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<短編小説>オレに構わないでくれ(4)Jack Johnson - Symbol in my Driveway

キラキラ光る波、波をうける防波堤、穏やかな風、飛び交う鳥たち、青空から降り注ぐ光、沖に漂うサーフボード、あの二人がいた海の光景はオレの中に強烈な印象を残した。オレは人が変わったように仕事に打ち込み、仕事で忙殺することでもう二度と会うことはないだろうあの親子のことを忘れようといていた。
あの海の爽やかでゆったりした白い風が心の中に吹き、それでいてなんともやるせなく切ない気持ち、思い出すとといてもたってもいられない。ただぼうっと毎日を過ごしてしまいそうだ。熱病のようなものかもしれない。そのうちフェードアウトし小さな記憶となって心のどこかに隠れていけばいつもの日常に戻ることができると考えていた。
海岸を歩く父親と娘、ありふれた風景になぜこんなに心が揺すぶられたんだろう。久しぶりに海に行って自然に触れ非日常を味わったせいだろうか。
だがこのどうしようもなく昂った気持ちは冷めていくどころかむしろ日に日に強くなっていった。あの親子に会いたい気持ちを抑えておくことはできなくなってしまった。目の前の歩道を小さな子犬が嬉しそうに通り過ぎた。「もう一度行ってみよう」
あの海に行ったところでまたあの親子に会える確率などゼロに近い。そんなことはわかっているがとにかく行ってみるしかないし会えないなら会えないでもいい。それで気分も晴れるだろう。あの海の光を浴びに行こう。
バーGrooveのトイレにもそう書いてあったじゃないか。「もう一歩前へ」と。

オレは電車に揺られあの海を目指した。あの海を見に、そしてあの親子にもう一度会うために。言っておくがオレとあの親子の間に何の接点もないから完全にオレの片思いだ。
電車の窓から通り過ぎていく外の景色をみているとずいぶん春らしくなってきた。ここのところ寒かったり暖かくなったりを繰り返した日々、つまり三寒四温の季節だったが今日は寒い日を押し返した日になった。寒い日が続くともう二度と春は来ないんじゃないか、異常気象のせいでついに人類も終わりを迎えるのかなどとネガティブなことばかり考えてしまうが春はある日突然やってくる。必ず暖かい春はやって来て凍った空気も溶けていくと思えばどんなに寒い冬でも耐えられるものだ。そう、いつか必ず春は来る。春は希望の季節だ。これも自然から受けるパワーのせいか、トンネルを抜け電車の窓から春の景色が過ぎ去っていくのを見ながらそんなことばかり考えていた。
オレは変わったようだ。おばの遺産問題でバタバタしていたせいかもしれないがずいぶんストレスが溜まっていたしずいぶん酒も飲んでいた。金は入ってくるが今まであったことのない一方的にオレの親戚だと決め付けている奴らが急に増えた。お前らに関係ない。オレに構わないでくれ。

小さな地下道トンネルを抜けると一気に海が現れる。キラキラ光る波、潮風、そして犬の散歩をする人、波打ち際ではしゃぐ子供、親子連れ。赤や青カラフルなウィンドサーフィン。パラソル。
この間と同じいつも通りの海の風景。

石段に腰をおろして、ぼんやりと周りを見回してみる。あの親子は見当たらない。
だいたいあの子は病人だからそんなに頻繁に外には出られない。父親だって仕事があるだろう。「そりゃ、そうだよな」オレは砂浜に出て波打ち際まで歩いた。振り返れば国道を走る車、トラック。山の向こう側に見える住宅地、商業施設、海と隔てる境目はない、人が住む街と溶け合った風景、日常に海がある街。
会えなくて残念な気持ちはするがまあ仕方がない。これからも何かにつけちょくちょく来れば会えるかもしれないしその時勇気を出して話しかけてみればいい。ここに来ただけでオレの心も落ち着き日常を取り戻せるだろう。

今日は偶然が少し足らなかったのかもしれない。偶然か、なんていい響きの言葉なんだろう。人と人との出会いも偶然、どこかに行くのも偶然。そして何かが起こるのも偶然。予想のつかないことが起こる偶然ほど楽しいものはない。少し下の石段に子犬の散歩の途中のご婦人が腰掛けた。ちょっと偶然を引き寄せみよう。
洒落た帽子を被った上品で落ち着いた顔立ちの歳の頃70ぐらいかな。
「こんにちは、可愛いワンちゃんですね」
余所者から馴れ馴れしく話しかけられるのは嫌がられるかもしれないという危惧はその屈託ないそして少しはみ噛みながら答える笑顔で消えた。
「ありがとう、今日は暖かいわね」
オレは安心して言った。
「僕も昔ポメラニアンを飼っていましてね、その子のことふと思い出しました。」
「よくこの海岸でお散歩するんですか?」
「家がすぐそばだから1日一回はここに来るの。特に今日のように暖かい日は運動にもなるしね」穏やかな自然に囲まれた生活をしているとこんな風に落ち着いた話し方になる。
オレは視線を海辺の砂浜に戻し微笑みながら言った。
「ではいろいろな人と知り合いになりそうですね。」
「そうね、海で知り合った人は悪い人はいないしね」
「ちょっとつかぬことを伺いますが、、、」オレは聞いてみた。
「この海岸に、多分親子だと思うのですが車椅子に乗った女の子とお父さんの二人ずれは見かけませんか?先日来た時仲良く散歩している姿がとても微笑ましくていいな、と思いまして」
ご婦人も視線を子犬から海辺に戻した。
「ああ、あの親子は時々見るわね。あまり仲が良さそうなのでまさにここで話したことがあるわ。なんでもあの病院に入院していてもう一年ほどになるらしいって言ってたわ。」
彼女は小高い山の途中にある総合病院を指さした。
「そうなんですか」
「病気のことや個人的なことは差し支えがあるから聞かなかったけど。でもここ4~5日見てないわね。ちょっと見かけないと心配になっちゃうわね。今日のように暖かい日は必ず来てたから」
「あなたあの親子の知り合い?」
「いえ、違うんですが。先日ここに来た時にあの二人を見かけまして、この景色の中に溶け込んでいて幸せそうでいいな、と思ったんです。でも今日はいないなと」
「父親の方がすごく優しいからそう見えるわね」
子犬が上目遣いでオレたちの会話を興味深く聞いていたがやがて訴えるような目を彼女に向け鼻をクンクン鳴らした。
「さてと、そろそろ行こうかな。」子犬の尻尾が嬉しそうに揺れ立ち上がった。
「はい、どうもありがとうございました。」
オレは礼を言い彼女は微笑みながら犬に引かれてゆっくりと砂浜の方に歩いていった。オレはぼんやりとキラキラ光る海の方を見ながら座っていたが少し波打ち際を少し歩いてみることにした。
波打ち際でボール遊びをする子供たちの間を潮の香りと波間に反射する光を浴びながらゆっくり歩いた。沖に浮かぶウィンドサーフィンのセイルはどこを目指すわけでもなくゆっくりとそして自由に漂っている。ふと一羽の鳥が目の前を飛び去っていった。

オレはふと石段の方に視線を戻してみた。
二人の姿はなかった。


(続く)



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