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認識と行動

本日、現在執筆中の哲学小説『卡斉政要 ポーランドの大改革と革命戦争』と共に執筆する拙作の構想と序文を完成させた。以下の通りである。

1 表紙

00_挙言敢行_改過自新と自助努力(表紙)-1

00_挙言敢行_改過自新と自助努力(表紙)-2

01_挙言敢行_改過自新と自助努力(完成版)-2

2 序文

2.1 説明

 この序文は、著者の主人格「LVN」が、二〇二一年の、六月六日及び八月十一日、そして、十一月二十七日に見た、既に亡くなって、会ったことが全く無い高祖父(母方祖父の父方祖父)との交流の妄想並びに幻覚に基づいて、高祖父を代弁するかの如く著述した序文である。
 そのため、あくまでも、個人的な妄想並びに幻覚であり、ここで著述されている内容(『霊』や死後の世界等をも含めて)の真偽は不明である。
 下記の詩は、『詩経』の『小雅』の『瞻彼洛矣』であり、『詩経 中 新釈漢文大系111』(p.427-p.429)を参考にして、訳・解釈したものである。

2.2 詩

洛水を瞻仰せんぎょうすると、そのおおもとの水、泱(高大)にして泱(深奥)である。
君子が至善に止まれば、福禄は茨の如くになる。
茜草で染色した皮の腰掛けは赤く、これを以て六師(六軍)を形成する。
洛水を瞻仰せんぎょうすると、そのおおもとの水、泱(高大)にして泱(深奥)である。
君子が至善に止まれば、鞘の先端と末端に美しい装飾が有るようになる。
君子は万年であり、その室家かぞくを保護する。
洛水を瞻仰せんぎょうすると、そのおおもとの水、泱(高大)にして泱(深奥)である。
君子が至善に止まれば、福禄は協同となる。
君子は万年であり、その邦家こっかを保護する。

2.3.1 高祖父の自己紹介

 私は、この著者『LVN』の高祖父であり、我が怨恨に対して、我が玄孫が廉直を以て応じてくれたため、ここに、形而上の徳と形而下の徳が連繋したので、私の苦痛と罪過、そして、悲憤に満ち溢れた経験と情念を、我が玄孫を述べて、我が子孫達、並びに、他の方々の子孫達、そして、祖国ベトナムや世界中の諸国・諸民族の為に、道を立てて、福を伝えたいと存じている。

2.3.2 玄米の発言と歴史の回顧

 「立道伝福」(Lập đạo chuyền phúc)、これは、我が玄米が、二〇一〇年八月五日に、我が孫の祭壇の前で、一族に述べた言葉である。これは、我が太古の祖先の始まりは、孔子の娘と公冶長の間で生まれた娘から始まるが、孔子の娘の遺伝に因るものである。
 ああ、実に悲惨なことであった!一体どれ程の子孫達や国民が、無知愚昧や残酷非道な親達や祖先達、指導者に組織や政府に搾取・虐遇・惨殺されたことやら!忠孝を無批判かつ狂信的に強制しては、不忠・不孝を一方的に断罪しては懲罰し、恵慈に努め励まずに、不仁不義・無慈悲を猛省しない。実に嘆かわしいことよ!
 我が始祖である孔子もまたそうだ。修身や治国、啓発や伝道に切実な善意や決死の覚悟を以て努め励んだにも拘わらず、妻子を軽視しては放置して、妻の本心や娘の意向に耳も心も傾けず、臨終は、世の退廃を嘆いておきながら、実の孫の人生を他人任せする。
 このように、自分自身の斉家に努め励まず、そして、「名を正すこと」ばかりに囚われて、因習や形式に自らを縛り付け、「実を問うこと」に努め励まず、内容や発見から自らを遠ざけ、忠孝ばかりを強調して、恵慈を軽視し、政治の無礼や為政者の不徳を非難して、家庭の惨劇や祖先達の暴虐に言及しなかった。

2.3.3 高祖父の幼少期と父への憎悪

 このように言う私自身もまた、祖先と同様の過失や罪過を数多く犯してしまった。私は幼少期、父母と暮らしていたが、ある時から、日々、仕事で疲れ果てていた父が豹変して、母に暴力を振るい始め、私は、その光景に、言葉では表現し尽くせない程の深い苦痛と恐怖を覚えた。
 そして、最後の父との思い出は、母の頬を強く叩き付けて罵声を浴びせて、家族を棄てて出て行こうとした父に、私は号泣して父の足にしがみ付くと、父に首を掴まれて、腹を蹴られて飛ばされ、床に頭を強く打って、そのまま気絶してしまった、というものであった。
 それから、私も兄弟も妹も、すっかり心を病み、母に至っては、心が完全に壊れ、喋ることすらままならない程までに、心を病んでしまい、それでも何もかもが窮乏した極貧の生活を送らなければならなかった。私は、生涯に亘って、激しく、そして、深く苦しみ続けては、父を骨髄と心魂まで憎み怨み続け、そして、求め続けた。「絶対的な安定と独占」と言うものを。
 その後、苦痛や悲痛、憎悪や怨恨に、日々耐え忍びつつ、劣等感に満ち溢れた独占欲を募らせながら生き延びて、やがて、自分自身の家族が出来た。

2.3.4 高祖父の父親としての苦悩と大失敗

 しかし、嘆かわしいことに、人間という生き物は、自分がされて嫌だったことや辛かったこと、苦しかったことや憎み怨んだことを、また同様に、他人にしてしまうという矛盾と愚行、そして、制御し切れない程の苦痛に満ち溢れた愚劣な弱さがあり、私もまた、そのような矛盾と愚行に、弱さの持ち主であった。
 私は、妻が愛おしかった。子ども達が愛おしかった。妻のお腹が大きくなった時、誕生したばかりの長男の姿と声を見聞きした時、生物としての本能と人間としての愛情が込み上げていた。なのに、呪詛されて、錯乱し続ける病人や、無数の釘が全身に刺さって、激しい苦痛を伴いながら流血し続ける狂人の如く、私の言動は、かつて、私を蹴飛ばした、あおの憎き父となんら変わらなかった。
 私は、必死に、自分自身の激しい苦痛や狂った暴力性を克服しようと、日々、精神の限界まで、全力で頑張っていた。しかし、窮乏だらけの極貧の生活に、日々の仕事や人間関係のストレス、そして何よりも、妻と我が子達を見ると、自分でもなぜそうなってしまうのか分からない程までの、悪霊に憑依(ひょうい)されたかのような、激しい憎悪と暴力欲に駆り立てられ、妻子を激しく罵っては、物を投げたり、蹴飛ばしたり、壊したりした。
 せめてもの救いは、私は妻子に直接、心理的・物理的に暴行を加えたことは、一度も無く、また、私は、独占欲や承認欲に名誉欲は猛烈な程のまでにあったものの、物欲はあまりなく、稼ぎは惜しみなく全て家族のために費やしていた、ということである。私の主観からすれば、毎日毎時毎分毎秒、私は全力で奮励努力していたのだ。しかし、それは私の主観に過ぎず、妻子の主観からすれば、そして、客観的に観れば、決してやってはやらない悪いこと、やると良くないこと、やらない方が良いことばかりをしてしまい、逆に、やらなければならない義務や責任、やるべき学習、やった方が良い努力は、ほとんど出来なかったのだ。もっと正確に言うのであれば、そもそも、そのような是非や善悪の概念や判断基準すらも無かった。
 そして、自分自身の良心の呵責や罪悪感に苦しみながらも、私は必死に己自身を救っては、父による苦痛や呪縛から脱して、妻子を愛しようと努め続けていたが、やがて、私のことを最も強く嫌悪・忌避し、私に対して極めて反抗的であり、そして、物欲が強烈で、知恵のある長男は、黙って家を出て、私の下から去り、その後、姓を棄てて、名実共に、家を棄てたのだった。
 私は、本格的に発狂しては、精神が錯乱して、言動も狂暴化し、その後、生涯に亘って、父と子を呪詛し続けた。時に、自分の唇から血が出る程までに噛み締めながら呪詛したり、父と子が、大病や障害を患ったり、最悪な時には、事故や病気で激しい苦痛を伴いながら惨死するように、本心から天に願ったことも、決して少なくなかった。こうして、私はなんとか僅かに維持していた正気と善き人情を完全に喪失してしまい、二度と取り戻すことが出来ないまま、この世を去ったのだ。

2.3.5 曾祖父と祖父・母の悲惨な運命

 そして、我が長男、つまり、我が玄米にとっての曾祖父、そして我が孫、つまり、我が玄米にとっての母方祖父、この二人の親子もまた、物欲が強く、そして、不運と不幸が重なり、我が祖国ベトナムでは、ベトナム戦争が勃発し、そして、北ベトナムでは、「Cải cách ruộng đất」(農地改革)という、冤罪や無学かつ不当な裁決によって数多くの人々が処刑される、国家規模の惨劇が起き、処刑された人々の中には、国への愛国心や党への忠誠心に、仁愛や大義を懐いていた善良な人々や有能な賢人達がいた。
 このような国家並びに人民の大恥であり、大悪であり、大罪である惨劇に、不幸にも、我が孫が、処刑する人々の告発とその名簿の作成に協力してしまったのだ。協力しなければ殺されるという強制的な状況下だったとは言えども、我が孫は、その罪過によって得た巧と富を甘んじて受け入れ、その後、今日に至るまで、被害者の方々に対する良心の呵責や罪過感から苦しんでいるのではなく、自分が非難や追及されることだけに恐れ怯え続けている。
 そして、我が息子は無関心で、事実上の育児放棄や家庭放棄をしてしまい、それによって、我が孫は人情を欠如してしまい、その一方で、「親の背中を見て子は育つ」というように、その我が息子の物欲と邪智を無意識に吸収しまい、そして、先の惨劇に巻き込まれてしまったことで、我が孫の心もまた、壊れてしまったのだ。
 その破壊によって生じた深刻な利己心や悪業に、欠乏や苦痛、狂気や危難を、今度は、我が曾孫、つまり、我が玄米にとっての実母とその姉妹達が被ることになってしまったのである。

2.3.6 高祖父の玄米への言葉

 負の連鎖は、このようにして、多大かつ深長なものである。故に、「本当の終戦や平和は遥か遠く、本当の脱出や解放は極めて難しく、本当の知はこの上なく得難いものである。」、この、私の猛省による言葉を、我が玄米をはじめ、多くの方々に、体得して頂きたいと、強く存じている。歴史を、内容を、時間を、確りと学んでは、省みて、そして、勇ましくかつ善く、刻々と存在している今現在と新たな未来を、歩み進めて欲しい。
 最後に愛する我が玄米よ、玄米の父や父方祖母をはじめ、多くの方々の強き善き奮励努力に由って成し遂げられた玄米の廉直によって、玄米の心身に存在して来た我が遺恨の歴史・内容・時間は、正しく善く消滅して、新たな原動力となったのだ。天の暦数が遂に玄米の志望並びに学徳に生じたのだ。

 玄米よ、徳を以て、道を立てて、福を伝えるのだ。自分自身をはじめ、愛する大切な人々に。そして、後世の人々に。「道」とは何か?それは「思慮並びに学行」である。「福」とは何か?それは「知識並びに知識の知識」である。
 「上善水の如し」と言う先哲の御言葉があるが、その水の源を瞻仰(せんぎょ)するのだ、玄米よ!ああ、高大にして深奥ではないか、天は!
 ああ、玄米よ!至善に止まるのだ!福禄は、誠に茨の如くであり、平地ではないのだ!他ならぬ「茨」即ち「苦悩・苦学・苦行」の道こそが、「福」即ち「知識並びに知識の知識」を体得しては、「禄」即ち「元気」つまり「健やかで強かな善き心」を収めて、「六徳」即ち「仁・義・礼・智・信」並びに「受命」を修め、そして、多くの歳月、いや、何世紀、いや、何世代に多くの時代を経て、「福禄」が「協同」となって、室家(かぞく)・邦家(こっか)を保護する陰徳となるのだ。その陰徳を見出すので、天の暦数の在る志望並びに学徳なのだ。
 ああ、愛する愛しい我が玄米よ!茨の道を歩んでは、福を得て、禄を収め、六徳を修めるのだ、楽しく幸せにな!
 祖先達の過失や罪過を教戒としては、祖先達の善行や功徳を模範とせよ!

2.4 解説

 以上が、拙作の著述の動機である。つまり、妄想並びに幻覚で交流した「高祖父」と呼ばれる「何らかの存在」(エネルギー並びにその影響力)から、「言葉を挙用して、その言葉を勇敢に実行していく。」(挙言敢行)ということに努め励み、そして特に、「過失や罪過を省みては改めて、自ら新しくなっていく。」(改過自新)と「自分で自力を以て、自分自身を助ける努力をする。」(自助努力)出来るように、「思慮」並びに「認識」と、「学行」並びに「挑戦」を研磨していくために、拙作を著述したのである。
 そして、前述の通り、真偽は不明(曾祖父の事に関して、過去の事実であった可能性はあり、母方祖父・母の事に関しては、現在の事実である。)であるが、いずれにせよ、祖先達の過失や罪過を教戒としては、祖先達の善行や功徳を模範として、極めて孤独で辛苦ではあるが、本当に楽しく幸せに、茨の道を歩んでは、福を得て、禄を収め、六徳を修めていくことにする。
 そして、道をはじめ、茨の道に、福・禄・六徳、そして、福禄を、読者の皆様方に共有することで、室家(かぞく)・邦家(こっか)を保護する陰徳を成していきたいと存じている。

2.5 参考文献

 さて、今回の拙作の主要な参考文献と、拙作の表紙の出典は、以下の通り先哲や諸賢に、研究者や出版社の方々、作者とサイト運営者に、誠に感服と深謝する。
『実践論・矛盾論』(毛 沢東⦅著⦆、松村 一人、竹内 実⦅訳⦆、1957)
拙作『愛国心 伯胡への書簡集』(Independently published、2021)
-『岩波講座 認知科学』〈全9章〉(伊藤 正男、安西 裕一郎、川人 光男、市川 伸一、中島 秀之、橋田 浩一⦅編集⦆、岩波書店、1994-1995)-
第一巻『認知科学の基礎』 第二巻『脳と心のモデル』 第三巻『視覚と聴覚』 第四巻『運動』   第五巻『記憶と学習』   第六巻『情動』
第七巻『言語』      第八巻『思考』      第九巻『注意と意識』
-P・フルキエ先生の著作-
・『哲学講義』〈全4章〉(P・フルキエ⦅著⦆、筑摩書房、1976-1977)
第一章『認識Ⅰ』 第一章『認識Ⅱ』 第一章『行動Ⅰ』 第一章『行動Ⅱ』
・『公民の倫理 入門哲学講義』(P・フルキエ⦅著⦆、九重 忠男⦅訳⦆、筑摩書房、1977)
-高木 芳徳の著作-
『トリーズ(TRIZ)の発明原理40 あらゆる問題解決に使える[科学的]思考支援ツール』⦅高木 芳徳⦅著⦆、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014)
『トリーズの9画面法 問題解決・アイデア発想&伝達のための[科学的]思考支援ツール』⦅高木 芳徳⦅著⦆、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021)
拙作の表紙の出典

3 認識と行動の省察

 認識と行動の善き省察に繋がるように、頑張って執筆いたします!

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。