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『父が作ってくれた味噌ラーメン』

昨日は父の日でしたね。
私の父は、これまで何回かnoteでお話している通り、私が高校生のころに亡くなりました。

長年病気を患っていた人ではありましたが、まさかその病が原因ではなく、ある日突然、命を奪われることになるとは家族の誰も思っておらず、父が亡くなった事実はまさに青天の霹靂で、正直、今も信じられないような気持ちになることがあります。

もう父が亡くなって15年以上も経つのに、未だに心の整理がつかないなんて、おかしな話しですよね。

そうそう、話は変わりますが、そういえば、父との思い出をこのnoteで話したことがないな、とここまで書いていて気がつきました。
いい機会ですし、少しお話してみようと思います。


母の話はこのnoteでもよくしていますが、父との話をこれまで書いてこなかった理由。
それはすごく簡単な話で、私と父の仲があまりよくなかったから、です。

仲が悪いわけじゃないんですよ。
でもほら、やっぱり娘と父親ですから。
私の反抗期は全て父に矛先が向きましたし、それこそ小学生の頃から父が亡くなるまでずーっと反抗期だったので、あまり腹を割って話をするような関係でもなくて。

リトがハタチを超えたら、酒を飲みたいなぁ。
とは父はよく言ってましたけど、結局、それも果たせず仕舞いで終わりましたしね。

だから思い出らしい思い出って、そんなにないんです。

どこそこに行ったとか、遊びに行ったとか、旅行に行ったとか。
そういうのはもちろんありますけど、そのときもほとんど母と一緒にいたので、父と何をした、って記憶があまりないんですよね。

そんな淡白な父と娘、って感じの関係だったんですが、一度だけ。
父と真夜中に話をしたことを覚えています。

父の作ってくれた味噌ラーメンを食べながら。
朝になるまで、ずーっと話をしていたことがあるんですよ。


あれは私が小学6年生のこと。
確か翌日に修学旅行を控えていた日の話。

これは大人でも“あるある“かもしれませんが、楽しみにしていた行事が、突然嫌になってしまうことってありませんか?

例えば友達と遊ぶ約束をした日。
どこで遊ぶとか、何をするとか。
決めてる間は楽しいのに、当日になると急に面倒になってしまうとか。

例えば旅行に行く前の日。
それまではすごく楽しみにしていたのに、「明日から旅行だ」と思うと、急に家が恋しくなってしまったりとか。

私、昔からそういう感覚が強くて。
わがままなだけなんですけど。

なのでその日も、明日からの修学旅行が嫌で嫌で仕方なくて、母と大喧嘩をしたんです。
「行かない!!」って大騒ぎする私と、「全部準備も終わってるのに!」と怒る母と。

運動会の前の日とかもこんな感じでしたね。
まあ、運動会は運動音痴すぎて本当に嫌で毎年「行きたくない」って騒いでたんですけどね。

そんなこんなで泣き喚く私にうんざりした母が、「アンタなんか知らない!!」とキレて放置するまでがいつものパターン。

自分でもね、なんでそんなに意固地になって「行きたくない」のかわからないんですよ。
たぶん理由なんてなくて、ただなんとなく「行きたくない」だけ。
子供ですからね、わけわかんない理由で意地になることなんて多々あるけど、私はきっとその頻度が多かったんでしょうねぇ。

その日も結局、母がブチギレてほったらかしにされて、口も聞いてもらえなくて、余計に泣いて。
それでも行くか行かないか、で訊かれたら、「行きたくない」に心が傾いているような状態で。
自分でもどうしたらいいのかわからなくて、父が帰宅する夜まで、シクシクと泣いていたんです。

帰ってきた父は驚いてましたが、まあ、私と母のケンカなんていつものコトなので、それほど気にすることもなく、一応、「どうした?」と私に声はかけてくれるんですけど、そこは反抗期ですから、「関係ないでしょ!」って突っぱねるだけ。

父がお風呂に入って、ご飯を食べて。
みんなが寝室に向かっても、私はまだヘソを曲げたまんま。
電気を消したリビングで、延々とメソメソしてました。

よくもまぁ、そんな体力あるなぁ、って今じゃ信じられないですよ。
泣くのも結構体力使うのに。
子供の意地ってすごいですよね。

そんで、時刻も真夜中にさしかかったころ。
父がふいに起きてきて、私が泣いているリビングにやってきたんです。


なにを言うのかな、と思ったら。
「お腹すいたろ?」ってね。
夕飯も食べずにずっとそっぽむいてたので、その日はお昼からなにも食べてなくて。
確かにお腹は空いてたんですよね。

そこで私がなんて答えたかは残念ながら覚えてないんですけども、父は黙って味噌ラーメンを作ってくれたんですよ。

サッポロ一番の味噌ラーメン。
冷蔵庫にあったモヤシを入れて、たまごをひとつ、まるのまんま落としてね。

ウチはカウンターキッチンだったので、薄暗いリビングに、キッチンの明かりがこうこうと差し込んできて、泣き疲れて腫れぼったくなった目で、その明かりをじっと見つめてました。

父はね、料理なんてしない人なんですよ。
むしろ何にもしない。
外出するときは運転手がいますし、秘書にあれこれ指図すれば大概のことはやってくれるし。
自分のことひとつ、なにもせずに母に任せるような人ですから、例えインスタントラーメンを作るっていう、しょーもないコトでも、父が自発的になにかをしている、ってことに衝撃を受けた記憶があります。

「ほら、食べなさい」
って差し出されたラーメンは、味はやたら濃いし、麺はボテボテにのびてるし、正直、大して美味しいものじゃなかったですけど、今でもね、忘れられないんですよ。

真っ暗なリビングで。
テーブルの向かい側に父が座っていて。
キッチンから漏れる明かりの中で、悪態をつくでもなく、素直に食べたあのラーメンの味が。

私、モヤシ嫌いなんです。
モヤシ入ったラーメンなんて大嫌い。
でも、あのときの父のラーメンは、なんでか知らないけどすごく美味しく感じたんです。

たまに懐かしくなって、自分でも作るんですよ。
真夜中に、モヤシを入れて、たまごを落として。
でもね、同じ味にならないんです。
何回作ってもね。
父が作ってくれたあの味にならなくて、やっぱり、嫌いなモヤシの味がする、ただのラーメンなんですよね。


そこから、色んな話をしました。
母を起こさないように、2人とも声をひそめて。

学校の話とか、友達の話とか。
父の学生時代の話とか。
当たり前だけど父にも学生時代があって、子供の頃があって、それを経て、今の父があるんですよね。

そんなの、当たり前にわかってるはずなのに、不思議な気持ちになったことを覚えています。

ひとつひとつは取りとめのない話。
でも、滅多に話さない私と父だから、たぶんお互いにその会話は新鮮で、ああでもないこうでもないと、本当に色んな話をしました。

そうしているうちに、外が明るくなってきて。
父は最後に「修学旅行、行かないのか?」と私に訊きました。

まだ迷ってはいたけど、私は「ううん、行ってくる」と答えました。

「でも、今から寝たら起きれるかなあ」と眠い目をこする私に、「お父さんが起こしてやるから大丈夫だ」と父は笑いました。

それから父は一睡もせずに、約束通り、私を起こしてくれました。


「修学旅行、行かなくてもいいけど、後悔だけはするなよ」と。
私が「行く」と答える前に、父は言いました。

思えば、私は父になにかを強要されたことはこれまでなかったように思います。
会社ではワンマンのカタマリのような人でしたが、こと、家庭の中では、いえ、子供に対しては「ああしろ、こうしろ」と言うことが少ない人でした。

ただ、私が好きなように生きようとするたびに、必ず言われた言葉がコレです。

「後悔しないようにしなさい」

不登校になったときも、毎日東京で遊び歩いていたときも、なんだかんだすったもんだあって高校に進学するときも、必ず、父にこう言われました。

悔いを残すな、と。
やりたいことをやりきれ、と。
どんなに困難な道でも、自分で選んだ責任を取れ、と。

私が、父から教わったなによりも大切な教え。

なにかを決断しなければいけないとき、進む道に迷ったとき、やりたいことがわからなくなってしまったとき。

私は、不意に思い出すのです。
あのキッチンの明かりと。
父が作ってくれた味の濃い味噌ラーメン。
そして、「後悔するなよ」とかけられた言葉を。

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