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君へ #眠れない夜に

 窓を開けて外の世界を眺めますと、町はもう半分眠りについているようでした。高速道路の光だけが強烈に浮かびあがります。夜はもうすっかり深くなっておりました。三三五五の住宅街へそっと祈りを飛ばして、あなたのことを思います。
 明日も、心安らかに、過ごせますよう。
 神様。今日も確かに、幸せにあふれた日でありました。私最近、神社へもお寺へもお参りしていないのですけれど、それでも、あなた様のこと、ずっと信じているのです。今日だって、お酒さしあげました。
ガラス戸を戻して、冷えてしまった部屋の明かりを落として、お布団に入ります。
(今日はまだ、眠れない……)
 感じていた高鳴りを自分のものであると認めて、ほう、と息を吐きました。本日、私は私のために不眠に悩むことでしょう。こうなってはもう遅いのです。すでに頭の中に数多浮かび上がっている思い出を眺めあわせます。ああ、どうしてこんなに悪い記憶ばかりが思い出されるのでしょう。顔を覆います。
 太宰治が作品の中で、「忘却こそが、人間の唯一の救い」などと言っておりましたが、あれは、嘘です。とんだ見当違いというものです。人は、辛いことを忘れる前に、楽しいことを忘れていきます。救いを求めようものなら、忘却の間の、幸福がお留守の心を抱いて、私は毎晩眠れずに、布団の上でダンスすることになるでしょう。そんなの、御免こうむります。
 カチ、カチ、カチ。
 時計の秒針の音が、四畳半に響き渡ります。訳もなく、息をひそめていたことに、五分後、息苦しさから気付きます。
 さみしい。
 こんなときに、あなたが私のそばに居て、抱きしめてくれたらと思います。
 すぐに泣いてしまう、情けない私のこと、何度でも、晴らして。お話、ずっと聞いていていただきたいのです。すんなり聞かずに、少し面倒くさそうにして。私、困った顔をするから。あなたのいたずらっぽい笑顔が見たい。それからは、私の話、ときどきうなずきながら、聞いてください。
 そうしたら、強がりなあなたも、私に泣き言こぼしてくれるでしょう? 私、お天道様が、顔出されても、にこにこ聞きます。あなたが寝落ちしてしまったら、ほっぺたなでてあげましょう。
 でも、私、自信がありません。あなたのこと、受け止めきれるでしょうか。
 いいわけですが、私、心に傷が、いくつかあって。どうってことないはずなのに、何年経ってもかさぶたができないのです。いいえ、もしかしたら、何度もはがしすぎて血小板が、諦めてしまったのやも知れません。
 優しくされるたびに辛くなって、拒否してしまった日の私の気持ち。何日も何日も苦しんで出した答えなのに、やっぱり間違えてしまいました。
どう考えたって、私、ひどい人なのに。私に向かって笑わないでください。これ以上、苦しめないでください。
 ラスコーリニコフがソーネチカの足に口づけするものだから、思い出されてしまって。息が詰まるほど苦しかった。私も、彼みたいに、与えてごまかしているのです。お願いだから、あなたはソーネチカのように盲目のままでいないでください。
 スヴィドリガイロフもこんな気持ちだったに違いありません。ドゥーネチカに殺されたかったのに違いありません。こんなに後悔しているのに、どうしてまだ、あなたのこと、諦めきれないのでしょう。自分だけでは止められそうにないのです。だから、あなたが。
 『罪と罰』を読み終えたとき震えました。純文学とは恐ろしい。
 抑えきれない興奮が体中駆け巡り、前後不覚の体裁でしたと思われます。
 幸せはどこに転がっているのでしょう。いや、転がっている幸せでは、欲しくはならない気がします。羽の生えた、ふわふわ飛んでいる幸せを手に入れたいものです。
 ふわふわ飛んでいて、そっと両手で包み込むと、猫のような温かさがしんまで届いて、しばらくしても、胸に手を当てれば温かさがよみがえってくるような。そんなものが幸せだったら。探してみる価値はありそうです。
 こんな夢を見たことがあります。
 見慣れた住宅街の中、園児の姿の私が幼稚園目指して駆ける夢。
 ところが、いつの間にか見知らぬ森に迷い込んでいて、どこへ行こうにも鬱鬱勃勃。木々のざわめきが、何倍もの大きさに聞こえてきます。あまりの心細さに、何度も足が止まりました。
 どれほどの間囚われたでしょうか。未だにさまよっている私のもとに、数人、おんなじ制服を着た女の子たちが、私の名前を呼びながら、笑顔で駆け寄ってきてくれました。知らない女の子ではなく、確かに幼稚園生の頃、よく遊んでいた子達でした。彼女たちは私の手を固く握りしめながら、ぐいぐい引っ張って走ります。気付いたときには目的の幼稚園に到着していました。
 制服は当時着ていたものであったのに、幼稚園は山奥にあって、私が通っていた幼稚園とは似ても似つかないものでしたが、夢の中の私は、その幼稚園を見て安堵していました。
 先生から、「どこへ行っていたの」と温かい叱責を受けます。そのときは素直に聞いていたものの、なにを思ったか今度は園内をふらつき始めます。しばらく園内を探検していた私は、いつの間にか中学生の姿恰好をして、幼稚園の二階から、無邪気に遊ぶ園児たちを眺めて、微笑んでおりました。
 昔を懐かしむ私のもとに、今度は中学三年のときの級友が訪れて来て、しばらくとりとめのない話をして帰ってゆくのでした。再び園児たちに心を落ち着かせていると、先ほどまでは居なかった知己が、私の背にもたれて、私達は無言の会話を交わすのでした。
 その、夢から覚めたときの幸福感、安心感、背中の温かさ。
 今日のような、眠れない夜。思い出して心を紛らわせます。
 何度か寝返りをうつうち、毛布に不満を持ちました。軽すぎるのです。もっと質量があれば、きっと安心して休むことができるはずなのです。
 体と毛布との隙間がどうしても苦手で、普段からビーズの柔らかいクッションが手放せないのですが、もう少し、重たくなってくれたら。クッションなんてなくても眠れるはずです。いや、クッションがもう少し温かくなってくれればいいのではないでしょうか。人肌くらい温かくなってくれたら、きっと、こうやって眠れないでいる日が減るはずなのです。
 体は温かいのに満足できない。わがままな女学生に育ってしまいました。
 私には、どうしても許すことのできない人が、一人。それは、小学校高学年の頃のクラスメイトです。こんな夜には、欠かさず現れてくれます。皆勤賞です。
 その子は、私に執拗に意地悪をしてきました。もともとまめな性格を持っていたその子は、小学校を卒業するまでそれを続けました。それに並行して、コツコツ勉強をして中学受験に成功したのですから、憎たらしい限りなのです。
 その子は、私に意地悪するより前に、クラスの大半の子から、嫌われて、悪口を言われて過ごしてきました。そのときはその子を憐れんで擁護したり、その子のいいところなど、悪口を言う子に言ってみたりしていましたが、今となっては、ずっと無視されていたらよかったのにと思います。
 その後無事に中学へ進学したのですが、その子の性格に対しての周りの評価が、「世間から外れた変なやつ」から、「話のネタにはもってこいの、癖のある人となり」に変わり、学校が離れたというのに月に一度はその子の笑い話が仕入れられるようになってしまいました。
 みんな、もう少しだけ早くその子に対して寛容な目を持っていたら。私も彼の話、笑って聞けたのにと思います。それと同時に、その子の平穏が守られていることに対して、強い憤りを感じました。悪口言っていた子も、その子の話、笑って聞かせてくれます。そのたびに、無理に笑って、相槌を打つのです。そのたびに、心の傷が、てらてら光って膿を流します。
 目頭が熱くなるのを感じながら寝返りをうつと、確かに零れる涙がありました。
 最近は、理由もなく泣いてしまって、周りを驚かせることも多いので、理由の分かる涙は、それだけで幾分かありがたいなと思います。
 もっと胸張って生きられたらと思います。
 天井の隅に目をやると、乳児ほどの大きさの、まっ黒いクモと目が合いました。今にも私に跳びかかろうと、後ろ脚に力を入れて、産毛の生えた丸っこい体をかがめています。
 普段ならばギャッと叫んで手近のものなにかひとつ、投げたかも知れませんが、私を見つめる八つの珠がいかにも可愛らしく感ぜられて、両手を中途半端に広げて、「おいで」と言ってみました。
 三分ほど経ちました。悩んでいるのか一向に動きません。上げた両の手を下せないまま、見つめ合います。クモは、ついに私の腹へ跳び乗りました。見た目ほど重くありません。撫でてみると、温かく、まるでぬいぐるみのように柔らかな感触が伝わってきます。クモは、私がひととおり撫で終わるまで、ただ、じっとして身を委ねていてくれました。
 クモの体温と感触の心地良さに、意識をゆるゆると手放し始めたときのことです。私は、それがはじめ、眠気によって視界がぼやけだしたからだと考えていましたが、どうやら、違うようで、クモの輪郭が徐徐に崩れ始めました。あぜんとする私を置いて、変化は確実なものとなってゆきます。ついには、さらさらさら。何百ものクモに分かれて、消えてしまいました。もう少し、触れていたかったな。名残惜しんで手のひらを見つめます。
 そこには夜の闇が、おぼろげに、とどまっていました。
 なんだか、どうしようもない気持ちが押し上げてきて、どうしようもない気持ちになって起き上がると、カーテンがほの明るくなっていました。朝が来たようです。軽快な音と共にカーテンを開きます。
 そこには、水彩を水の中へそっとおとしたような、さわったらひとたまりにしてほどけてしまいそうな空がありました。ため息を吐きます。
 夜中、どんなに眠られなくても、明け方。こんなにきれいなお空が見られるなら、訳もなく苦しいのも別によいのではないかと考えさせられます。それほど、すがすがしい色なのです。
 私は、特にれもんのような色がお気に入りで、写真に収めようとスマートフォンを手に取るのですが、液晶の写す色ではやはり物足りず、吸い込まれるように現在を眺めました。
 こんなにきれいな朝焼けでは、昼からの暑さが心配です。
 時計を見ると、起きなければならない時刻まで、あと一時間あります。でも、一時間だけ寝てしまうと、このまま起き続けているよりもきっと朝が辛いことでしょう。部屋に明かりをつけて、お布団をたたみます。
 簡単にストレッチを済ませてから、冷えた足をもみほぐします。眠れない日は、寝返りをうつこともないので当然、いつもの倍は体が固くなるのです。
 洗面所へ向かい、歯を磨いて、それから台所で水を飲みます。神棚に上げていたお酒とお米とお塩を取り換えて、手を合わせます。我が家に仏壇はありませんが、おばあちゃんや、その他ご先祖様にも手を合わせて、朝のルーティンはおしまいです。
 夜通し考えごとをしていたので、想像以上にお腹が空きました。普段は母に任せっきりの朝食作りですが、今日は久し振りに手伝いをしてみようと思います。
 久し振りに娘と料理ができたことを喜ぶ母を尻目に、自分で巻いた卵焼きを食べます。よく料理をしていた頃に比べ、少し見劣りしたそれを口に運びながら、口に入ってしまえば大して変わらないと開き直ります。最近食欲が落ちていたのですが、今日はなんとか一人前食べられた気がします。手を合わせて、食卓をあとにします。
 学校へ持っていくカバンの中身を確認して、制服に着替えようとしたとき、壁に一匹の黒いクモが付いているのに気が付きました。
 先ほど見た、あの幻のようなクモを、そのまま小さくしたような姿です。思わず手を伸ばしますが、クモが跳ぶような姿勢をとったので、慌てて手を引きます。どうしてあのときは上に乗られても平気だったのでしょうか。やはりあれは、夢だったのでしょうか。
 私への興味をなくしたクモは、壁をときどきちいさく跳びはねながら、ちょこちょこ進んでいきます。そのクモをぼんやり眺めながら、夜、いつもの私よりヒポコンデリーが強くなって、本当にどうでもいいことをぐるぐる考えていたのを思い出しました。
 悩んでいる最中はあんなに苦しいのに、過ぎてしまうと、鼻で笑うこともないほどあほらしいことを随分と考えていたなと思います。だから、いざ私の周りの子が悩んでいるのを見ると、普段の悩み癖を生かすことも叶わず、いい加減なアドバイスをしてしまうのです。その場合、私はまた、それによってグルグルやることになるのですから本当に滑稽でなりません。
 でも、それをこうやって記している間は自分に素直になって、内気な私から離れることができますし、書いている内にそのとき何を思っていたか思い出せて、いつか、悩んでいる子になにか言ってやれるかも知れません。
 では、また。私が落ち込んでしまって、そこから出られたときに、なにかしら書き連ねようと思います。この話はどんな風に受け取っても、読んでも構いません。
 この話が、君の心を動かせたとするならば、書いた甲斐があったというものです。

※この作品は金沢大学の超然文学賞に応募した作品を加筆修正を加えずに打ち込んだものです。落選したので、著作権は私が持っていると考えて掲載します。

見出し画像はT-GAI(戒)さんの『現実と夜の狭間からい出もの What comes out of the gap between reality and night』を使わせていただきました。幻想的で素敵な作品をありがとうございます。

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