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『一生をかけた恩返し〜旦那が“がってん寿司“を全力で推す理由』

今日はある日、旦那が私に語ってくれた、とある寿司屋でのエピソードをお話ししようと思う。

さて、このnoteを読んでくださっている人の中に『がってん寿司』というお寿司屋さんをご存知の方はいらっしゃるだろうか?

公式のページを見ていただくとわかる通り、関東圏(海外にもあるが)に複数の店舗がある、回転寿司である。

いわゆる100円寿司よりも、ちょっとお値段が張る回転寿司で、三崎港とか、銚子丸とか、まあ、簡単にいうとそのあたりの位置にいる回転寿司。

そのぶん質もなかなかだし、店員さんにも活気があって、注文するととんでもなく大きな声で「がってん承知!」と返事をしてくれるのだが、それを聞くと毎回「おもしろっ!」と笑ってしまいそうになるのは内緒だ。

このがってん寿司。
我が旦那が大好きなお店なのである。

「お寿司食べにいこー」と旦那を誘うと、「(´・ω・`)がってん?」と毎回訊いてくるし、持病の都合上、炭水化物がそれほど食べられないクセに、がってん寿司に行くと、いつもより多めに注射を打ってまで多くの寿司を食べている。

確かにいっぱい食べたくなるくらい、美味しいんだけどさ。

でも、他の寿司屋じゃそんなことしないから、「なんでだろう?」と思って、旦那に訊いてみたことがある。

「なんで、そんなにいっぱい食べるの?」と。

旦那は、昔を懐かしむような顔をして、感慨深げに答えた。
「(´・ω・`)それはね、俺なりの恩返しなんだ」と。


私の旦那は、1型糖尿病だ。

1型糖尿病については、私の拙い説明よりも、上のページをご覧いただくのが早いと思うが、まあ、誤解を恐れずめちゃくちゃ簡単に言えば、“生涯好きなものが気軽に食べられなくなる病気“である。

インスリンが枯渇してしまうこの病気の患者は、食べ物を口に入れるときには“インスリン注射“が必須になり、たとえ飴玉ひとつ、ジュースひと口であっても、気軽には口に出来ない。

注射を打たずにそれらのものを口にしてしまえば、後に待つのは高血糖状態であり、下手をすれば、昏睡して死に至る。

そういう病気である。

旦那は、20代の前半にこの病気になった。

幼少期に罹患する人間が多い病気であるが、旦那のように大人になってから、この病気にかかるのは「最悪だ」と旦那は言う。

何故ならば、すでに“美味しいものを知ってしまっているから“

何も知らない子供のころとは違う。
あらゆる物を食べて生きてきた大人は、好きな食べ物も、好きな味も、好きなものが沢山ある。

それらが突然奪われる。
「あなたは明日から、好きなものを好きなだけ食べたら死にます」と医者に言われてしまう。

美味しいものを知っているのに。
もう、目に入る食べ物の全ての、味を知ってしまっているのに。

どれほどの絶望だろう。
どれほど人生に悲観するだろう。

事実、旦那は病気を宣告され、入退院を繰り返すうちに、数度、自殺をはかっている。

「生きていても仕方ない」
「楽しいことなど何もない」
「家族もいない。恋人もいない。好きなものも食べられない。ギターも弾けない。仕事もない。俺が生きていく術がない」
「あるのは入退院のせいで膨らんだ借金だけ。借金のせいで、あんなに大好きだったギターも、命の次に大事な1本を残して、全て手放した。こんな状態で、生きていたって意味がない」

幸いにも、体に傷が残ることもなく、今も五体満足で生きていてくれているけど。

旦那が“がってん寿司“と出会ったのは、そうした自殺未遂を繰り返している頃だったそうだ。


旦那が20代前半のころ。
3度目の入院と退院をして、それからしばらく経ったある日のこと。

その日は快晴だった。
朝から昼にかけてのバイトを終えて、そのまま家に帰る気にもなれなくて、そのへんをあてもなくウロついて。

お金もないから、公園に行ったり、ゲームセンターで時間を潰したり、楽器屋を覗いたり。
そんな無為な時間だったそうだけど。

夕方近くなって、どこかに車を停めて、ぼーっと景色を見ていた。
そして、真っ赤な夕暮れに沈む美しい街を見た。

そのとき。
突然「ああ、死のう」と思ったそうだ。

嫁の私は、精神を一度患ったとはいえ、絶対に「死のう」とは思わなかった人間なので、どうしてそんな思考回路になるのかが理解出来ないのだが、旦那に言わせると「(´・ω・`)人が死ぬときなんてそんなものだよ」らしい。

私からすれば理解不能な理由で、死ぬことを決めた旦那は、「どうせなら最期に、美味いものを食べてやろう」と考えた。

給料日を迎えたばかりで、借金の支払日にはまだ余裕があったから、口座には多少のお金があった。

ATMでありったけのお金を引き出して、どこに行こうかな、と考える。

高級な店もいい。
入ったこともないような高級な店で、たらふく食べて死ぬのもいい。
下戸だからそれほど飲めないけど、好きなビールを腹いっぱい飲んで死ぬのもいい。

そんな旦那が選んだのは“がってん寿司“だった。

そのチョイスに、「大して高級な店ではないじゃん」と私が突っ込むと、「(´・ω・`)いちばん近くにあったし、回転寿司なら、自分の好きなものばっかり食べられるじゃん」と言っていた。

夕飯にはまだ早い時間だったからか、店内は閑散としていた。

カウンターの内側では寿司職人さんたちが暇そうに手持ち無沙汰になっていて、入店した旦那を笑顔で迎え入れてくれた。

早速メニューを見る。
今日は金額を気にしなくていい。
高いものを沢山食べよう。

今もあるのかはわからないが、そのとき、たまたまがってん寿司にはセットメニューがあって、旦那の好きなネタがいっぱい入った、味噌汁付きのセットメニューがあったらしい。

まずはこれを食べながら、他にも色々食べていけばいいか。

そう考えた旦那は、カウンターの職人さんにそのセットメニューを注文した。
パッと見て、店長っぽい風格のあるその職人さんは、元気よく「がってん承知!」と返事をしてくれた。

さて。
注文をし終わったら、旦那にはやることがある。
そう、インスリン注射を打たねばならない。

どうせ今日死ぬんだから、打たなくてもいい。

一瞬だが、そう考えたそうだ。

けれど、インスリンを打たないことで、高血糖になって死ぬのは自分の本意ではないし、もしも自宅に帰るまでに昏睡して、事故を起こして。
関係のない誰かを不幸にしてしまったら。
それこそ、悔やんでも悔やみきれない。

死のう、って人間が、そんなことを気にしているのがとても滑稽だった。

ちゃんと思い直した旦那は、数分後、仕方なく注射を打とうと自分の鞄を漁った。
しかし、そこで、旦那は気がついた。

ーーない。

インスリン注射が、ない。


そういえば、今日は昼ご飯をまだ食べていない。
朝ご飯を自宅で食べて、そこから仕事に出て。
注射を打つ機会がなかったからわからなかった。

家に忘れてきたんだ。
と、気がつくまでに時間はかからなかった。

思えば、自分はいつもこうだ。
“なにかをしよう“とか、思い立ったことを始めるときに、大体こうやってケチがつく。

運が悪いんだ、と旦那は言うけど。
逆に考えれば、インスリンを忘れたおかげで、旦那はこうして生きてくれて私と結婚してるわけだから、それは“運が良い“ってことなんじゃないかな、と私は思う。

どうしよう、と固まった旦那の前に、お寿司が運ばれてきた。

暇な時間帯だから、作るのも早かったんだろう。

目の前にある、美味しそうなお寿司。
マグロ、サーモン、イクラ、ウニ。
普通の人なら。健康な人なら。
なにも気にせず、「いただきます!」と食べられるはずのお寿司。

だけど、注射を忘れた自分は、今すぐにコレを食べることすらも、もう出来ないんだ。

そのとき、病気になってから感じていた悲しさとか、絶望とか、苦しさとか。
そういうもの全部、全部、一気に旦那の心にのしかかってきて。
声も出せずに、ポロポロと泣いた。

普通の人になりたい。
普通の体に戻りたい。
何も悪いことしてないのに。
“普通“に生きてきただけだったのに。

ポロポロと泣き出した旦那を見て、店長さんっぽい職人さんはギョッとしていたらしい。

そりゃそうだろ。
大の大人が寿司を前にして泣き出したら、私だったら申し訳ないがドン引きする。

「ど、どうされました?」
と控えめに事情を訊ねる店長さん(仮)に、旦那は泣きながら説明した。

自分がこういう病気であること、注射を忘れてきてしまったこと、これから注射を取りに帰るから、このお寿司はそのままココに置いておいて欲しいこと。

そうして、旦那は店を飛び出した。


車を飛ばして、家に戻って。
情けなくてまた泣いてしまいそうになりながら、テーブルの上に放置されていた注射を掴んで。

そして、またがってん寿司に戻った。

夕暮れだったはずの景色は暗くなっていて、暇そうだったがってん寿司にも、夕飯を求めるお客さんが少しずつやってきていた。

「すみませんでした」と、旦那が店内に戻ると、先ほど座ったカウンターじゃなくて、テーブル席に案内された。

カウンターじゃ、注射が打ちにくいだろう、と。
わざわざテーブル席を用意してくれていた。

「ああ、お帰りなさい」

店長さん(仮)は、困惑する旦那の顔を見て、カウンターの向こうで優しげに笑った。

「少々お待ちください」

さっきのお寿司は……?と首を傾げる旦那に、店長さん(仮)はそう頭を下げて、サッと、鮮やかな手つきでお寿司を握り始めた。

マグロ、サーモン、イクラ、ウニ。

先ほど、旦那の目の前にあったお寿司が、食べられなかったお寿司が、またイチから作り上げられていく。

「ごゆっくりどうぞ」

新しくなったお寿司が、旦那の前にやってきた。

「(´・ω・`)さ、さっきのでいいです。そんな、新しく出してもらうの、申し訳ないし……」

「お客様に、味の落ちたものをお出しするわけにはいきません。もちろん、お代は1つ分で結構ですので、どうぞ、ごゆっくり召し上がってください」

古くなったあのお寿司は、きっと捨てられてしまったのだろう。
無駄になった食材とか、原価とか。
それは店の純粋な損失で、それを取り戻すためには大変な労力がいる。
ましてやここは、個人店じゃない。チェーンだ。
ひとつ分の損失は、本部にとっても損失だろう。

2つ分、払います、と旦那が言っても、店長さん(仮)は断固として首を振らなかった。

「全てのお客様に、出来立ての美味しいものを召し上がっていただくのが、私の仕事ですから」

言ってしまえば、旦那はただの一見さん、だ。
たまたま近くにあったから、入っただけの客。
しかも面倒な持病持ちで、せっかく握ってもらったお寿司をほったらかして、店を出ていってしまうようなとんでもない客。

なのに、わざわざ席をあけてまで、こうして自分を待っていてくれて。
帰ってきた自分に、新しいお寿司を出してくれる。

チェーン店なのに。
接客マニュアルに、“途中で店を出ていった客の対処法“なんて載ってないだろうに。
いや。チェーン店だからこそ、この店長さん(仮)の対応は心に沁みたんだそうだ。

そして、そのとき食べたお寿司は。
確かに旦那の心を変えたんだと思う。


「(´・ω・`)そのお寿司を食べたらさ、なんか死ぬのもバカらしくなっちゃったっていうか。
別に人生を変えるようなひと言をかけられたわけじゃないし、代わりに特上寿司が出てきたわけではないけど、でも、“こんな自分にも優しくしてくれる人がいるんだ“って。
美味しいものを食べさせたい、ってそれだけで働いてる人もいるんだなぁ、って思ったらさ。
この美味しいお寿司をまた食べるために、もう少し、生きていてもいいかなって思った」

「(´;ω;`)←感動して言葉が出ない嫁」

「(´・ω・`)だから旦那は、がってん寿司に来たら、ちょっと多めに食べるようにしてるの。
多めに食べれば、あのとき、受け取ってもらえなかった、捨てられたお寿司のお代が少しでも返せるかなって思って」

「( ゚д゚)しかしその代金を払うのは嫁なわけで、つまり嫁がオマエの恩返し代をかわりにお支払いしているわけだが、それについてはどうお考えか?」

「(´・ω・`)良い話ぶち壊すのやめてくれる?」

とまあ、そんなわけで。
あのときの“店長さん(仮)“に救われた旦那は、無事に今日も生きている。

あの日「死のう」と思ったこの人も結婚して、寿司代を嫁に払わせるくらい成長して。

なんだかんだ、うまいこと病気と付き合いながら、美味しいものも食べている。

でも、がってん寿司を食べるときだけは、今も特別な気持ちになるのだそうだ。

「(´・ω・`)一生続けるんだ、この恩返しは」

「( ゚д゚)オマエ一生食うのか、がってん寿司」

「(´・ω・`)だって、あの日、旦那の一生を救ってくれたから。だから、一生をかけて返していかないとね」

ああ、そうですか。
と呆れまじりに答えながら。
どちらかというと寿司屋は個人店派の嫁だけど、仕方ないから付き合ってやろうと思っている。

もう旦那の通っていた店はないけど。
あの店長さん(仮)も、今となってはどこにいるかわからないけど。

けれど、がってん寿司自体はまだ私の住む場所で、元気に頑張っているから。

だから、今日も食べにいこう。
たくさんの「ありがとう」を胸に秘めて。


もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。