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■【より道‐120】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子氏の滅亡

2022年11月21日(月) Hello,my friend

永禄9年(1566)11月28日は毛利元就が尼子義久を降伏させ月山富田城が開城した日。先代晴久の最盛期は山陰山陽8ヶ国を領有し大内氏と争った。晴久急死から5年で戦国大名尼子氏は滅亡。二大勢力の間から台頭した毛利氏が山陰山陽を制した。興亡を知る度に維持し続ける難しさばかり感じます。

永禄6年(1563)12月3日は毛利元就が石見の大森銀山を朝廷と幕府に献上した日。献上といっても銀山支配の名分を得ることが目的と考えられる。発見から銀山を巡っては激しい争奪戦が繰り広げられたが、この頃は毛利と尼子の争いが繰り広げられ毛利が手中に。この銀山が大国毛利の戦費を支えた。

永禄9年(1566)11月28日は尼子義久が毛利元就に降伏し月山富田城が開城した日。尼子氏は先代晴久のころが最盛期で山陰山陽8ヶ国の守護を兼ね大内氏と争った。晴久が急死してわずか5年で戦国大名尼子氏は滅亡することになった。二大勢力の間から台頭した毛利氏が山陰山陽を制することに。

31日は旧暦にない。永禄8年(1565)8月は尼子義久の月山富田城を包囲中の吉川元春が「太平記」40巻を書写しおえた月。永禄6年閏12月から陣中にて書写しはじめたもので「吉川本太平記」として現在に伝わる。元春といえば毛利家の中で武勇で知られるが文化的素養の高さもうかがわせる。