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好きな曲は好き~サテライト・タウンにて/Base Bal Bear~

はじめに


今日はベボベの『サテライト・タウンにて』という曲についてお話しします。

この曲も『Transfer Girl』のように、

まるで青春映画のワンシーンのような風景と風景を思い出させるような曲だと思っています。

中学生の頃から良く聴いていたのですが、聴く度に経験したことのない感情が生まれるような気持ちになります。
同時に、ジャキジャキと鳴るギターと勢い満点のドラムが大好きです。

以下、妄想のような解釈になりますが、それでも大丈夫な方はぜひお進みください!


大事にしているモノを話す関係


この曲は印象的でノリの良いイントロから始まります。
このロックで尖ったようなイントロとは打って変わって、歌が始まるとポップなリズムに変わるところも好きです。

『胸の痛覚が鳴る
 午前5時の半月が祖母の形見という櫛みたいで、
 とても綺麗』

初めから感覚的な歌詞だと思いました。
映画のように状況説明から入るのではなく、抽象的な主人公の心情を察させるような歌詞です。

私は登場人物は少年と少女だと思いました。
男性というよりも、男子です。
高校生ぐらいを想像していました。

ここでは、朝方の半月のようにぼんやりと消えそうな、古い櫛を少女が大事にしている様子と、
その事なのか、少女になのか、はっきりとはしませんが、胸を打たれている男子を想いました。
きっとその少女に胸を撃たれているのでしょうね。
しかし、この二人の関係はそう遠くないものだと思いました。
なぜならば、少女が持っている櫛が少女の祖母の形見だと知っているからです。
そう考えるとある会話の様子が思い浮かびました。

「なんでそんな古い櫛を使っているの?」
と少年が聞いて、少女が
「おばあちゃんの形見なの」
って少し寂しそうに笑う。

そしてこのことを早く起きてしまった午前五時、下弦の月を見ながら「綺麗だったな」って思い出したのでしょうか。

少女が目の前に居ないのに、一人の時間に少女のことを思い出すのは、なんだかこそばゆい気持ちになりますね。
そして、こんな会話ができるぐらいには近しい関係なのだと思いました。
なおさらこそばゆいですね。


大切だから何度も甘さを嚙みしめた

次の歌詞です。

『文庫本を片手に歩く姿は俺に味方
 全て詩的に見える
 通りゃんせ 流れ 綺麗』

さあ、もっと難解な歌詞です。

まず、この少年は普段から本を読んでいるように思えます。
しかし、本が好きで読んでいるのか、本を読むというポーズをすることにしているのかはよくわかりません。

なぜならば、本の内容が頭に入っていないように思えたからです。
全て詩的に見える
文章が詩的に見えるというのはどういうことでしょうか。
私は、“共感できる部分とできない部分がある”ことだと思いました。
私にとって詩とはそういうものだからです。

詩とは、“自分に都合がいい時に共感して、共感できない時はとことんできないもの”だと思っています。

歌詞に話を戻します。
私はこの少年が本に全く集中できていない様子だと思いました。
その理由は『通りゃんせ 流れ 綺麗』から、
“目の前を通る少女に意識を奪われているから”だと考えました。
…あまりにもロマンス脳でしょうか…

『読む手を休めた
 めくるめく記憶に栞を挟んだ
 噛めば甘いだろう場面』

ここのBメロだと思われる部分が大好きです。
ドラムがドコドコ鳴っているのが大好きです。

実際に少年は読む手を休めているようです。
めくるめく記憶に栞を挟んだ』とは少女と関わった、少女を見て自分が何か感じるものがあった出来事を一つ一つ大事にしているように思えました。
嬉しかったこと、好きな人との出来事は覚えたくなくても覚えてしまうもの、
それを意識的に「大事にしよう」って思い出にしている様子だと思いました。

…とんでもなく可愛くないですか???
私がときめきます。

そんな風に大事に記憶に残した出来事一つ一つを何度も思い出すと、その時の温かい感情も一緒に思い出されて何度も当時の気分を味わえるような。
だからこその『噛めば甘いだろう場面』なのでしょうね。
何度も思い出して噛みしめて、その甘さを何度も実感する。

…わあああ!って私が顔を覆いたくなるような気持ちになります。

サビです。
歌に入る前のリズム感が気持ち良いです。

『舞い上がるキミのページ
 渦を巻いて
 眼で追うだけで
 消して掴もうとはしなかった』

そうやって、大切に大切にブックマークするように記憶した場面が、山ほどになってきて、
その一つ一つが一気に少年の心を満たす風景がうかびました。

私は中学生の頃、歌詞カードを見ずに聴いていたので、
眼で追うだけで』を「目で覆うだけで」と聴き間違いをしていました。
そのため、そのような自分にとってときめくような甘い出来事が眩しすぎて、目を覆われた気分になる、ということだと思っていました。
恋は盲目と言いますから。

しかし、『眼で追うだけで消して掴もうとはしなかった』ということは、甘い感情を少女に抱きつつも、それ以上の関係になろうとはしていなかった、ということがわかります。

どんなにその少女を目で追いかけて、少し会話をするような仲でも、眺めるだけで充分だと感じるくらい満足していた、ということでしょうか。
私はこの感覚になんとなく共感できます。

大切で、大切すぎて眺めるだけで充分だと思う感覚
その一瞬の感情を噛みしめるだけで充分だと思う感覚


ごまかす


間奏の高く鳴り響いていたギターとは一転して、一気に静かになります。
スネアショットが入ることで雰囲気も少し変わりましたよね。

『夜に硝子1枚
 俺と夜景重なる
 電波塔が鬼灯(ほおずき)
 手を伸ばしてツキユビ』

ここはただ語呂が良いという言葉で片づけるにはもったいない歌詞だと思っています。
夜という言葉が入ることで、前半の午前5時のように、また一人の時間のことだと思いました。
“夜窓越しに外の風景を眺めていて、焦点が窓に映る自分になる”という情景がうかびます。
そして、遠くに見えた赤く光る電波塔に触れようとして、近くの窓に指が当たってしまう様子でしょうか。

これは、少年が少女に対してとっている行動=『眼で追うだけで消して掴もうとはしなかった』の原因となることだと思います。
どんなに綺麗で、どんなに触れてみたい、手に入れたいと願っても、
むやみやたらに手を伸ばすと、自分がケガをする。
という考えが、少年の根本にあるからこそ、少年はこのような行動をするのでしょう。

そのためここは、サビの行動の原因や理由を推察させるための歌詞だと思っています。

このように考えると、
やっぱり少年は心の奥底ではその少女にもっと近づきたいと思っているのではないか、と思いました。
でも、性格上触れないという選択をしてしまう。

そんな難しい葛藤が見受けられました。

また、ここで、ほおずきがなぜ出ているのかについて考えてみました。
赤い鉄塔が、その鉄の線がほおずきの果実を思い出させたのでしょうか。
ただの“赤”であることの比喩でしょうか。
私は花言葉や花伝説が大好きなので、そのことを最初に考えてしまいました。
ほおずきの花言葉は、『偽り』『ごまかし』『欺瞞』『心の平安』『不思議』『自然美』だそうです。
…少年の心情に寄り添っていると思いませんか?

少年の心の底にある、「もっと近づきたい」という少女への思いをごまかして、あの綺麗な少女を目で追うだけという選択肢を取る。

『胸の痛覚が鳴る
 散々読み返して
 そして、俺を襲った
 爽やかな読後感』

前半の考えのように、何度も少女との思い出を思い出しては噛みしめて、それを繰り返して満足した。
私にはそう言い聞かせているようにも聞こえます。
胸は痛むのでしょうか。
それでも爽やかさを感じているのでしょうか。


夢を見る前に手が届かないところへ

最後の歌詞です。

『舞い上がる君のページ
 渦を巻いて
 眼で追うだけで 綺麗だ 口走って』

ここでは思わず、少女を見て「綺麗だ」ってつぶやいてしまったのではないかを考えました。
「目で追うだけで十分、これ以上は求めない」って思っていたのに、
思わず口から出てしまった言葉に自分でも驚いているような感じです。

『舞い上がれ君のページ
 渦を巻いて
 手が届かない位にふきとべ
 どうせなら』

そんな風に自分の発言もコントロールできないほど、
少女への思いは曲調と共に高鳴っている
ように思えました。

だからこそ、どうせなら自分が完全に手の届かないところに行ってほしい。
手が届くなんて、夢を見させないでほしい。
そういった感情が読み取れます。

切ないかもしれないけれど、この少年らしい感情なのではないでしょうか。


さいごに

ここまで、完全に私の妄想でしたが、読んでくださった方やこの曲をご存じの方はどう考えたのか、ぜひどこかでお聞きしたいです。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。

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