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『私の命を救ってくれた鉄火巻き』

食事も喉を通らない、とはよく言ったもので。
人間の心というヤツは、負の感情に支配されると、まともにご飯も飲み物も摂取出来なくなる。

それは怒りかもしれないし、不安かもしれないし、悲しみかもしれないし、簡単に言葉にはできないほどの複雑な感情かもしれない。

私が囚われた負の感情は、不安だった。


突然の悪夢

あれは今から7年前のこと。
母が、突然倒れた。

本当に突然だった。その日は私も母も仕事が休みで、たまたま2人とも家にいて。
のんびり静かな時間を過ごしていると、急に母が真っ青な顔でお腹を押さえた。

「リト、お母さんお腹痛い」

え?と思う暇もなかった。
母は私にそれだけを告げると、痛みにもだえて床を転げ回った。
とても我慢強く、普段は熱があろうが腰を痛めようが滅多に“痛い“と口に出さない母が。
突然、痛い痛いと泣き叫びながら、床の上でジタバタとのたうち回っている。

パニックになった。
明らかに尋常ではない状況に、私は急いで救急車を要請した。
震える手で、何回も間違えながらコールして。
どうにか住所を伝えて、鍵を開けて。
救急隊員の人たちが雪崩れこんでくるまで、私はとにかく母に「大丈夫!?ねえ、大丈夫!?」と声をかけて、「頑張って!もう少しだよ!」と呼びかけ続けることしか出来なかった。

母と一緒に救急車に飛び乗って、さまざまな機器が異常を知らせる大きな音を聞きながら、私はただ震えていた。


晴天の霹靂

母は即座に入院することになった。
幸いだったのは、母はつい数日前に持病の関係でとある大きな病院の主治医のもとを訪れていて、その主治医がおられる病院に運んでもらったことだった。

「この前まで元気だったのにね」

薬で眠った母の病室にわざわざ顔を出してくれた主治医は、母の寝顔を見ながら、私にそう声をかけてくれた。

「しっかり検査するからね、大丈夫だよ」

主治医の優しい声を聞きながら、私は正直、ちっとも大丈夫ではなかったけど、ただ「お願いします」と頷くことしか出来なかった。

どうして、どうして、こんなことに。
そんな言葉ばかりが私の頭をぐるぐると駆け回っていて、そう、父のときと同じように、平穏な日常が壊れるのは本当に一瞬なんだ、と世の中の無情を呪っていた。


とてつもない恐怖

私は、誰かがいなくなるかもしれない、という恐怖にとても敏感である。

それは、前の日に「おやすみ」と言葉を交わして、翌日、変わり果てた姿になってしまった父の死がトラウマになっているからなのかもしれないし、最近連絡が取れずにいたと思ったら、いつのまにか死んで腐っていた祖父母の姿が頭によぎるからなのかもしれない。

そんな経験ばかりをしてきたから、冗談でも考えたくなかった。
母がいなくなってしまうかもしれない、なんて。

父を亡くし、ここまで私が生きていられるのは、母のおかげだ。
母が職を選ばず、下賤と呼ばれる職に手を染めてでも、涙ひとつ私に見せることなく、私をずっと守ってきてくれたおかげだ。
親子ふたり。そう、もうふたりしかいない。

母までいなくなってしまったら。
私はもう、たった独りになってしまう。

怖かった。怖くてどうしようもなかった。
家に戻っても延々と泣き叫びながら、父の仏壇の前で泣き腫らした。
「連れていかないで!お母さんを守って!」
泣いて泣いて泣いて。
泣き疲れてそのまま気を失うように眠るまで。

ただ写真の向こうで笑う父に願っていた。


頼れる人

翌日。窓から入る光で目を覚ました。

起きてすぐ、また泣きそうになったけど、もう泣いている場合ではなかった。
母の入院に必要なものをピックアップして届けなければいけなかったし、入院費用とか、どれくらいの日数がかかるのかとか、聞かなきゃいけないこと、しなきゃいけないことが山積みだった。

でも、自分ひとりではなにをどうしていいかもわからずに、回らない頭で準備を少しずつ進めながら「今日仕事休む」と、なぜか職場ではなく、同じ職場に勤めていた親友に連絡を入れた。

病院から貰ってきていた入院のしおり、みたいなものを見ながら、パジャマとかスリッパとか、色んなものを見繕って。
ああ、お金もおろさないといけないな、と普段は母が管理している家の通帳を探し出して。

ひとつひとつ、緩慢な動作で私が準備をしていると、不意に家のチャイムが来客を告げた。

親友だった。

「アンタ、なにしてんの!!」

泣きつぶしてパンパンに腫れた顔。
ボサボサの髪。寝不足で真っ白な顔色。

私の姿を見た親友は、只事ではないと思ったのだろう。
事情をマシンガンのように問うてきながら、なかなか要領を得ない私の答えを聞きつつ、“しおり“を見て大体の事情は察したんだと思う。

「なんで頼らないのよ!私を!」

自分こそ泣き出しそうな顔で言って、ガッと私の肩を掴んで。
私の目の前で、親友と私、2人分の有給申請を職場に連絡してくれた。


情けない自分

病院には、親友が付き添ってくれた。

私が先生に訊けなかったこと、これからのこと、検査の結果、いろんなことを親友が代わりにやってくれた。
私はその隣でボーッと突っ立ってることしか出来なくて、きっと病院の人たちはみんな、“どっちが娘かわからない“と思ったんじゃないかな。

そんな自分が情けなくて、悔しくて。
でも私の手を引っ張ってくれる、親友の存在が心強かったことを覚えてる。

先生は今の段階でわかっている病状を詳しく説明してくれながら、深刻そうな顔で言った。
「覚悟はしておいたほうがいいかもしれません」
もう涙も出なかった。


たったひとつの願掛け

病室で弱々しく横たわる母に声をかけた。
「大丈夫だよ」となんの根拠もなく笑った。
「手術すればすぐに治りますよ」と親友が私の言葉の後に続いた。

母の前でだけは、泣かなかった。
情けない自分も、弱音を吐きたくなる自分も、絶対に見せたくなかった。

不安にさせたくない。
これから、どんな結果が待つとしても。
ギリギリまで、希望は捨てたくない。
だから母にはなにも言わなかった。
「大丈夫だよ」としか言えなかった。

家に戻り、親友と別れた。
「明日から仕事に行くから」と伝えて。
正直、こんな精神状態で仕事なんか出来たものではなかったけど。
何をするにも金がいるこの世の中は、私が稼がないとどうにもならなかった。

これまで母に守ってもらったのだから。
今は、私が母を守るんだ。

そう決めた私は、父の仏壇にひとつの願掛けをした。

「仕事には休まず行く。母の手術が終わるまで、マグロもケーキも、大好きなものは全て断つ。
だから、だからどうか母を助けてくれ」と。


生きるか死ぬか

朝の5時に起き、そこから8時間仕事をする。
終わったら母の病院に行き、ほんの少しだけ話をして、家に帰る。

持ち帰りの仕事をして、夜中に寝て、そしてまた朝5時に起きて仕事に向かう。

私はこの数日、まともに食事をしなかった。
食べる時間が物理的にないのもあったし、そもそも、食欲なんてものはひとつも湧いてこなかった。

食べたくなくて、でも食べないと死ぬ。
だからそのへんにあったお菓子とか、食パン1枚とか、そんなもんで1日の食事を終わらせた。
美味しくなかった。
これまでどんなに帰りが遅くなっても、母とふたりでとっていた食事を、ひとりで食べることは。
まるで、なんの味もしない粘土を食べているようで、美味しくないし、つまらないし、とにかく苦痛で仕方なかった。

みるみるうちに痩せて。
いや、体重は5キロくらいしか落ちなかったから、ただやつれただけなのかな。

死にそうな顔で、死んだ目で。
作りたくもない笑顔で、1日を過ごす。
そんな時だ、とても怒った顔をした親友が。
私の家の前で待ち構えていたのは。


魔法のふくろ

「アンタ、ちゃんと食べてんの?」

病院から帰ってきた私の手をつかんで。
目を吊り上げて、親友は私を問いただした。
その頃には反論する気力もなくて、ただ小さく首を振った。

「食べる気がしなくて」

「食べなかったらアンタが倒れるんだよ」

「わかってる。でも食べたくない」

「アンタがそんな顔してたら、いくらお母さんに“大丈夫“って言っても、説得力ないでしょ!」

親友は、こういうとき、カワイソウにね、と、頭を撫でてヨシヨシしてくれるようなヤツじゃない。
辛いときも、苦しいときも。いつだって正論をぶつけてくるし、厳しい現実を突きつけてくる。
それが疎ましくて、大嫌いで。
でも、ひとりでいたらずっと下を向いてウジウジしてしまうだろう私に、発破をかけられるのは、たぶんコイツしかいなかった。

「食べなよ」

「いらない」

「食べるんだよ!ほら、一緒に食べるよ!私だってお昼抜いててお腹空いてるんだから!」

親友の手には、今にも破裂しそうなくらい、パンパンに詰められたスーパーの袋。
うつむく私の手を引いて、無理やりリビングの床に座らせた親友は、その袋からありとあらゆる食べ物を取り出していく。

魔法みたいだな、と思った。

パイナップル、納豆、マグロのお刺身、春雨のサラダ、コンビニのチキン、ハーゲンダッツのバニラアイス、とんかつ、サイダー、チョコケーキ。
そして、パックに入った鉄火巻き。

ノンジャンルにも程がある。
次から次へと出てくるその食べ物には、たったひとつだけ共通点があった。

全部、私が好きな食べ物だった。


優しい嘘

私は知っている。
昔から、親友が夕飯を食べない人であることを。

揚げ物はあんまり好きじゃないし、ハーゲンダッツなら抹茶派だし、マグロもそれほど好きじゃない。そんなヤツだって知っている。

なのに。
「ほら。食べるよ!私も食べるから!」

テーブルの上に乗り切らないくらいご馳走を並べて、大して食べたくもなさそうな顔で、とんかつを食べ始める親友を見て。

泣いた。親友の前で大泣きした。

痛いくらいわかった。わかってしまった。
お腹が空いてるなんて嘘で、私のことが心配で。
思いつく限りの私の好きなものをかき集めて。
どうせそれを渡しただけじゃ、私がなにも食べないことを知っているから。
だから、わざわざ家まで押しかけて、食べたくもない夕飯を、一緒に食べようとしてくれる。

不器用だから、励ましたりしない。
言葉ではいつもキツいことばかり言うけど。

だけど「元気だせよ!!」って、不器用なくせに全力で伝えてくれているのがわかったから、泣いた。


命をつないだ鉄火巻き

私は鉄火巻きのパックを手に取った。
値引きシールのついたそれは、正直、マグロの味にうるさい私にとっては、大した味ではなかったけど。

でも、ちゃんと、味がした。

マグロの味。私が疲れたときに食べる味。
いつもお母さんと食べてる味。誰かと一緒に食べるときの味。

震える喉で飲み込む鉄火巻きは、ちょっと通るまでに時間がかかったけど、すごく、美味しかった。

「心配すんな」

「何が」

「アンタはひとりじゃないんだから」

私がいるよ、と続けないところが、親友らしいな、と思った。

結局、それまで食べられなかった分を取り戻すように、私は鉄火巻きを全部平らげて。
糖分がようやく脳に回って、ほんの少しだけ心に余裕が出来て、笑った。

「私、お父さんに願掛けしてたんだよね」

「どういうやつ?」

「マグロもケーキも食べないから、お母さんを助けて、って」

「あのねぇ、こんなのノーカンでしょ」

それに、と親友は笑顔を浮かべて、私の前にチョコケーキを置いた。

「お母さんとアンタのことが大好きなお父さんなら、アンタが願わなくたって、余裕で助けてくれると思うよ」

親友はそれから。母が退院するまで毎晩私の家に来て。
私と一緒に夕飯を食べてくれた。
少しでも私が寂しくないように。少しでも。
明日を生きる、元気が出るように。


奇跡は起きた

母の手術が終わった。
結論から言うと、突然母を苦しめた赤ん坊の頭のような大きな腫瘍は、全てきれいに取り除かれた。

卵巣も子宮も、女性としての臓器は全て失ったけど。それでも、母は今も元気に生きている。

奇跡は、ちゃんと起こったのだ。

私があの日、鉄火巻きを食べても。
お父さんは母を助けてくれた。
あの日私は仏壇に向かって「親友に無理やり食べさせられた」と報告したけど、きっと、それを聞きながら父は「いい友達を持ったな」と笑ってくれていたんだと思う。

私はマグロが好きだ。
これはもう昔からで、子供のときから好きだから、なんで好きかなんて、考えたこともないくらい、好き。

でも鉄火巻きはさらに特別だ。
鉄火巻きは、私の命を繋いでくれた。

私の命を救って、明日を生きる勇気を取り戻させてくれた魔法の食べもの。

ひとりじゃないんだ、と。
たとえ盲目になっても、不安や恐怖に目を潰されても、必ず手を引いてくれる人がいる。
そんな友達がいる、と思い出させてくれる、私にとっての特別なご馳走。


あとがき。
5000文字越えたーー!!
一時はどうなることかと思った母ですが、あれから早7年。おかげさまで大変元気です。
肺疾患だの膠原病だのてんかんだのそこそこの持病はありますが、なんだかんだ元気でいてくれてます。頼むからこれからも元気でいてね。
あの当時の私を救ってくれたのは間違いなく親友で、私が親友に頭が上がらないのは、このときの恩があるからなんですね。
まさかこんな長い話になるとは思わなかったんですが。読んでくれたあなたに感謝を。

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