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書店に行くたび人生の有限性を感じる

あれも気になる、これも気になる。えっ、こんな本があるんだ!

本屋さんに足を運ぶたび、ほしいものリストならぬ「読みたいリスト」の待機列が伸びていきます。ただでさえ積読本の長蛇の待機列が形成されているのに、ダメ押しで新規の待機列を形成しています。
いずれの列も一生途切れることはないです。まだ読みたいリストが連なるだけならいいですけど、積読本が増え続けたら住める場所がなくなります(笑) バイバインみたく、最終的には宇宙に行かないといけません……。

大型書店は当然として、小型書店で販売されている本のすべてを読むこと―買うことも、それこそ超富裕層で超セレブレティ(いま読んでいる本に触発されての言い回し)だけしか買えない―は、できません。
いくら長寿化が進もうと、それこそ不老不死にでもならない限りは、そこに販売されている本のすべてを読み切ることはできません。

お金は、書籍代以外の経費を削減すれば、いくらでも捻出できます。
ちなみにぼくは、書籍代とオタ活代の支出が大半。書籍代は月に1万円程度、オタ活(ここでは美術館巡りなどの趣味も含みます)で月2万円程度かかっています。最近は、オタ活費を抑えているので、月2万円もいきませんが。その揺れ戻しで書籍代に転換されています(笑)

他方で、人生という「時間」は不可逆で、どんなにテキパキ動いても捻出できる時間は限られてしまいます。
仕事で8時間、睡眠で7時間で約15時間を潰しますし、仕事を始めるまでのもろもろの準備や移動時間、終わってから帰って寝る準備を整える時間も加味しなければなりません。結果、約17〜18時間を毎日消費していることになります。

パートナーがいたりお子さんがいる場合、さらに時間がなくなります(それは悪いことでないですし、人生を豊かにし得る社会資本ですので、存分に時間を充ててください、というか羨ましい)。
つまりは、時間がないって!もっと時間を割り当てさせてクレメンスということ。

時間の有限性は、なにも土に還るまでの時間をさしている訳ではありません。突然、ポッキリ逝く可能性は外しておけば、わたしたちは徐々に墓に足を入れていきます。
いよいよ墓に入ろうかという瞬間で、元気に活動できる状態でしょうか?
健康でいれる時間、ようは「読書できる体でいれる時間こそが有限で短命」ということ。これは長寿化に伴って、健康で過ごせる時間も伸びています。けれど、永遠でもなければ永年でもなく、ましては無限じゃない。

書店の空気を吸うたびに、健康でいられる限られた時間の幅を感じてなりません。

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