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肉体は想念にすぎない、らしい

しばらく前から、シャーリー・マクレーンのことを時々思い出していました。
彼女はアメリカの俳優ですが、80年代から90年代にかけて自身の神秘体験を綴った本を何冊か出していて、「アウト・オン・ア・リム」は特に、日本でも霊的な世界を紹介する本として有名になっていました。

私が目に見えない世界について本格的に知り始めたのは、「アウト・オン・ア・リム」の少しあとで、本の名前はよく知っていましたが、読もうという気にはなりませんでした。

しばらくして、4冊目の本「ゴーイング・ウィズイン」の文庫をなんとなく手に取って読んでみました。
この本ではチャクラや瞑想についての説明があったり、ホーキング博士との出逢いなど、興味深い体験がいろいろ載っています。
そのなかでも印象に残っているのが、心霊手術をするマレーシアの人のことでした。

アレックス・オルビートという人は、患者の皮膚を軽く揉むだけで患部を切り開き、そこから患者の身体の中に手を入れて血の塊や悪いものを取りだし、彼が手を抜くと患部も閉じる、といいます。
麻酔もなく、手術中も患者には意識があって、ただ押されるような感じだったり、気持のいいエネルギーを感じたりするのだそう。

シャーリー・マクレーンはこの手術を間近で見たり、自分も体験したり、彼が治療所を建てるための資金を集めるために、治療を受ける人を集めたりします。
オルビートの心霊治療はこけおどし的なものではなく、手術前には3時間も瞑想し、その最中には「神の道具」となるのだそうです。
また治療するだけでなく、彼の両手を通して出てくるエネルギー自体に癒しの力があって、彼と何日か一緒にいたシャーリーは、エネルギーレベルがかなり高まったといいます。

興味深い点はいくつかあって、
身体を切り開いて血液や悪いものを出して捨てる、ということを見せるのは、本当は必要ないのだそうです。
身体に手を入れる必要もなくて、磁力で治すことができるといいます。
特に西洋人は心霊治療が行われるために、なにか物的な証拠が必要だと思っているから、そういうことを見せるということで、
実際に自分の身体が切り開かれることで、治療効果が高まるのだそう。

逆に東洋人は、ツボとか経絡けいらくとかを知っているから、
切り開かないでも治せる、ということを受け入れやすいかもしれないと思いました。
実際、西洋人の医師たちが書いた心霊治療の本は懐疑的で、東洋人が書いた本は、驚いてはいるけれども受け入れる態度が見られる、というのが面白いです。

もっとも印象的だったエピソードは、
シャーリーが、アレックスの手術中、患者の身体の中に手を入れたところでした。

「大丈夫だから」とアレックスは言った。
「今、神の手のエネルギーがあなたの手に流れています。やってごらんなさい。あなたが学ぶチャンスですよ」
 私は勇気をふりしぼった。ちょうど何か気味の悪いものに触る時のようだった。
・・・・
アレックスは私の右手をつかむと、その手を友人のお腹の中に導いていった。その瞬間のことは一生忘れられない。私の手は手首まで、彼のお腹の中に入ったのだ。しかし、私はまったく何かに触れている感触がなかった!(・・・)私の手は暖かな霧の中に突っ込んだような感じだった。(・・・)
「僕も同じなんですよ」とオルビートが言った。「僕も何も感触はないのです。肉体は単に”想念”にすぎません。私たちの想念にすぎないのです。神のエネルギーが流れている時には、物体に密度はないのです。

「ゴーイング・ウィズイン」シャーリー・マクレーン(角川文庫)

この後、シャーリーの心に疑念が押し寄せ、アレックスはすばやく手を取り出します。疑ったとたん、密度が増して患者を苦しめることになるのですね。
シャーリーの手は濡れてはいたけれど、血はついていなかったそうです。

「神のエネルギーが流れている時には、物体に密度はないのです。」
という最後の言葉が印象的です。
「神」というとどうしても宗教を思い出す人も多いですが、
私は、物事を創造する大きなエネルギー、みたいな感じにとらえます。

シャーリーは知り合いのベネット博士という有名な外科医を、アレックスに引き合わせます。
ベネットは心霊治療の話を聞き、一連の治療を見学するのですが
非常に混乱してしまいます。
主に左脳で理解する西洋医学の基盤が揺るがされたとき、どう組み直していくかは大変な試練になるのは想像できます。

以前、霊的な治療のアドバイスを受けてた人の話を聞いて、職場の医師がとても怒ったことを思い出します。
霊的なことは玉石混交なので、まともなアドバイスなのか私にはわかりませんでしたが、西洋医学の先生が怒るのもわかります。
人格者で、とてもいい先生で、怒るのはわかるけれども、すこし残念な、複雑な想いだったことを思い出します。

人々にそれまでの現実の認識をまったく覆すような現象を見せる時は、もっと責任あるやり方をするように、私は気をつけ始めた。霊能力は遊びではない。人を楽しませるゲームでもない。宇宙には見えないエネルギーや霊力が働いており、私たちがそのことに気づきさえすれば、人類はより霊的な存在に変わってゆくことができるということを、それは示しているのだ。
 一方、友人のお腹の中に手を入れた時の湿り気以外は、何ひとつ物質的な感触がなかったあの感覚を私は忘れることができない。
 お釈迦様がおっしゃったといわれる「人生の物質的局面は、幻に他ならない」という言葉を、何回も思い出さなければならなかった。もし、それが真実であるなら、私たちはそれを自分の思い通りにつくることができるのだ。それこそ、受け入れることの難しい責任である。

「ゴーイング・ウィズイン」シャーリー・マクレーン

受け入れることの難しい責任。
すべて自分が作っているということがわかったら
誰の、何のせいにもできない、大変な責任ですね。
何かのせいにして、自分は無力だと思っているほうが楽ちんです。

結局、霊的スピリチュアルなことを知っていくということは、
その責任を受け入れていく、ということなのだなと思います。

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映画「西の魔女が死んだ」のおばあさんは、最初シャーリー・マクレーンにオファーがいったのだそうです。
でもちょっと年が行き過ぎていたので、娘のサチ・パーカーがやることになったのだとか。
撮影当時、サチは51歳だったそうで、だいぶ老けたように見せていたとのこと(知らなかったー)。
サチもアレックス・オルビートの心霊治療を受けたのだそうです。

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