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ご褒美カフェにて

仕事終わり、ご褒美と作業を兼ねてカフェに寄った。
郊外の大型チェーン店のカフェは、平日の夕方だから人はまばらでお好きな席にどうぞ、とすぐに通してもらえた。

今日1日を頑張ったご褒美にケーキ。
そして、ラテ。

この2つがあれば、どうにか生きていけるような気がした。
大袈裟かもしれない。
でもそれくらい、今の私には救いだった。

隣に若い女性が数人、将来なりたい職業について会話している。
イヤホンを持ってくればよかったなと思いつつそのままにしていると、聞き慣れた職業が聞こえてきた。

すぐ横にその職業の人がいるとも知らず、女性たちは仕事にどのくらい需要があるのか、なるまでにどれくらい時間と費用がかかるのかなどと話し込んでいる。聞こえてくる内容から、職業や資格に対して関心を持ってもらえていることへの驚きと喜び、そして戸惑いが入り混じった気持ちになった。

私自身はなりたいと憧れてなったわけではない。
こんな言い方をすると、目指している人にとても失礼かもしれないが、完全になりゆきだった。偶然が重なって、気づけばそこにいたという方が近いかもしれない。

だからこそ、関心をもってもらっているということに素直に喜んでいいのかわからなかった。同業者が増えることは大歓迎だし、いい仕事だと思う。
でも、並列に並べられたその他の資格や職業と比較すると、別にこの仕事じゃなくてもいいよ、と熱心には勧められない自分もいる。

どうして、と言われると難しいが、安易に勧めるようなものではない気がして。他にももっと沢山の道がある中で、意思を持って歩いていくのは大変じゃないか、という老婆心かもしれない。
余計なお世話だ。こうしてお局的なポジションになっていくのだろう。
あぁ嫌だ嫌だ。

女性たちの声は、その後BGMや他のお客たちの声にかき消されて聞こえなくなってしまった。彼女たちの未来に幸大きことを祈りながら、目の前のケーキとラテに集中する。やっぱりラテのお供にケーキは最高の贅沢の一つだ。

今週は仕事だけでなく、家族の件でまだ一山ありそうで戦々恐々としているのだけど、いい息抜きになった。
こうやってどうにか気持ちを保ちながら、後半戦に臨む所存だ。


そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。