好きじゃなくなることは温度を失うことだと知った
好きじゃなくなるって,温度を失うことなんだと思う。
それは裏を返すと好きな気持ちには温度がある,ということだ。
温度を失うスピードはその時によって違うが,温度を完全に失った瞬間は感覚としてわかる。あぁ,もう好きじゃないんだな,と実感する時ほど寂しいものはない。
でも,好きじゃないはイコールで嫌いということでもない。
嫌いにも温度があって,ある意味好きよりも強い。
好きの反対は嫌いじゃないって本当だな,と思う。
長い時間をかけて,好きという気持ちと向き合ってきた。
嫌いになろうとしてみたり,好きじゃない理由を探したりしたこともあったし,もう好きなら好きのままでもいいか,と開き直ってみたこともある。
忘れてしまえば,と思ったこともあった。
でも温度を失うことと、忘れることはどうやら違うみたいだ。
温度を失うというのは,思い出せなくなるということなのかもしれない。
そんなことあったような気がするけど,なんだったっけ。と思うあの感じ。
もしかしたらどこかで思い出すことがあるのかもしれないけど,多分もう思い出さない。それでも忘れたというのとは違う。
好きだったことを忘れるくらいなら,好きにならなくていい。
そんな風に思うから極端だと人から言われるのだろう。
銭婆が言っていたこの言葉が私を支えるお守りになっている。
そしてこの歌詞もまた,私のお守りだ。
温度を失った「好き」を否定するような生き方はしないと決めている。
それはかつて好きだった物や人を否定しないということ。簡単なようで,難しく,そして私自身を守る大切なことだと思っている。
どんなに否定したって,好きだった事実とその時の気持ちは消せないのだから,いっそのことまるっと愛してしまいたい。
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。