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子どもとアートを巡る冒険/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?
【⑥】未来の鑑賞者を育てる場所。国立西洋美術館は確かにその機能と使命を持っていると思う。国立だし。 けれど、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」展の目的は、そこじゃなかったと確信する。 この企画展の受益者は存命アーティストや現代アートを解する人に相当に絞られていた。だったら集客ターゲットも絞って、もっとクローズドな場に振り切れば、もっと濃密な内容、もっと難解な言語で、もっと利益を最大化できたかもしれない。 けれどここは「美術振興のナショナルセンター」を
OMO的鑑賞と睡蓮/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?
【⑤】 オフラインでの体験をきっかけにオンラインで調べ、関心から愛好、購入、ファン化へとつながっていくプロセスは、オムニチャネルだのOMO(Online Merges with Offline)だのという名前で、近年重視されるマーケティング手法にも通じる。 その点で、草間彌生などごく限られた超有名作家以外は一般に知られているとは言い難い現代アーティストにかけては、「これは何だろう?作った人はどんな人だろう?」とハテナがたくさん浮かぶ現代アート展覧会は、その時点の集客では
やっとアンパンマンに会えたね/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?
【④】 それはたぶん、星川あさこの「手」だった。 手があったら、それが作り物でも触りたくなるのは自然だろう。 でもそれまで、何度か美術館に来たことがあって、何回も「触っちゃダメ」と私に、そして監視員に言われたことがあった長女は、ちゃんと事前に心得て、近付きはしても触ろうとはしなかった。でも監視員の小柄な女性は、やっぱり未然に言わなければいけなかったのだろう。ソロソロと作品に近づいた長女が下ろしていた手を出すより先に、「触らないでね」と声をかけた。 「分かっています!」 ト
現代アートの価値と挑戦/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は未来の鑑賞者たちを育てる部屋となり得ていたか?
【③】 現代アートが「分からない」を前提にしていることは公然の事実だ。分からないから知ろうとする。観たいと思う。買おうとする。 「買おうとする」にかけては、少なくとも市場においては「将来値上がりするという確実な期待」が、現代アートを価値づけする必須条件となるのだろう。裏返せば現代アートは投資対象という面を外すことができず、公共の美術館が取り扱うには相当の注意が必要だ。お墨付きを与えることになるから。国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」
肩車はダメです/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?
【②】 5月12日に閉幕した国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」。前回①と銘打っていたにも関わらず、②が遅くなったのは子供たちといちご狩りに行ったりしていたせいもあるが、やはりどこか重苦しさを感じていたからだろう。①でも述べたように、ただでさえ難解で、しかも子連れだったためにじっくり鑑賞・理解する余裕もなかった。だったら子連れで行かなければよかったじゃないか、そもそも現代アート
子連れ美術館/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?
【①】 東京・上野の国立西洋美術館で開催された「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」は、今日5月12日をもって閉幕する。同館初の現代アートの展覧会とあって注目を集めた本展に、未就学児の娘2人と、アートに少なからず関係を持つ研究者である夫と、家族4人で訪れたのはゴールデンウィークの土曜日だった。 一応、学芸員資格を持っている私は、報道機関の記者だった頃から美術館を渡り歩き、文化財の在り方を識者