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鏡の法則で、たいがい解決!☆内を観ると、やがて宇宙に愛される

YouTube版
https://youtu.be/_oa1bqOHAnI

☆今日は、「鏡の法則」についてです。

これが使えている方というのは、
自分の問題をどんどんクリアにしています。

ワークやセッションでも、ここを掘り下げることが多いのですが
自分自身でも、この法則を使っていくことが出来ます。

「鏡の法則」というのは
相手は自分を映し出してる鏡だというふうに
捉えている方が多いと思いますが

単純に「相手のフリみて我がフリなおせ」というものでもない。
また時に、自分の都合のいいように解釈してしまうこともあるのは
留意点です。

鏡の法則は
相手だけではなく、今、目の前に起こっていること全てを通して
「それは自分にとって、何を教えているのか?」
「自分の中の、何を投影したものなのか?」

など、
自分自身への気づきや、
手放しのきっかけを得ることが出来る。

そして
気づきや手放しの先には、
新しい自分が待っている。

☆インドでのツバ男事件

例えば、これは私の体験なのですが


私がインドのヨガアシュラム(ヨガ道場・テンプル)に、
住み込みで講師になるための勉強に
渡印した時のこと。

私は、最初は南インドへ旅立ちました。
ティーチャートレーニング(TTC)では
月曜日から土曜日は、朝の日の出前の瞑想から、夜22時の消灯まで
ぎっしりのスケジュールです。

哲学、解剖学、アーサナ、瞑想、バクティヨガ、
キルタンの時間、カルマヨガという奉仕の仕事・・・

その上、毎日提出しなければならばならない宿題があります。
ぎっしりのスケジュールの中では宿題の時間は足りず
消灯のあとも、ブランケットの中で懐中電灯を使って、宿題をしてから眠るという毎日です。

そんな毎日ですが、日曜日だけは
丸一日お休みなので、アシュラムの外出が許されます。

初めて迎える日曜日、私は学友と街に出ました。
初めてだらけのインドの町へのお出掛け
とっても楽しい気分。

ガイドブックでみてた、インドの寺院や、コーヒーショップ
アーユルヴェーダのお店、見るもの見るもの、新鮮!

私は、学友と一緒に
上機嫌で街を歩いていました。

ところが、突然
前から歩いてきた鋭い目をしたインド人の男の人に、
ツバを洋服に吐かれました。

一気にテンションだだ落ち。

なんで、こんな目に・・・。
もぉ、インドを嫌いになりそう。

アシュラムの中は、ヨギーやグルだけの世界ですので
もちろんシャンティです。

でも一歩出れば、これがインドの実体なの!?

そんな感じで
テンションさげながら、学友と街を歩き続けていました。
なぜ・・・なぜ・・・
そう思いながら。

そして
ハッと気づきました。

あのインド人は、異国人である私を嫌ってツバを吐いたようだった。
「彼は鏡だ」
そう気づきました。

私は実は、上機嫌で街を歩きながらも
「インドの街って汚いな、インドの人ってなんだか不衛生に見える・・」
なんて感じながら、
「日本はもっと綺麗だし、日本人は清潔だなー」と比較していました。

実際、私はアシュラムのドミトリー(みんなの宿舎)で
みんな裸足だったのに
もともと、潔癖症だったので、一人だけ裸足になれずにいたのです。
「インドのドミで、裸足とか無理無理無理無理ーーー」と拒否していました。

彼は、私が「インドとインドの人ってなんだか汚らしい」と、
少し軽蔑していたような心を
映し出してくれた。

「そんな私の心の方が汚い」
そうハッキリ思いました。

そしたら、心がまた晴れやかに戻りました。

ツバを吐いた男のことも恨まずにすみ、
インドのことも嫌いにならずに済みました。

問題は私の心。
私が心を入れ替えればいい。
外側のせいにせずに、すみました。
それは、とても心が楽になることでした。

それから私は、ドミトリーでも裸足で歩けるようになりました。
確かに土埃で足の裏が汚れます。
でも、洗えばいいじゃんって話。

実は、中学生くらいのころなんて
お風呂に入ったあと、ベッドにはいったらもう
トイレにも行けませんでした。
お風呂上りの綺麗なままでしか、ベッドにはいっちゃいけないルール。


銭湯とか、温泉とかも
つま先で歩いて、出来るだけ、床に触れないようにとか
今思っても、ややヤバめな潔癖症。

東京にいたころ、電車の中でも、
手すりや吊り手を触るとき用に、運転用の手袋みたいなのをカバンにいれていた・・。

しかし、この一件以来
その後も、インドどころか世界中をバックパッカーできるようになり

むしろ、普通の日本人が避けるような
海外の屋台や、ハエが舞う食堂だろうが、
全然平気になってしまいました。

☆何か嫌なこと、不快なこと、心痛むことがあったとき


つまり、問題が目のまえにやってきたとき、
それを通して、何に気づけということなのか?

全てのことにおいて
「内を観る」
それが内観。

結局、全部は自分の心の中の投影。

そんなにシンプルじゃないこともあります。
それも結局は、自分がずいぶんと、ややこしくしています。

気づきは、自分を新しいフェーズへ押し上げる。

そして、気づきは問題をクリアにしていきます。
結局、たいがいの問題の根源は、自分自身にあります。

どの魂というアートマンも、
もとはひとつのブラフマン。

みんな、互いに役者です。
気づきのための役者です。

そしてなにより、
問題を内に観ることは
自分を楽にします。

誰かのせいにし怒ったり、悲しんだり、恨んだり、嫉妬したり
そんな外向きの感情から解放されることは
本当に楽なこと。

無理にそんな感情や思いを、
胸の奥に封印する必要もなくなります。
持ち続けなくてすむ。

手放しが起こるのです。
自分の持っている、いつものパターンを解放できます。

外側はコントロールできません。
気づきがなければ、手放しという昇華も、起こりません。

自分を解放するために、必要なプロセスです。

☆先日、「恐れのみの周波数は使わない」と記事に書きました。


恐れてはいけないわけでもないし
私たちは、この地球で、これからも、
怒りや悲しみは一時的に経験するでしょう。

それも、気づきのための、大事な反応。
でも、そのままにしない。

あれ、なぜ私は怒っているの?
あれ、私は何を恐れているの?
あれ、なぜこんなに悲しいの?

ちゃんと、向き合ってあげることです。
それを、外のせいにしたとたんに
自分自身の中での、大事な気づきのチャンスを逃します。

自分自身の本当の声を聞いてあげられなくなる。

それを、気づきに変えて
「昇華」します。

昇華についての記事は
先日も書いています。

こちらです。
情報のテレポーテーション☆美しいバイブレーションでお花畑へジャンプ☆三次元的在り方からの脱出https://veenaroom.fc2.net/blog-entry-671.html

私が例にあげたインドのツバ男事件だって
あの男の人が、気づかせてくれなきゃ

ずっと私は、その先のインド留学の間
「インドきたねー」と思って窮屈な心で過ごさねばならなかったし

世界中の旅なんかにも、出れなかった。
そして、自分のヤバめな潔癖症も、そのままだったでしょう。

☆起こることを通して、自分の内を観る。


もし、美しい景色を見れたときには
「あぁ、今の私の心は、美しくいれているんだな」って
素直に思えばいい。

私はそういうときには、「宇宙に愛されてる」っていう想いが
沸き起こり、自然に全ての感謝が溢れ出る。

それを人が、「頭の中がお花畑だね」と言おうがなんだろうが
それが私のリアルなんだから、それでいい。

そういう時間を、どんどん増やしていく。
シャンティな時間、サーマディな時間。
それが自分の在りたい世界だから、自分でそれをクリエイトしていく。

皆さんはどうですか?

どんな自分で在りたいですか?
どんな世界にいたいですか?

引き続き
TTTで
宜しくお願いいたします(*‘∀‘)

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