見出し画像

快と欲。

なにかが、ちがう。
もうちがう。
今までのやり方は、もうちがう。



意志、目標、結果を求めて
行動した後の達成感は、すばらしい。
でも、もうちがう。



問題をいったん受け止めて、
自分を清めて
委ねて
この身をあけわたして、
手放す。




そのプロセスを経てから、
何も期待していないで
いつのまにかしている行動は、
自分でやった達成感と比べものにならないくらいのエクスタシーと共に、
期待以上の最高の結果になる。




それが、アクエリアスの時代の
フローに乗る女性性の恩恵。
それが、女性性のチカラ。


つい先日のこと。
わたしの苦悩となっていた家族の問題が、
思いがけなく完了した。
外に行動することなく、
人に何か言うこともなく。



ただ、自分を清めた。
ただ、ゆだねた。
ただ、明け渡した。
自分の意志、意図、目標、
こうなってほしいという願望は
いらなかった。

画像1



判断、批判などの
どろどろの黒いものが
わきあがってくると、

あらあら、あなた達も愛してほしいのね、
存在を認めてほしいよね。
ごめんね、いままでほっておいて……
と言いながら、



みとめてよ、
愛してよ、
と自己表現している存在たちの
全ての尊厳を認めて
そこにある想いを手放した。




想念達は生きている。
みんな、ただ愛してほしいんだ。
美しいとかの理由がある愛ではなく、
ただ存在を認めてほしがる。
憎しみ、怒りなどの想念達は、
愛されるまで何度も何度も
わたし達の意識に再生されていく。
削除されないデータのように。



もう、いいの。
自由になっていいよ。
純粋な悦びに、
光にもどろう。



わたしの内側で
沸騰したお湯のように
ぐつぐつ茹で上がる感情を
愛するだけで、



日常の外側で起きている問題達が
かってに完了をむかえていく。



この神秘的な、
めぐりめぐって出る結果を体験すると、
あーー、やっぱり自分自身がこの宇宙を
動かしている求心力なんだなと、
感動してしまう。



老子は、
もとめる幸せは欲であり、
やってくる幸せは快だという。




愛し、ゆだね、あけわたし、手放すと
私たちはこの快の次元で生きることになる。



満たされない欲を生きる次元にいるのか、





自然に最高の道がひらいていく
快の次元で生きるのか、



それは、
環境や人のせいにし続けて生きるのか、
それとも自分を内省して
自分を清め続けて生きるのか、
にかかっている。



もう違うんだ。
今までとは違う次元で生きるんだ。


画像2






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?