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やっとアンパンマンに会えたね/「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、未来の鑑賞者たちを育てる場となりえていたか?

【④】
それはたぶん、星川あさこの「手」だった。
手があったら、それが作り物でも触りたくなるのは自然だろう。
でもそれまで、何度か美術館に来たことがあって、何回も「触っちゃダメ」と私に、そして監視員に言われたことがあった長女は、ちゃんと事前に心得て、近付きはしても触ろうとはしなかった。でも監視員の小柄な女性は、やっぱり未然に言わなければいけなかったのだろう。ソロソロと作品に近づいた長女が下ろしていた手を出すより先に、「触らないでね」と声をかけた。

「分かっています!」

トゲのある声を出したのは私だった。

「失礼致しました」。彼女は丁寧に腰を曲げてくれた。

やりきれなさを感じていた。
悪いことをした訳でもない(触らないように気をつけていた)のに、大人に制されてしまう長女。
職務上、制さなければならない監視員さん。
未就学児を連れてきてしまったのはやはりダメだったろうか。5歳児も抱っこしなければならなかったろうか。ファミリー限定鑑賞日にでも来るべきだった?

その「手」は、ここ国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展で、長女がその日、初めて関心を示した作品だった。パープルームは、既存の権威的で画一的な美術教育にアンチテーゼを突き付けるアーティストコミュニティー。床も壁も天井もアヴァンギャルドでカオスだ。でも、やはり不可触の聖域だった。子どもには、美術館は何もしなくても大人に怒られてしまう場所なのか。

いつしか鑑賞は、「子どもが楽しめる展示」を探す旅になっていた。

そして出会ったのが「反─ 幕間劇 ─ 上野公園、この矛盾に充ちた場所: 上野から山谷へ、山谷から上野へ」
弓指寛治の、幕間と呼ぶには膨大な絵画とオブジェの作品群だった。

告白すると、これらの作品はきっと上野のホームレスのおじさんが、不遇だった人生の最後を老人ホームあたりで過ごしながら、最後の生気を絞り出すようにして描きまくり、作りまくったのだと想像した。

上野の裏の現実を長く見てきた人だから描ける内容だったし、筆致は素人くさい丁寧な輪郭線で、べったりとした色彩と、気取らない人間の表情に溢れていた。

そして子どもたちがやっと出会えた、なじみのある顔。
アンパンマン、ドラえもん、コナンくん。ピカチュウ?ウルトラマン?
ゆがんでいて、触れなくても素材の紙とセロハンテープの感触が伝わってきた。人形とも呼べないような人形たち。ほら、こっちにもアンパンマンがいるよ。変な顔だね。夢中で指さして、はしゃいだ。「ゆみさし、かんじ」という人は、きっとこの世にはいない素人作家なのだろうと思った。

完全に先入観だった。
弓指は1986年生まれ、私とほぼ同い年の作家だ。HPを見れば、同じ筆致の絵がそれなりの値段を付けて、そしてしっかりと信念と主張を見せる形で売られている。もちろん存命。ただ、実母の自死を機に人生観、そして亡き者への視点の転換があったと告白されている。私は描いた弓指こそ死んでいる作家だと思ったが、描かれた人たちが、実はそうだったのかもしれない。

上野のホームレスが権威によって「清掃」されたことは、柳美里の「JR上野駅公園口」などで海外にも知られている。日本のミュージアム文化の殿堂である上野恩賜公園の林道は、かつてそこに暮らしていた人々を排除して、近くの東京藝大の卒業生らによるオブジェが飾られている。

ホームレスは完全にいなくなったわけでなく、おそらく時々、見かけている。おそらくと言ったのは、視野に入ったとしてもほぼ無意識的に記憶から排除してしまうからだ。見て見ぬふりというよりも、見ましたよ、知っていますよ、でもそれが何か、という感じだ。
弓指はきっと見て、知ろうとして、柳美里とは違う表現方法で記録した。人々が視線を合わせようとしない社会のひずみ。そこを描くのも現代アーティストの仕事なのだとしたら、西洋美術館の本展でこの作品群は必然だったろう。

おかげで、もはや閉じようとしていたまぶたを押し上げられた気がした。子どもたちも少し元気を取り戻した。アンパンマンは、退屈な鑑賞者たちの心に勇気をともしてくれた。ありがとう、と自然と心が弓指に向いていた。その時は、しわだらけのおじいちゃんを思い浮かべていたわけだけれど。

そろそろクライマックス。⑤へ続きたい。

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