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科学的応用力?

2015年に実施されたOECDによる学習到達度調査(PISA)の結果報告によれば、日本の子供たちの数学的な学力は参加国中で上位だったものの、科学的応用力や文章の読解力、マウス(パソコンの周辺機器)の使い方において各国よりいくぶん劣っていたそうだ。


マウスの使い方については、過日、TV番組でも取り上げられていたようだけれど、つまりスマホの使い方には秀(ひい)でていても、パソコンを使う経験が日本人の若者は極端に少ないらしい。

義務教育でもパソコンが授業に取り入れられてはいるものの、家庭に自分用のパソコンを持たない子供たちも多いと聞く。
いろいろな理由はあるだろうが、第一に生活に余裕がなく、親も子にパソコンを買い与えられない実態も浮き彫りになっていたようだ。
そんな中でもケータイ、なかんずくスマホはどんな貧困の中にあっても、必須アイテムであるらしいことが、「マウスを使えない」原因の一つになっている。
まあ、それは「文化」として甘んじるほかないのだろう。

しかし、その文化の中で子供たちの読解力や科学的な思考、いわんや応用力がそがれているというなら、ゆゆしき問題である。
文科省もそういう点を危惧しているのだった。今次、新型コロナ禍でタブレットの普及が日本の学生たちにも広がったが、マウスは使わないようだ。マウスはExcelなどの表計算ソフトやCADなどの描画ソフトに簡易で廉価な周辺機器としてなくてはならないものであり、今後、ITで自己表現するには、最低限持っておきたいアイテムだろう。指だけでちゃちゃっと表現するLINE文化やTiktok文化が進むと、推敲しない、見直さない表現が垂れ流され、誤ったまま、恥ずかしい表現が後世まで長く曝されるのだ。

科学的応用力の問題例として、2016年12月7日の毎日新聞では「渡り鳥」の話が載っていたと私の当時の日記にはある。少し引用する。

鳥が集団で渡りを行うことを進化論的な立場から考察させ、かつ、そういった渡り鳥の調査にボランティアが参加して数のカウントを手伝っている事例が挙げられていた。
こういった調査の結果、いかなる進化の理由で鳥は集団で渡りをするようになったのかを考察させる(四択)のは、まあ、常識的な問題で、正解率も七割近かったらしい。
単独や小集団で活動すると、子孫繁栄にマイナスだからと進化論が教えるところを答えればよい。

しかしながら、次の設問で「ボランティアによる渡り鳥のカウント数は、不正確な場合がある。その要因を挙げ、そうした要因がカウント数にどのような影響を与えるか?」を書かせるものがあった。
この正答率は低く、42%程度だったという。

あたしは、この問題の正解を一つに絞ることが、はなはだ問題があると思うし、この問題は深くも浅くも掘り下げられると疑念を抱いた。

あたしの解答はこうだ。
「ボランティアという立場は、金銭の授受のない善意や科学的興味という動機から自主的に行われるものと解しても、その熱意の程度は人それぞれであり、いい加減な仕事をする者を排除できない。よってそのカウント数には不真面目でいい加減なデータを含むものと解さなければならない」

模範解答はこうだった。
「鳥の飛行高度が高いため、カウント数を誤る可能性や、同じ鳥を重複してカウントして数が多くなりすぎる可能性がある」

あたしは、「ボランティア」という人間を使うことの問題性を問い、出題者は科学的な人的誤差を答えてほしかったらしい。

あたしは「ボランティア=素人」とは考えず、過去に「野鳥の会」の人々を見てきた経験もあり、カウントの技術には高いものがあることを知っている。
だから、人的誤差よりも、ボランティアという仕事(無償奉仕)に対する心構えが及ぼすカウント数への影響を心配した。

このように、多角的な見方のできる設問を、一つの解答に絞ることは画一的教育になりはしないかと危惧するあたしである。
実は、「無償奉仕者」にろくな仕事ができないという偏見が、あたしにはあるのだった。
関西人の汚さが、あたしに出ているのかもしれない。

さっそく知り合いの塾講師に電話でこの話をもちかけてみたところ、彼は、
「このOECDのテストは言葉を厳しく選んでいて、なおぼんが指摘する「ボランティア」にもちゃんとした定義があるんだよ」
というのだ。つまり、
「ボランティアには、無償奉仕のほかに誠実であるべきという西洋のボランティアの長い歴史が根底にあって、なおぼんの心配することは、一般には考えないし、考えてはいけないんだよ。お金をもらっていないからいい加減な仕事をしていいということはなくて、もしそうであればボランティアではなくなるんだ」
そうか…
文中のボランティアには、よこしまな人間はいないものと考えてこの問題の答えを述べなければならなかったのだ。
いうなれば、あたしの杞憂だったわけだ。
「だから、人的誤差として、カウントする際の読み間違いのみを答えればいいのだよ。もう少し付け加えるなら、ボランティア各人の熟練度の差くらいだろうか」
と、彼は言ってくれた。
あたしは礼を述べて電話を切った。


もうひとつ危惧されているのが同紙30面にある「語彙不足は危機的」だという指摘だった。
設問に対して答える場合に、子供たちの語彙が極端に少ないために、文章を編めないのだそうだ。
SNSによる短文(単語)文化が蔓延しているからかもしれない。
「てにをは」などの助詞の使い方もよくわかっていないから、変な日本語がまかり通っていると専門家も心配している。
「2ちゃんねる語」のなかには「上手い」造語もあって一概に批判はできないけれど、安易・軽薄・悪意が根底に見え隠れしているのも否めない。
ひとつに大人と会話していないからだという「東ロボ君」を開発した新井紀子教授の指摘は重い。ただし「東ロボ君」は失敗したそうだが、本論点において、そのことは全く関係がない。


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