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Jin

「じゃー、next.Jin 」
英語教師は、授業を淡々と進める。

 readingの授業中、前の席のJinは、テキストブックを片手に持ち、英文を流暢に読んだ。発音も良く、慣れ親しんだ言語には何も迷いもなく、思わずうっとりとしてしまう。

「next eri」

 私はベタベタな日本語英語で続きを読んだ。くるりとJinは振り返り、good!っと、微笑んだ。

  *    *    *


 私と、Jinの思い出である。



 オーストラリアには、親日家が多いという。 当時、私は公立の女子高に通っていたのだが、オーストラリアの、マーガレット高校と、姉妹校提携を結ぶことが決まったと、お昼の放送でニュースとして流れ込んできた。


 へぇ。
 と、特に気にも留めず、学食のカラポテを頬張る。


 数ヶ月が過ぎた頃、突然その日は訪れた。私の前の席に、見知らぬ少女が座っている。部活の遠征で数日間、私は学校を欠席していた。


 その間に、しれっと留学生が到着していたのだ。くるりと彼女が振り返る。


「よろしくお願いします。Jinです。お父さんオーストラリア人で、お母さんは韓国人、私はママに似たみたい」



と、流暢な日本語で自己紹介してくれた。
私は慌てた。



「えっと、eriです。よろしく。日本語めっちゃ上手だね、私英語全然話せないけど、ごめんね」



するとJinは
「何で謝る?私日本語喋れるようになるために来たの。」


と、可愛らしい笑顔で答えてくれた。


天使だった。Jinはどういうわけか、私の後をついて回っていて、妹のような子だった。途中で私は変に気を遣われてるのではないかと心配になった。


「Jin、折角留学したんだから、他の子とお話しして来ていいんだよ?」と、言ったこともあったが、
「私がeriをchoiceしたんだよ。eriの、日本語はとてもきれいだよ」と、ニコニコ笑っていた。
「eriが矢をぶっ放す所好きだよ」と、彼女は弓道が特にお気に入りのようだった。



 Jinは私と同じで、運動神経はないようだった。バレーボールはサービスが入らないし、運動会のリレーでもバトンを落としていたし、大縄も飛べなかった。初めての騎馬戦では、あっという間にハチマキを奪われていた。



「変なのー、ニッポン変なのー」と、よく笑っていた。


 Jinは、変なニッポンが大好きだと言っていた。お弁当も楽しいし、みんなで小ちゃい財布を持って、学食に行くのも楽しいと言っていた。(唐揚げポテト、通称からポテを買いに走るのも、最後はすっかり慣れたもんだった)



 制服も可愛くて、冬服も着たいし、紺のソックスは、イーストボーイでみんなとお揃いにしたいと息巻いていた。


 そんな留学期間もあっという間に過ぎて行くことになる。


「What do you want to be in the future?」

 廊下で足を止めたJinは、おもむろに質問してきた。


 この2ヶ月で、Jinが英語で質問する時はマジな時だとわかってきていた。(ちなみに1回目は英語の先生のspeakingの拙さににIs he real? ワーォと言っていた)


私は躊躇した。誰にも、将来の夢を打ち明けていなかったからだ。



「…I want to be……        nurse」

 Jinは笑ってた。「ポイ!」って。

「ポイってなんだよー」と言いながら、私達は腕を絡めながら歩き出した。


 Jinは続ける。

「私は、今自分が住む場所を探してるんだ、住む場所が決まったら、やりたいことを探す、うん、そーする」


 Jinは、すでに英語、韓国語、フランス語、今回の留学で、すでに日本語もマスターしていた。



「私達は自由だよ、ママは韓国は合わなくて、オーストラリアが故郷だって言ってた。パパのおかげだって。私は自分で住む場所を決めたい」


「eri、私達は自由なんだよ!」

 弾ける笑顔でJinはそう告げ、オーストラリアに帰って行った。

私は、Jinが帰国することが悲しくて、寂しくて、クラスで作っていた寄せ書きにメッセージが書けなかった。


  私達は、自由を選ぶことができる。



 私の当時のPCには、帰国後のJinから届いたEメールが残っている。


 添付された写真には、面積のほぼないビキニ姿で、ハワイのビーチで笑っているJinが写っている。

 ”eri、日本の女はどこでもモテるぞ!”
          と、添えられていた。



 16歳の女の子だった、私達へ。
 そして、これからの私へ。Jinの弾ける笑い声が聞こえる。


       私達は、自由だよ! 



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