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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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#山名氏

【349日目】:佐々木氏か山名氏か

【349日目】:佐々木氏か山名氏か

ご隠居からのメール:【佐々木氏か山名氏か】

佐々木氏か山名氏かーーどちらも我が家からみると、まったく縁のない家系のような印象を受けるが、中世の歴史を調べているうちに、他生の縁があることがわかった。

佐々木氏は、宇多源氏の佐々木氏の一流で、京極氏、六角氏、大原氏、高島氏、塩冶氏、尼子氏なども佐々木氏の流れだ。尼子氏は、尼子経久の時代に、下剋上で出雲守護代から出雲守護になり、山陰地方十一ヶ国太守に

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【274日目】: 但馬の長氏

【274日目】: 但馬の長氏

ご隠居からのメール: 【但馬の長氏】

我が家のご先祖には備中西谷村の長牛之介、伯耆の神官長谷部氏、備後の武将長氏の三系統の可能性を想定していたが、第四の系統として但馬の長氏の可能性も考えられることがわかった。

但馬は因幡の隣国で、因幡は伯耆の隣国だ。したがって、伯耆に流された長谷部信連の流れをくむ一分派だと推察することができる。

吉川永青の小説『乱世を看取った男 山名吉高』に長高連という人物

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【272日目】:昨日の敵は今日の友

【272日目】:昨日の敵は今日の友

ご隠居からのメール:【昨日の敵は今日の友】

「応仁の乱」が地方に飛火して、出雲では南朝の守護山名氏と北朝の佐々木京極氏が対立関係に入った。という状況になると、出雲や備後の有力国人たちは、どちらかへの加担を表明しなければならなくなった。国人としての存在感を発揮したければ、中立は許されない。

そこで、京極氏か山名氏(後には大内氏か尼子氏、さらには尼子氏か毛利氏)のいずれかと婚姻関係を結ぶことになる

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【271日目】:尼子氏発祥の地

【271日目】:尼子氏発祥の地

ご隠居からのメール:【尼子氏発祥の地】

尼子氏発祥の地とされる尼子郷は近江国犬上郡甲良荘のなかにあった。甲良荘は1345年(康永四年)四月二日佐々木(京極)道誉が、戦功の賞として、足利尊氏から与えられたものである。

明徳二年、出雲などの守護だけでなく、全国六十六か国を領して六分一殿と呼ばれていた山名満幸は将軍・足利義満にさからって、「明徳の乱」を起こしたが、敗走し、出雲守護職を免じられた。翌明

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■【より道‐81】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_山名氏

■【より道‐81】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_山名氏

我が家の「家系図」をみると、桓武天皇から坂東武者の三浦一族につながり、平安時代に三浦義昌の妹だか、娘が、山名伊豆守の正室になったことが、記されています。

山名氏とDNA関係がつながっているわけではなさそうですが、ご先祖様は、親族関係だったのでしょうか。

源氏の新田一族の支流であった、山名氏。もともと、現在の群馬の領地を得ていた一族が、中世室町時代から、名を馳せ、遠く西国の地で勢力を広げていくわ

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■【より道‐80】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_一色氏

■【より道‐80】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_一色氏

■四職の筆頭
足利幕府を支えたのは三管領と四職。そのうち四職の筆頭と目されたのは一色氏ーーといっても、「へー、そうなんだ」という反応しかかえってこないのがふつうでしょう。一色氏は他の四職家である山名氏、京極氏、赤松氏と比べても、華々しい実績にとぼしく、どちらかというと地味な存在です。

吉川英治の小説『私本太平記』によれば、若い頃の足利又太郎(後の尊氏)が京に遊んだときの随行者で、その後も主君への

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【160日目】「パンデミック体験記」

【160日目】「パンデミック体験記」

ご隠居からのメール:【「パンデミック体験記」】

不動明王と摩利支天はどちらもインドに由来する怒り戦神。

不動明王ーー大日如来の化身。悪魔や煩悩を懲らしめる。
摩利支天ーー摩利支天はマリーシ、つまり"陽炎"の神格化である。

姿なく、影なく、無限の大地にひそかにきらめく。そのゆえに、隠身・護身・勝利不敗の神とされる。古来、武人・兵法家の守護神とされた。

わが家では四人の男子のうち三人は軍人にな

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【156日目】一歩前進

【156日目】一歩前進

ご隠居からのメール:【 一歩前進】

矢野荘の情報ありがとう。これで上下町における新見氏の痕跡を確認することができたので、わが家の歴史探索にとっては大きな一歩前進だ。この確認ができただけでも、「尼子の落人後日譚」を執筆する価値があると思う。

「上下町御当地兼題問題集」の関連事項をメモしておくと次の通り。

まだ未確認の疑問は、尼子経久と新見国経との出会いは1517年(永正十四年)だとして、新見国

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■【より道‐51】戦乱の世に至るまでの日本史_運命を分けた「承久の乱」

■【より道‐51】戦乱の世に至るまでの日本史_運命を分けた「承久の乱」

室町時代に征夷大将軍であった足利一族や、四職である山名氏、京極氏との血縁戦略をとっていたご先祖さま。

決して日本のトップではないですが、なかなか良い立ち位置にいたんじゃないかなと想像していますが、ある大戦をキッカケに衰退したことは間違いないと思います。

それは、室町幕府を終わらせるほどの大ダメージを負った「応仁の乱」です。「応仁の乱」は、登場人物や因縁関係などが複雑なので覚える気にもなりません

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【150日目】語る資格

【150日目】語る資格

ご隠居からのメール: 【語る資格】

では、次の随筆のタイトルは、「尼子の落人」後日譚、と決めることにしよう。

「語る資格」はあるような気がする。

① 尼子再興軍に参戦した長谷部氏
② 尼子家臣として秀吉に仕えた長谷部氏
③ 母方(津弥)の先祖が尼子氏
④ 尼子の落人が長谷部氏の養子になる
⑤ 長谷部が尼子の落人という言い伝えがある
⑥ 随筆「尼子の落人」の内容が先祖自慢になっているという批判

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【149日目】なぜ「尼子の落人」か

【149日目】なぜ「尼子の落人」か

ご隠居からのメール:【なぜ「尼子の落人」か】

>毛利元就は、尼子から寝返った山名氏に人質を出すように要求して
>いたらしい。また、寝返った国人たちを戦の最前線に配置したとも
>言われているーーこれらの問題は精査、検証が必要だと思う。

「尼子の落人」執筆に際しては上下町の長秀雄さんから情報を貰っている。オレ以外にも長谷部氏の先祖に関する問い合わせが何件かあり、その都度、家紋を持ち出して対応された

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【148日目】六分一殿

【148日目】六分一殿

ご隠居からのメール:【六分一殿】

相続というのは戦争につながるほどの大きな問題なんだな

ーー応仁の乱がまさにそれだね。畠山、斯波、細川、山名などの有力大名はみんな親子喧嘩、兄弟喧嘩にまきこまれた。中世は兄弟での分割相続がふつうだったそうだが、土地には限りがあり、分割に分割を続ければ、財産は細ってしまう。

六分一殿といわれた山名氏といえども、六人の子供がいれば、三十六分の一殿になる。応仁の乱で

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■【より道‐49】六分一殿と呼ばれた山名一族の明暗

■【より道‐49】六分一殿と呼ばれた山名一族の明暗

平安時代末期に長谷部信連が伯耆国(鳥取)に流された場所、日野郡下榎から大倉山(大蔵山)を越えた隣村にご隠居の故郷、高瀬村があります。

伯耆ふくめ山陰地方は、鎌倉幕府が開かれたときから山名氏が守護職を任されていたようなので、血縁関係のある我が長谷部一族も山名氏に従属していた可能性が高いです。

しかし、不思議なことに現代の自分たちには「尼子の落人」という、家訓のような言い伝えが残っていまして、この

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■【より道‐48】家系図から読み解く山名氏との血縁

■【より道‐48】家系図から読み解く山名氏との血縁

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、長谷部氏の氏祖、長谷部信連が生きた時代が舞台ですので昨年から楽しみにしていました。

心待ちにしていた第一話をみると、小栗旬さんが演じる「北条義時」が、大泉洋さんが演じる「源頼朝」に女装をさせて逃げ出すシーンからはじまりまったので思わずツッコミをいれてしまいました。

史実では、長谷部信連が以仁王を女装させて逃したのに、、と思いながらも、今回の大河ドラマでは信連は出

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