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『正しいとか正しくないとか』

“正しさ“なんてのは、個人の尺度によると私は思う。

テストの問題みたいに、あらかじめ解答が決まっているとか、法治国家として許されない犯罪を犯した、とかは別として。

言葉、文章、考え方、嗜好、価値観。
それは人それぞれで、
正しくなんてなくたっていい。

例えば私は煙草が好きだ。
仕事終わり、紫煙をくゆらせる時間は、私にとってなにものにも代え難い時間であり、それは誰かに否定される覚えもなければ筋合いもない。

けれど、世の中には煙草が死ぬほど嫌いな人もいるであろうことも、私は知っている。

その人から見れば私は“正しくない“のだろうし、逆に、私から見ればその人は“正しくない“のだ。

価値観の相反、相違、それらを上手くすり合わせながら世の中は成り立っている。

我々の仕事、つまり営業は、
ある意味、“正しさ“の押し売りだ。

極端な話、“これを使うことがあなたにとって正しいのだ“と相手に納得させることが出来なければ、目当ての商品は売れてくれない。

だから私たちは話術を磨く。
詐欺師のように、“相手を強引にでも納得させる“ための会話術を身につけていく。

それが良いか悪いか、
正しいか正しくないかは別として。

「心が痛む」と、辞めていく人もいる。

そうだね。わかるよ。

私だって全く心が痛まないわけじゃない。

“正しさ“なんて、十人十色。
それぞれの“正しさ“を認める口ぶりをしておきながら、次の瞬間にはお金のために、自分が思う“正しさ“を相手に押し付けないといけない。

辛いよね。疲れるよね。

何が“正しい“かなんて、誰にもわからないのに。
自分ですら、よくわかっていないのに。

私がお客様に対して、出来るだけ誠実であろうとするのは、罪滅ぼしみたいなものだ。

他の部分では。せめて。
ほんの少しだけでも寄り添いたいと願うから。

私は自分を愛している。
自分の心を愛している。
でも眠れない夜には思うのだ。
ああ。心なんて持たなければよかった、と。

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