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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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#日野

【175日目】都立中央図書館

【175日目】都立中央図書館

ご隠居からのメール:【都立中央図書館】

都立中央図書館に電話で問い合わせたところ、電話かWEBによる予約制で、一日に先着100人が入館できるそうだ。時間帯は午前10時から午後1時までの三時間でよいだろう。自分の予約がとれたら、至急連絡してくれ。オレもただちに当日の図書館と浅草寺の予約をとる。

平日休みの日を調整できるなら、午後は浅草寺にまわって、一周忌の法要に参列することができる。今秋はコロナ

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■【より道‐56】歴史が刻まれる聖地_それぞれの「厳島神社」

■【より道‐56】歴史が刻まれる聖地_それぞれの「厳島神社」

父とのメールのやり取りが始まってから半年の月日が経ちました。

毎朝、父から届くメールを読んで、通勤中に返事を考えながら返信する。作家の父から物書きのノウハウとして教えてもらったことは、

「とにかく書き続けること」

100本ノックのごとく続くテーマは「ファミリーヒストリー」。父が生涯かけて研究してきた、ご先祖様の活動を知ることで、人生を乗り越えるヒントを知ろうというものでした。

我が家のファ

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【161日目】墓参り

【161日目】墓参り

ご隠居からのメール:【墓参り】

墓参り、おつかれさま。

旧姓信谷治恵さんからも電話があった。食事を一緒にしてくれると思っていたのにさっさと帰ってしまったと、残念がっていたそうだ。

車では酒が飲めないし、コロナ対策も考慮する必要があり、日野にも行かなければいけないので、忙しいスケジュールだったが、よくぞこの猛暑とコロナ禍の中、墓参りしてくれた。御先祖さまにも気持ちは伝わっていると思う。

日野

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【153日目】年代記

【153日目】年代記

ご隠居からのメール:【年代記】

こうして年代記を眺めてみると、長谷部氏の一族離散は宿命だね。高瀬川の上流の高瀬川をオレたちは大川と呼んでいたが、実際には小川のような細流が村を二分してくねくね蛇行しながら流れているだけなので、東側も西側もないよ。

そういえば、近江の守護には佐々木源氏の流れをくむ京極氏と六角氏があり、六角氏には高瀬城という城があった。米原氏が城主だが、わが御先祖様とは関係がないと

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■【より道‐49】六分一殿と呼ばれた山名一族の明暗

■【より道‐49】六分一殿と呼ばれた山名一族の明暗

平安時代末期に長谷部信連が伯耆国(鳥取)に流された場所、日野郡下榎から大倉山(大蔵山)を越えた隣村にご隠居の故郷、高瀬村があります。

伯耆ふくめ山陰地方は、鎌倉幕府が開かれたときから山名氏が守護職を任されていたようなので、血縁関係のある我が長谷部一族も山名氏に従属していた可能性が高いです。

しかし、不思議なことに現代の自分たちには「尼子の落人」という、家訓のような言い伝えが残っていまして、この

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【139日目】山林所有権

【139日目】山林所有権

ご隠居からのメール:【 山林所有権】

「太閤検地」をウイキペディアで検索すると、1582年までに豊臣秀吉が日本全土で行なった検地(田畑(山林は除く)の測量及び収穫量調査)。天正の石直し、文禄の検地ともいう。百姓は、耕作権を保証されるかわりに年貢負担を義務ぎむづけられ、土地をはなれられなくなった、という。

「山林は除く」となっている。つまり、山林の土地所有権も年貢納税の義務もなかったのだ。江戸時

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【124日目】何故家を新築したのか

【124日目】何故家を新築したのか

ご隠居からのメール:【 何故家を新築したのか】

與左衛門さんは、「何故家を新築したのか」という問いに対しては、家が古くなり、建て付けが悪くなったからと考えるのが自然ではないかな。ふつう、材木主体でつくられた戸建ての家の寿命は二十年と言われている。田舎の家はでっかい大黒柱を使っていたから、百年はもったかもしれないがね。われわれが知っている高瀬の家は、養女になったツネさんが5歳の頃だから、たぶん弥左

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【57日目】蔵に閉じ込められた記憶

【57日目】蔵に閉じ込められた記憶

ご隠居からのメール:【蔵に閉じ込められた記憶】

長谷部氏が西谷氏と分かれた時代は、戦国時代末期、信谷氏が分家したの
は明治維新後と推察される。三百年の時差があるよ。

菫子おばさんの実家は秋葉氏。鳥取県日野郡岩見村大字花口。やはり尼子の落人の裔かもしれない。オレが真っ暗闇の蔵に閉じ込められたとき、鍵をあけにきてくれるのはいつも菫子おばさんだった。

 昭和十八年四月十二日、菊二さんとの婚姻届出。

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【54日目】謎は深まる

【54日目】謎は深まる

ご隠居からのメール:【謎は深まる】

>やはり、津弥さんは、喜代太郎さんと前妻大原氏の娘なんじゃない?
>それだったら、亀三おじさんが100年祭りをやる意味がわかる。
>なぜなら、亀三おじさんの曾祖父になるから。。

長谷部与一が逝去したのは平成元年十一月十日。亀三おじさんが喜代太郎百年祭をしたのはその後だったと思う。喜代太郎さんに前妻がいたという証拠はないし、その前妻が大原氏の娘で、津弥さんを生

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【20日目】吉野村の謎

【20日目】吉野村の謎

ご隠居からのメール:【吉野村の謎】

【謎の回答】
①いつ、長谷部の子孫は吉野里もしくは高瀬に移り住んだのか
⇒長谷部の子孫が吉野里もしくは高瀬に移り住んだのは、たぶん上月城の戦いの後。

②なぜ、長谷部は広い土地を持っているのか
⇒たぶん先住民の鬼を追い払って、自分の土地にし、権力者(東寺、尼子氏、毛利氏、新見氏、豊臣氏、徳川氏などの代官とテイクアンドギブの交渉をしながら、しぶとく生き残った。(

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【17日目】平家物語

【17日目】平家物語

ご隠居からのメール:【平家物語】

「平家物語」によれば、長谷部信連は平清盛に反抗した罪により伯耆(ほうき=鳥取県)の根雨に流刑となったが、源頼朝の天下になってから頼朝にとりたてられて能登の守護になった。備中や伯耆の守護にはなっていない。

しかし、一族の長谷部元信の先祖が備後の上下地方の地頭になった。新見荘の地頭になったのは新見氏や多治部氏で、東寺が直営したこともある。

やはり、元信の頃、長谷

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