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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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#尼子氏

■【より道‐120】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子氏の滅亡

■【より道‐120】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子氏の滅亡

出雲国の守護代であった、尼子経久は、京極氏の意思を継ぎ、山陰山陽の11ヶ国を制するほどの時代を築きました。

その後、家督を継いだ孫の尼子晴久は、安芸の国人、毛利元就の吉田郡山城を攻撃するも、退陣する結果となり、一時的に勢力を衰退させてしまいましたが、再び、国人たちを配下に治めて、ついには、8ヶ国の守護大名にまで、勢力を拡大させました。

しかし、最終的に西国の覇者となる人物は、毛利元就です。

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【348日目】:尼子氏か毛利氏か

【348日目】:尼子氏か毛利氏か

ご隠居からのメール:【尼子氏か毛利氏】

我が家にはご先祖さまが尼子の落人という言い伝えがあった。尼子というのは戦国時代に滅亡した戦国大名である。戦国大名としては滅亡したが、ご先祖さまは、落人として生き延び、そのDNAはわれわれ一族に受け継がれているというのだ。

ところが、調べてみると、実は尼子の落人ではなく、毛利の牢人だったのではないかという疑いが出てきた。毛利氏は尼子氏を滅ぼして中国地方の覇

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【272日目】:昨日の敵は今日の友

【272日目】:昨日の敵は今日の友

ご隠居からのメール:【昨日の敵は今日の友】

「応仁の乱」が地方に飛火して、出雲では南朝の守護山名氏と北朝の佐々木京極氏が対立関係に入った。という状況になると、出雲や備後の有力国人たちは、どちらかへの加担を表明しなければならなくなった。国人としての存在感を発揮したければ、中立は許されない。

そこで、京極氏か山名氏(後には大内氏か尼子氏、さらには尼子氏か毛利氏)のいずれかと婚姻関係を結ぶことになる

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【271日目】:尼子氏発祥の地

【271日目】:尼子氏発祥の地

ご隠居からのメール:【尼子氏発祥の地】

尼子氏発祥の地とされる尼子郷は近江国犬上郡甲良荘のなかにあった。甲良荘は1345年(康永四年)四月二日佐々木(京極)道誉が、戦功の賞として、足利尊氏から与えられたものである。

明徳二年、出雲などの守護だけでなく、全国六十六か国を領して六分一殿と呼ばれていた山名満幸は将軍・足利義満にさからって、「明徳の乱」を起こしたが、敗走し、出雲守護職を免じられた。翌明

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【252日目】だんご三兄弟

【252日目】だんご三兄弟

ご隠居からのメール:【だんご三兄弟】

尼子氏の三兄弟と毛利氏の三兄弟を比較してみる。

長男:尼子政久ー毛利隆元

二男:尼子国久ー吉川元春 

三男:尼子興久ー小早川隆景

長男は両者とも早世しているのであまり差は目立たないが、毛利氏は他家の養子になった二男・三男の両川が主家をよく補佐し、盛り立てた。

それに対して、新宮党の尼子国久は毛利元就の謀略にのせられた宗家の尼子晴久によって暗殺され、

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【251日目】山中新六の母

【251日目】山中新六の母

ご隠居からのメール:【山中新六の母】

●『尼子姫十勇士』では、尼子スセリ姫と鹿之助との間には子は生まれていない。
●松本清張『山中鹿之助』では、知和正人の遺児・小菊や隠岐清家の姪・潮姫との子はない。
●南原幹雄『名将山中鹿之助』では、尼子勝久の姉・美保姫が新六を生んだ。
●依田武勝『山中鹿之助』では、亀井秀綱の娘・千明が嫁し、新六を生んだ。
●池波正太郎『英雄にっぽん』では、亀井秀綱の娘・千明が

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【247日目】尼子氏関連小説

【247日目】尼子氏関連小説

ご隠居からのメール:【尼子氏関連小説】

お世話になったシェフが、大好きなワインを飲み続けたあげく、肝硬変でお亡くなりになった由、ご愁傷様だが、それも宿命かもしれない。まだ若いと思うけど、『ありがとう肝硬変、ようこそ糖尿病』というふ題名の小説を書き残して先日亡くなった高橋三千綱も七十歳になったばかりだった。

戦場で恨みをのんで死ぬよりは、大酒飲んで死んだほうがましかもしれないがね。

>>政久、

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【243日目】尼子十旗

【243日目】尼子十旗

ご隠居からのメール:【尼子十旗】

>>高瀬城が攻め落とされる年代を考えると、確かに不思議だね。1566年
>>(永禄九年)「月山富田城の戦」で尼子氏が滅亡するとき、米原氏は毛
>>利側についていた、もしくは、中立を保っていたのかね。尼子再興軍が
>>結成されて呼応したのだろうか。このあたりは、国立図書館で「松江
>>史」を読んだらわかるかな。

ーー1566年(永禄九年)、「月山富田城の戦」の頃

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【239日目】尼子姫十勇士

【239日目】尼子姫十勇士

ご隠居からのメール:【尼子姫十勇士】

諸田玲子『尼子姫十勇士』を読みはじめた。『八犬伝』や『八つ墓村』の系譜につながる伝記小説の類だ。

登場人物は、スセリ姫、尼子勝久、山中鹿介など。スセリ姫は、尼子再興軍の女統領で、塩冶興久が日御碕神社の巫女に生ませた娘ということになっている。

興久自刃後は新宮党の伯父、尼子国久の養女となって月山富田城下で成長、国久の嫡子・誠久の妻となり勝久を産むも新宮党は

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【176日目】遠くの親戚より近くの他人

【176日目】遠くの親戚より近くの他人

ご隠居からのメール:【遠くの親戚より近くの他人】

>>九月のスケジュールは少々時間をください

ーー了解。浅草寺は9月13日(月)までに申し込む必要があるので、なるべくならそれ以前に決めてくれ。

日野長谷部氏と上下長谷部氏との関係は、例外的に長谷部絢光のような宗教的な批判はあったが、日常生活のレベルでは、「遠くの親戚よりも近くの他人」という諺の通りで、「遠くの日野長谷部氏よりも近くの新見氏(

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【160日目】「パンデミック体験記」

【160日目】「パンデミック体験記」

ご隠居からのメール:【「パンデミック体験記」】

不動明王と摩利支天はどちらもインドに由来する怒り戦神。

不動明王ーー大日如来の化身。悪魔や煩悩を懲らしめる。
摩利支天ーー摩利支天はマリーシ、つまり"陽炎"の神格化である。

姿なく、影なく、無限の大地にひそかにきらめく。そのゆえに、隠身・護身・勝利不敗の神とされる。古来、武人・兵法家の守護神とされた。

わが家では四人の男子のうち三人は軍人にな

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【157日目】塩冶氏

【157日目】塩冶氏

ご隠居からのメール:【塩冶氏】

うん、面白い展開だ。ファミリーストーリーのつながりと筋道とがかなりはっきり見えてきたような気がする。

尼子経久が出雲西部に勢力をもっている塩冶氏を配下に取り込むべく興久を養子にしたというので、塩冶氏をWikipediaを調べたら、塩冶氏は京極氏の一派、宇多源氏佐々木氏流で、近江源氏の分流、出雲源氏の嫡流だそうだ。京極氏と塩冶氏は一体、京極氏と六角氏は親戚とみてよ

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【156日目】一歩前進

【156日目】一歩前進

ご隠居からのメール:【 一歩前進】

矢野荘の情報ありがとう。これで上下町における新見氏の痕跡を確認することができたので、わが家の歴史探索にとっては大きな一歩前進だ。この確認ができただけでも、「尼子の落人後日譚」を執筆する価値があると思う。

「上下町御当地兼題問題集」の関連事項をメモしておくと次の通り。

まだ未確認の疑問は、尼子経久と新見国経との出会いは1517年(永正十四年)だとして、新見国

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【154日目】本領安堵

【154日目】本領安堵

ご隠居からのメール:【本領安堵】

長(長谷部)氏は「上月城の戦」で、毛利軍と尼子再興軍との二派に別れて戦ったのではないだろうか。元信の嫡流は当然毛利軍、支流は新見玄蕃守に従った牛之助や馬之助。長谷部元信にはたぶん本正室のほかに側室や妾数人いたと思われる。

中村整史朗『尼子経久 毛利が挑んだ中国の雄』という小説を読むと、1517年(永正十四年)に尼子経久と新見国経が出会ったことになっている。新見

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