「喫煙は百害あって一利なし」って簡単に言うな②
前回から引き続き、煙草のお話です。
前回までのあらすじ:
コールセンターのクレーム専任チームでSVやってる私は何より紙煙草が好きで、休憩時間に煙草を吸いながら周りとの談笑を楽しみ、休みの日は必ず喫茶店に向かいモーニングしばきつつバッコバッコ煙草を吸うという至高の時間を送ることを生きがいにしていました。
が、1年前にコロナに感染して、高熱と咳が出て眠れず、翌日に向かった病院で医者から「禁煙しないと咳残りますよ。下手すれば喘息的な発作が数日おきに起こる」とまで言われ、泣く泣く15年のお付き合いだった煙草を手放すことにしました。
...さて、禁煙しないとおちおち夜も眠れんくなると考えた私は、お医者さんに「わかりました。もう吸いません」と伝えました。その帰り道、煙草とライターを捨てました。
下手をすれば、喫煙は私の命に関わるのです。ならば、一生吸うつもりはありません。一生吸わないものを手元に置いておくのは無意味です。なので、捨てたのです。
そして、捨てた瞬間こう思ったのです。
「ミスった」と。
覚えている範囲で、当時の心の中の葛藤を書きます。
「よく考えたら…コロナで自宅療養してる間は禁煙できるかもしれんけど、仕事戻ったら100%無理。あんなストレスフルな職場、煙草なしじゃ絶対無理。クレーム捕まったときとか何考えてた?」
「終わったら絶対煙草吸うって考えてた。」
「そこまで依存してるのに、それ、なくなるのって想像できるの?」
「...」
「だから、仕事復帰したら絶対、吸う。」
「...」
「そもそも、症状落ち着いたら吸っても大丈夫じゃね?コロナ菌と煙草が連鎖反応起こして咳が止まらんくなっただけで、コロナ菌が死滅したら問題なくね?」
「よく良く考えたらそうだわ。」
「…」
「うわー。捨てちゃった…勿体ない。まぁ、また買えばええわ」
「禁煙しよう。一時的にな…」
…1日目~2日目
コロナの熱も若干残っており、とにかく、寝る。
こんな状況でも、起きている間は数時間に1回のペースで「煙草吸いたい」という衝動に駆られる。
3日目〜7日目
体調が回復した。しかしその分「煙草吸いたい」という衝動も増える。だいたい、1時間に1回。しかし「まだコロナ菌残ってるでしょうがぁ!」と自分に必死に言い聞かせ、我慢する。
吸いたい欲だが、深呼吸すればある程度緩和できることに気づく。
8日目
コロナ菌は死滅したと完全に信じきっているし、会社から見舞品として雑炊、ポカリ、コーヒー粉と煙草が届く。…彼らは、わかっている。
火をつける。1口吸う。懐かしいにおいと感覚、背徳感。最高。
コーヒーを飲む。この組み合わせ見つけた人は天才だと思う。最高。
もう2口吸う。数秒後、強烈な眩暈と吐き気を催す。頭皮と顔の毛穴という毛穴が開き、汗が噴き出したような感覚を覚える。立っていられなくなり、ベッドに横たわる。天井がグラグラ回っている。マジ、吐きそう…
この日、体が煙草を受け付けなくなっていることを知った。
9日目
とはいえ、もう絶対に吸わないと誓った…わけではない。ニコチン/タールの少ない煙草に変えればいいじゃん、と考えた。
しかし、昨日の強烈なヤニクラを思い出し「これ、本当に吸ってて大丈夫なんか?あそこまでなるって、毒じゃん。それを摂取し続けるんよ?死ぬぞ」的な考えも生まれる。
結局、この日は1日中ネット記事と書籍を読んだ。工夫までして喫煙を再開すべきか?それほどのものなのか?ということに対する明確な回答を探す。結果、以下のことを知る。
煙草がうまいと感じる理由:
ニコチンとタールを摂取すると、脳はドーパミン(快楽や多幸感をもたらす物質)を放出させるため。つまり、何の労力をかけずとも、我々は快楽を味わえ、幸せになれるわけである。
ドーパミンの副作用:
非喫煙者よりも幸福を感じにくくなる。
喫煙者は喫煙によりドーパミンを出す。が、非喫煙者も日常的にドーパミンを出す。信頼できる仲間との会話、仕事のノルマなど、何かを達成したとき、映画を観て感動したとき、うまいものを食べたとき、季節の移ろいを肌やにおいで感じたときなど、喫煙せずとも、日常生活の至る所でドーパミンは放出される。
喫煙者も、煙草に出会う前はそうだったが、煙草を吸い始めてから、徐々にこの感覚が乏しくなる。この感覚を煙草に奪われるといってもいい。
つまり、喫煙量が増え、期間が長くなればなるほど、煙草を吸うときのみドーパミンが放出されるようになり、喫煙以外のことで放出されることは少なくなる。
煙草を吸えば太く短く生きられるとする主張:
「人間生きていれば必ず認知症になる。80を超えるとそのリスクは急激に高まる。だから、長生きしたくない。だから好きなように生きる。吸いたいものは吸う」と考える者もいるが(=私)、誤りだ。ある日、心筋梗塞や脳梗塞が起こってポックリ死ねると思わないでほしい。現代医療の発展を侮ってはいけない。7~8割助かるから。で、半身不随など、ある意味認知症よりも重い後遺症が残ったまま、生活していくことになるのだ。
喫煙でストレスは軽減できるか?:
一時的に軽減できるが、長期的に見れば、かえってストレス増。ニコチンは喫煙後30分でほぼ体内から消滅する。このため、吸いたい欲が起こり、吸えないとなると、ストレスを感じ始める。このストレスの方が程度が大きいとする論文も存在する。
禁煙するために有効な方法:
運動。特にジョギングを勧める。ドーパミンが放出されるから。
…特に「感性が麻痺する」といわんばかりの記事が衝撃的だったし、しばらく辞めることにする。
10日目~職場復帰まで
衝動は定期的にやってくる。
そのたび、軽いストレッチと、外出可能になってからはジョギングを行う。
職場復帰後(21日目~)
ジョギングの甲斐あってか、吸いたい衝動が起こる頻度はだいぶ減ったし、程度も落ちた。
ただ、強烈な虚無感を感じる。何をやっても面白くない。おそらくこれが、ドーパミンの副作用か。
相変わらずハードクレームや緊張感ある仕事が終わったあとに「あぁ、吸いてえ」と思う。コーヒーだけでは物足りない。
休日は喫茶店(禁煙店)に行き、そのたびに「うぉお、やっぱ吸いてぇ」と思う。
全部夜まで持ち越し、ジョギングで放出。
60日目~
吸いたい衝動はほぼ起きない。相変わらずコーヒーは嗜む。が、もう物足りなさは感じない。
仕事中、喫煙していた当時よりも、心理的にだいぶ安定していることに気づく。明らかに業務効率は上がっているし、嫌なことを家に持ち帰ることも減った。
以前は、ひとつの作業を行っていたらなぜか集中力が切れて、気づけば別のことを考えていたり、失敗すると強烈な不安に襲われ、原因と今後の立ち振る舞いがわかったあとですらも、強い自己嫌悪が続いた。
周りからも、憑き物が取れたような気がする、今はだいぶ落ち着いたといわれるようになる。
…以上、私の禁煙記録はだいたいこんな感じです。
禁煙、最高かよ…
って思うかもしれませんが、実は未だに、未練もあります。
喫煙者だったころに立ち寄った喫茶店の朝の空気感、これがもう味わえないと考えると、強い虚無感を覚えます。説明になってないんですけど、あの感覚は、煙草がなけりゃ味わえないものなんです。あれは、今でも良い思い出だと思うし、誰に何と言われようと、それは幻想とか錯覚とか言われようと、違うんですよ。仕事で失敗を繰り返していた当時の自分を励ましてくれた場所だったんです。
懐かしむということは、喫煙できる喫茶店のような、至高の場所、寄りかかれる場所を、私は未だ見つけられてないのでしょう。
結局、辞めてみて初めて気づくこともあるし、私みたいに精神的な安定を感じるかどうかは、辞めてみないとわかんないです。半年辞めてまた喫煙し始めた人だってザラにいますし。
ほんとおこがましいんですけど、やばいのは、禁煙するって目的に縛られて、本来の目的を忘れることだと思うんですよ。要は、より良い状況に自分を持っていくために禁煙するのであって、その手段として禁煙するってことだと思うんですね。手段の目的化とか、ビジネス本に出てきそうですね。これでは本末転倒です。
禁煙がハマる人と、そうでない人がいますよ。
私の場合、色々情報を知って、仕事での経験も通してようやく、喫煙したときのメリットとデメリットがわかるようになりました。一長一短ですが、禁煙した方がまぁ、より良いかなぁと思って辞めているわけです。禁煙して何カ月か経ったあとでも心理的に不安定だとか、デメリットしか思いつかないのなら、それはもうそういうことなのかもしれません。ちゃんと調べて、実践しましょうってことです。
まぁ、でも、結局煙草を片手に入り浸っていた、当時の喫茶店の空気感が懐かしいから、喪失感も感じるから、禁煙のすすめなるものを喧伝している人見たら、何もしらんくせにみたいな気になって、タイトルみたいなことを思ったりするんですけどね。
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