。

『”おもろい”こと見つかるで〜で〜で〜で〜ぇぇぇぇぇぇ』

だけが、僕の頭にはこびりついて、離れなかった。


こういうアドバイスを聞くと、確かに、外に出ればなにかがあると思っていたし、違う選択をすれば、自分はもっと生き生きするフィールドがあると思っていた。

そして、会社をやめ海外に飛び出したわけだが、はっきり言って、海外に飛び出したらなにかが変わるのか、なにか見つかるのかと言えば、

はっきり言って『NO』でしたね。

その友達にも言ってやりたいが笑

僕は会社をやめて、アジアをフラフラしながらも、同時に『自由感』などなく、「このまま俺どうなるんだろう?」という危機感と不安とストレスばかりだったし。

スモールビジネスでちょっとお金を稼いでも、「未来への不安」しかなかった。

じゃぁ海外で就職したら変わるのか!

とも思ったが、環境が変わっても、それは同じだった。

もうはっきり言って『人生って、無理ゲーだ』と思っていたし。

ただ「やりたいこと」「自分が没頭できること」に出会いたいだけのに、なんでこんなに苦しいんだ…と絶望していた。


いや、だからね笑

僕は、これくらい悩んだんですよ。

僕にとって『自分の好きなこと』という、たったひとつの(誰かからみると、まじでしょうもない悩みだったかもしれないが…)『自分の人生を救ってくれる可能性』を秘めた”壮大なテーマ”だったのです。


※こちらの金井先生の記事は、最近はまっています!参考にしてほしい!


こんなに長々と苦しんできたが、、、ついに見つけました^^

それが『コーチング理論』を学ぶこと、深めること、でした。

コーチングを学び→その理論が面白すぎて→「コーチング理論」を深めることが好きだと知った

こんな感じで、解決する時は「あっけないもん」ですwww


「あっけない」けど、もう僕の喜び、わかってもらえます?笑

もうあまりにも嬉しすぎて、飛び跳ねましたよ!!

『いよっしゃーーーーーーーー!俺にも好きなことあったぜーーーーーー!うヘルバhフィベtgべrjfg美rgぉえfrt、げんfーーーーー!!!!!』

みたいな謎の喜びと、熱狂(にも似た”発狂”w)と、興奮で。

『俺の人生は今から始まるのだ!』

と本気で思いましたしね。


だからこそ、この喜びをシェアし、かつ『自分の好きなこと』を発見して欲しい!

などと無邪気に思ったんですよ!当時ね!当時!

しかし、まぁ世間の目は冷ややかだったな〜汗

『だからなに!?こっちは目の前の現実でそれどころじゃないんだけど!』

的な視線を感じたし。

ちょっと冷静なやつには『おお。なんかえらい”スピ”っぽいこと言い出したな〜』なんて感じで、なまぬるくスルーされる始末だった。


だからなんとなく『サービス』としては、「フェイドアウト」していたのだw


しかししかし、最近あるセミナーを受けてみたり、原点回帰する中で徐々に見えてきたことがあったので、再度考察し、みなさんに伝えたい、と思うようになったのです!

長いですね!長いです!

でも、これが「人が生きている」ってことなのです笑(僕はそれまで半分「死んでた」のだから、せめて言わせてくれよw)

そこで、数人の方と「グループセッション」のような形で、お話をしていた時に、僕は”ハッ”と

・「自分の中にあった危険性」(→これは「自分のやりたいこと」がわからない方に共通する危険性なので、シェアしときたいですね!)
・自分が「やりたいこと」探しというテーマを重視する理由
・なぜ「コーチング理論」を好きになったのか?

に気づくことになったのです。

『みなさんで、自分の人生を遡ってみよう!』てことになりまして、まぁこちらのブログでも話しているような、僕の人生の話を、まぁまぁあっけらかんと話したのです…

しかしどこからどうみても僕も人生は、『「平坦」な、かつ「順調」そうな人生』だと思ったんで、参加者のみなさんに質問したのです。

『僕って、人生辛そうですか?悩んでます??』

と。

みなさんが驚かれましてねw

『はぁ!?こちらから見ると、すごく苦しくて、辛かったんじゃないか、と思いますけど…汗』

と言われました。

なんのことかと言えば。


僕は小さい頃から、両親の超強烈なプレッシャーを背負い、それなりになかなかの成果を出してきました。スポーツも、学問もです。僕の記憶の中では、『週5』で習い事がてんこもり、陸上に至っては『340日(1年)』は練習していました。

そこで、僕の導き出した自己分析は、こちらです。

『ああ、僕は、この小学2年くらいの時点で自分の感情に蓋をしましたね。だって、小学生が毎日あんなハードに習い事をこなしていたら、もう”感情”が追いつかないんでね。好きとか嫌い、とか言い出したら、もう生きていけませんよ!わっはっは^^』


なんてね。けろっと言ってました。

みなさんはこれに「絶句」されたわけです。

で、初めて『自分の中の危険性』に気づいたのです汗

(あ、僕は両親のこと恨んでませんよ^^「良かれ」と思って、両親なりに考えてくれたことです!感謝するほどです!)


これ、わかります?

僕、「感情の神経回路」を切ったんです。

だからなにも感じなかった、というか「感じることができないように、自分で自分を守った」のです。

これ、意味わかります?汗

人間て、他の動物と何が違うのか知ってます?

そうです。『感情』があること。

でも、僕はそんな大切なものを「断ち切った」のです。

その際に、他の方がこう言われました。


人間は『ー』の感情を感じなくなると、『+』の感情も感じられなくなりますよね…


と。

まさにそうだと思います。僕も「他のひと」が、自分と同じ状況ならそう思っていたでしょう。

でも、まさか自分がそうだ、とは思えなかったのです。


そして、ついに…ここで繋がりました。


恐ろしいことに、僕はもう25年ほど、「感情」がなかったのです。

自分を守るために、そうするしかなかったのです。

そうであるなら、「好きなこと」「やりたいこと」も、感じられないのです。当然ですよね。

それって「生きている」のかな?(みなさん、どう思います?)


●じゃあ、なぜ僕はコーチング理論が面白いと「感じられた」のか?


これは「運」です。ラッキーです。ほんと偶然!

とも言えますが、結局は「自分がやりたいこと」って、そのまま”ゴール”のことです。

「コーチング理論」の根幹であり、主目的です。

僕の無意識は、自分が奥底で抱える問題は、この辺に原因があると感じ、だからこれを『重要』だと感じたのでしょう。心理学的にみても、そういうものです。

人間は自分に欠けているものを無意識ではわかっているし、その解決になりえるもの、人、情報に『気づく』のです。

僕が生きる上で「欠けている」と考え、課題にしたテーマが『ゴール』だった。だから『コーチング理論』を必要と感じた、選んだ。

こういうことですね。


金井先生のお話だとこうです。

”高校生のころは心理学に興味をもっていました。そもそもの理由は、自分自身に強迫神経症っぽいところがあったからかもしれません。例えば、これは、自覚したのは高校のときよりもっと後になってからですが、天井と壁の境界線は水平って決まってるのに、本当に水平なのかなって思ったらそれがずっと気になって延々心配な時期があったんですよ。でも、几帳面さなどは、直したい、もっとええかげん、おおらかに生きたいと思っていました。一番張り詰めてて病的だったと思う頃の話やけどね。

その経験から、人間の心の深いところがどうなってるかという興味が強まっていった。深いものへの憧れやろな。そのころは精神病のことなんてほとんど何もわかってなかったけどね。

それでフロイトやユングが書いた本やヤスパースの精神病理学原理、河合隼雄先生や日本の精神病理学者の本を読み漁ったところ、心の病気、逆に言えば心の健康、弾力性を扱う臨床心理学を勉強したら人間の心の深い部分がわかるかなと思ったのと、自分自身が精神的に健常・頑強になるかな、自分の心の脆弱なところが緩和されるなって思ったんですよね。よく仲間内では言い合うことですが、結局、精神病理学とか臨床心理学の方面に行く人ってみんな、自分がどこかおかしいと思うから行くと思うんですよ。”

つまり、世の中って、個人個人でやっぱり違うんです。

物理世界は同じでも、同じテーブルから、同じ方向をみても、『何を認識するか?』が違うんです。

その答えが、おそらくこの金井先生のおっしゃっていることです。


さらに、こちらもすごくいいお話しです!

為末さん!

41分50秒:

”だいたい(選手は)、競技人生で引っかかったことに興味を持つんです。組織、チーム作りがうまくいかなかった人間は『組織論』に進み、動作でうまくいかなかった人間は『動作解析』とかいくんです。私は「心理の問題」に興味を持ち、人間の心ってなんだろう、と思ったのです。”

こういう感じで、同じ競技をしても、捉え方、解釈が人によって違うのです。

その時の「重要度」は、「自分ができなかったこと(=欠けていたこと)」に依存する、とも言えるのかと思います。


つまりなにが言いたいのか、とそろそろ整理しましょう笑

僕は「やりたいこと」がなくて、苦しみました。

なぜか周りのひとが心配するくらい、その「やりたいこと探し」に執着したように思います。

とにかくことあるごとに「やりたいことはなに?」という問いを受けるたびに苦しんだ記憶があるからです。

同時に、それが分かれば人生が楽しくなる、という期待もあったように思います。

でも、いつまでも見つからず。

しまいには、「自分で自分のやりたいこと」すらわからないやつって、どうなの!?やばくない!?

みたいな形で「自己嫌悪」になり、「自己評価」を下げ続けていました。

実はそういう方って、少なくないですよね?

でも周りに伝えるのが怖い、だけじゃないですか?

もしくは「まぁ人生ってそんなもんか・・・」と、諦めてないですか?

もしそうならば、伝えたい。

あなたはおかしくない!(し、なんなら僕もおかしくないよ笑)

実はそういう人多いですし、それはシンプルに「病気」だと捉えていいと思います。

いや、精神疾患とかそういう話ではなくてw

風邪とか、頭痛とか、きっちり「からくり」があり、科学的に改善できる『病』という意味です。

ちなみに、『やりたいことを見つけたい』と言っても、会話がまったく噛み合わないひと(有名な人では堀江さん、ひろゆきさんタイプのような方)っていますよね?

おそらく、彼らはなんの嫌味もなく、悪気もなく、ただ本当に『やりたいことのない自分』を知らないので、その苦しみや悩みがわからないのではないかと思います。

・やっちゃえばいいじゃん
・はまればいいんだよ
・金稼げば、解決する

とかいう感じで、とりつくしまもありませんからねwww(何度も言いますが、悪気はまじでなさそうです笑)

ちなみに、僕の友人でもいますよ笑

超金持ちで、あのタイプの人って。でもまぁ噛み合わないのです。

だからって、彼らがどうのこうのではなく。

理解して欲しいのは、そう言う人もいる、ということです。そして、その理由が、上記のようなことです。

でも、問題は、その(成功した風な)人達はわかってるのに、『そんな簡単そうなことがわかってなくて、いつまでも探し続けている自分って、変なんだ』と思うことです。

それはそれでまぁ違うよ、ってことを知って欲しいです^^

こういうことで悩む人もいていいし、金を持ってても、スーパースターでも、ひとはそれぞれ「悩み」はあります。

あなたがどんな悩みを持っていても、その内容自体におかしいことなんてないよ、と伝えたいですね^^

最後にひとこと。

自分のやりたいこと探し続けて、何が悪いんだよ?
俺の勝手だろうが!
この◯ソが!

と、言ってやりたいですね^^(いや、誰に?w)


<続きはこちら>



(終わり)


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