『あの夜、私たちを繋いだ1本の銀テープ』


この根暗な人見知りが共同マガジンに参加した。


私の尊敬する西尾克洋さんにお声をかけていただき、大好きなががさんやとても面白い記事をたくさん書かれているさぼてんさんと共に、西尾さんのnext2000プロジェクトの末席に加えてもらえることになった。
面白い記事が色々と展示されていって、ある意味美術館のようになったらとても面白いと思うので、他のみなさんも是非参加していただけたらいいなと思っている。

next2000プロジェクトとは、西尾さんがnote歴200日を達成するまでに、1記事のPV数を2000まで増やそう、ということらしい。

2000PVは、すごすぎる。

私の最高PV数が約700であるから、ざっと3倍。
そしてその目標を応援しつつ、自らも更に成長を遂げたい、ついでに自分のPVも増えろと目論んでいる者として、せっかく今後注目を浴びるのなら、書いてみたい話を思いついた。
そう、私の最大のアイデンティティ、ジャニーズについての話である。

ジャニーズのファンって、正直に言うとロクな印象を持たれてないと思う。
「ただカッコイイだけの男にキャーキャー言ってバカみたい」とか、
「うちわとか持って応援しててキモイ」とか、
「なんか閉鎖的で怖いよね」とか、
「マナー悪い人多すぎて無理」とか。
これ、全部私が言われた言葉なんですが。

まあ、世間から見るとそう見えるのは仕方ない。

実際、ジャニーズのファンって自分の推してるグループ以外を基本的に認めないから、とっても閉鎖的だし、コンサートの時には大抵なんかやらかして一般の人に迷惑かけるし、ライブDVDに映りこんだ、ファンサ(=ファンサービス。ライブ中に手を振ってもらったり、ピースしてもらったり、アイドルから反応もらうことを言う)をもらうために必死で応援してる自分の姿を見るとキモいしね。

ただし、彼らは「ただカッコいいだけの男たち」ではないので、そのへんはあしからず。

今日は、そんな世間ではけちょんけちょんに言われているジャニーズファンだけど、実は仲間想いで優しいんだ、と。
怖がられるけど、意外と捨てたもんじゃないんだよ、って話をひとつ。

1.東京は怖い

ジャニーズを推している地方民にとって、東京は特別な場所である。
自分の推している担当(=ファン。応援しているアイドルのこと)が住む街であり、年に何回もコンサートが行われる場所であり、グッズショップやグループに関連する聖地がいくつもある土地。

恐らく、どのグループの担当であったとしても、特に感慨深い街は“原宿“だろう。
公式のグッズが販売されている“ジャニーズショップ“が存在する場所であり、そのすぐそばには数々のグループがその舞台に立ってきた国立代々木第一体育館があり、古くはジャニーズのアイドルたちのシェアハウス(今風に言うとね)、合宿所があったとも伝えられている。

事実、原宿でジャニーズに遭遇する確率は高い。
いや、私がファン全盛期だった頃は高かった、と言おうか。

私も東京でよく遊んでた時は、原宿、渋谷、新宿あたりを根城にしていたが、原宿のじゃんがらラーメンのあたりでは、当時人気のあったJr.に何人も遭遇した。
残念ながら私はJr.にあまり興味がなかったので、それを友人から聞かされても「ふーん」と視線を向けることすらなかったが。

そんな東京。
地方民にとっては恐ろしい場所でもある。

まずは電車だ。
東京の路線図を見たことがある人はわかる通り、数えるのもバカバカしいレベルでさまざまな電車が通っている。
日本全国どこにでも行けてしまう、ありとあらゆる路線の電車が存在し、地下鉄まで合わせると、地方民には何が何だかわからない。
地元に地下鉄なんてないし。そもそも通ってる電車すら数少ないし。

その数ある電車の中から、目的地に到着する“当たり“を引き当てないといけないのだから、地方民にとってはこれはもうギャンブルなのだ。

今はネットが普及し、手元のスマホでツイッとすれば偉大なるGoogle先生が答えを導き出してくれるだろうが、私の時代は先生が存在したかどうかすら定かではない。
「おう、〇〇に行きてえのか。道筋を知りてえなら金出しな」と、とにかくいたいけな田舎者から金を取ろうとするサイトばかりだったのである。

有料登録って言うんですけどね。

おかげで当時の私の携帯代の約半分は、そういった乗り換えサイトやら色々な公式サイトやらゲームやらの会員料金で占められていた。

ふたつめに恐ろしいのはズバリ、人だ。
コレは地方民の偏見だが、東京というのはケバケバしいギャルやチャラ男が闊歩し、道を行き交う大人たちはみんな冷たい。
例えなにか困ったことが起こっても、鼻で笑われて見捨てられる。
そんな風に私は東京を誤解していた。

だから最初、東京に行くのは怖かった。
道に迷っても助けてもらえないだろうし、困ったことが起こっても、全部ひとりでなんとかしなくてはいけない、と気負っていた。

東京に遊びに行くにつれて、そんなことない、ってすぐにわかってくるんだけど。
思えば、この油断がよくなかったのかもしれない。

2.少女リト、道に迷う

あれは暑い夏のこと。
高校生だった私は、V6のコンサートを観るために東京、原宿にいた。

確かその時の公演は2部制で、1部が昼、2部が夕方18時すぎからの開演だった。
当時、何日間もぶっ続けで同じ会場で公演を行うのは珍しいことではなくて、V6も3日間くらい連続で公演を行っていた。

会場はV6の聖地、国立代々木第一体育館。
強火がすぎて辺り一面を燃やし尽くす勢いでV6にハマっていた私は、その時もV6に会いにひとりで地元から代々木に通っていて、それも3日連続ともなれば流石の私も疲れが見えてきた頃だった。

けれどそこは10代。まだまだ勢いでなんとでもなる年頃である。

その日も良席を引き当てていた私は、全力で彼らを応援して、ファンサをもらって、ホクホクとした気分で会場を出る。

チラリ、と視線を落とした腕時計は、確か21時すぎを刻んでいた。

地元へと向かう新幹線は22時代が最終である。
まだ余裕があることに安堵しながら、代々木から原宿駅までの人混みを歩いた。

通いなれた道。目をつぶっても歩けそうな道。
しかし、今日はどこか違う。
人混みが一向に前に進まないのだ。

牛歩より遅いぞ、とイライラしながら、高い身長を利用してそっと背伸びをする。
原因はよくわからなかったが、どうやら原宿駅に向かう歩道橋のあたりで人の波が停止して、かたまっているらしい、ということはわかった。

首を傾げながらも、時間をかけながらゆっくりと進むにつれて、なんだか焦げくさい臭いが鼻についた。

「燃えてる……」

原宿駅に行くには必ず通る歩道橋の真下。
轟々と音を立てて燃えさかる車があった。
真っ黒い煙、ヒラヒラと舞い散る煤、近づくだけで咳き込みそうな臭い、そして炎の熱さ。

人混みが止まっていた原因はコレだった。
歩道橋の真下で車が燃えているせいで、恐怖した人々が歩道橋を上がれずにいるのである。

消防車はまだ来ていない。

道の脇にずれたり、気にせず歩道橋をのぼる猛者がいたり、体育館側に引き返す人がいたり、その場はまさに混沌とした様子だった。

“どうしよう“と思った。
炎の勢いはかなり強い。
歩道橋の上を駆け抜ければ何事もないだろうが、コンサート終わりのこの人混み。
実際に歩道橋をのぼって、もしもそこが混雑していたら?
この煙の中、耐えられるのだろうか。

私は基本的にビビりな人間だ。
炎の中をくぐり抜けるなんてことは恐ろしくて出来なくて、状況を把握して咄嗟に、この人波を抜けることを選択した。

道の端に体を滑り込ませ、代々木第一体育館までの道を逆走する。
「すみません」と肩をぶつけた人に謝りながら、まだ大勢の人が残っている代々木第一体育館に戻ってきた。

だが、ここからどうしたらいいかがわからなかった。

新幹線の時間は刻一刻と近づいている。
混雑したこの場では、タクシーを拾うことも出来ない。
どうしよう、どうしたら。
ぐるぐるとパニックに陥る寸前だった私は、ふと東京在住の友人の言葉を思い出していた。

「渋谷だ」

渋谷駅から代々木第一体育館までは意外と近い。
友人と渋谷で遊んでいた時、彼女がそんなことを言っていたことを思い出した。

代々木第一体育館の奥にある階段を降りた先は、確か渋谷に繋がっていたはずだ。

第一体育館から渋谷方面におりる階段は、コンサートグッズを購入する列がそのへんまで伸びていたので知っている。
一か八か、ここでこうしてウジウジしているよりも、渋谷駅に向かったほうが早い。

そうと決まれば善は急げ。
コンサートグッズやうちわがパンパンに詰まったショップバッグ(=いわゆるショッパー。当時、セシルマクビーやアルバローザなど、ギャル系のアパレルブランドで買物をした時にもらえる手提げ型の大きな紙袋に、うちわやグッズを入れてコンサートに参加するのが異常に流行っていた。ちなみに私のお気に入りブランドは、リズリサであった)を肩にかけ直し、私は渋谷へと歩き出した。

……まあ、この時の私は疲れていたんだろう。
普段ならそんな無謀な行動には出ない。

私はこの時、とても大切なことを忘れていた。
そう、自分が。
泣く子も黙る方向音痴であることを。

3.本当にどうにもならない時は涙も出ない

結論からお伝えしよう。
私は、渋谷へとたどり着くことは出来なかった。

それどころか、代々木第一体育館の敷地内からも出ることが出来なかったのだ。

昼間、私が見つけたはずの渋谷方面に降りる階段は見つからなかった。
いや、それらしきものはあったのだが、それが正しく“そう“であると信じ切れなかったのである。

方向音痴の人間は、そもそも自分の今いる場所を把握するのが苦手だ。
地図は頭に浮かんでも、そこに自分自身の位置をうまく配置出来ない。

自分が今どちらを向いているのか、北か南か東か西か、それが全くわからない。
わからないのだから、そもそも敷地内から出られるはずがない。

あのだだっ広い敷地を2周したところで、私はついに諦めた。
時刻は既に22時近い。
今から東京駅に戻ろうとしたところで、どう頑張っても30分はかかる。
もう帰りの新幹線にも乗れないかもしれない。
頼れる人が誰もいない、こんな恐ろしい街、東京で、夜を明かさなければならないのか。
私の末路は補導か、ナンパか、人身売買か。
飛躍する思考に絶望しながら、暗くなった代々木第一体育館の前の階段に座り込み、頭を抱えた。

人は本当に絶望すると、涙も出ない。
独りぼっちは不安で心細くて。
今すぐに泣き喚いてしまいたい気持ちはあるのに、ただガックリと力が抜けてしまって
「これから朝までどうしよう」としか考えられなかった。

4.現れた救世主

「ねえ、どうしたの?」
不意に頭上から声をかけられて、私はゆっくりと顔をあげた。

そこにいたのは3人組の女性だった。
20代前半だろうか。
不安と絶望で酷い顔をしていたであろう私を、心配そうに見つめて、視線を合わせるように屈んでくれた。

知らない人だった。
でも、小脇に抱えているショップバッグから飛び出しているポスターを見て、“あ、仲間だ“と察した。
当時、コンサート会場で販売されていたポスターは、確かメンバーそれぞれで包装が色分けされていて、それを見る限り、その3人組はカミセンの担当であるらしかった。

「急にごめんね。さっきからあなたがウロウロしてるのを見ていて、どうしたのかなって心配になって」

三宅健のポスターを差した女性が、そう言って微笑んだ。
女神様かな、と思った。

私は半分泣きながら、自分のおかれている立場を説明した。
地方からひとりでコンサートを観にきたこと。
原宿駅に向かう歩道橋の下で車が燃えていて、怖くて歩道橋を渡れなかったこと。
仕方なく渋谷駅に向かおうとしたけれど、どこから出ていいかわからなくて、この辺をグルグル歩き回っていたこと。
そして、新幹線の時間が迫っていること。

「そうなんだ」
私の話をうんうんと聞いてくれていた3人は、困ったように顔を見合わせた。

「ごめんね、私たちも地方から出てきてるから、この辺の地理は詳しくないの」
「そうですか……」
申し訳なさそうに謝る三宅さん(仮)だったけど、私は彼女たちに話したことで少しずつ冷静さを取り戻していた。
何も解決はしないけど、ただ話を聞いてもらうだけで救われた気がした。

「じゃあ、知ってる人を探そうよ」

森田くんのポスターをバッグにさしている女性が、自信たっぷりに言った。
彼女は言うが早いか、まだ会場に残っている人たちに向けて、手を振りながら大声で叫んだ。

「すみません!この中で、東京在住の方はいませんか!!」

よく通る声だった。
あとで聞いたところによると、彼女は大学で応援団?のようなものをしていたらしい。
そんな彼女の大きな声に、興味を示した人が何人か振り向いた。

「あ、あの……」
「大丈夫、心配しないで。困った時はお互い様だからね」
突然目の前で巻き起こった予想外の展開に、あたふたとする私に、「新幹線、間に合うといいね」と笑ってくれたのは岡田くんのポスターを持つ女性だった。

何度か森田さん(仮)が呼びかけると、ポツポツと数人の女性が私たちの元へやってきた。

「どうされました?」
「実はこの子なんですけど…」

井ノ原くんと長野くんの手作りうちわを持って、仲間内で記念撮影をしていた40代の女性。
私と同じ、坂本くんのポスターをシャネルのショップバッグにさした20代の女性。
三宅くんと森田くんの切り抜きがベタベタと貼りつけられたバッグを肩にかけた親子連れ。

私たちの周りには、気がつけば多くの人が集まってきていた。

「今から渋谷に向かうより、途中でタクシー拾ったほうが早そうですね」
そう言ったのは恵比寿に住むという40代の女性だった。
「なら私たちが一緒に行きますよ、娘もいますし、少しは安心出来るでしょう?」
事情を聞いた親子連れが、任せて、というように大きく頷いた。
「元気出してね。ほら、よかったらこれでも食べて」
シャネルの女性は、うつむいたままの私に、レモン味の飴をくれた。

こんな見ず知らずの子供の為に、どうしてこの人たちは必死になってくれるんだろう。
どうして助けてくれようとするんだろう。

その時は、それが不思議で仕方なかった。
でも、今ならわかる。
仲間だからだ。
同じグループを好きでいる仲間だから。
そして同じコンサートに参加した同志だから。
だから、仲間に悲しい思いをして欲しくない。

「私たち、宿泊するホテルが東京駅の近くなんです。同乗すれば少し料金も安くなりますし、私も行きます」
そう言ってくれたのは、最初に声をかけてくれた三宅さん(仮)だった。

あれよあれよという間に、私は彼女たちに連れられて、代々木第一体育館を後にする。
見送ってくれる人たちにとにかく必死で頭を下げて、ろくに感謝も言えないまま。
夜の道を走る。

大きな通りでタクシーを捕まえた私は、「東京駅まで!急いでください!」とタクシーの運転手さんに告げる誰かの声を聞きながら、時計に視線を落とした。
新幹線の発車時刻まで、あと30分。

「切符は持ってる?」
「はい、持ってます」
地元を出る時に、必ず往復切符を買うようにしていた私は、帰りの切符はすでに手の中にあった。
東京駅に着くことが出来れば、あとは新幹線の入場口まで走るだけだ。

「そういえば誰担(=誰の担当?ファンなの?という意味)?」
「坂本くんです」
「そうなんだ!今日の坂本くん、かっこよかったよね!」

そこからは盛り上がった。
あの曲がよかった、あの衣装がかっこよかった、MCのここが面白かった。
誰々にファンサをしてもらった、メンバーが投げたサインボールが近くに飛んできた。
私を不安にしないように、だろうけど、でもついさっきまで同じ会場で同じステージを観ていた仲間だ。
話の種は尽きなかった。

最初は知らない人に囲まれて、この状況についていけなくて、当事者のくせにドキドキしっぱなしだった私も、気がつけば彼女たちの話に混ざって笑顔を浮かべられるようになっていた。

「そろそろ着きますよ」
運転手さんが告げる。
その声を合図に、私はギュッと荷物を握り直した。

「お金はいいから、あなたは東京駅に着いたら走ってね」
「そんなわけには……!足りないかもしれないけど、今出します!」
「いいから。あと、コレ」
親子連れのお母さんが差し出したのは、東京駅の入場券だった。

「任せてもいいかしら?」
「ええ、もちろん。心配ですもんね」
それを三宅さん(仮)に渡して、彼女はニッコリと微笑んだ。
「私も娘をホームまで見送ろうと思っていて、ちょうど行きに買っていたの。娘は鈍行だから、まだ時間はあるし、気にしなくて大丈夫よ」
「不思議な縁だね」
娘さんが彼女とよく似た顔で笑った。

私の心残りは、ここまでしてくれた彼女たち、お母さんと娘さんの連絡先を聞かなかったことだ。
本当に、一期一会。それからどこかの会場で会うこともなかった。
きちんとお礼も出来ないままで、本当にすみません。

タクシーは東京駅に滑り込む。
発車時刻、15分前のことだった。

「ありがとうございました!!」
叫ぶようにお礼を言って、私と三宅さん(仮)がタクシーを飛び出す。
ここからはもう、私の庭だ。
今更道に迷うこともなく、とにかく全速力で走る。

あらかじめ手に握っていた切符を通し、そこからもまた駆け抜けて。
ホームに待つ最終列車の姿が見えた時、私は言い表せられないほど安堵した。

安心しすぎて、足がガクガク震えていた。
よかった。これで帰れる。地元に。

ホームまでついてきてくれた三宅さん(仮)もホッとした表情をしていた。

「よかったね〜、気をつけて帰ってね」
「本当にありがとうございました」
発車までほんの少しだけ時間があったから、私と三宅さん(仮)は連絡先を交換した。
必ずお礼をします、と約束した。

「お礼なんていいよ、気にしないで」
「でも、本当に助かったので」
「じゃあ、そうだ。よかったらそれ、もらってもいいかな?」
三宅さん(仮)が指差したのは、私のショップバッグから、ひょろん、と飛び出している銀テープだった。

こういうやつ


コンサートの終盤、アリーナ席だけに降ってくるコレは、ファンにとっては大事な記念品のひとつだ。
確かにその日、その場にいたという証明。

「私たちスタンド席だったから、拾えなかったんだよね」
「もちろん!どうぞ!」
歩き回ったおかげで少しクシャッとしてしまったテープのうち、綺麗な状態のものを彼女に渡した。
他の2人の分も、と思ったけど「3等分に切って分けるから大丈夫だよ」と笑っていた。

発車の放送が流れた瞬間、私と彼女を繋いでいた銀テープが離れた。
ここに残る彼女と、地元に帰る私。
V6が繋いでくれた、とても不思議な縁だった。

5.繋いでくれた縁は今も

私と三宅さん(仮)はそれから友達になった。
何度かその後のコンサートにも一緒に入った。

しばらく連絡を取りあわない時期もあったけど、1年に1度、コンサートに入る時期だけは連絡をして、会場でよく会っていた。
そこで会えなかった時間分、つもりに積もった話をするだけの間柄。
それでも、彼女との付き合いもすでに10年以上になる。

去年、V6の解散が決まって、久しぶりに彼女と連絡を取った。
三宅さん(仮)はもうV6の担当を辞めていたけれど、解散ライブだけは画面の向こう側から応援すると話してくれた。
「数えきれない思い出が、詰まってるからね」

あの夜、独りぼっちで絶望したこと。
私が三宅さん(仮)たちに出会えたこと。
色々な人に助けてもらったこと。
あの炎の熱さ。
東京駅に向かうタクシーからの景色。
最後に手を振ったお母さんと娘さんの笑顔。

私と三宅さん(仮)を繋いでいた銀テープ。

あの夜の出来事はたぶん一生忘れることはない。

6.みんな仲間だ

他にも、思い出はたくさんある。

水道橋から電車を乗り間違えて友人と困っていた時、声をかけてくれた嵐担の女の子がいた。
代々木第一体育館の開場を待っている時、熱中症のような症状になってしまった私に、冷たい水を買ってきてくれた井ノ原担の男性がいた。
J-FRIENDS時代のカウントダウンコンサート、その日出会ったTOKIO担やKinki担と、渋谷のカラ館で夜を明かした。
井ノ原くんのサインボールをキャッチした後にたまらず落としてしまった時、「あなたに投げてくれたのだから」と渡してくれた長野担のお姉さんがいた。(もらわなかったけどね)

ジャニーズのファンは、優しい。
そりゃたまにめちゃくちゃなこともするけれど、でも。私が出会ったファンはみんな優しかった。

だからこれからどんどんと成長していく後輩グループのファンの子たちにも、出来るだけそんな風に、仲間に優しく出来る人でいてほしいと思う。
困っている人がいたら手を差し伸べ、そして、困っていたら誰かが手を差し伸べてくれる関係でいてほしい。

誰かれ構わず、人に優しくしろ、と言ってるんじゃない。
そんなのは、聖人君子に任せておけばいい。

だけど、これだけは忘れないでほしい。

グループが違っても、担当が違っても。
私たちはみんな、仲間なのだ。

もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。