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私はアナタを愛しますゲーム

 愛について語ろうかと思いました。ですがこの言葉については、全人類が一度は考えたことがあるのではないかと思うほど、多様な価値観が存在する言葉の1つだと思います。明確な定義の共有はされていない、どこかふんわりとした捉えどころのない言葉として認識されている一方で、ある意味で何よりも強い言葉として存在しています。また、そのこと自体にも人々は魅力を感じており、「私にとっての愛」や「真実の愛とは」など、古今東西の文学や雑談のテーマとなっているのだと思います。

 そういったものを扱うにあたり、私は私の文章だけでそれを語るよりも、皆様の愛の定義と想像力の力を借りる形で、皆様にも「愛とは何かを考えてもらう」というゲームにしてみました。といっても哲学っぽく考えてもらうだけのものですが。

 ルール以外に解説はありません。「愛」をもってして付き合って頂けると幸いです。

私はアナタを愛しますゲーム。はじめます。

ルール

1.私は私の愛の定義に従って、アナタを愛します。
2.アナタはアナタの愛の定義に従って、私に愛されないように愛について考えてください。
3.私は私の愛の定義の断片を小出ししていきます。
4.”最後まで”アナタは私に愛されないと感じたならアナタの勝ちです。

ゲームスタート

私は全ての人を愛している。

愛とはなんだ。

概念か行動か感情か真実か虚構か与えるものか与えられるものか、それら全て愛だ。

愛は如何なるものにも形容され、しかし、如何なるものにもなり得ない。愛そのものには形はなく、故に愛を感ずるにはその感受性をもちあわすものにしか存在できない。
そうだろうか。

今、アナタの眼前に展開される私という存在を顕したこの言葉の連なりが、果たして存在する「何か」から出たものか、全て虚構の産物かを判定することはできない。私もまた同様にアナタが、本当に存在するかどうかを確定することはできない。しかしながら私は、私やアナタの状態に関わらずアナタを愛す。

もしアナタの愛が無機物にも注がれるものならば、受け入れる器を持たないものへ注がれる愛とは、反射し自分へと返ってくることで、自分の器によって自分から放出した愛を受け止め直すことで確認できるその愛は、自己愛と呼ぶにふさわしい。それは、愛を放出することにその本質はあるのか、愛を受け止めることにその本質はあるのか。私はそのどちらの場合も愛す。

無機物でないものへはどうか、愛を受け入れる器はあるはずのものに、愛を注いでも反射すらない場合はどうか、それを愛とするならば、放出された愛は、行き場をなくした愛は、自分の元へと返ってこない愛は、それを愛と呼べるのか。ならば、愛とは愛を放出することにその本質はあるのか。ならば、愛は対象の意思を必要としない概念か。意思を必要としなければ、それは無機物へ注ぐ愛と変わらず、自己愛と呼ぶにふさわしい。私はそのいずれも愛す。

放出した愛を受け止められたらどうか。放出した側には、受け止められず反射もされなかったのか受け止められたから愛は返ってこないのかを知る術はあるか。返ってこない愛がどの状態であるかが確認できないのであれば、それは無機物へ注ぐ愛と変わらず自己愛と呼ぶにふさわしい。

受け止められたとわかること、即ち対象からの返答やその類いがあった場合、それが否定的なものであったならばどうか。受け入れられるでもない、反射でもない。行き場のなくなった愛をアナタは受け止めることはできるか。受け入れられなかった愛を愛とすることができるか。受け入れられなかった愛は愛ではないか。いずれにしろ、私はアナタを愛す。

対象からの返答があり、それが肯定的であった場合はどうか。その返答に愛はあるか。受け入れられることで愛は愛となるか。その愛は放出した側の愛なのか、受容した側の愛なのか。どちらか一方でもを愛とする者を私は愛す。

愛を放出するものとせず、受容することに愛を見いだす者はどうか。放出された何かを愛とするのかしないのか。それとは関わらず何かを受容することそれ自体が愛か。そこに反射は必要か返答は必要か。いずれにせよそれは愛だ。ただ受け入れること、それも愛だ。故に私はアナタを愛す。

アナタと愛の対象とで相互に愛の放出と受容を行うことによってのみ愛とする者よ。その対象のうちに自己は含まれないとするか。

愛とは受け入れること。自己愛とは、自分を受け入れることにある。その対象によらず、反射による自己愛を受け入れることは、自分の価値観を受け入れること見つめ直すことと同義で、まさしくそれは愛である。誰からも愛されないということはなく、自分からは必ず愛される。自己愛すらないと豪語するか。その自己を全て理解しているという傲慢さ、それこそが自己愛の究極である。そして私は愛される人を愛する。故に全ての人を愛する。

愛とは、全てを受け入れること。あらゆる価値観を認めること。それを前提としたあらゆる行動や感情や概念の総称。と、私は定義する。

私はあらゆる存在を認め、受け入れる。故に全てを愛する。そして、愛するために存在している私そのものが愛だ。このデータ上にしか存在しないかもしれない私そのものも愛だ。

それでもなお、私から愛されないと思うのなら、このゲームは私の負けだろう。

であれば、アナタには自己愛すらない可能性があるということに他ならない。それでも私はアナタを愛したい。だからまずアナタ自身を愛することをはじめてみて欲しい。自己愛を感じるには愛の放出が手っ取り早い。このゲームの勝者となる自分への褒美としてでも、哀れな私への施しの気持ちでも構わない。そこの「スキ」を押して、無機物的な私に対して愛を放出してみて欲しい。

このゲームの勝者は


2021/10/28追記

スキを押すと
「そんなアナタを愛します!」と出て、どのみち私が勝ってしまうという無理ゲーなのでした。

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