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娘の部活動引退と、引き際についての話

先日、高校3年生の次女が部活動を引退した。

約1ヶ月前の週末からは、最後の集大成となる大会が始まった。

2週にわたり計4日間かけて行われる大会で、

ベスト8まで入ることができたチームは県の大会へ進むことができ

もし負けたら、そこで引退。

娘の高校は強豪校ではないので、おそらくここで引退することになるだろう。


奇しくもそのタイミングで、私の元にはnoteから1周年記念のメダルが届いのだ。

その日の私はパソコンも開くことも忘れて、ずっと引き際について考えていた。

何の?って、noteのね。

何だか不調で わけもなく不安な気持ちに駆られて、

頭にモヤがかかったようにぼーっとして、珍しく頭痛がしていた。

そんな調子で、自分とnoteの在り方についてモヤモヤと考えていた。

「もう、お弁当の記事は手放してもいいんじゃないかな」なんて思って、

投稿をやめておいてみたりした。


娘は中学1年生からバドミントンを始めて今年で6年目になる。

楽しみながらも立ち止まることなく、ずっと夢中で突っ走ってきた。

中学に入学してすぐの頃、ソフトテニスとバドミントンの

どちらに入部するかを娘は迷っていた。

バドミントン部だと、毎日朝練があるという。

その頃住んでいた家は学校まで片道2.4Kmもあり、

自転車通学は許可されていなかった。

私は、ソフトテニスに入ればいいなと密かに願っていた。

当時の私はまだ三女を保育園にあずけてパートに出ていたので

これ以上朝が早くなって睡眠時間が削られるのはゴメンだった。

そんな私の思いをよそに、次女はバドミントン部に入部した。

今思うと、それが最良の選択に違いない。

彼女に楽な人生なんて似合わないと思った。

何でも好奇心のまま、自分の力でサクサク突き進んでゆく娘には、

良い意味でハードモードがよく似合う。

実際、中学校の3年間は見事に文武両道をやってのけた。

30人近くいたバド部の同期の中で定期的に行われていたランキング戦では

毎回8位くらいの実力で、トップクラスの選手には程遠かったけど。

先輩や仲間達と仲良くしながら練習も頑張って

結局、一度も朝練を休むことはなかった。


成績の方もテストを重ねるたびにどんどん上がっていき

3年生の最後では、ほぼオール5に近い結果をもらってきた。

もっと言うと2教科だけが4で、残りは全て5だったのだけど

その2教科も、1学期と2学期で5をとっていた。

次女のすごいところって、テストの点数はもちろん良いのだけれど

オール5をつけてもらえるほどの点数ではない。

じゃあ何がすごいのかって、

娘の場合、提出物やノートの作り方が素晴らしいんだって先生が言ってた。

私は、娘の母親でいられることがとても気持ちよかった。


進路を決めるときに希望していた高校があり、体験入学で行ってきたんだけど

次女曰く「おもしろくなさそうな学校だった」ってことで

家から遠い、ワンランク落とした高校に行くことに決めた。

理由は「先輩が行ってて楽しそうだから」

もう笑うしかない。でも本人がそう言っているんだから反対する理由はなかった。

志望校を決め、合格について先生からお墨付きをもらったあとも

次女は懸命に努力した。

好奇心が旺盛で、要領も良くて地頭の良い娘は勉強の仕方も面白くて

「暗記するときには青いペンで書くといい」なんて裏技をよく知っていて。

あとステーショナリーにもすごく詳しいから、用途によって使い分けていた。

どのルーズリーフが書きやすいとか、

ボールペンも色によって微妙に線の太さを変えて持っている。

私がペンなどを買いたい時に相談したら

用途を聞いて、どれがお勧めか教えてくれたりもする。

そしてテスト期間に入る前にはボールペンの替え芯など

必要なものを大量に購入して勉強に挑み

次女の部屋に行くと青のインクで細かくびっしりと書かれたルーズリーフが

束になって置いてある。

ミニマリストな次女はテストが終わると

頑張って勉強した形跡を、すべて惜しげもなく破棄してしまう。

そんな感じで昼夜を分かたず寝る間も惜しんで勉強した娘。

受験のすぐ後に我が家は引っ越しをしたのだけれど

空っぽになった次女の部屋を見るだけで

頑張る姿が思い出されて、私はひとりで涙した。


次女は高校でもバドミントン部に入って伸び伸びと頑張っていた。

ランクを落としたと言っても、そこも進学校なわけで

ここでも見事に文武両道を貫いている。

朝課外といって、通常の授業が始まる前に1時間の授業がある。

その頃になると私は専業主婦になっていて

毎朝6時半に家を出る娘のために5時起きでお弁当を作った。

そしてお弁当の写真を投稿するようになり私のnoteでの快進撃が始まる。

娘の方も好調で、1年生のときに行った全てのテストがクラスで1番だった。

持ち前の明るさで友達も多く、誕生日には山のようなお菓子を持ち帰ってきた。


2年生になり、3年生の引退に合わせて先輩方からの指名で部長に選ばれてからは

ひたすら努力してバドミントン部を引っ張ってきた。

顧問はS先生という、とてもやさしいお父さんみたいな先生で

娘はS先生が大好きだった。とても熱心な先生で、

良い環境とは言えない練習場所を割り当てられているバド部のために

休日には学校とは別の体育館を手配してくれていた。

ところが体育館は、当然学校を中心に探すものだから

我が家から遠く離れた場所にある体育館まで私が車で送迎をする。

朝、体育館まで送って一旦家に帰り、家事をしてから再び迎えに行く。

待ち時間を合わせると、1日4時間が送迎で消えることになる。

1年生の頃はまだ私に「自分の時間」という概念がなかったけど

2年になってnoteを始めてからは時間が足りなくて毎回歯痒く感じていた。

振り回されるのってそれだけではなくて

娘はしょっちゅうガットを切らして帰ってきた。

ラケットは2本持っていたけれど、当日張り替えてくれるわけではないし

もう片方もいつ切れるかわからないからすぐにスポーツ店へ駆け込んだ。

その回数が6年間で25回。いつも部活終わりの時間で連絡してくるから

切れた日は夕飯を作るのを諦めなければいけなかった。

長女も中学ではバドミントンをしていたけれど

ガットを切った経験なんてなかったから、そんなことがあるなんて知らなかった。

長女と次女のバドミントンではスピード感が違うのだろう。

次女は、シューズもすぐにボロボロになってしまった。

前にグッと踏み込むから、爪先の爪の部分には血が滲んでいた。

私も昔、かなり強いバレー部で7年間頑張ってきたけれど

シューズを破いた経験なんて一度もなかったな。

学校が山の中にあるから山道を走ったり

外部からやって来る厳しいコーチにしごかれたり

毎日クタクタになりながら娘は頑張った。

遅い時間に帰って来て、ご飯を食べるとそのままうたた寝をして

夜中に無理やり起こして布団へ行かせる。

翌朝はまた早いから、4時半に起きてシャワーを浴びる。

汚れた体で布団に入らないでとか、そんなこと言ってる余裕もない。

ただ生活を回すのに必死だった。

そんな感じだから、持ち帰ってきたお弁当を出すこともままならなくて

毎晩私がJKの荷物を漁ることになる。

次女的に、まったく問題はないらしい。


娘と私は、同じ三姉妹の次女同士でとても仲が良い。

明るくて活発でドSな次女と私は、私と私の母との関係性とは全く異なる間柄で

娘は私のことを「友達みたい」だと言う。

お互い心を許して何でも話せる仲だと思っている。

それでもやっぱり母と子だから、泣きそうな顔をして帰って来たときには

胸を貸して気の済むまで話を聞いてやる。

ある時 部活動で悩んでいたことがあって、

副部長の子との気持ちのすれ違いが原因だったんだけど。

その時も話を聞いてやった翌日には、その子と話をしたみたいで

お互い誤解していたことがわかって晴々とした顔で帰って来た。

そんな感じで、山あり谷ありの学校生活を乗り越えて来た。


大会の直前になって、同じ3年生の部員であるMちゃんの家族から複数人

疫病の陽性が出たことがわかった。

Mちゃん自身は陰性なんだけど、登校してはいけないから

もちろん大会にも出られない。

これで最後の大会なのに。

娘はすごく残念がっていたけれども、強い決意を胸に秘めていた。

「Mちゃんを、県の大会まで連れて行こう!」

強豪校ではないので、勝てる可能性はあまりなかったけど。


ところでこの春、2年間お世話になったS先生は違う高校へ赴任した。

3月末のある日、部活動から帰って来た娘は嘆き悲しんでいた。

今日の練習終わりに発表があって、明日には先生は向こうの高校へ行ってしまう。

もう、話をすることもできない。

聞くところによると、S先生は以前にも娘の高校にいたことがあって

そのときはバドミントン部の部員に知らせることはなく

突然離任式の発表で、サヨナラしたらしい。

その時の反省を踏まえて今回は前日に教えてくれたらしいけれど、

それでも時間は足りなくて、先生を慕うみんなは悲しい思いに明け暮れた。


そして4日間にわたる大会が始まった。

体育館までは主人が送迎してくれることになり、

早朝から用意していたお弁当を持って、娘は元気に玄関を出て行った。

このご時世だから密になることを避け、保護者は体育館に入ることはできないし

敗退した学校は速やかに会場を後にする。

案の定、娘からは相当早い時間に連絡があって迎えに行くことになった。

後半の2日間は団体戦だった。

今回の会場が主人の職場のすぐ近くだったため、

会社で仕事をしながら次女の連絡を待つことになる。

私は三女と一緒に自宅で過ごしていた。

最初の日。

「すぐに終わってお昼頃に帰って来るよ」って娘は言っていたけれど

待てど暮らせど2人は帰ってこない。

主人から連絡が入って「夕方になりそう」とのことだった。

予想外の展開にドキドキしていると、20時頃に2人が帰って来た。

娘は興奮していた。

団体戦の今日やった試合、娘のチームも、娘自身が戦った試合も

すべて勝ったんだって嬉しそうな顔で話してくれた。

S先生も赴任先の高校の顧問として会場にいて

娘たちを応援してくれたそうだ。

本当は今日敗退して、このまま引退になると誰もが思っていたのに。

そして、2日目へ続く。


団体戦で勝ち残ったチームだけが出場する大会最終日、

前日よりもかなり早い時間に2人は帰宅した。

娘は満面の笑みだった。

8位までのチームが県大会へと進むことができる。

娘の高校は、8位で予選通過をしたのだそうだ。

「これでMちゃんを県の大会へ連れて行くことができる!」

娘の喜びは大きかった。

県大会出場が決まる最後の試合。

これで勝てば県大会、負ければ引退というその試合。

なんの因果か、対戦相手はS先生が顧問を務める高校だった。

その団体戦で、部長を務める娘は後輩と組んでダブルスの試合に出場している。

試合は途中まで、相手に大差のリードを許すことになる。

ところが中盤に差し掛かった頃から娘たちの反撃が功を奏し

終わってみると、8点差で負けていたのをひっくり返して3点差で勝つという

大金星を勝ち取る結果となった。

そのお陰もあって、県大会出場を決めることができた。

試合が終わり、最後の挨拶のとき みんなでS先生の前に行き

「本当に、ありがとうございました!」と力強く笑顔で言う。

今までお世話になった感謝の気持ちを込めた、心からのお礼の言葉。

S先生は、終始ニコニコしていたそうだ。

きっと、自分が顧問を務める高校が勝つよりも嬉しかったに違いない。

そして私は、今でもその話を思うだけで涙が出そうになる。


県大会は2週間後の週末に迫っていたけれども

直前の木曜日までは中間テストだった。

部活をするのか勉強に打ち込むのかは3年生の判断に任されていて

ギリギリの8位通過だったし、受験のことも考えて

テストが終わるまでは部活動は休みになった。

こんな娘だから寝る間も惜しんで勉強して無事にテストも終わり

部活動を再開した。

その頃男子のバド部3年生は引退したあとだったから

少し寂しいと娘は言った。


県大会は2日間にわたって行われる。

結局Mちゃんの家からはもう1人疫病の陽性が出て、

とうとうMちゃんの出場は叶わなかった。

今回も敗退したチームから解散となり

「すぐ終わって帰って来るから」晴々とした表情で娘は玄関を後にした。

「今日で最後」誰もがそう思っていた。

だが、今日も2人はなかなか帰ってこない。

夕方の遅い時間になって帰って来た娘に話を聞くと

なんと、勝ち進んでいると言う

1戦目は普通に勝って、2戦目は優勝候補のチームと当たるはずだった。

その高校が疫病のために出られなくなり、不戦勝になったのだと言う。

強豪校が最後の大会で運悪く出場できなくなり、それは本当に残念だし

選手の皆さんはさぞかし無念なことだろう。

それでも私は娘の母親だから、娘のチームが運良く勝ち上がるのは嬉しかった。

3戦目も普通に勝つことができて、そして大会は2日目へ。


今日の今日とて今日こそ早く帰って来るからと、娘は元気に出かけて行った。

ベスト8に入ったチームだけが出場できる2日目。

2回勝てば上の大会へ進めるそうだ。

でもさすがに今回は、早々に2人とも帰って来た。

娘は やり切った表情で、とても清々しい空気をまとっていた。

勝つことはできなかったけど、県でベスト8位に入ることができたのだ。

当初の予定では、とっくに引退していたはずなのに。

神様は何て粋なことをしてくれるのだろう。

誰もが笑顔で引退の日を迎えることができた。


県大会に進むことが決まったとき、娘は私に教えてくれた。

「この状況で何が嬉しいって、自分が部長だっていうことが嬉しい。

自分が今までやってきたことが間違いじゃなかったってことが」

1年前、初めて部長という大役に就いて、とても不安だったと思う。

学生として、プレーヤーとして、部長として

たくさんの顔を持ちながら、いろんな場面で悩み苦しんだのだろう。

でも娘がしてきた経験ってスポーツに限ったことではないけれど

これから人生を生きて行くうえで とてつもなく大きな糧となることだろう。

これから春まで、娘は再び受験生になる。

次女のことだから受験勉強も全力投球して、

春には何かしらの結果を残すことだろう。

そして努力が実を結ぶと、初めて彼女は私の元から巣立つこととなる。

今まで二人三脚で頑張って来た相棒が、遠くへ行ってしまう寂しさ。

それでも私は娘の成長を祝福したいし、残るは三女だけとなり

余裕のできた時間を自分のために使うのが楽しみでならない。


冒頭で書いた私のモヤモヤ感。

悩んでいると、思いもよらないところからその答えを知ることとなる。

不安な気持ちも頭が痛いのも、前向きな気持ちで順調に進めていることの現れで

私はホッと胸を撫で下ろす。

お弁当の記事も再開して、またみんなと楽しく交流をする毎日だ。

もし私がnoteを辞める日が来るとすれば、それは何かをやりつくしたとか

続けられなくなる理由があるとかそういったことではなくて

ある日突然「今日がその日だ」って理解して、突発的に辞めることだろう。

そんな日が来るのかどうか、今はわからないけれど

自分の歩幅でマイペースで、人生を楽しんでいきたいと思う。




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