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「誰かのために」がキラキラしすぎて見れない

「人生は自分のものだ」

その言葉が嫌いだった。
とても自己中心的な感じがしたし、会社経営を自分のためだけにしているように感じていた。
誰かの幸せよりも自分が幸せになる選択が最善だと思えなかったし、世界のどこかで誰かが泣いて、苦しんで生まれてくるプロダクトを「自分が幸せだから」と使っている盲目性にも嫌気がさしていた。

だから僕はいつも「誰かのために」と言葉を吐いていた。

「嘘つき」

そんな中約一年前にBoomingというアクセラレーションに合格し参加した。
それなりに事業もやってきたし自分のビジョンはしっかりと磨かれていると信じていた。
「職人のために」
「世界のファッション業界のために」
「業界の先輩たちのために」

いろんな大義を持ちながら会社を運営してきた。
プレゼンテーションで1位を獲得し調子にも乗っていた。
そんな時i-plugの中野社長(のちに大恩人になる)に「谷君は嘘つきだね」と言われた。

自分は今の「日本の縫製業を次世代につなぐ」というビジョンを作るまでに半年以上の時間をかけて自分の心を整理し、メンターに壁打ちしながらこの言葉を作ってきた。
嘘偽りなんて何もないと思っていた。

それが会って初日の人に「嘘つき」なんて言われ反論しながら泣いた。
冗談ではなくガチで号泣した。

それくらいに悔しくて、自分は職人のために生きているのだ。
と思っていた。

「不安」

会社経営をする中で日々目まぐるしく状況が変わる。
「景気に左右されていては社長がいる意味ないもんね」と言われるように、
どんな状況でも乗りこなす必要がある。

まだまだ未熟な僕は日々失敗をしながらもなんとか前に進んでいった。
でももちろん日々馬鹿でかい不安を抱えている。
会社が潰れれば家も、車も、仕事も、収入も全て失うことになる。
大切な娘たちの習い事も、幼稚園も行けなくなってしまうかもしれない。
自分のプライドもある。
それなりに目立ちながら運営してきたから「あいつ失敗した」と笑われるかもしれない。

関係のない人からは「全て失ってもやり直せる」なんて言葉も聞くわけだが、社内の誰よりも臨場感を持って6年半会社経営をしてきた。
そのリアリティを日々感じながら生きてきた。
毎日不安で眠れないようなことはなくても、ズーンと重くどす黒い不安がずっと胸の中にある。
それは今でもそうだ。

そんな生活を続けていて、うまくいっている時はまだいいのだけれど、うまくいかないことが続いたりその不安の足音が聞こえるようになってきたりするとどんどんと深い闇に堕ちていくような感覚になっていく。

その時に心に考えるのは「職人のために」「日本の縫製業のために」という言葉だった。
苦しいながらも頑張ってくれている職人さんや、その家族、自分が成功するイメージをしっかり持ちながら生きてきた。

ビジョンを持つことは人を強くする。
キラキラと輝くビジョンを見ながら僕はなんとか踏ん張っていた。


「スランプ」

そんな日々を過ごしている中で実は今年の夏が始まった頃から大きなスランプに陥っている感覚があった。
もちろん事業は成長しているし、前向きにいろんなことが進んでいる。
メンバーの数も増えながらしっかりと着実に基盤を整えていった。

一時期途切れていたメディアの取材も増えてきて、一見調子の良いように見えていた。
しかしスランプだった。
常に無気力さを感じたり、思考がどんよりとしていた。

その原因は「組織の拡大」とか「今までと業務が変わってきたから」とか、
それらの複合的な理由によるものだと思っていた。


「役割が変われば責任も変わる、少しとまでっているだけだよ」

相談した友人にはそんなことも言われたし、自分でもそうなのかな?
と思っていた。

しかし実は原因はもっと根深いところにあったのだ。

「人生は自分のものだ」

そんな思いを持ったまま僕が所属する経営団体のメンバーと高知県にリトリートに行った。
Once in a life time experience-人生で一度きりの経験を-

そんな合言葉を胸にスマホをオフにしながら真剣に語り合ったり、
人生で絶対やらないと思っていた早朝サーフィンを経験したり、船酔いが酷すぎてやりたくなかった船釣りをやったりといろんな経験をした。

そのリトリートの中であるメンバーがこんなことを呟いた。
「誰かに人生のハンドルを握らせるのはいやだ」

普段からよく聞くようなセリフであったし、普段なら聞き流すような言葉であったが、疲れていたこともあり素直にそれを飲み込んだ。

自分は誰かに人生のハンドルを握らせているのだろうか?

僕は職人のために生きると決めているし、この業界のために生きていこうと決めている。
自分で人生を決めている。
僕がもし失敗したとしても職人を幸せにするために。。。。

その時にふと考えてみた。
僕は職人のために、業界のためにと言っているが、それが僕にとっての幸せなのだろうか?
もちろん幸せだ。
ではどんな時に最も幸せを感じるのだろう。

それは「僕が正しいと思うことを行動し、認められ、職人が幸せになる」という瞬間だと思えてきた。

だとすると「職人を幸せにするため」に頑張っているのではなく、「自分が幸せになるために」頑張っているのだ。

そう思った瞬間に頭の中のモヤモヤが晴れてきた感覚があった。

僕は僕の人生の主導権を無意識のうちに誰かに握らせていたのだ。


「誰かのために」は「誰かのせい」

人間はそんなに強くないし、綺麗じゃない。
もちろんそういう人もいるかもしれないが僕はそうじゃない。
そうあろうと考えるが、今はまだそんなふうには思えない。

かっこいい車も乗りたいし、もっとキャーキャー言われたい。
実力があることを証明したいし、もっと家族を幸せにしたい。

そんな人並みの欲があるにも関わらず「職人のために」と口にしていたのだ、
もちろんその気持ちは嘘じゃない、この業界をなんとか良い方向に変えていきたいと心の底から思っている。

だけど、それは職人のためではなく、職人に喜んでもらえた結果「自分が嬉しいから」なのだ。

スランプの中身は「他人のために動くことに疲れた」ことであった。
今やっている仕事は業界のために頑張っている「自分のため」の仕事だった、その正体を理解した時頭の中にBoomingで中野さんに言われた「嘘つき」の意味がわかってきた。

そこに気がつくのに1年かかってしまった。時間はかかってしまったが本当に、本当に大きな気づきだった。

無意識のうちに人は「誰かのために」と言っている。
その時点で人は見返りを求めている。
そして誰かのために頑張って、それでも成果が出ない時人は「なんで見返りがないのだ」と思ってしまう。
そう思わないでおこうとしていても潜在的にそう思ってしまう。

誰かのためには、誰かのせい。
になってしまうのだ。
そうではなく、自分のために。
あの人の笑顔が見たいから。
自分のために頑張るのであれば見返りはいらない。

僕はこれからも業界の発展に尽力したいし、世界が良くなるように挑戦を続ける。

でも社会のためじゃない。
社会が良くなることが僕の喜びだから。
社会が良くなって「よくしたったーーーー!」と笑えるためにやるのだ。

人生のハンドルは誰にも握らせない。
自分自身が決断し、行動し、生きていく。

そんな気づきの備忘録。


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