きいぼ/子連れ記者

東大→報道機関→ビジネス系Webメディア。事件記者時代に荒んだ心をアートに癒された経験…

きいぼ/子連れ記者

東大→報道機関→ビジネス系Webメディア。事件記者時代に荒んだ心をアートに癒された経験から学芸員資格取得。奈良のカフェで出会った研究者の夫と2人娘育児に奮闘中。

マガジン

  • 記者の旅エッセイ

    大半はコドモと、ときどきハカセと。たまには1人で行きたいなあ…

  • 子どもの詩

    常識の枠を超えて気づきやホッコリや感動を与えてくれる子どもの言葉。時に残酷にもずるくもなり、一瞬で消え去るきらめきを、新聞の日曜版に載るようなイメージで書き留めたいと思います。

  • #キャリア #ワーキングマザー

    前の会社を辞めるとき「育児理由」と書くのが嫌だった。今は便利な言葉だと思っている。使えるものは使って、自分はどう生きたいんだろう。ときに子どもに手を引いてもらいながら、模索する日々。

  • #子連れ #アート

    イライラ、ハラハラ、全然楽しめない! 子連れアート鑑賞、それはまさに「いかに迷惑をかけないか」「いかに楽しめるか」の冒険の旅です。もう二度と子連れでなんて行くもんかー!!と思っても、振り返りの記事を書くことで(そしてスキしてもらえることで)、励まされます。

最近の記事

【コドモハカセと記者の旅】アヴィニョンのiセンターにトイレはない

【登場人物】 コドモ:長女4歳、次女1歳。渡仏のせいで保育園の運動会に出られず。 ハカセ:40代の建築史家。合理主義者。 私:30代の報道記者。転職しようか悩んでいる。 ※このエッセイは昨年9月、家族でフランスを旅した時の記録(記憶)です。当時の状況は、現在は変わっている可能性があります。 9月のアヴィニョン・サントル駅は、酷暑だった。 駅舎を出ると、日本とは違う明度を感じた。突き刺すような日差しを避けようと慌てて帽子をかぶるも、ガラスに映った「THE NORTH F

    • 【コドモハカセと記者の旅】フランス子連れ10日間の悪夢

      取るに足らない悲劇 こんにちは。フリーライター・記者のきいぼです。本稿は、これから公開する予定の旅行記のまえがきです。昨年9月、少し遅めの夏休み。コロナ禍が明けて初めての海外旅行で、家族とフランスを訪れました。 当初、私はこの旅の記憶を「悪夢」として、封じ込めようとしていました。あまりにも疲れたからです。 理由はたくさんあります。行きの飛行機や、静かな礼拝堂で鳴り響く幼児の悲鳴。1歳児を抱っこ紐にぶらさげて、石畳の坂や石の階段を登るのはつらすぎました。せっかくのフランス

      • にじいろのしまうまのたからもの

        先日、アンパンマンについて書いたが、子どもとアンパンマンを巡るエピソードは世界中に無数にあるはずだ。 30年前の私は、アニメのアンパンマンが始まる夕方の時間になっても迎えに来ない祖母にしびれを切らして、保育園を脱走した。徒歩数分の自宅に走って帰り、ガラッと引き戸を開けたとき、自営業の祖母が目を見開いたのを覚えている。そのあと怒られたのか、笑われたのか。今だったら園の防犯問題につながりそうだが、おおらかな時代だったろう。 まともに時計も読めなかったはずなのに、なぜ時間が分か

        • アンパンマンの…は◯◯なんだよ

          「アンパンマンはきみーさー 力のかぎーりー」 夕飯の洗い物をしながら口笛を吹いていると、アンパンマン大好きな娘たちが一緒に歌い出した。 そのときまで、2人の娘が話題にしていたのはうんちだった。幼児のご多分に漏れず、その類の言葉が大好きな彼女らの笑いは、自然と「アンパンマンのうんちになっちゃった。ぎゃはは」などと、意味不明かつ下品な方向に転がって行った。 ここでふと、ちょっと面白いことを思いついた気がした私は、泡だった手を止めて、言ってみた。 「アンパンマンのうんちって、アン

        【コドモハカセと記者の旅】アヴィニョンのiセンターにトイレはない

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        • 記者の旅エッセイ
          1本
        • 子どもの詩
          3本
        • #キャリア #ワーキングマザー
          1本
        • #子連れ #アート
          6本

        記事

          子どもの絵本

          雨のひみつ やあ、ぼくは雨だよ きょうは雨のひみつをおしえよう 雨は水からできてる かみなりさまがふらしている 水はこおすいとなんすいがあるんだよ だから日本の雨はなんすいの雨だよ だからフランスの雨はこおすいの雨。 みんな今日はたのしかった またあそぼうね。 こおすいの謎 娘は以前、フランスに旅行した時に飲んだ硬水が口に合わなかったことが、とても印象に残ったようです。 硬度の違いは、地形や地層による水の滞留時間の違いによるもので(※)雨の性質ではないとみられ

          子どもとアートを巡る冒険/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          【⑥】未来の鑑賞者を育てる場所。国立西洋美術館は確かにその機能と使命を持っていると思う。国立だし。 けれど、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」展の目的は、そこじゃなかったと確信する。 この企画展の受益者は存命アーティストや現代アートを解する人に相当に絞られていた。だったら集客ターゲットも絞って、もっとクローズドな場に振り切れば、もっと濃密な内容、もっと難解な言語で、もっと利益を最大化できたかもしれない。 けれどここは「美術振興のナショナルセンター」を

          子どもとアートを巡る冒険/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          OMO的鑑賞と睡蓮/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          【⑤】  オフラインでの体験をきっかけにオンラインで調べ、関心から愛好、購入、ファン化へとつながっていくプロセスは、オムニチャネルだのOMO(Online Merges with Offline)だのという名前で、近年重視されるマーケティング手法にも通じる。  その点で、草間彌生などごく限られた超有名作家以外は一般に知られているとは言い難い現代アーティストにかけては、「これは何だろう?作った人はどんな人だろう?」とハテナがたくさん浮かぶ現代アート展覧会は、その時点の集客では

          OMO的鑑賞と睡蓮/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          やっとアンパンマンに会えたね/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          【④】 それはたぶん、星川あさこの「手」だった。 手があったら、それが作り物でも触りたくなるのは自然だろう。 でもそれまで、何度か美術館に来たことがあって、何回も「触っちゃダメ」と私に、そして監視員に言われたことがあった長女は、ちゃんと事前に心得て、近付きはしても触ろうとはしなかった。でも監視員の小柄な女性は、やっぱり未然に言わなければいけなかったのだろう。ソロソロと作品に近づいた長女が下ろしていた手を出すより先に、「触らないでね」と声をかけた。 「分かっています!」 ト

          やっとアンパンマンに会えたね/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          現代アートの価値と挑戦/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は未来の鑑賞者たちを育てる部屋となり得ていたか?

          【③】 現代アートが「分からない」を前提にしていることは公然の事実だ。分からないから知ろうとする。観たいと思う。買おうとする。 「買おうとする」にかけては、少なくとも市場においては「将来値上がりするという確実な期待」が、現代アートを価値づけする必須条件となるのだろう。裏返せば現代アートは投資対象という面を外すことができず、公共の美術館が取り扱うには相当の注意が必要だ。お墨付きを与えることになるから。国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」

          現代アートの価値と挑戦/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は未来の鑑賞者たちを育てる部屋となり得ていたか?

          肩車はダメです/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          【②】  5月12日に閉幕した国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」。前回①と銘打っていたにも関わらず、②が遅くなったのは子供たちといちご狩りに行ったりしていたせいもあるが、やはりどこか重苦しさを感じていたからだろう。①でも述べたように、ただでさえ難解で、しかも子連れだったためにじっくり鑑賞・理解する余裕もなかった。だったら子連れで行かなければよかったじゃないか、そもそも現代アート

          肩車はダメです/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          子連れ美術館/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          【①】  東京・上野の国立西洋美術館で開催された「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」は、今日5月12日をもって閉幕する。同館初の現代アートの展覧会とあって注目を集めた本展に、未就学児の娘2人と、アートに少なからず関係を持つ研究者である夫と、家族4人で訪れたのはゴールデンウィークの土曜日だった。  一応、学芸員資格を持っている私は、報道機関の記者だった頃から美術館を渡り歩き、文化財の在り方を識者

          子連れ美術館/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

          何の期待もなかった母の日の朝いちばんにかけられた言葉

          そういえば母の日が近いらしいと、スーパーの母の日フェアを横目で見て何となく認知していたが、5月の第2日曜の今日であることは、特に意識していなかった。義母が存命の頃はアマゾンで買ったチョコを贈ったりしていたが、今はそれもない。夫は過去、母の日だからと特別なことをしてくれたことはなく、今回も特に言及のないまま、海外出張に出かけて行った。意識しなかったというより、期待しないようにしていた。 そんな今日の朝、少し早く起きてリビングで一人過ごしていると、5歳の長女が起きてきて、開口一

          何の期待もなかった母の日の朝いちばんにかけられた言葉