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心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』8

 居住と心霊現象
 

 ショット17
 約20秒のショット。はじめに児童向けの書籍が並んだ本棚と、その上にぬいぐるみが置かれているショットだけで、陽子の部屋であると理解できる。
やがてカメラは左にパン、机にむかって何かを書いている陽子の後ろ姿へ。サウンドトラックはペンを動かす効果音を微妙に強調しているが、小中千昭と鶴田法男がともに意識したジャック・クレイトンの『回転』(1960)のシーンを、巧みに参照したのかもしれない(※53)。

 このショットでは部屋全体を照らす照明は点いているものの薄暗く、影は優位であることに変わりはない。窓から差し込む昼光と机のスタンドが、このショットの後に留守番を務める陽子の、不安を象徴する役割を負う。

 陽子は勉強中であることを理由に、母親からのおつかいを断り、母親は承諾して外出する。
 

 ショット18
 約3秒だが重要なショット。陽子が勉強を建前として、自身の内面のなかで理想化された自宅の画を黙々と描いている様子を俯瞰で撮影しているが、母親が玄関を開け閉めする効果音に合わせて画の扉にズーム、次のショットに切り替わる直前、玄関とは異なる場所から「足音のような」音がする。
 

 ショット19
 約5秒間のショット。「足音のような」音を聞いた陽子は咄嗟に「パパ?」とひとり声を上げるが、返答はない。
 スタンドの明かりが陽子の顔に、ロー・キーの影を作る。ピントを合わせていない背景のカーテンと陽子が着た服の色彩の安心感が、安全であるべき生活空間と、陽子が置かれた状況との対照を作り出す。
 

 ショット20
 約14秒のショット。ショット17の画面構成、陽子と彼女が座っている勉強机と本棚を撮ったショットの反復だ。ふたたび「ドンドン」と、乱暴な「足音のような」くぐもった効果音が少しボリュームを上げて響く。

 陽子はぎこちなく「んなわけないよね」と言い聞かせ、しばらく固まっているが、やがて確認のため机を離れてドアへ向かう。

 「足音のような」効果音は、「足跡のようなシミ」と視聴者が勝手に結びつけるよう、それまで周到な伏線(何か霊的なものを感じているらしい母親のしぐさ、「鬼門」「仏壇の跡」、足跡のような黒いシミ)を張ったうえで誘導している作劇であり、必ずや幽霊の足音だと断定できるものではない。
 

 ショット21
 約6秒間のショット。画面構成は、ほぼ二分割で構成されている。半分は壁、もう半分はドアから身を乗り出す陽子。室内の照明は相変わらず薄暗く、ドアが開く際の軋む効果音は、家屋の年期とホラー映画のクリシェを同時に演出する。
 

 ショット22
約12秒の、陽子の主観ショット。陽子の感情を代弁する不安定な手持ちカメラは、ドアや画面奥のキッチン、幅の狭いフローリングの廊下に視線を移し、最後に床を注視。

 「それは、かかとで床を
 踏み鳴らす様な音に
 聞こえた」

 床の映像に被せる字幕の配置はまた、80年代以降のゴダールを参照した配置であり、情報を滞りなく伝達するのではなく、陽子の不安を表現するのだ(※54)。
 

 ショット23
 約13秒間のショット。画面構成はショット21と同じだが、ドアから身を乗り出した陽子は、主観ショットを引き継ぐアクションで四方をぎこちなく見回すと、なんら発見できず自室に戻る。だがショット21からショット23まで、トーン・クラスター風のシンセサイザーと、ウッドベースの不協和音がサウンドトラックとなり、年期のはいった家屋の質感と日照の悪い間取り、照明や効果音とあいまって「幽霊」の存在感を増していく。

 「恐怖の方程式」では、この作劇を「段取り」と呼んでいる。必要な情報を、効果的に提示していくには「段取り」が要る。この「段取り」の先行する成功例には、ジョン・カーペンター『遊星からの物体X』(1982年)がある。
 

 ショット24
 約5秒間のショット。黒バックに字幕。

 「それが始まりだった」。

 このショット、一聴すると無音に聴こえる。だがビデオを再生する際、ホワイトノイズのような「サァー」と形容できる音が聴きとれる。このショットでも、そのようなノイズが聴きとれるが、これもビデオ再生を活かした演出かもしれない。

 次のシーンでは遂に、古典となった「男の幽霊」の登場となるが、件のシーンはそれまでの作劇の「段取り」と演出があって初めて「幽霊」に見えるのだ。断片のみ抜き出しても、俳優の演技をふくめ、藪から棒に出現した不法侵入者に見えてしまいかねない。じつに際どい「幽霊」である。ここでは敢えて、有名なショット25からショット29に至る母親と幽霊の遭遇は省く。
 
 
 ショット30
 約3秒のショット。キッチンで夕飯の残り物であるカレーを処分する、母親の手つきを撮影したショットだ。

 この直前のショットでは、男の幽霊が消えている。このシーンが凄いのは、心霊現象に遭遇した母親は体験を胸にしまい込んだまま、黙って日常生活に戻っていることだ。ただし、残り物を処分する際に生じるスプーンと皿の擦れるカチカチという効果音が、母親の不安や恐怖、それを口に出来ない苛立ちを代弁する役割を担う。
 

 ショット31
 エピソード自体は約17分だが、このショットは異例の約49秒の長回しである。母親を正面から撮影したバストアップのショットを撮影する位置にカメラは置かれ、テレビの置かれたダイニングで寛ぐ父親と陽子(ボディ・ダブル)との台詞のやり取りと左右のパン移動を繰り返し、最後に再び心霊現象が起きる。
 
 では49秒間で、どのように鶴田法男は心霊現象を演出しているのか。
 
 
00:00:00~00:00:02
表情を抑えた母親を真正面から撮影したバストショット。
 
00:00:03~00:00:06
カメラは右へパン。背後では父親がくつろぎ、陽子(ボディ・ダブル)はテレビ放送されているディズニー・アニメを黙って観ている。
父親が「部長がね、市内に良いマンションがあるってんだ。もうちょっと早く言ってくれりゃよかったのにな」と、引っ越し先の話題に触れてしまう。
 
00:00:07~00:00:09
先の台詞が終わってすぐカメラは左へパン、母親のバストショットへ戻る。
 
00:00:10~00:00:12
母親は「そうなの」と不機嫌そうにつぶやく。
 
00:00:13~00:00:15
ここで右へパン移動。
 
00:00:15~00:00:30
父親「なんか、この家古いんだか、ネズミがいるみたいだな」
母親「(夫の言葉を苛立たしげに無視して)陽子、今日はもう二時間、テレビ観てるんじゃないの。宿題やった?」
母親の言葉を受けて陽子のボディ・ダブル(顔が映るのは一瞬だけなので、髪型やカメラとの距離のためそれとは気づかない)が黙って席を立ち、小走りで画面左に位置する、廊下の奥にある部屋に飛び込む様子をカメラは左へのパン移動で撮影する。
 
00:00:31~00:00:35
カメラは母親のバストショットの位置にアングルを戻す。母親が「後でデザート、取りに来なさいよ」と台詞を発した瞬間、
 
00:00:36~00:00:39
カメラは右へパン移動、本来の陽子役の少女が母親のとなりに居て」「えっ?」と台詞を言う。
 
 ここまで、左右にパン移動するカメラ、台詞のやりとり、キッチンの作業の効果音、テレビアニメのサウンドトラック、ダイニングの日常感と感情のすれ違う空気感が一体となり、視聴者は油断と混乱を同時に感じるよう誘導する。特に母親は、「陽子らしき存在」に背を向けているため、視聴者と異なり、心霊現象を視覚的に確認できない。
 

 ショット32
 約2秒のショット。陽子の存在を確認した母親は、驚愕の表情で振り向く。
 

 ショット33
 約3秒のショット。陽子の姿に扮した「幽霊」が走り去った廊下と、飛び込んだ部屋を撮影した無人ショット。
 
 ショット34
 約23秒のショット。本エピソードでは珍しく、昼光が照り付ける公園の歩道で、ひとりで自己紹介の練習を繰り返す陽子を撮影したもの。画面左の木々のざわめきや、歩道の形状を活かした曲線パースは、それまでの閉塞感と異なり、開放感を感じさせる。

 だが、「棟丘陽子(ムネオカヨウコ)です、はじめまして」と言っては一歩進み、ふたたび同じ台詞(ムネオカヨウコデス、ハジメマシテ)を繰り返す演技は、自己紹介の練習というより何かの儀式に興じているように観えなくもない。これは陽子を演じた少女がはじめて溌剌とした表情を見せるシーンなのだが、他者に向かわず、ひとりでいるときに限って見せている。それが快活さとは逆の印象をあたえることになる。このショットの途中に、「1991年9月1日」の字幕が画面右下に表示される。風の効果音はざわめく勢いを強めていき、入居するシーンのノイズと印象が重なり、不吉な影が差す。
 

 ショット35
 約3秒のショット。陽子の靴紐がほどけている。陽子の目線に設定したカメラから、足だけを撮ったパーツのショット。
 

 ショット36
 約17秒のショット。切り替わった瞬間、靴紐を結び直すために屈んだ陽子の背後には、画面から首が見切れた男がすでに立っている。首は見切れたまま男は陽子の背後に近づくが、気配を感じた陽子は直ぐに画面左へと飛びのく。陽子が飛びのくアクションにあわせてカメラは左へとパン移動するが、そのカメラのパン移動によって男の姿はフレームアウト。ふと陽子が顔をあげた瞬間にショットは切り替わり…。
 

 ショット37
 約5秒間のショット。ショット34と画面構成は同じだが、男の姿が消えている。陽子は黙ったまま周囲を見渡すが、画面には陽子ただひとり。風の効果音は強風のように強まった瞬間、ショット8とおなじ「ゴロン」という効果音が挿入され、次のショットでは母親が就寝前、家相の書籍を布団に寝転がって読むショットへの橋渡しをする役割を担う。

 ざわめく風と無表情で内面の伺えない少女の演出は、のちに黒沢清が、サイコサスペンスであるVシネマ『蛇の道』(1998年)と、テレビドラマ『降霊』(1999年)で引用することになる。
 

 ここまで『霊のうごめく家』の作劇と演出を分析してきた。以降では就寝中に夫婦に起きる心霊現象のシーン、陽子と母親がともに心霊現象の存在に合意するシーン(字幕では「1984年9月23日」と表示)、心霊現象に縁がないため理解を拒む父親(夫)に嫌気がさす母親(妻)などの軋轢を経て、最終的には霊能者を呼ぶまでの一連の描写が存在する。

 だが、それらの演出はホームドラマとして欠かせないが、その後のホラー演出に与えた影響については微妙なものがある。よって筆者の独断的な判断により、霊能者が到着して借家を去るラストの分析に移りたい。

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