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【コドモハカセと記者の旅】フランス子連れ10日間の悪夢

取るに足らない悲劇

こんにちは。フリーライター・記者のきいぼです。
本稿は、これから公開する予定の旅行記のまえがきです。
昨年9月、少し遅めの夏休み。
コロナ禍が明けて初めての海外旅行で、家族とフランスを訪れました。

当初、私はこの旅の記憶を「悪夢」として、封じ込めようとしていました。あまりにも疲れたからです。

理由はたくさんあります。
行きの飛行機や、静かな礼拝堂で鳴り響く幼児の悲鳴。
1歳児を抱っこ紐にぶらさげて、石畳の坂や階段を登るのはつらかった。
せっかくのフランスなのに、思い切り楽しめない。
10日間の旅の間中、ドス黒い不満が胸に渦巻いていました。

ここまで読まれて、すでに憤慨された方もいるでしょう。
もっともです。家族4人でフランスに旅行できる。
それがどんなに幸運か、分かってはいるのです。

ただ、「不満」という足かせをひきずって歩いたフランスは、
独身時代に「自由」という翼を付けて闊歩したフランスとは、
見える世界があまりにも違っていました。

“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.”
「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」
Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)

YAHOO!ニュース2023/9/13鈴木隆矢【人生に悩んでいる人へ。】

まさにこれでした…と言いたいところですが、
チャップリンが描いた「悲劇」と同列に語ることは、さすがにできません。
公共の場で騒ぐ娘たち。街中での夫とのケンカ。
後者は「喜劇」にはなったかもしれませんね。
いずれにしろ、社会的には「取るに足らない」ことです。


ただ、私は少し主張したいのです。
取るに足らなく見えても、心中は紛れもなく「悲劇」が起こっていること。誰にでもあり得ますよね。
そしてそれは往々にして、表に出てきません。

親が子への不満や憎悪を抱くことは、許されざることと考えがちです。
その結果、一人でストレスを抱え込み、虐待という外形的な悲劇が起こって
初めて、外部に認識されます。

虐待への境界は、日常のすぐ近くにある。
そのことを育児実務を担うことが多い母親は知っています。
だから行政機関による育児支援や、産後ママケア、育児の悩み相談窓口
といった取り組みが強化されています。

私はこの旅で、罪もない我が子に猛烈にネガティブな感情を抱きました。

その感情は表に出さないように努めるのが、常識だと思います。
あるいは相談窓口でこっそり吐き出してもいいでしょう。
一方で、近年はさまざまなシーンで育児、特に母親であることの困難さに
焦点が当たってきたように思います。
たとえば2022年に翻訳刊行された「母親になって後悔してる」
<新潮社、オルナ・ドーナト(著)鹿田昌美(翻訳)>
タイトルを見た時「こんなこと言っていいの!?」と驚いたものです。

画像引用:amazon

ネガティブな感情の表出には、批判や課題があるでしょう。

ただ、批判や、傷つけることを恐れるあまりに沈黙するなら、
ようやく表出されてきた問題を、また埋没させてしまうかもしれません。
潮流と呼べるかは分かりませんが、
「母親になって〜」のような動きに背中を押されて、
私も自身のネガティブな感情に向き合い、できるだけ正直に
言語化してみたいと思いました。

つまり私は今回の旅行記を、楽しかった観光や食事の記憶だけでなく、
育児ストレスの方を主軸として描きたいのです。
誰かに「自分だけじゃないんだ」「苦しいと言ってもいいんだ」と
思ってもらえて、少しでも癒しや参考にしてもらえたらと願います。


リベンジ

旅行記を書こうと決意したのは、シャルル・ド・ゴール空港で帰国便に乗るために移動していた最中でした。
大荷物と次女を抱き抱えて必死で歩き、この旅で何度目かの、
ストレスのピークを迎えていました。

帰国直後は先述したように、しばらくは思い出したくもなかった(転職時期に重なってそれどころではなかった)のですが、
「せっかくお金と時間をかけてフランスまで行ったのに、悪夢で終わらせたくない」というコスパ的動機や、
先述したような育児ストレスを巡る問題意識もあって、少しずつ、旅の振り返りを始めました。

現地で買ったチケットを整理したり、ゆかりの文学作品を読んだり。
ちゃんと見られなかった建物やアートについて調べたり。

自分が見たものは何だったのか。食べたもの、あの匂い、あの道。
感じたことは何だったのか。

情報をつなげていくと、気づけば旅とは無関係の考察になってしまうことも多々ありました。寄り道しながらも体験を再構築した結果、
いつしか「悪夢」は「最高の家族旅行」として、
捉え直すことができるようになりました。


このことは、子どもとのアート鑑賞について書いたマガジン「わたしたちはアートの冒険の旅にでます」で触れた「OMO的美術鑑賞」と似ています。

子連れのために十分に楽しめなかったリアル体験を、
後からオンラインなどで調べたり意義付けし直したりすることで、
ポジティブなものとして追体験できるのです。

体験価値をマイナスから最大化するためのコツとして
ご提案したいです。

この旅行記は、ある公募でちょっといいところまでいって、
あえなく受賞を逃した作品が原案になっています。
改めて応募原稿を読み返すと、選ばれなくて当然でした。
独りよがりな恨み節ばかり。登場する家族や読者への配慮も欠けていて、
誰のメリットにもならない内容でした。
ただ、書きたいという熱と育児ストレスを巡る問題意識だけは、ムンムン湧き上がっていました。

noteなら、思いがちょっと先走り気味でも、
広い心で読んでくださる方がいるかもしれない。
ひょっとして誰かのお役に立てるかもしれない。

原案をリライトしながら順次、掲載していきたいと思います。
お見守りいただけると幸いです。


登場人物

登場するのは私と夫、未就学児の娘2人です。

夫は建築史の専門家です。海外慣れしており、家族を終始リードしてくれますが、緻密な合理主義者。私は当時はまだ報道記者で、ずぼらかつ情動的。
性格の違いから意見対立することも多いです。

次女は抱っこ魔人。
今回の旅で「最恐の敵」となって、私の胸にぶら下がります。
長女は幼いながら、終始、健気に支えてくれる勇者でした。

訪れたのは、
アヴィニョン、アルル、ニーム、オランジュ、ポン・デュ・ガール、リヨン、ペルージュ、ヴェルサイユ、サヴォワ邸、パリ。
それぞれに固有の歴史や風土、食、文化、街並みを持った場所です。

娘を制御するのに必死だった私は、魅力を十分に堪能できませんでした。
残った記憶も印象もあいまいで、限られています。

だから夫の知識やネット、書籍の情報、作家の言葉や作品を借りて、
体験を拡張したいと思います。

次回から本編を掲載します。
ここまでお読みくださった方、心からありがとうございました。



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