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「これは詩だ。」君たちはどう生きるか(ネタバレあり・感想)
みてきた。面白かった。これは詩なんじゃないかと思った。
なぜなら、シーンそのものに対し、あまりにも含みをもたせている。
例えば、眞人に対して夏子さんが「大嫌い」というシーン。
そのあと、眞人が何かしらそれに感じて、心のありようが変わったのか、夏子母さんと呼ぶようになっていく。
これは不思議で、わたしたち鑑賞者は下手をすると追いつけない。
しかし眞人のなかでは、何かしらの気づきや心境の変化があったに違いない。
その心模様を下手に描写しないあたりにかえって粋を感じるのだ(言ってしまうと野暮でしょう、といった感じ)。
そして、ここに想像の余地をもたせることこそが、わたしたち鑑賞者を考えさせてくれることにつながっている。
そうして各々で出した答えが、きっと映画のメッセージとしてわたしたちに返ってくる仕組みなのだ。
つまり映画のメッセージはほかでもない、わたしたち自身が決めることだ。
そしてもう一つ。
どうとでも解釈できてしまえる、詩のような、懐の深さ、想像の余地がわたしたちに「塔を築く」ということの質感を教えてくれる。
そう、映画終盤あたりで王子が言っていた、「塔を築く」ことである。
「塔を築く」というのは、わたしたち自身が頭で考え、じぶんを確立していくことだと私は解釈した(けっこうニュアンスで解釈してる)。
そして、この塔を築くという行為を、映画との関わり合いのなかで無意識にしてしまう。
これはどういうことだろう、と考えるなかで、じぶんなりの本当に納得のいく答えが出せれば、塔を築けたことになる。
そのようにしてわたしたちは、この映画に自立の質感を学ばされるのである
(もう必要ないという人は、大人なんだと思っている)。
つまりこの映画こそは、映画と鑑賞者、双方のコミュニケーションによってようやく生まれることのできる、まるで詩のような映画なのだ。
あるいは、自立することの質感を教えてくれる、近所の公園のおじさんのような映画なのだ(昭和)。
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