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第1章「人生の転機になったいくつかの話」#11そして今、私はそんなことを考えながら、中国人経営の寿司屋でサラダを盛っている

「新しい環境は無意識にに人を萎縮させ、
元ある心地よい場所に人を引き戻そうとする。
この壁を越えなければ、その先は見えない。」

2011年12月
カナダ・トロント
そして、この時の私は、山の先を何も見ることができなかった。
逃げた。引きこもった。自国の匂いがする場所を自分で探し、そこに居座った。

新しい世界をみつけて、そこに無限の可能性を感じて行ったはずなのに、日本でできることばかりしてしまった。
遠回りの道を歩む私の人生としては、学ぶ過程だったのかもしれない。
もちろん、英語は話せない。

バンクーバーに短期留学してから半年間必死にお金を貯めてワーキングホリデー で帰ってきた。
大学4年生を休学してきた秋のこと。

語学学校を2カ月通って卒業した後、仕事探しに明け暮れた。
と、言っても、手探りで緊張してボロボロの日々。
もちろん、スタバの注文レベルの英語力。ローカルの仕事は難しい。

そんな中私がみつけたのは、中国人経営の寿司屋だった。
片言の日本語を話すことができ、開店と同時に出勤してくる、日本ではあり得ない経営体制。
しかしながら、それでもお店は回る。ユルいなと思いつつ、それで経営が成り立つのはすごい。
平気で嘘をついていた。中国人なのに、日本人だと言っていた。
でも、現地の人は気にしない。
へー!これがリアルジャパニーズフードか!
いろいろ思うところはあったが、私はのちにこのお店のオーナーに感動する。

総評すると、私の従業員としての働きは、最悪だった。
英語もろくに話せないくせに偉そうですぐ休みたがった。
機械も壊しそうになった。

機械を壊しそうになった、というか落とした時、
正直その時は反省して、素直に謝った。
何事もなかったかのように、まかないを食べなさいと言ってくれた。

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5年後、私は再び南米横断の旅の帰りにカナダにきて、このお店に立ち寄ることになる。
緊張した。絶対覚えてないと思った。
5年前のたった3ヶ月。
ドアを開けた。

「アレ・・・・ミタコトアルヨ!ハタライテタヨネ!
名前オボエテナイケド!!ゲンキ???」

驚いた。
自ら自分の素性を説明しようと思ってた。
名前はどうでもいい、一目見ただけで覚えてくれていた、というコトに感動した。
たくさんおまけしてくれた。
正直、給料は高くないこのお店に、たくさんの日本人が長期で働き、ジョンさんを慕っていた。
人柄って大事だな。

22歳の時の私は、学生という心地よい空間に浸っていたんだな。
年金もない、
背負うものもない、
自由な世界。
何をしても許されると、思っていたのだろう。
そして、自分の固定観念が正しいと意味もなく思っていたのだろう。

私の周りにいた人は、本当に大人だったのだな。
今振り返れば、カナダで出会った日本人のお姉さんたちは言っていた



やりたいようにやればいいんちゃう?



今、私がその人たちの年齢になって、同じことを言っている。
こういうことだったんだな。
そうなんですよね、でもー、と言い訳ばかりしていたあの頃。
年月を重ねないとわからないことは沢山ある。
そして今でも、連絡を取り合えるご縁の強さ。

半年間いて、結局旅行英会話レベルで終わってしまったこの時の私。
最後は家でずっとアメトークを見ていた思い出がある。
友達とも会っていたが、ほとんど日本人。
日本全国に友達ができた。一つの収穫。
地元にいたら絶対に出会わなかった方々。

出会った皆様に感謝。

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